3-23 帝都守護代
約束を果たす
―――――――近衛騎士団アルピーニ 帝都守護代 ウィルバルフ・エスクロフト
勢いに任せて宙を飛ぶ。
――・・・結局アンタも人の子だよ、先生
――遅い遅いと言いながら、こうして慈悲をくれるってんだからさ
空中を吹き飛んでいきながら、メインデルトはいたって冷静だった。シュクロアフスキーによって打ち上げられた、一時的に助かりはしたものの、このまま地面に落ちれば死ぬというのに。
「・・・にしても困ったねぇ。そう思わないかい?」
誰もいないはずの空中で突然独り言つメインデルトだったが、それに答えるように雲の中からバサァ!と巨大な鳥が姿を現した。
「全く、素直に助けれくれって言えねェのかよ、旦那ァ」
「素直を恥ずかしく思うのが、この歳の悪い所さ」
現れたバルタサール・ドミンケスは、鳥と言うには奇妙な形をしていた。両腕が鳥の羽のようになっており、両足も鉤爪状になっているが、胴や顔は人間のものである。徐々に速度を速めながら落ちていくメインデルトと、地面を見比べて、少し笑ってから鉤爪で彼の体を器用に掴んだ。
「あー、重いったらありゃしねぇなぁ」
「ホーラ、僕を地上まで運んでくれ、天使さん」
「落とすぞ?」
なんだかんだとやり取りをしながら、ビュザス半島西の大林の中に着地する。すると同時に、そこからでも巨大な爆炎が上がるのが見えた。
「ロロ爺・・・逝ったかい・・・」
はっきりとではないが、何かが失われたようなこの感覚を、メインデルトは幾度となく経験していた。小さく炎に十字を切っていると、背後から声をかけられた。
「ほう?お前のような冷酷で現実的な男にも、人の死に祈ることがあるとはな」
「ご冗談、ボクは甘ちゃんだよ。理想論しか語れない」
漆黒のドレスに身を包み、ベールで目元を隠した女に、「こりゃどうも」とメインデルトは頭を下げた。
「エレオノーラ・バルシュミーデ。こんなところで会うとは思っていなかったよ」
「偶然ではない、必然だ。わざわざお前に会いに来たのだ」
「お~、そりゃどうも。でもこんな忙しい時に来なくてもねぇ」
「フッ、良いではないか。私は祭りは嫌いではないぞ」
エレオノーラと呼ばれた女は、そう言って林の先に広がる戦場に顔を向けた。
「この戦い、利用しようとは思わなかったのか?」
「生憎とタイミングが悪いモンでねぇ・・・そっちはどうなんだい?」
「生憎とタイミングが悪かったのでな」
メインデルトの言葉をそっくりに返して、エレオノーラはクスクスと笑った。
「・・・理想論で結構。我らの目的は同じだろう?私はそれを確かめに来たのだ」
「そう、みたいだねぇ。アンタもボクも理想論を語るのが好きらしい」
パチッとエレオノーラが指を鳴らすと、かったるそうな顔をしたドミンケスがワインと二つのワイングラスを手にしてやってきた。小さなテーブルの上でそれを彼が注いでいる間に、メインデルトはエレオノーラに促されて豪華な装飾が施された椅子に腰を下ろす。
「乾杯をしようじゃないか、同志よ」
「それじゃあお言葉に甘えて」
「「理想郷に」」
互いにワイングラスを掲げてから、血のように赤いワインをゆっくりと傾けた。
◇ ◇ ◇
第一門
皇城ビュザスとその城下町への正面玄関ともいえる第一門は、帝国軍にとってビュザス攻略のためには確保しなければならない要である、ということは言うまでもないことだろう。そして、教会軍にとっても死守せねばならない要であるということもまた同じだ。当然、双方ともに相当な戦力を割き、そして騎士たちもここに集中する。シュクロアフスキーが教会軍の防衛線を貫いて作り上げた侵攻路は、大激戦の様相を呈していた。
