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ユートピア  作者: 吉田 要
第三部 帝国会戦:防衛篇
57/70

3-21 王の目覚め





君との思い出 頭の片隅に君の笑顔と鈴虫の音


君との別れ 頭にこびりつく君の涙


――――――――――――――近衛騎士団アルピーニ 旗騎士 ラルラ・アラルラ







  ◇  ◇  ◇



ビュザス皇城 大広間

 ドバンッ!と大広間のドアが跳ね開けられ、フランツフィクス大将が血に濡れた制服のままコツコツと足音を響かせてバッペンボルドー元帥に近づいて行った。

 常に弱腰で、情けない顔をしていた彼とはとても思えない、堂々とした精悍な顔つき。そんなフランツフィクス大将に、幕僚たちは声を出すことが出来なかった。

「閣下、これを」

「ご苦労、大将」

 バッペンボルドー元帥は彼の様子をさほど気に留めず、渡された手紙に目を通す。

「大将、その・・・お悔やみ申し上げる」

 いつも傍に控えていた副官の姿が見えないことから、彼の死を察した枢機卿の一人がそう言うと、フランツフィクス大将は小さく頭を下げ、「ですが」と口を開いた。

「戦場ではより多くの将兵が死亡しております。祈りの言葉は、この戦いが終わった後にしてください。今は勝つために、少しでも策を巡らせなくては」

 彼の凛とした声が響き、幕僚たちも「その通りだ」と決意を新たにし、エヴァンジェリスタ二世は彼を見直したように頷いた。

「なるほど・・・軍の動きが鈍いのはこのためか」

 バッペンボルドー元帥から渡された手紙を眺めながら、フィオレンツォ七世は「ふむゥ」と唸った。

「防衛線と奇襲部隊の足並みが揃わないのは、各地で指揮官が暗殺されたからかと」

「面倒だな。第三防衛線のロングストン大将が無事とはいえ、このままでは瓦解するまでそう時間もあるまい。どうするのかね?」

 バッペンボルドー元帥はフッドウォーカー大将と二、三言葉を交わした後、フィオレンツォ七世の問いに渋い顔で答えた。

「計画よりもずっと早いですが、第二防衛線を放棄し、第三防衛線から城内の最終防衛線までで遅滞戦術を実行するほかないかと」

「始まって僅か数刻で最終防衛線の話になるとはな・・・」

 頭を抱えるフィオレンツォ七世に、バッペンボルドー元帥も苦々しい顔で頷いた。

「作戦の成功を祈るほかありますまい」



  ◇  ◇  ◇



シルキーの丘 麓

「何も無計画にただ元帥閣下を無力化したわけではないんだろう。一体何が目的かね?」

 二角帽を脱いでパタパタと仰ぎながら、騎士将軍レフ・マトヴィエンコは地面に横たわるメインデルトを見下ろした。

「・・・」

「死んだふりはやめたまえ。私を騙せるとでも思っているのかな?」

「・・・っとと、休んでたって言って欲しいねぇ」

 ガバッと余裕気に身を起こしたメインデルトだったが、その右頬はざっくりと裂け、地面に血が滴っている。

「それで、どんな計画なのかね?」

「・・・シュクロアフスキー国家元帥の首を刎ねる。ギロチンを運んできてでもね」

「薄っぺらな嘘もやめたまえ。出来が悪くて冗談としても笑えやしないね」

「いやぁ、こりゃ散々な評価で・・・」

「そんなことはないね。君の翩々(へんぺん)なところは時として評価に値するよ、メインデルト君」

 そんな彼にマトヴィエンコはポケットから取り出した酒瓶を投げ渡した。自身もパイプを取り出して刻みタバコをギュッギュッと詰める。

「一回休戦ってことですかい?」

 キュポッとコルクを抜いて酒を呷るメインデルトに、マトヴィエンコはフゥーと煙を吐き出して、かぶりを振った。

「いや、()()だよ。王がお目覚めになる。その前を血で汚すことほど、無粋なことは無いだろう?」



  ◇  ◇  ◇



シルキーの丘 山頂

 近衛騎士団全員が持つ、胸から下げた十字架のペンダントは各々によって意匠が凝らされている。あるものはその十字を剣のように成形し、あるものは宝石を埋め込む。

 十字のちょうど中心にはめこんだロケットペンダントの写真に目を落として、旗騎士ラルラ・アラルラは小さく涙を落とした。写真の中でアラルラに笑いかける彼女が、今唯一の手元に残っている思い出以外の彼女の痕跡である。

