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ユートピア  作者: 吉田 要
第三部 帝国会戦:決戦篇
63/70

4-2 勝利の嚆矢





渇く渇く 喉が渇く


何が足りない? 何も足りない!


乾く乾く 脳天が乾く


何を呑んでも 何を喰らっても


あぁ、もっと・・・


―――――――近衛騎士団アルピーニ 旗騎士 オレスティラ・スピッツィキーノ





 オレスティラの人生は血に塗れたものだった。

 常にだれかを殺し続け、血で自分の体を覆う人生。

 一番初めに人を殺したのは、5歳の時。

 相手は母親だった。

 今となっては何が原因なのかよく思い出せないが、自分の血で右手が濡れていたのだけは覚えている。

 ズキズキ痛くてなんだか気が遠くなる。

 そんな手を家に帰ってきた母に突き出した時、何故か手が彼女の胸を貫いた。

 いや貫いたという表現はあまり正しくないのかもしれない。そこにあって自分の手を止めるはずの皮膚や肉や骨を、自分の手が透き通ってしまったように母の体に手が入って行った。

 苦しそうにすることもなく、ただそれに目を見開いて驚く母。

 呆然としたオレスティラは、慌てて手を抜こうとして、母の体で唯一掴んだものと一緒に彼女の体から手を引き抜いた。

 オレスティラの小さな手に握られた、ドクドクとまだ脈打つ赤い楕円の球体。

 母もオレスティラも目を丸くして、数秒後母がぐらりと倒れ込んだ。

 どうして倒れたのだろう。

 どうしていくら揺すっても動かないのだろう。

 どうしてどんどん冷たくなるのだろう。

 手の平の中で脈っていた球体もいつしかその動きを止め、オレスティラはきっとそれが原因だと、母の体にそれを戻した。そしてギュッと目を瞑り、開くときには母は元通り――というのは幻想だった。

 母は自分に買ってくれた赤いドレスよりも、もっと赤い色をした海に溺れて息絶えてしまった。

 それからずっとオレスティラは思い悩んだ。

 そして妙に乾くことに気づいた。

 喉ではない、心の中にある壺のようなものになみなみと注がれていたはず何かが急速になくなっていくような、そんな感じがした。

 普通の人ならばそれは「喪失感」だというのだろうが、生憎とオレスティラは幼く、そして自分も環境も()()()()()()()()

 奴隷の町。住人の九割が奴隷で残る一割が管理人。特産品として奴隷を育てて、奴隷を売る。そんな街で、少女に気に掛ける余裕がある者などいなかった。

 何をすれば満たされるのか。

 一人悩んだオレスティラは、その夜家にいた小さなネズミを誤って踏み殺してしまった。

 ぐちゃりと潰れたその瞬間、ピチャンッと壺の液体が跳ねた。

 きっとそれは精神を病んだからだろう。だがそんなこと少女には分からぬ。

 また殺した。また一滴壺に落ちる。さらにまた殺した。さらにまた一滴も壺に落ちる。

 道に住み着く野良犬を殺した。今度はバシャッと壺に液体が入ってきた。

 そこで少女は確信した。

 これだ。これを続ければいつか満ちると――。

 強いものであればあるほど、注がれる液体の量は多い。

 少女が街を出るまで、壺に一番多く液体を注いだのは町の管理人だった。あの母が動かなくなった時の様に、自分の血で濡れた腕を醜く肥えた彼の体に突き出した時、バケツをひっくり返したようにたくさんの液体が流れ込んできた。

 奴隷たちは彼女を解放の王と崇めたが、そんなことはどうでもよく、手当たり次第にオレスティラは殺して回った。

 だが暫くすると、人を殺しても注がれる液体の量が減ったことに気づいた。

 幾ら殺しても、壺から減っていく液体の方が多い。

 乾く。

 渇く。

 かわく。

 カワク。

 そんな少女と、彼女の築き上げた死体の山を見て、町に来たある男は「面白い」と言った。

 勿論彼も殺そうとしたのだが、殺せなかった。いくら向かっていっても()()()()。自分が動けなくなることなんてないと思っていたオレスティラにとって、衝撃的なことだった。