「弾薬持ってこい!!」
「進ませるなぁ!!意地を見せろ!!」
「衛生兵!!!」
「撃て撃てェ!!」
怒号と血と鉛玉が飛び交うこの戦場に、近衛騎士団から派遣されていたのは旗騎士、ウィルバルフ・“ウィル”・エスクロフトであった。旗騎士の中でも特に秀でた力を持つ者に与えられる職、“帝都守護代”に就いている彼であるが、教会軍からは勿論、騎士団からも実力を不安視する声が少なくなかった。
戦っているところはほとんど見ることが出来ず、そもそも前線にすら派遣されない。常に気弱で、怒鳴られれば奴隷の指示にも従ってしまうような男である。虫すら殺せないのではないかと噂される彼を、共に第一門の防衛に着いた兵士と騎士はハナから当てにしていなかった。
――ティサが・・・
――いなくなっちゃった・・・
戦場から追いやられ、五番街に少し引いたところで、ウィルは家の壁にもたれかかっていた。目元まで覆う茶色の髪の隙間から、太陽の様に赤い瞳がわずかに顔をのぞかせている。
一人戦場とは別の世界にいるかのように、失った女に思いを馳せるウィルだったが、ズゥン!と何かが崩れるような音と地響きに、現実世界に引き戻された。
少しだけ影から顔をのぞかせると、門を護るために建てられていた木の櫓が門を抜けた先の広場に向けて倒れており、土煙が辺りを覆っていた。
――もう・・・こんなところまで・・・
バヒュンッ!と流れ弾がウィルの隠れた家に当たり、思わずヒィッと身を引っ込めてしまった。
――だ、ダメだ・・・
――ボ、ボクじゃ何も・・・
――あの、と、時だって・・・
ジェーンたちの要請に応じて、ノヴゴロドの暗殺騎士ドミニクス・ファン・ボッセら戦おうとしたときも、結局何もできずに倒れていただけだった。
目を瞑って耳を手で塞ぎ、息すら止める。そこが自分の世界だった。
それでもザッザッザッと誰かが近づく足音を、消せるわけでは無かった。
「クソッ、何だあのバケモノは・・・って、ウィルバルフ!?」
「フランツィーニさん・・・?」
声の主には覚えがあった。ウィルを騎士の道へと引き入れた、ベテランの騎士だ。
と言っても、各地を回って騎士術を有する少年少女を騎士へと勧誘するという徴募の役職についていただけで、フランツィーニがウィルを直接見込んだわけでは無かった。
「お前、なんでこんなとこに・・・!?」
「ボ、ボクは・・・!」
混乱して取り乱すウィルの手を掴んで、「兎に角一旦ここから逃げろ」と言ったフランツィーニだったが、背後から飛んできた剣が彼の体を貫いた。
「ガッ・・・く、くそ・・・!」
倒れ込むフランツィーニを前に呆然としたウィルだったが、その頭の中を記憶が交差し始めた。
ウィルの騎士術を見たフランツィーニは、「うん、まぁ騎士にはなれるんじゃないか」と大して驚くわけでもなく、事務的な反応しか見せなかった。当時、ティサとの事件を踏まえて全く別の道に進もうとしていたウィルは、その程度でも騎士に成れたらと入団を決意したが、帝都入りして直ぐに、ヴァイオレット・ブーリエンヌと名乗った金髪と褐色肌が特徴的な女性に呼び止められた。
帝都から少し離れた誰もいないような野原で、フランツィーニ、ヴァイオレット、そしてメインデルトを前にもう一度ウィルは騎士術を使った。フランツィーニは「鍛えれば伸びるでしょう」と再びありきたりなことしか言わなかったが、ヴァイオレットとメインデルトは目の色を変えた。
「伸びるじゃと。・・・その程度では留まらんわ。のう、メインデルト」
「・・・フランツィーニ君。君は、お酒強いかな?」
