1-6 メルセン・コッカ再来
驚くほど澄み切った空。
それを廊下の窓から眺めると、カーラはリンゴとナイフを手にジェーンの寝る部屋へと向かった。
正直子守はそこまで得意ではないが、これも仕事だと、カーラが扉を開けると―
見慣れぬ、薄水色の髪の女が、空のベッドを眺めていた。
―誰!?
ピストルに手を伸ばすカーラに、女、メルセン・コッカはそのくすんだ眼を向けた。
「その様子じゃ、娘の場所は知らんか」
「メ、メルセン・コッカか!?」
ピストルを向けた時にはコッカが目の前まで迫り、顎の下から頭に衝撃が突き抜けた。なんとか引金を引き絞ろうとしたカーラだったが、その視界は真っ白になっていった。
人の体臭。太陽の暖かい香り。飯屋なのか、腹を空かせるスパイシーな匂い。
人の話す声。足音。戸を開ける音。モノを焼く音。
見えなくても、“見える”もの。それがジェーンの世界だ。
この街に、家族を殺したあの女が、メルセン・コッカがいると分かると、もういてもたってもいられなくなり、気づけば街に出てしまっていた。
手には取り戻した仕込み杖。叔父のリチャードが死に際にジェーンに渡した形見だ。
―分かっている
―私がアイツには敵わないことなど・・・
―それでも、私は!
抱えた杖を強く握りしめる。
すると、ふとあの匂いが鼻を衝いた。
―何かが焦げたような匂い。
―六年前の時も、三日前のあの時も、この匂いを感じた。
すれ違った、布を纏った物乞い風の女を振り返る。
女もこちらを振り返っているように感じた。
「・・・メルセン・コッカ・・・!」
「三日前の問いにそろそろ答えてもらおうか。お前はジェーン・ファミリアエだな?」
「ぬあああ!!」
露店で買ったチキンを手から滑らせ、悲鳴を上げるスヴェン。
「・・・三秒ルールだ!!」
「やめとけ、そこでオッサンがションベンしてるかもしれねぇんだぞ」
隙間なく敷かれたレンガの上に落ちたそれを拾い上げて、かぶりつこうとする彼にフェリクスがそう言うと、
「どうしてそういうことを言うの、君は!!」
とスヴェンがフェリクスの肩を掴んでグラグラと揺らした。
喚くスヴェンを適当にあしらっていると、ふと視界の端、通りの奥先に珍しい茜色の髪の少女が見えた。
目を見開いてよく見ると、間違いないく病室にいるはずのジェーンその人である。
「せ、先生・・・」
「・・・君たちに負けず劣らず、かなりのお転婆みたいですね」
唖然とするフェリクスとスヴェンに、ラフェンテはややくたびれた笑顔を浮かべた。
ジェーンの体を突き刺さんと迫るレイピアが空を切る音。
それを体を捻って回避すると、その捻りをそのままに、片足を軸にして一回転して、突きを放って、前へと進んできたコッカの首元を狙って剣を振るう。
コッカはそれを躱すことなく、笑って見せた。
「読めているぞ」
刹那、首元に掠りかけたジェーンの剣が、後方から飛来した弾丸に当たり、勢いで弾かれた。
「ええい、動くな!!」
「その場に武器を捨てろ!!」
騒ぎを聞きつけてきたのだろう、街の衛兵が長い銃剣のついたマスケット銃を構えていた。
道行く人々が遠巻きに見守る中、コッカは銃剣を突きつけてレイピアを捨てるように促された。
「“武器”は捨てよう」
「?」
レイピアを手放して意味ありげなことを言うコッカに衛兵は不審な顔をしたが、瞬間、彼は灼熱の炎に身を包まれた。
「うわああ!!」と叫ぶ衛兵は、しばらくその場を走り回ったが、やがて膝から崩れ落ちて動かなくなった。
口からツーと血を垂らしながら、コッカは無表情にもう一人の衛兵に顔を向ける。
「お、お前、騎士か!?」
「答える必要があるか?」
ぎろりと衛兵を睨んだコッカが、手をスッと彼に突き出す。思わずマスケット銃を手放して身を守ろうとする衛兵。
そのコッカにラフェンテが背中から斬りかかった。
素早くそれに気づいたコッカが、袖に隠し持っていたダガーでラフェンテの剣を受け止める。
「おっと、一回で決めるつもりだったんですがね」