 ―君は今、どうしているのだろうか・・・

 懐かしい思い出に思いを馳せていたアラルラだったが、突如としてその背筋に悪寒が走った。

 ゾクリと身も心も凍てつかせるような寒気。

 剣を手に慌てて天幕の中に入ると、普段は冷静沈着な旗騎士レネ・ラフェンテが、ハァ・・・ハァ・・・と肩で息をしていた。

 特段、彼は長い距離を走っていたわけでもなく、はたまた持病の発作が起きているわけでもない。ただその空気に()()()()()、息が苦しくなったのだ。

 それはアラルラとて同じだった。

 ―なんだ・・・これは・・・

 見えないのに、空気が身をすり潰す程重い。気を抜けば、地面に這いつくばってしまいそうである。

 その源が、奥に倒れている帝国軍の英雄、国家元帥マクシミリアン・シュクロアフスキーであることは明らかだった。

「バカな・・・ワタシとラフェンテ殿の騎士術を()()()()()と言うのか・・・!?」

「・・・それすら我々の希望的観測ですよ・・・」

 額の脂汗を拭ってラフェンテが認められない、いや認めたくない事実を言い放った。



「・・・()()破られました・・・!!」



 ドンッ!とひときわ強い衝撃波が二人を襲う。

 幕を空へと吹き飛ばし、大地を舐めて、木を揺らす。天幕の周りに待機していた兵士や騎士たちは、一瞬にして丘から宙へと放り出された。

 ―そんな・・・

  ―記憶を無くし、精神の牢に閉じ込めたというのに・・・

   ―そんな、バカな・・・!!

「バカなっ!!!!あってはならないことだ!!!!」

 恐ろしさから思わず叫んでいた。

 いまだかつてないほどの恐怖が駆け巡り、手が笑って剣を持つことすら出来ない。

 カッ!!とシュクロアフスキーの体が光り、あまりの眩さに瞬き一回して開いた時には、彼の剣が鼻先に迫っていた。

 ―バカな

  ―バカな

   ―バカな

    ―バカな


     ―バカな



 生まれた場所は闇の中。右も左も分からぬままに、最初に覚えたことは人の殺し方。常に血の匂いがする。獲物を狙う獣の目つき。

 行き着くところで後ろ指を指されて追い出され、そしてそれ故絡んでくるのは血に飢えたケダモノだけ。だからどこでも長くいられず、まるでいつまでたっても根を生やせない蒲公英の綿毛のようにフワフワと各地を彷徨う存在だった。

 近衛騎士団に拾われてからもそれは変わらず、師をとらずに独学で学んだ戦い方を武器に、誰とも群れず一人任務をこなしていった。

 これが自分の天職。そして自分は一匹狼。誰とも群れず、誰の記憶にも残らない。

 それでいいと、あの時までは思っていた。

 だがある任務で高原の田舎町に言った時、そこで暮らす彼女の姿にあっと言う間に心を惹かれた。

 悠久の時が流れるのどかな町で彼女と過ごしたわずかな時間。山羊の乳を搾り、畑に鍬を入れ、馬車に乗って育てたものを売り歩く。

 草原に寝転がり、ビュザスでは見えぬ、見渡すばかりに輝く星々を見上げるアラルラの横で、彼女は帰る必要はないと泣いた。

 それは無理だと諭すアラルラに、今度はならば自分も行くと食い下がった。

「あなたと離れたくない。ここにいれぬというのなら、私はきっと剣を振れるようになって、戦えるようになるから・・・」

 そう言う彼女の顔を見て、抱きしめたくなったアラルラだったが、直前でその手を止めた。

 もしも抱きしめていたら、自分は帰らなかっただろう。

 もしも抱きしめていたら、彼女と戦地に行くだろう。

 どちらもアラルラにはできぬこと。そしてそれが出来ぬなら、彼女と共に暮らせぬのなら、取れる道は一つだけ。

 胸に縋りついて咽び泣く彼女の頬にそっとキスをして、アラルラは立ち上がった。ロケットペンダントを十字架にはめ込んで――

「ワタシは君を忘れはしない。もし、もし君がワタシを忘れなかったら、どうかこの空を見上げてくれ。ワタシもどこかにいるだろうから――」



「アラルラ卿ッ!!!!!」

 ラフェンテが叫ぶ中、口から上の頭部が斬り落とされたアラルラの体は、まだ意思が残っているかのように、無表情で剣を握ったシュクロアフスキーから数歩後退って、ドサッと仰向けに倒れ込んだ。

 ―そんな・・・

  ―なすすべもなく・・・!