「は?・・・は、はあ、いくら呑んでも酔いつぶれることはありませんが・・・」
質問の意図が分からないというフランツィーニだったが、メインデルトは「そうか。ならいい」と頷いた。
「彼の騎士術は他言無用だ。そして彼は」
「儂が育てる」
「なんであんな平凡な小僧に!?」と目を白黒させるフランツィーニを横目に、ヴァイオレットは実に愉快そうに笑った。
彼女の下で、騎士術を使うことを禁止され、剣の扱いと騎士としての礼儀作法を学んだウィルだったが、一回も戦線に出ることなく騎士叙任、そして旗騎士へと昇進した。
「自分は何もできない」と常に自分を卑下するウィルに、ヴァイオレットは決まってこういった。
「お前は何もしない方がいいんじゃ。言い方は悪いがのう」
どういう意味なのかはよく分からなかったが、その言葉と、それを言った後に彼女が必ず口ずさんでいたある歌は、ウィルの頭に染み付いていた。
「Hojotoho・・・Hojotoho・・・」
いつの間にか呟くように掠れた声で歌いだしたウィルは、自分でも知らず知らずの内に剣を鞘から抜いていた。ヴァイオレットから「迫られたとき以外、絶対に抜くな」と言われた剣を。
「Heiaha・・・HeiahaHeiaha・・・」
「ま、まてウィルバルフ・・・!向こうには騎士将軍がっ・・!!」
進もうとするウィルの足をガシッと掴んで引き留めようとしたフランツィーニは、彼の顔を見てハッとその手を緩めた。
「・・あ、ありがとうございます。・・・でも、ボ、ボクも・・・戦わなければいけない時が来たんです・・・約束を果たさないと」
「・・・お前・・・!」
剣を手に家の影から広間へと一歩踏み出す。胸に十字架のペンダントを突き立てて――
「オォ?・・・全員そろって撤退かと思いきや、新手かい?」
こちらへ歩いてくる見るからに細身で頼りない男に、帝国軍少将イリネイ・グルィズノフは眉を顰めた。
「使者ってツラでもねぇな・・・」
「・・・たぶん、あれがウィルバルフ・エスクロフトですよ、グルィズノフ少将」
帝国軍少将オタカル・ノヴィーがそう言うと、グルィズノフは「ほう」と二つに割れた顎を撫でた。彼らのまわりでは帝国軍と教会軍の兵士が入り乱れて白兵戦を行っているが、エルトリアの騎士の多くは二人に撃破されてしまい、地面に横たわるばかりである。
騎士術が不明の旗騎士が出てきたことに、ノヴィーもグルィズノフも指揮棒をヒョイッと副官に渡して、自ら剣を抜いた。騎士将軍として戦うために。
「儂が正面、お前は裏をかけ」
「了解」
言うが早いか、二人は弾かれたように動き出した。
バットの様に大きく振りかぶったグルィズノフの剣が首を刎ね、グンッと引いて鋭く突き出されたノヴィーの剣が背から胸を貫く・・・はずだった。
一閃。
目が何かの猛烈な動きを捉えた時、グルィズノフはフッと腕が軽くなるのを感じた。ギョロッと目を動かし、剣を握っていたはずの両腕を見る。
――・・・は?
手が無かった。
腕は手首まであるが、そこから先、剣を持っていた手が無いのだ。
「なっ!?」
バシャッ!!と血が噴き出し、激痛と理解できない事態に凍りついたグルィズノフは、数秒してようやく、体を思いっきり蹴りつけられ、100キロはあろう自身の巨体が吹き飛んでいることに気づいた。
広場の端まで飛び商店の壁をぶち抜き、瓦礫に埋もれてようやく止まる。
「・・・な・・・なんだ・・・!?」
突き刺したはずの剣が、根元からパキッ!っとおもちゃの様に折られたことに、ノヴィーは目を見開かされた。
折れた刀身を握っているのは、ウィルが後ろに回した左手。
――!?