「ッチ、レネ・ラフェンテか!」
舌打ちしたコッカはラフェンテを払いのけると、形勢不利と判断したのか、ジェーンを連れ去ろうと彼女に詰め寄った。
しかしそのコッカを、素早く立ち直ったラフェンテが後ろから突き刺す。
背中から胸へと貫通した切っ先を見つめ、コッカは苦悶の表情を浮かべると、その場に屈みこんだ。
「・・・あのメルセン・コッカがこの程度とは、堕ちたものですね」
ラフェンテはコッカを見下ろして、そう冷たく言い放つとジェーンに寄って行った。
「何故抜け出したのか、など聞きたいことは山ほどありますが、まずはここから離れてください。フェリクス君たちもそろそろ来ると思いますし」
「断る。私は、奴に・・・!!」
「我々、騎士の任務は皇帝陛下を御守りすること。そして、その皇帝陛下の配下にある帝国と臣民を守ることです。あなたは臣民。よって・・・」
傷口を抑えたままのコッカを横目に見て、まだ戦闘になると予想したラフェンテは、ジェーンを少しでもこの場から遠ざけようとしたが、それをジェーンは遮った。
「お前の御託に付き合うならば、私が臣民であるという証拠を見せろ」
「何を言って」
「お前に私がジェーン・ファミリアエと名乗った覚えは無いし、また嘘をついているのかもしれない。身元も分からぬ、めくらの女を助けるほど、騎士というものは懐が深いのか?」
「それは、―っ!?」
突然右わき腹を蹴りつけられたラフェンテは、通り沿いに並ぶ店の壁に、派手に叩きつけられた。
血交じりの唾を吐くラフェンテに、遅れてやってきたフェリクスたちが駆け寄った。
「大丈夫ですか!?先生!!」
「全く持ってその通りですね・・・面白い子です」
「先生?」
「いえ、何でもありません。“皇帝陛下の都が破壊されてはなりません”。すぐにメルセン・コッカを止めなさい」
遠回りな言い方をするラフェンテに首を傾げてから、フェリクスとスヴェンはコッカとジェーンの戦いに身を投じた。
「ジェーン、俺たちも一緒に戦うぜ」
「カワイ子ちゃんに傷でもついたら台無しだからなァ!」
「・・・好きにしろ」
剣を抜き、コッカにいち早く斬りかかったスヴェン。鍔迫り合いの末、横一文字に剣を振るったが、空を切るだけでそこにコッカの姿は無くなっていた。
影から上だということに気づいたスヴェン。コッカは並外れた跳躍を見せて、スヴェンの剣を躱してた。
そして逆に持ったレイピアで串刺しにしようとするコッカに、スヴェンが笑って見せる。
「?」
「フェリ!」
「上出来だぜ、スヴェン!」
ピストルを構えたフェリクスがコッカに狙いを付ける。
対騎士の戦闘において、銃で撃ち殺すほど確実で簡単な方法は無い。所詮は人間だからだ。
だが相対した状態で一発撃ったとしても、コッカのような実力者には、ジェーンのように簡単に躱されてしまう。
だからスヴェンに気を引いてもらう必要があった。こちらに理力を裂く余裕が無いように。
コッカはフェリクスのピストルに気づくと、落下しながらダガーを彼に向けて放った。
「読めたぜ」
フェリクスは自分に向けて迫るそれを、躱す動作すら見せず、コッカの着地地点に向けて引き金を引いた。
バンッと言う乾いた音共に弾丸がコッカを襲う。なんとか躱そうとしたコッカだったが、脇腹を弾丸が抉った。
一方でフェリクスに向けて投げられたダガーは、彼の眼前で空中で止まっていた。地面から氷柱が伸び、ダガーを包み込んでいる。よく見ると、ダガーにも地面にも血がついていない。
「・・・ジェーン、お前」
「90%。それが、私の騎士術の間接発動の失敗率だ」
フェリクスは言おうとした、助かったという言葉を飲み込んだ。
「9割失敗っておい!」
「間違えればお前が凍っていたな。助かってよかったじゃないか」
噛んで血を出したのだろう、人差し指を舐めながら、ジェーンはあっけらかんと言い放った。
「それに、アイツはまだまだだ」
「・・・ああ」
フェリクスに撃たれた後、即座にスヴェンが追撃をかけたが、それをレイピアで受け止めると、彼を蹴り飛ばすコッカ。
