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ユートピア  作者: 吉田 要
第三部 帝国会戦:防衛篇
55/70

3-19 優しさをかけて





鳥居(とりい)のように(あか)く 経帷子(きょうかたびら)のように(しろ)


勝鬨(かちどき)のように(おお)きく (せせらぎ)のように(ちい)さく


(かたな)のように(するど)く 月光(げっこう)のように(にぶ)


()のように(やわ)らかく (はがね)のように(かた)


(あらそ)いの()呼吸(こきゅう)をし 泰平(たいへい)()(おぼ)れる


人非(ひとあらざる)ざる(もの)にとって 武士道(ぶしどう)()ふは()(こと)()つけたり


――――――――――――――――――――――――――帝国陸軍大将 屋敷忠継





第一門 脱出路

 見える範囲、いやそれ以上の場所からも騎士同士の戦いの波動を感じる。

 アンナはそれに唾をゴクリと飲み込んだ。

 ―ジェーンは大丈夫だろうか

  ―早く私も加勢しなくては・・・

 ロロの爆炎に驚き、一度手を止めてしまったが、今度こそ彼の、屋敷の首をとろうと短剣に手を伸ばして彼の方へ顔を向けた。

「っ!!」

 僅かに捉えた彼の動きと環境から瞬時に予力を発動する。はじき出された未来は、眼前に迫りくる()()だった。

 それに従い思いっきり後ろに背を倒す。刹那、睫毛の僅か先を風のような何かが通過して、斬られた髪がファサッと宙に舞った。

 ―・・・今のは一体・・・?

  ―彼の騎士術についてエウスタキウス卿から伝えられたのは、()()()()()ということだけ

   ―だけど今のは矢でも投げ物でも、ましてや弾丸でもない・・・

 両手を地面についてさらにクルッと回転して着地する。目の前には倒れていたはずの屋敷が起き上がって刀の柄に手をかけていた。

 彼の顔にはアンナの攻撃を受けたことで、ヨモギのような形をしたリヒテンベルク図形が薄く表れていたが、もう体は不自由なく動かせるようだった。

 そして何よりも重要なことがもう一つ。

 アンナを攻撃したとき、屋敷は何か構えをとるどころか、刀すら鞘に納めたままだった。

 ―・・・どうやって攻撃を!?

 アンナの経験上、戦闘において一番怖いときは、剣を振られたときでも、銃で撃たれたときでもなく、分からない、()()()()()()ときだ。

 まだ若いし、自分で言うのもおかしいが、旗騎士としてそれ相応の場数は踏んできたつもりである。だから、相手の騎士術が分かっていない状況でも一度見れば、過去に出会った似たものからある程度推測して対応することが出来た。

 だが彼の、屋敷の放った攻撃は全く分からなかった。これと似たようなものを見たことも感じたこともない。強いて言えば、()()()()のような、異質な存在だった。

「・・・前言を撤回しよう。某に道を開けてくれぬか。そなたを斬りたくはない」

「・・・この程度で怖気づく相手の首は、取る価値すらないとでも?」

「一度はそなたに奪われたも同然のこの身。しかしそなたは某を殺さなかった。それに報いるは理の当然。用があるのはそなたの奥にいる者。某に道を開けるというのであれば、そなたを虜として丁重に扱おう」

「・・・あなたも騎士なら知っているでしょう。退けと言われ退くような半端者は、騎士にはなれぬということを・・・!」

 誰が見ても力の差は歴然であるように思えた。

 雨粒のような汗を額に浮かべるアンナと、どこまでも冷静でその端正な顔立ちから考えられぬような気迫を滲ませる屋敷。

 それでも、アンナに負けるという選択肢はなかった。「手段を選ぶな、卑怯な手を取れ。戦いにおいて勝利以外に必要なものはない」。力の差がそれだけあるというのなら、それを埋める手段をとればいいだけのこと。

 剣をギュッと握りしめたアンナの耳に、再び鈴の音のような、チリンッ・・・という音が響いた。反射的に予力を発動する。

 アンナの目に見えたのは、予想外の未来。



 ()だった。



 予力が解除されると共にいつから止めていたのか、息苦しさが胸を襲い、塊のような空気が口から溢れ出た。

 ボタボタと汗がとめどなく地面に滴り、いくら肩で息をしても息苦しさが一向に拭えない。

 突然体が破裂したような、胸を一突きされたような、急に鼓動が止まってしまったような、そんな死の感覚が体にするりと入り込んで出て行かない。

 ―今のは・・・

  ―殺気・・・?