――一体何が・・・!?
絶句するノヴィーの前で、ウィルは右足でグルィズノフを蹴り飛ばすと、その勢いのまま180度回転してノヴィーに向き直った。
――マズい
――マズい!
――力の差が、ありすぎる・・・!
「くっ・・・!」
何とか自分の血をウィルに投げつける。圧倒的な力量差の余裕に、この至近距離も相あまって、彼はそれを躱すことが出来なかったようだった。
――しめたっ!
――このまま俺の騎士術で!!
血を酸に変える騎士術を発動したノヴィーは、自らの勝利を確信した。鋼鉄の鎧をも溶かすのだ。皮膚に触れれば、骨まで酸が溶け染み込んでいく。
だがいくら待っても、ウィルの体に変化はなかった。確かに血は酸になってシューっと煙を上げているのだが、そこから皮膚が溶ける気配がない。
――ど、どうなっていやがる!?
「・・・効かないですよ、ボクには」
青い顔をしたノヴィーに対して、ウィルは顔色一つ変えなかった。
「あなただってわかっているはずです。力の差を」
――ああ、わかっている・・・
――そのはずだったんだ・・・!
「あなたの酸よりも、ボクの皮膚のほうが強ければ、騎士術も意味がない」
分かったと思っていてわかっていなかった。
――コイツは俺の血を躱すことが出来なかったんじゃない
――躱す必要が無かったんだ・・・!!
閃くウィルの剣を捉えることはできたノヴィーだったが、恐怖で固まった体では避けることはできなかった。
肉や臓器ごと背骨まで叩き斬り、背中の皮一枚で上半身と下半身がつながっている。溢れ出た自分の臓物の臭いすら気にならぬほど、ノヴィーは急速に意識を失いつつあった。
――こんな力・・・
――シュクロアフスキーさんでも・・・
そんな彼を見つめながら、ウィルはベルトからピストルを引き抜くと、手の無い腕で瓦礫を押し退けるグルィズノフに少しも躊躇することなく引き金を引いた。いかに予力で予想できるとはいえ身動きの取れない状況ならば、それは自分の死期を少しだけ早く知る程度の者にしかならない。額に弾丸のめり込んだグルィズノフは、ぐらりと瓦礫の山に倒れた。
「ア、アンタ・・・何モンだよ・・・!?」
震える声で叫んだノヴィーを、ウィルはその真っ赤な瞳で見下ろした。
「ウィルバルフ・エスクロフト。・・・帝都の守護代です」
振り下ろした剣に一歩遅れて、ゴトリとノヴィーの首が地面に落ちる。剣を軽く振って血を払うと、鞘にキンッと収めた。
「どうか、安らかに・・・」
小さく十字を切ったウィルは門の方へと振り返った。
騎士将軍二人を文字通り瞬殺してみせたウィルに、帝国軍の騎士たちは尻込みしたが、それでも叫び声を上げて駆けだしてきた。
「あの男を討ち取れェ!!」
「うおおおお!!」
30人はいようかという騎士全員がウィルに殺到した。剣にピストルに騎士術に、持てる力の限りをもって。
それに対し、ウィルが取った行動は一つ。
鞘から引き抜いた剣を、大きく横に一振りした。
たったそれだけだ。
その大振りに、斬りかかった全ての騎士が斬り伏せられた。
振り切った後も凄まじい衝撃波が門から城外へと突き抜け、門を破って侵攻していた帝国軍を押し戻した。
戦っていたはずの場所から吹き飛ばされた兵士たちは、ツカツカと足音を響かせて門から姿を覗かせたウィルに身を震わせた。
「僕は近衛騎士団旗騎士、ウィルバルフ・エスクロフト!僕の力の続く限り、ここから先へは一歩も進ませはしない!!」
本話で三部が終わるはずでしたが、数え間違いをしておりまして、来週終わります。すみません。