「君は殺すことによって自分を維持しているんだねぇ。それがなきゃ、崩れてしまう」

「・・・崩れる?オレスティラは・・・難しい言葉はよくわからない」

「構わないさ。君は今のままだからこそいいんだ。ここで知識を得てしまったら、ボクは君を殺さなきゃならないからね」

「・・・?」

「メインデルト、メインデルト・ロットだ。一緒に来ると良い、オレスティラ・・・」

 少女に手を差し出したメインデルトは、困ったように顎を撫でてから、町の中央にあった石像を見て手を打った。

「苗字は・・・そうだな、ここはスピッツィキーノの像があるし、オレスティラ・スピッツィキーノでいいんじゃないか」

 エルトリア最大の奴隷商の名前を奴隷につける。何とも皮肉なことであるが、そんなことオレスティラには分からないし、理解してもどうでもよかった。

 メインデルトに連れられて動く日々は楽しかった。この男を殺せたらどれだけの液体が自分に・・・と思っていたが、彼の与える餌はとても魅力的だった。

 戦場というのは硫黄の匂いがして気味の悪い所だったが、それでも「見える者すべて殺していい」と彼に言われたときは、血が湧きあがるのを感じた。一人から得られる液体の量は確実に減っていったが、それを補って余りある量だ。それに時より普通の人よりも多く液体を得られる、力の強い者も殺せた。

 もっと力の強い者を殺せば、もっともっと満たされる。

 自分のために戦っていたオレスティラは、いつの間にかメインデルトによって旗騎士まで昇進させられていた。もしかしたら彼の道具になっているのかもしれないが、別にそれもどうでもいい。むしろこんなに最高の場所を用意されて、感謝すらしている。

「君は女の子なんだし、顔も整っているのだからもうちょっと綺麗になりなさい。そうだね、恋でもすると良い」

 彼女の紫髪を撫でて言うメインデルトに、オレスティラは素直に従うことにした。

 人を殺して人生を送ってきた少女にとって、恋や愛はよくわからなかったが、取り敢えずなんとなく殺せば満たされそうと思う者に近づいた。

 特に面白くはなかったので殺した。いつもより少しだけ満たされた。

 これはいい。そう思ったオレスティラはどんどん恋をしていくようになった。

 この戦いの前もそうだ。

 ウィチタと名乗ったそばかすで糸目の少年。

 とても満たされそうだと思った。


 ――渇く・・・

 ――この渇きを携えまま、別の世界に行くのか

 死というものが分からないオレスティラは、ぼんやりと振り下ろされるコラを眺めていたが、無意識に渇きを拭おうと血に濡れた右腕をベランコの方に突き出していた。

 当然、振り下ろされたコラに叩き斬られる――はずだった。


「ああ?」

 突然宙で固まってしまったかのように動かなくなったコラ。

 眉を顰めたベランコは視界の端で、木に寄りかかって立ち上がったウィチタが血の気の無い真っ白な顔に、弱々しくも勝ち誇った笑みを浮かべているのに気づいた。

「てめぇ、何しやがった?」

「何って・・・そりゃあその剣、俺の体を斬りつけて、ジャバジャバ俺の血がついてるんだから、()()()()()()()()()()()するでしょ普通」

「そのちょっかいが何かって聞いてるんだがな?」

 こめかみをひくつかせながら凄むベランコに、ウィチタは薄い笑みを張りつけたまま「前見た方がいいよ」と告げた。

「どうせもう間に合わないだろうけど」

 ウィチタの言葉を聞き終わらないうちに、ドチュッ!という音と胸から何かを引き抜かれたような感覚がベランコを襲った。

 ――なんだ・・・?

