4-1 死神の鎌合わせ
西の帝国エルトリアと、東の帝国ノヴゴロドが、屈指の大帝国として世界に君臨する17ⅩⅩ年。
もはや開戦の理由すら忘れられた千年来の血戦に、ついに終結の兆しが見えた。
双方の帝国の境界線である長城が老朽化し、エルトリアが新規防衛線の構築を始めた隙に、ノヴゴロドが各地で長城を突破。怒涛の電撃戦でガリア、ダキアの総督領を攻め落とすと、エルトリアの帝都ビュザスまでノヴゴロドにまで侵攻をしてきた。
ビュザス半島の先端南側を丸ごと城とした帝都では、東の火山から西の大林まで大規模な防衛線が敷かれ、圧倒的不利な状況でもエルトリアは戦うことを選択した。
六個の脱出路や新兵器などでノヴゴロドを翻弄するエルトリアだったが、しかしその差は歴然。ノヴゴロド帝国軍国家元帥マクシミリアン・シュクロアフスキーによって城門までの道が開かれ、辛くも彼を撃退することには成功したが、城内への侵入まで秒読み段階を迎えていた。
◇ ◇ ◇
カンカンカン・・・
がらんどうの皇城内に非常事態を知らせる鐘の音が鳴り響く。
「・・・五月蠅いものだ・・・」
その中の本に埋もれた一室で、ヘッラス大公アーキレスタ・エウスタキウスは眉を顰めて筆を走らせていた紙から顔を上げた。貴族にしか身につけられぬ、高級なシルクのローブを身に纏った彼は、フードの影で猫のような目をぎょろりと動かした。
「知識を得たものは獣と嫌われ、武勇を得たものは英雄と崇められる。しかしその後、獣として葬り去られたものは掘り起こされて石像が建ち、英雄として石像になったものは冷たい土の中に葬り去られる。・・・まったく、人間とは何故かくも愚かな存在なのだろうか」
自分しかいない部屋で独り言つアーキレスタは、不意に笑うと再び筆を執って紙に向き直った。
「だが我が輩もその人間の一人。ただ喚くだけの獣一匹。而して土に埋められるのだ。ならば今は筆を執るしかあるまい」
「この瞬間、一秒一秒を書き留めて、立派な石像が建てられるように・・・」
◇ ◇ ◇
半島東 火山の麓
ヘハハハとノヴゴロド帝国騎士――ベランコ・シュトロハウゼンが気味の悪い笑い声をあげる。その笑いに反して、彼は全身に傷を負っていた。
その場を見ていなくても、誰が彼に傷を負わせたのかはすぐに分かった。
ベランコと相対するように立ち、手に血に濡れた剣を握りしめた女騎士。エルトリア近衛騎士団旗騎士――オレスティラ・スピッツィキーノだ。
「楽しい楽しい、楽しいなぁああああああ!!!」
吼えるように叫んだベランコに、オレスティラもフフっと笑った。
「テメェもそうだろ!?オレスティラ・スピッツィキーノ!!断崖と絶壁の間にかかったほっそい綱を渡ってる気分だぜ!!この命のギリギリの感じ!最高だぜェ!!」
「ああ、オレスティラも楽しい・・・強いのはいいことだ。その分殺した時の気持ちも良い」
「ついていけない」。二人の様子を見守っていたウィチタ・アンダーバインは素直にそう思った。
普通の騎士の戦いではない。
いや、もっと言うと人間同士の戦いではない。
獣の戦いですらない。
戦いというのは、何かを守るために戦うのだ。
それは命を守るためであり、縄張りを守るためであり、仲間や家族を守るためであり、名誉を守るためなど様々だ。
だが彼らの戦いからは微塵もその何かが感じ取れなかった。
悪魔のような笑みを浮かべたベランコからも、口角を釣り上げたオレスティラからも。
まるで死神同士がただの暇つぶしに大鎌をぶつけあうような、そんな戦いだった。
「『骸鳫』!!!」
ベランコが血で濡れた両手を大きく左右に大きく広げて絶叫すると、再び地震のような揺れがウィチタたちを襲う。ようやく揺れが収まり始めたかと思われたとき、立ち込める土煙の中から土でできた巨大な鳥が現れた。
「な、なんだよ、あれ・・・」
羽毛や皮、肉がところどころ腐り落ちたように骨がむき出しになっている。一目で土で作られたということはわかるのだが、それでもまるで生きているかのように体を動かすその鳥に、ウィチタは息をのんだ。
「喰らえ『骸鳫』!目に見えるもの全部、てめぇのエサだ!!」
金切声のような鳴き声を上げ、ボロボロの羽を羽搏かせた骸鳫がその鋭いくちばしをオレスティラに向けて迫る。
動けぬウィチタの前で、オレスティラは微動だにしなかった。
――なんでっ!?
――さすがに旗騎士とは言え、死んじまうぞ!!
――動けないのか・・・!?
なんとか体を動かし、オレスティラを骸鳫から救おうとウィチタは糸目を開いて汗を流した。
だがオレスティラはそんな彼を制するように、手で来るなと合図を送ると、剣を地面に突き刺して、右手を自身の傷口に突っ込んだ。
――なにを?
