3-22 思いは同じく、行動はすれ違う
正義とは戦い なぜなら正義と正義はぶつかり合うから
平和とは虚構 なぜならそこに戦いがないから
――――――――――――――近衛騎士団アルピーニ 旗騎士 レネ・ラフェンテ
生きているとはどうやったらわかるのだろうか。
笑った時?
泣いた時?
感動したとき?
夢がかなった時?
心が温まった時?
好きな人が出来た時?
子供が出来た時?
誰かが死んだ時?
どれも違う。
どれもこれも夢との境が無い。これでは生きているとは言えない。
生きていることが分かるのは、この世界でたった一つだけ。
痛みを感じた時。
夢では絶対に感じることのできない痛み。身がよじれ、血が溢れ出し、鼓動の音をひどく感じるその瞬間に、自分が生きているということを理解する。
さぁ、私は死んだか?
シュクロアフスキーの力の前に、ラフェンテは宙を吹き飛び、積まれた干し草の山に叩きつけられた。一山では勢いを殺しきれず、二つほど積み上げられた山を貫いてからようやく止まった。
身を起こすこともできず、青い空にぶち模様のように広がった雲の数をぼんやりと数える。
―一つ・・・二つ・・・
―・・・生きている・・・のか?
そう考えた瞬間、ズキッと骨の髄から痛みがにじみ出てきた。
「ウッ・・・!・・・生きて・・・いる・・・みたいですね・・・」
その痛みに顔を顰めながら、生きていることを実感する。
話には聞いたことがある。シュクロアフスキーは気に入った人間を殺さなければいけない場合、その場で斬るのではなく自身の騎士術でボールのように空に打ち上げて、生死を運に任せるということを。無論、ラフェンテのようによほどのことが無い限り、着地などできずに地面に打ちつけられて死ぬのであるが、稀にこうして生き残れるというわけだ。
だがそんな幸運に巡り合ったところで、ラフェンテが負った傷は重く、死ぬまでの時間がわずかに伸びたに過ぎなかった。
―敵に向かい、敗北し、情けで僅かに生き永らえた挙句
―こうして死ぬとは笑い話にもなりませんね・・・
自嘲気味に笑うが、かといって体を動かせるわけでもない。
―義姉さん・・・
―あなたもこうして、誰にも知られず死んだのですね・・・
再婚した母の相手に連れられた義姉は、10歳も年が離れていて、当時6歳ほどのラフェンテからしたら随分と大人に見えた。近衛騎士団で従者として修行していた彼女は、ラフェンテに騎士にだけはならないよう口酸っぱく言っていた。
「いい?レネ。あなたは騎士になってはいけないわ。自分の力を信じてはいけない。・・・剣を振るって正義のために戦う。そんな夢みたいな世界じゃないの。一人で孤独に死ぬ世界よ」
「うー、でもぼくヒーローに・・・!」
まだ生まれてから六年しかたっていないラフェンテにとって、騎士をしている義姉はあこがれの存在だった。騎士術も使え、自分もこれから彼女の背を追いかけてと、そう思っていたラフェンテに、会うたびに義姉は彼の頬をムニッとつまんで耳にタコができるほど、「騎士になってはいけない」と説いた。
そんな義姉だったが、ある日長期任務だと言って家を出て行った。家族と見送る中、彼女は迎えに来ていた数名の騎士と共に馬車に乗り込んだ。
「・・・本当に来るんだな?」
「はい、ペンドラゴン先生」
一人の騎士と交わした言葉が、ラフェンテの聞いた最後の義姉の声だった。
いくら待っても彼女は帰ってこなかった。代わりに来たのは数人の見知らぬ騎士。その中に義姉はおろか、あの日見送った騎士たちは一人もいなかった。
彼らの言葉に両親は「いつかは・・・そう思っていたことだ」と気丈に答えたが、それでも僅かに涙を目尻に浮かべていた。騎士たちから折りたたんだ旗を受け取ったラフェンテは、それが思っていたことよりもずっと軽く、しかし何故か手では感じない重さを心で感じ取った。義姉の美しかった体は旗になったが、その心だけでも帰ってきた気がした。