 ――何が・・・

 恐る恐る前を向いて、オレスティラが右手に脈打つ真っ赤なものを握りしめているのが見えた。

「・・・あ・・・?どう、なって・・・いやが・・・る・・・?」

 首を傾げながら、ベランコはそのままドサリと地面に倒れ込んだ。目を見開きピクリとも動かない彼の姿はどう見てもこと切れていた。

 オレスティラは彼の死体を見ながら、手に握った彼の心臓に喜々としてかぶりついた。溢れ出る血の一滴すら逃がさじと、それを丸呑みした彼女は、満足げに目をとろんとさせて恍惚な表情をした。

 暫く感慨にふけっていたオレスティラだったが、ふと思い出したようにウィチタの方に顔を向けると、脚を震わせながら立ち上がって寄って行った。

「・・・なぜ危険を冒してオレスティラを助けた?」

「なぜってそりゃ、惚れた女が殺されるのを、黙ってみている男はいないでしょ」

 生気のない顔でクスリと笑うウィチタ。

 いつものオレスティラなら、ここで彼を殺していた。渇きを潤すために。

 ただこの時だけはなぜかそうする気が起きず、彼に肩を貸すとフラリとしながらも一歩一歩帝都の方へと道を戻り始めた。

 途中増援の教会軍部隊と行き違った際、彼らは二人に手を貸そうか悩んだが、それをオレスティラが跳ねのけたことと、ウィチタが「作戦を」と呟いたことで、火山の方へと登って行った。



  ◇  ◇  ◇



皇城 大広間

 カラランと気球からロープを伝って札が下りてきた。

 それを手にした伝令は、すぐに幕僚や首脳部の集うテーブルへと駆けて行った。口元に笑顔を携えて。

「――――ッ!・・・()()()()()()()()との報告です」

 教会軍幕僚会議議長――ヴィクトリオッティ・バッペンボルドー元帥の言葉に、集まっていた面々からは安堵のため息が漏れた。

「・・・城内に敵を入れてしまっては意味がない。城壁での防衛線を維持したまま、第三防衛線を後退させねばなるまい」

 その中でも未だ険しい顔で、エルトリア帝国首相兼十字教会法王――フィオレンツォ七世が言うと、バッペンボルドー元帥も深く頷いた。

「幸いにもシュクロアフスキーを撃破し、帝国軍は士気・統制ともにガタガタの状態です。この機を逃がせば、撤退には多くの将兵に死傷者が出るかと」

「同意ですな。兵士も信徒。一人でも多く戦場から脱出させなければなりません」

「しかし余りにも急速な撤退は、わが軍それ自体の混乱も招く。そもそも既に帝国軍の密偵によって前線の上級将校が暗殺されている現状では、撤退の連絡すら全部隊に伝わるかどうか」

「・・・大義の前にはやむ負えないこともありましょう。将兵にむざむざ死を与えるのは、分かり切っていたことです。希望が一つ見えた程度で、それを揺るがしてはなりません」

 安心したのか次々と話し始める軍の幕僚や閣僚たちに、体格のいい作戦部長フッドウォーカー大将が忠告した。

「その通り。そして我々が撤退するというのは、()()()()()()()()()()()()()()ともいえる。この間に向こうが形勢を取り戻せば、我々が優位な状態でこの戦いを終えることはできまい」

 バッペンボルドー元帥が同意したことに、彼らは再び表情を曇らせた。

「現実を見るのは軍人の仕事。未来を見るのは政治家の仕事。あまり彼らを脅かしつづけるものでもないだろう」

 玉座から皇帝エヴァンジェリスタ二世が呟いた言葉は、小さかったにもかかわらず大広間に反響して全員の耳に届いた。

「余は、君たちが国のために勝利を掴み取ることを期待しているよ」



  ◇  ◇  ◇



第三防衛線 臨時指揮所

 第三防衛線司令官であるロングストン大将は、飛び交う砲弾や銃弾の雨の中、皇城から来た伝令の声に「ようやくか」と頷いた。

 指揮所付の伝令たちがひしめく壕に飛び込むようにして入る。

「皆、ここまでよく耐えた!これより第三防衛線を放棄し、城壁内部へと撤退する!今戦っている部隊を救えるのは君たちだけだ!一つでも多くの部隊に撤退の命令を伝えてほしい!」