――・・・騎士術でどうになるようなモノじゃないぞ!!
「・・・いいな、これは。強そうだ」
目の鼻と先に迫った骸鳫にオレスティラが血に濡れた手を突き出した。
「強そう?馬鹿が!何を腑抜けたこと言ってやがる!!土の塊だぞ!腕一本で止められるわきゃねぇだろうが!」
そう叫んで高笑いしたベランコだったが、彼女を飲み込んだかに見えた骸鳫が突如目の前で粉々に砕け散った。
「――――ッ!?」
オレスティラは吹き飛ばされることも無く、同じ場所に立っており、右手には骸鳫の核だった、ベランコの血で固められた土の塊が握られていた。手にギュッと力を籠め、呆然とするベランコの前で土の塊をバラバラにする。
「・・・足りない。こんなものじゃオレスティラは満たされない。もっと・・・もっと・・・」
オレスティラの途切れ途切れだった言葉が、次第に熱を帯びてまるでマシンガンの様に吐き出され始めた。
「もっと、もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっとォオオオオオオオオオオオオオオオ・・・・・・・・!!!」
最後は絶叫に近かった。
空を見上げた彼女のあまりの叫びに、体中の傷からビシッ!と血が溢れ出た。
それでもそんなもの蚊に刺された程度でもないと、オレスティラは笑いながらベランコに顔を向けた。
「もっと、オレスティラに命を砕かせてくれ・・・!」
「砕かせろ・・・だァ?それは俺の命のことも言ってんのか?」
――このアマ・・・
――骸鳫を一撃で・・・
内心冷や汗をかきながら、なおもベランコは強がって見せた。いや強がって見えるようで、実際はこの状況すらも楽しんでいた。彼にとっては、死ぬことすらもたかだかその程度なのかもしれない。
だが彼のその後すぐに、その楽しい遊園地からつまらぬ墓地へと突き落とされることになった。
突然オレスティラが膝をついたのだ。これから本番という時に。
こればかりはベランコも驚いた。
だが同時に彼女も驚いていた。
オレスティラは気づいていなかった。あまりに楽しすぎて気づけていなかった。自分の体の限界というものに。
「オイオイ・・・嘘、じゃねぇだろうな?」
「・・・」
ベランコの問いに彼女が答えることは無かった。
ただベランコ以上に呆けた顔をして、自分の体に目を落とした。
皮膚がめくれ、肉がむき出しになり、まるで下手な屠殺業者によって何度も何度も斧を振り下ろされているような、ボロボロの体。それにようやく自分でも気づいた。
「・・・オレスティラは・・・まだ・・・」
剣を杖代わりに立ち上がろうとするが、それを持つ腕に力が入らず立ち上がれない。
――さっき骸鳫を砕いたあの騎士術・・・
――あれでもう使い切っちまったみてぇだな・・・
――くそが
――くそがっ!
――くそったれが!!
「興ざめじゃねぇか!!こんなに俺を駆り立てておいて、勝手にオメェは退場か?随分ふざけた真似をしやがるもんだ!!こんなもんの・・・こんなもんの・・・こんなもんのためにわざわざ出張って来たわけじゃねぇんだァ!!!」
ひときわ大きな声で空に吠えたベランコは、無表情になってコラをブンブンと振りまわし始めた。
「まあいいさ。気づいてるだろ?あのシュクロアフスキーのジジイがやられやがった」
カツリ、カツリと歩を進めながらベランコは喋り始めた。
「言いたかねぇが、あのシュクロアフスキーが、だ。いいねぇ、そそられる。非常にそそられる。楽しいねぇ、戦いってのは」
カツリ
「一発でダウンしない限り、戦いってのはコース料理みてぇなもんだ。食前酒、付出し、前菜、スープ、魚料理、肉料理、氷菓、エトセトラ・・・。あぁ、最高だなぁ。涎が溢れ出てくる」
カツリ
「だがそれを楽しめるのは、でっぷり太って貪欲な大喰らいだけだ。ガリガリで慈愛に満ち満ちた小食野郎は、食前酒だけで酔っちまう。話にならねぇ・・・!」
カツリ
「だけど別に良さ。俺が大喰らいなら、小食野郎がいるのも仕方ねぇ。天国と地獄、光と影だ。だから俺はそこにはキレない。いやキレたいし、ブチ切れているが、どうしようも何のことぐらいわかってる」
カツリ
「問題は、だ。あたかも「俺はローストした肉料理だ」ってツラぁしてんのに、蓋を開ければ前菜だったやつだ!期待外れにもほどがある!俺はもう前菜は喰らったんだ!早くローストした肉料理を喰わせてくれ!!」
カツリ
「・・・そう思っていたが、怒りが覚めた。シュクロアフスキーを撃退した野郎は、きっとローストした肉料理だからな・・・!」
カツリ
「だからお前にはキレない。むしろ俺に感謝しろ。喰らい尽くした奴に、わざわざナイフを突き立ててやるんだからな!」
状況に見合わぬことを叫びながら、遂にオレスティラの目の前までついたベランコは、あまりに速く回転しすぎて丸い盾のように見えるコラを、彼女に向かって振り下ろした。
「そら、死んでいいぞ」