その夜、ラフェンテは旗に背を向けて寝た。彼女の思いを裏切って生きることを、小さな胸に決心した。
「・・・レネ・クザン・ラフェンテだな?」
掛けられた声に、うっすらと目を開ける。もう瞼すら持ち上げるのが億劫だった。
視界は歪み、声をかけた相手の顔すら見えない。だが、それが“敵”であることはすぐにわかった。
「・・・戦いに・・・来たのなら・・・すみません・・・この体じゃ・・・」
「良い、そんなつもりで声をかけてるんじゃない」
周りもたくさんの帝国軍の兵士がいるのだろう。ザッザッと軍靴が土を踏みつける音がする。
「俺はオタカル・ノヴィー。アンタにわかりやすく言うと騎士将軍ってやつだ」
「・・・名前は・・・聞いたことがありますね・・・」
ノヴィーと名乗った男は、水筒をラフェンテに口に押し当てて少し飲ませてくれた。
「聞きたいのは一つだ。このままならアンタは3分かからず死ぬ。それを看取る方がいいか?それとも、この手で殺した方がいいか?」
ノヴィーは「敵とはいえ、同じ騎士で同じ戦士だ」と言っているように、ラフェンテには聞こえた。
無論にそれに対する答えはすぐに決まった。
「ずいぶんと・・・優しい人ですね・・・。殺される方がいい・・・死ぬなら・・・私は戦士として・・・!」
「・・・ああ。最後に恥をさらしたくない気持ちはよくわかるよ」
チキッと剣を鞘から抜く音がする。
キラリと太陽に光に輝く刃が見えた。
―ああ、ごめんなさい、義姉さん・・・
―私はあなたに背いたというのに・・・
―死ぬときは一人じゃないようです・・・
ビクッと少しだけ痙攣して、すぐに男の体は干し草の山に沈んでいった。
剣を引き抜き、布で血を拭きとる。彼の体にそっと十字を切って、ノヴィーはもう目の前に見える城門を見上げた。
―ビュザス城第一門・・・
―さっさと落として
―その分早く戦いを終わらせよう
「もう、誰も死人を望んじゃいねぇよ・・・」
◇ ◇ ◇
帝国軍臨時最高指揮所
並みいる兵士や騎士たちを次々と打ち破って、破竹の如く進撃していたロロは、ついにラインハルト上級大将が指揮を執る陣を目前に迫った。
―このままあそこを落とせば、流石のノヴゴロドといえどももう体制を整えてはいられまい・・・!
―もう十分若い者は死んだ
―作戦を実行せずとも、この私がこのまま戦いを・・・!!
防衛線を突破したロロは戦いを終わらせようと、陣まで走った。
「させるかっ!!」
弾かれたようにロロの前に一人の女が駆けつける。騎士将軍エカチェリーナはロロ目掛けて剣を振るったが、ロロはそれを左手で軽々と払いのけ、彼女の頬に思いっきり拳を叩きつけた。
手に握っていた拳が爆炎を上げ、エカチェリーナが悲鳴を上げる。
「少将!!」
騎士の叫びも虚しく、一撃で地面に打倒されたエカチェリーナを越えて、ロロが陣に飛び込む。
「私はジルベール・ロロ・マルブランシュ!!!司令官の首を出せ!!」
吼えたロロを、机の地図に目を落としていた将官が、カチャッとモノクルを外して睨みつけた。
「私が司令官のフリードリヒ・ラインハルト上級大将だ。何か御用かな、マルブランシュ男爵」
「ほう、中々肝の据わった男だ!!だがこれは戦争、気に入ったとて敵ならば討たねばならん!覚悟!!」
ゴウッと迫るロロの拳に、ピストルを撃とうとするラインハルトだったが、その間に風のように一人の女が割って入った。ロロの突き出した腕を脇の下で挟み、自身も転ぶようにして体重をかける。
―これはっ!!
あわや転倒しそうになったロロだったが、瞬時に右足を前に出して踏ん張り、右腕に絡みついた女を握りしめた左手で殴りつけた。だがギリギリのところで女は体を倒して拳を躱し、そのままロロの腕を支えにクルリと後ろ回しして、跳ね上がったかかとをロロの頭に振り下ろした。
―クッ・・・!
―いかんなっ・・・!