 騎士術に目覚め、そして騎士になることすら難しいこの世界で、旗騎士としてその筆頭に立つには、文字通り血と汗を流して、単独でも皇帝を守るに足る力を得なければならない。

 そんな力の持ち主が碌な抵抗も許されずたった一撃で葬り去られた。

 ―なんて私は甘かったのか

  ―勝てる勝てない、殺せる殺せない

   ―・・・そんな次元の話じゃないと思っていながら・・・

   ―その事実を理解できていなかった・・・!!

 ガチガチと歯が恐怖に音を立てる。

 刹那、キラリと光った刃に反射的に剣を振るう。

「・・・おお。さすがは噂のラフェンテ卿。剣を受け止められるとは思わなんだ」

 「バルトロが認めるだけはあるわい」とシュクロアフスキーは太い眉の影からラフェンテを睨みつけた。

「・・・こ、これを・・・()()()()()とは・・・言わないでしょう・・・ッ!!」

 苦し紛れに返すラフェンテの剣は、シュクロアフスキーの剣を受け止めきれずに真っ二つに折れており、剣が体にも深く食い込んでいる。

「そうかのう?儂の一振りを受ければ、大抵はさっきの旗騎士のように首が飛ぶんじゃが・・・。にしても立派立派、死ななかったのはヴァイオレットの女狐に次いで二人目じゃよ」

「・・・お褒め頂いているようで・・・ありがたい・・・限りですね・・・」

「まぁ下手に力がある分、儂の力を削ってしまったからの・・・」

 ニィッ!と歯茎を剥き出しにして、シュクロアフスキーは不気味な笑顔をラフェンテに向けた。


「生き地獄の気分はどうかね?」


 ―騎士術を使ったところで、この傷ではすぐに死んでしまって意味はない・・・

  ―もう動くことも、何もできない・・・!

   ―・・・「倒れても殺せ。それが騎士だ」か・・・

   ―これじゃあ、フェリクス君たちに言い訳できませんね・・・

 今生きているのが不思議なくらいの致命傷である。こうして意識があり、考えられるだけでも、ラフェンテにとっては幸運なのかもしれない。

「・・・良くはないですよ。・・・ただ思った以上に・・・悪くもないのかもしれない。・・・戦いの中で・・・死ねるのですから・・・」

「ほう。君からそんな言葉が出るのかね。面白い男だのう」

 クックックと老獪に笑って、シュクロアフスキーは再び剣を構えた。

「・・・さて、愉快な話もここまでじゃ――」


「帝国の為に、散れ」


 今度の一撃は、例え予力に捉えられていたとしても、例え腕が動いたとしても、躱すことなどできなかっただろう。

 巨大な象に踏みつけられるのを、小さな蟻が避けられぬように、圧倒的な力の塊が堰き止められぬ激流のように、ラフェンテの体に押し寄せてきた。



  ◇  ◇  ◇



「・・・アラルラ卿、ラフェンテ卿・・・」

 首筋の傷を抑えながら、メインデルトがシルキーの丘の頂上に目をやる。

 ―・・・ごめんよ

  ―君たちの死は無駄にしないさ・・・

 僅かに目を伏せたメインデルトだったが、何かの姿がチラリと視界に写って顔を上げた。

「メインデルト・・・」

「・・・こりゃ先生、さっきぶりですねぇ・・・」

 目の前でコキコキと首を鳴らすシュクロアフスキーに、異様な恐怖感を抱いたメインデルトは全身の身の毛がよだつのを感じた。

「閣下、ご無事で何よりです」

「ああ、すまんのレフ。時間がかかってしまった」

 首を垂れるマトヴィエンコに、シュクロアフスキーも頷き、そして抜いていた剣をチキッとメインデルトの首に当てた。

「ここからがエルトリアの戦いだと言っておったな」

「・・・ええ、まあ」

「その言葉、そのまま返そう。・・・ここからがノヴゴロドの戦いじゃ」

 ツーと頬を伝う冷や汗を拭うことすらメインデルトはできなかった。

 指は勿論、髪の毛一本風になびいて動きでもしたら、即座に首が飛ぶと分かっていたから。

 呼吸すらいつの間にか止まっていた。それでも息苦しさを感じぬほど、冷たく重いシュクロアフスキーの力がメインデルトを覆っていた。

「残す言葉はあるかのう?」

「・・・慈悲を・・・()()



 今からもっとずっと前。

 メインデルト・ロットとエイト=ブラハム・シエンツが10歳程度だったころ。

 新大陸に移住した植民者の家の生まれだった二人は、早くから騎士術に目覚めていた。騎士術といってもまだまだ形も定まっていないようなもので、二人してそれで遊んでいたのだが、ある日皇室近衛を名乗る騎士、ペンドラゴンが二人の家を訪れた。