フェリクスとジェーンの元まで吹っ飛んできたスヴェンは、砂ぼこりを払って立ち上がった。
「やっこさん、だいぶ怒ちまったみたいだぜ。最悪だな」
言葉とは裏腹に、実に嬉しそうな表情でスヴェンが口から垂れる血を拭った。
コッカはまるでラフェンテやフェリクスに傷をつけられたことなどなかったかのように、よろめくことなくフェリクスたちへと歩を進める。
先ほど撃ったため、フェリクスのピストルは長い装填が必要だし、またスヴェンのモノを一発撃ったところで、どうにもならないのは明白だ。
ふとコッカが立ち止まった。そしてレイピアを彼らに向けて突き出す。
「!・・・来るぞ」
「分かってるよ!ジェーン、薄くていいから壁を作ってくれ。そしたら俺が炎を何とかして、奴に隙を作る」
「・・・分かった」
「俺とジェーンちゃんで奴をしとめるって事だな」
十字架を胸にさして血を手に取ったフェリクスに、ジェーンとスヴェンは頷いた。
ジェーンの曇った視界が、突然真っ赤に染まる。
まだコッカとはずいぶんの距離があるにもかかわらず、肌が灼ける思いがする。
通りに横一杯に広がった炎の波が、フェリクスたちに押し寄せる。
「行くぞ!『千冰ノ壁』」
軽く腕を切って出した血を地面に放る。
するとそれから瞬時に氷の壁が上へ横へと伸びて行った。
―強めの追い風
―でも、足りねぇか・・・
フェリクスはさらに傷口を広げた。胸からとめどなくボトボトとあふれ出る、赤黒い血を手に取ると、氷の壁の向こうと自身の足元へまき散らした。
―あの騒ぎ
―この感覚・・・!!
アンナは遠くから聞こえた銃声と、心を揺さぶる感覚に、再びジェーンとコッカが衝突したことを感じ取った。
―今度こそ、彼女を無傷で!!
腰から下げたサーベルに手をかけ、視界に捉えたコッカへと駆け寄る。
サーベルを引き抜こうした瞬間、それを視界の端から飛び出してきた男、ラフェンテに止められた。
「!?・・・退いてください、ラフェンテ卿!!」
「まぁまぁ、少し落ち着いてください、アーベンロート卿」
「退けと言うのが分からないのか!?」
思わず怒鳴って、力づくにでも突破しようとするアンナを、ラフェンテはあくまで冷静に押しとどめた。
「確かに私たちがケリを付ければ、それは一瞬です。ですが、それは彼女が望んでいることでしょうか?」
「何を・・・!!」
「それに、アーベンロート卿、あなたも感じているでしょう。うまく言葉にはできませんが、彼女の“特異さ”を」
ラフェンテの言葉に、アンナは言い返せなかった。
確かに感じていた。騎士として、いやそれすらも超えるような、並外れた能力を秘めている気がした。
「・・・それでも今のままではジェーンは危険です」
「ええ。ですから、私の弟子を二人つけました。ああ見えて、やるときはやる子たちですよ」
フェリクスとスヴェンを見て、ラフェンテは誇らしげな笑みを浮かべた。
「マッ、そう言うことさ」
それに賛同しながら、どこからともなくメインデルトが現れた。
「重役出勤ですね、ロット卿」
「硬いこと言いなさんな、ラフェンテ卿。ボクだって、衛兵隊に頼んで付近の住民の避難を手配したり、尻拭いをしてるんだぜ」
少ししゃがんで、アンナと目線を合わせたメインデルトはいつになく真面目な目を向けた。
「アンナちゃん、本当にヤバくなったら、ボクらの出番。それまでは見守ってみよう。いいね?」
「・・・はい」
「それから、すぐにかっとなるのにも気を付けなさい。ラフェンテ卿はこう見えても、騎士団でも指折りの騎士なんだから」
頷くアンナの頭をポンポンと撫でてから、メインデルトは「こう見えてですか」と苦笑いするラフェンテと共に、目の前で繰り広げられる戦いに目を向けた。
「ラフェンテ卿、アンタも肩の力を抜いたらどうだい?」
「・・・気づかれていましたか。さすがはロット卿」
「なぁーに、彼らなら大丈夫さ」
「きっとね」と付け足すメインデルトも、剣の柄に手を置いたままだった。