 「生きてまた会おう」とロングストンが語気を強めると、伝令たちはキリッとした顔で敬礼して次々に壕を飛び出して三々五々散っていった。


 各地を巡って次々に伝えられる撤退命令。

 かろうじて第二防衛線で未だ戦闘を続行していた部隊にも、それが伝えられた。

「ん~、何かあったかい?」

 帝国軍の騎士少将アダルベルト・マシュタリーシュの声に、相対していた旗騎士カルヴィン・ギュンターフィックは額の血を拭って答えた。

「・・・すまんなぁ。どうやたら僕らが戦えるんは、ここまで見たいや」

 「また会お」と言い残すと、騎士クロエ・モンタルティーニの手を引いてサッと走り去るカルヴィン。

 アダルベルトは一瞬追うか悩んだが、周りで狼狽える兵士たちを見てその足を止めた。

「・・・こりゃ、僕らも撤退かねぇー」



  ◇  ◇  ◇



シルキーの丘

「・・・馬鹿な・・・」

 ようやく絞りだせた第一声。掠れ掠れのその声は、より一層自体の深刻さを自分自身に痛感させた。

 モノクロの裏で見開いた瞳はせわしなくキョロキョロと動き、焦りで体が動かない。

 そんな様子の帝国軍上級大将フリードリヒ・ラインハルトに、同じように顔を青ざめた老年の騎士少将レフ・マトヴィエンコが素早く膝をついた。

「閣下、ご指示を」

「・・・英雄が・・・」

「閣下!」

 語気を強めたレフにようやくハッとしたラインハルトがゴクリとつばを飲み込んだ。背後に控えた軍の参謀たちも指揮官である彼の言葉を待っていた。

「・・・()()()()()()()()()()

「正気ですか!?弔い合戦というわけにはいきませんよ!」

「あのシュクロアフスキー元帥閣下が破れたのです!士気は低下、もはや戦線を維持できますまい!」

「ここは一時撤退して、再び立て直すべきです!」

 一斉に口を開いてそれを止める参謀たち。

 ラインハルトはギリッと歯を食いしばってから「ならば・・・」と答えた。

「ならば、撤退するか!?それは最悪の手段だ。貴官も言った通り、士気は低下している。もはやこれ以上下がりようの無い、どん底だ!もし、もし仮にここで撤退してしまえば、体制を立て直すどころか、わが()()()()()()()となる。長城まで撤退、それだけではなく新大陸から部隊を引き寄せたエルトリアによって、我らが逆侵攻されかねない。だから今はここで戦うほかないのだ!()()()

「・・・聞こえたでしょう、上級大将閣下は戦闘継続を指示しておられる。今の命令に確固たる証左をもって反論できる方がおられるなら、名乗りを上げて頂きたい」

 ラインハルトの言葉を遮って、レフが参謀たちを睨みつけた。今ここでこそ、中将や大将を始めとした参謀たちの方がレフより階級が高いが、しかし彼は元大将の予備役少将である。老いてなお鷹のように鋭いその眼光に、参謀たちは一様に口をつぐんだ。

 しぶしぶといった様子で各地へ伝令を出したり、地図を眺めたりと仕事に戻ったが、彼らはどう見ても浮足立っており、シュクロアフスキーが撃退されたという事実が重くのしかかっていた。

 それは何よりもラインハルトも感じており、現に「()()()この戦いを導く力が無いというのはわかっている」と言おうとしていたのを、レフに遮られた。

 指揮官が部下を前に絶対に吐いてはならない弱音である。だが、この状態で戦い続けてもあまりにシュクロアフスキーが圧倒的すぎて、霞んでしまったラインハルトたちでは士気を鼓舞することが出来ない。

 まだ生存者の多いこの状況で、やはり撤退するべきだったかと自分の判断に悩むラインハルトにレフが口を開いた。

「閣下はわかっておいででしょう。兵士において戦いとは武器を使って敵を倒すこと、将校において戦いとは頭脳を使ってひたすらに悩むこと」

「残るのは結果だけ。良いか悪いかは、それが出るまで分からない、ですね・・・」

 レフが静かに頷き、ラインハルトはフーと息を吐きだした。

「賽は投げられた。あとはなるにしかならない」

 少々事情がありまして、ストック分が無くなり次第、少しの間更新を休みたいと思います。来週か、もしくは今月末には無くなると思いますので、そこから暫く休ませていただきます。申し訳ありません。

 早ければ来月の中旬、遅くとも下旬までには順次再開したいと思っております。

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