ガフッと呻いて少しロロが後退っている間に、大将クラウディアは姿勢を整えて今度は剣を抜いた。
「“爆神”マルブランシュといえど、ここは通しません」
「・・・ムウ。貴嬢、クラウディア・バッハシュタイン大将とお見受けする。だが生憎と時間が無いのでな、そこを退けい!!」
睨み合う二人だったが、ロロの後ろからエカチェリーナが斬りかかる。
「閣下!」
「チィッ!!」
エカチェリーナとロロが戦っている最中に、クラウディアはラインハルト上に向き直るとすぐに退避するよう呼びかけた。
「上級大将閣下、ここは危険です。すぐに避難を」
「ならん。私は動かないよ」
「しかし、今帝国軍の総指揮を執られているのはあなたです!ここであなたを失えば・・・!!」
語気を強めるクラウディアだったが、ラインハルトはいたって冷静なままだった。
「敵を前にして逃げる将などハナから必要はない・・・などと陳腐なことは言わん。危機を察知する能力がないのは、将として致命的だからな」
「ではなぜ!?」
「お前たちがいるだろう、バッハシュタイン大将。勝てる相手を前に、将が逃げ出してどうする?私はいまここを安全だと考えているよ」
目の前で戦闘が起きているのに、「安全だ」とあっけらかんと言い放つラインハルトに、一瞬呆気にとられたクラウディアだったが、すぐに将官とはそういうものだと思いだした。作戦を立てられる唯一無二の存在である一方で、言動が兵士の士気に直結する。ラインハルトはそれを重々承知しているからこそ、こうしてここに残ると言っているのだろう。
となれば、クラウディアがやらなければならないのは、上官の説得ではない。
自分の持てる力の限りをもって、なるべく素早く確実に敵を葬り去ることだった。
「グっ・・・!!」
「『火骨』!!」
エカチェリーナをロロの放った爆発的な炎が霞める。たった一分程度の交戦であったが、既に彼女が劣勢であることは明白だった。ペタンと地面に腰をついたエカチェリーナに、ロロがとどめを刺そうとした刹那、「待て!!」とクラウディアが叫んだ。
「あなたも時間がないのでしょう。私を倒せば、もう阻むものはないもありませんよ」
「一撃勝負か!・・・なかなか骨があるな!貴嬢は!!」
ニヤリと笑ったロロが拳の血をボボッと燃やしながら、クラウディアと相まみえる。
―私の騎士術は一度使えば確実に読まれてしまう
―ここで、決める・・・!
カッと目を開いたクラウディアが腕を切って血を手に握る。
それを見て豪快に笑ったロロがグンッと右手を後ろに引いた。
「行くぞ!!!」
「『爆骨』!!!!」
この拳を受けて、立っていられるものは無いとロロは思っていた。
火力、威力、何においても圧倒的。団長クラスでさえ、これを受ければ膝をつき、旗騎士程度では一撃で屠りさる、その自信がロロにはあった。
そしてそれは正しかったことは、他でもないロロ自身が証明した。
―なっ・・・!!
クラウディアに繰り出されたはずの爆炎が、彼女の血に触れた瞬間、180度向きを変えて自分に襲い掛かってきた。
―これはっ!!
―この騎士術はっ!!!
―・・・私のようだな・・・次に逝くのは・・・
―すまんな・・・ララ
―貴嬢が最後の一人になってしまった・・・
―・・・待たせたな、リチャード
―今から私も、そちらへ・・・
「・・・無念!!」
爆炎に呑まれる寸前、ロロが発した言葉は、奇しくもオストロウモフと同じものだった。
「閣下!!」
クラウディアの元にエカチェリーナが駆け寄る。自分の傷も気にせず、血が滴る腕を処置しようとするエカチェリーナに首を振って、衛生兵を呼びつけた。
「私は大丈夫。カチューシャ、あなたの方が心配よ」
「し、しかしお傍を離れるわけには!」
「“爆神”を討ち取ってなお、私が弱いと?」
グッと口をつぐんだエカチェリーナは、代わりに首肯すると駆けつけた衛生兵と共に天幕から出て行った。それを見守ってから、傍にいた将校に手を貸してもらい包帯を巻く。
まだ手が震えていた。
―とてつもない力だった・・・
―まるでシュクロアフスキー閣下と同じような・・・
―ジルベール・ロロ・マルブランシュ・・・!
その名を胸に刻んでいると、「見事だった」とラインハルトがクラウディアをねぎらった。
「いつまでも、歌姫ではないということだな」
「・・・私は兵士です、上級大将」
クラウディアの返事に頷いたラインハルトは、その場の資料を副官に抱えさせ、自身も制帽をキュッと被った。「一時、軍集団の指揮を任せる」と言って出て行こうとするラインハルトに、「どちらへ?」とクラウディアが聞くと、彼は少し嬉しそうな顔をして答えた。
「帝国の英雄が舞い戻ってきた・・・!」