 これから新大陸の奥地にいる、先住民族で騎士術を操る者を倒しに行くというペンドラゴンに二人は目を輝かせた。皺も汚れも一つないマントには近衛騎士団の紋章が刻まれ、ベルトから下げた剣とピストル、そして傷だらけだが精悍な顔つきは彼の力を証明していた。

 二人が騎士術を扱えることを知ると、ペンドラゴンは「近衛騎士団で待ってるぞ!」と言って笑い、いくらかの食料を家族から受け取ると、颯爽と馬にまたがって去って行った。

 それからメインデルトとエイト=ブラハムの志す道は幼心に決まった。

 この騎士術を駆使して、いつか自分も近衛騎士に・・・と。

 だが、その夢をかなえるにはあまりに新大陸というのは不向きだった。本国へは船でしか行けず、到着には数週間かかり、加えて海難事故や海賊による被害も多発していた。新大陸には近衛騎士はほぼおらず、師従するにも入団を希望するにも、手段がない。

 それでもいつかと、考えていた二人の近所に、マックスと名乗る大柄な老人が引っ越してきた。出自も分からない上に、全身に夥しい数の傷跡があり、いかつい雰囲気の彼を初めは避けていた二人とその家族であったが、その身一つで荒野を開墾し、とにかく明るく好々爺としたマックスのとは次第に仲良くなっていった。

 特に彼に惹かれたのが、メインデルトとエイト=ブラハムだった。元騎士と言ったマックスに二人は熱狂した。

「なぁ、マックス!俺らに騎士術教えてくれよ!と」

「僕たち騎士になりたいんだ!」

「アァ?何生意気言ってやがる、クソガキどもめが!お前たちは鍬振ってるのがお似合いじゃ、ガッハハハ!」

 そう言って何度頼んでも軽くあしらわれる二人だったが、何とかして学びたいメインデルトは、マックスが家を空けたある日、エイト=ブラハムとともにこっそりと彼の家に忍び込んだ。

 彼の家には二人の家にあるようなものしか置いておらず、「なんだよ」と悪態をつく二人だったが、思わず地団駄を踏んだその時、床の音が何か変に聞こえた。

「変って何がだよ、と」

「エイブ馬鹿だから言っても分かんないって!いいからカーペット退けてみてよ」

「なんか腹立つなぁ、メイン」

 グチグチいいながら分厚いクマの毛皮のカーペットを退けると、なんの変哲もない木の床が現れた。「なんもねぇじゃんか、と」とエイト=ブラハムが頬を膨らませるが、メインデルトはあきらめず犬のように四つん這いになって何かないか探していると、ちょうど棚の影に隠れるところの床に、取っ手のような何かがあることに気が付いた。二人で息を合わせて床を持ち上げると、蓋の様に床の一部が持ち上がり、そこからボロボロの階段が地下へと続いていた。

「エ、エイブ先に行きなよ」

「な、なんだよ、メイン。ビビってんのか?お前が開けたんだから、お前が先に行けって!」

 なかばエイト=ブラハムに押し出される形で恐る恐る階段を降りると酒樽やらなんやらが並んだ先に、柄が少し曲がった剣が一本、無造作に壁に立てかけてあった。ただの剣ではなく、腕のいい職人が鍛え上げたものなのだろう、子供の二人の目にも特別なものにそれが映った。

「・・・そんなに見とれても良いものでは無いぞ」

「「ウワァッ!!」」

 突然背後からかけられた声に、思わず二人が飛び上がると、マックスがまた豪快に笑っていた。

「・・・あの剣は儂が戦場で振るっていたものじゃ。両手両足の指でも数えられんくらいの数、あれで人を屠ってきた。儂の影の塊じゃよ。カッコのいいものでも、誇れるようなものでもない。それが騎士の、いや戦士の世界じゃ」

 二人を怒鳴るでも殴りつけるでもなく、頭にポンッと手を乗せてマックスは彼らに目線を合わせるようにしゃがんだ。

「この世界に一歩でも踏み込めば、血に汚れて、心は荒み、人を信じられないようになる。いくら胸に勲章を輝かせようが、いくら民衆に称えられようが、それでは到底満たしきれぬほどのものを失う。それでも、お前たちはそれを望むか?」

 彼の顔は笑っているわけでも、かといって怒っているというわけでもなく、とても優しい顔をしていた。

「・・・なるよ」

「・・・何?」

 メインデルトの言葉に、マックスはわずかに目を細めた。

「それでも僕は、騎士に、戦士になるよ。例え世界の端であろうとも駆けつけて、誰かを守れるような・・・!」



「・・・もう、遅い・・・!!」

 まっすぐにシュクロアフスキーを見つめていたメインデルトだったが、瞬き一つした瞬間、彼の体は大空へ打ち上がっていた。

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