 ハァ・・・ハァ・・・と息の荒いアンナに対して、再び屋敷が口を開いた。

「これが某とそなたの差だ。無用な殺生はせぬ。道を開けよ」

「・・・『天罰招来(てんばつしょうらい)』!」

 カッと空に光が瞬き、屋敷目掛けて雷が落ちる。

 予力で予想していたのだろう、顔色一つ変えず、易々と躱す屋敷だったが、アンナはあきらめず技を放ち続けた。

 一つまた一つと落ちる雷。それはアンナの血を代償にして生み出されるものであり、彼女の希望そのものだった。

 しかし、それを打ち砕くかのようにその全てを屋敷は避け、一本として彼に一撃を入れるものはなく、一本として彼に触れるものすらなかった。

「クッ・・・!」

「素晴らしい才能だ。神童と呼ばれるだけはある。だがいくら血を使おうが、いくら技を放とうが、某には届かない」

「鍛錬が・・・足りないとでも・・・?」

 アンナの問いに屋敷は首を横に振った。

「そうではない。早さが足りない、威力が足りない、角度が悪い、タイミングが合わない、斯く斯く然々・・・。そんなものではない。確かに一度は某を戦闘不能にまで追い込み、素晴らしい力を見せた。しかし、今はこうしてそなたの力は某に届いてない。それがそなたの限界だと言っているのだ」

 屋敷は「そこを退け」とやや語尾を強めた。

「・・・そんなに、軽い女に見えますか・・・?」

 アンナの答えは屋敷の意表を突くものだったようで、彼は「何?」と首を小さく傾げた。

「確かに、あなたのような方から見たら、私はただの殺気で取り乱すような軽い女に見えるかもしれない。ですが、そんな私でも背負っているものがあるんです」

「背負っているもの?」

「・・・私は戦争孤児です。肉親と呼べるものがいません。私にとっては全てが他人です。・・・それでも、私に関わった全ての人の()()()が、そんな私がここまで来させた。熱射にさらされる私の傘となってくれた。私はそれを無下にできるほど軽い女に育ったつもりはない・・・!!」「これは戦いです。彼らはその災禍が自分たちに届かないかと、不安で不安で眠ることすらできない。だから、今度は私がこうして傘になるんです。例え非力な私には数人しか救えないとしても、その彼らに危険が及ばぬように。二度と私が生まれぬように・・・!」



「私がここに立っている限り、一歩先へ進ませはしません!!!」



 まっすぐ屋敷を見つめるその眼には、彼女の力強い優しさが宿っていた。

「・・・初めから説得など、無礼千万であったな。本来なら許しを請うて首を垂れるべきであるが、戦場ゆえ、そなたの首を貰い受けることで代えさせて頂こう」

 キンッと鞘から抜かれた刀。アンナの握るサーベルにまとわりついた、血生臭い武器という生々しさはそこには無く、ある一種の美しさを力に溶け込ませている。

 重いようでいて軽い。軽いようでいて重い。

 刺すようでいて柔らかい。柔らかいようでいて刺す。

 美しいのに身が竦む。身が竦むのに美しい。

 ブルリと身を震わせるアンナを、屋敷は先ほどよりもずっと強い殺気を帯びた顔で見据えた。

「・・・行くぞ」



 命を賭けること。

 それは一体なんだろう。

 ジェーンに向かって偉そうに「自暴自棄と何かのために死ぬ覚悟は違う」と講釈を垂れておきながら、結局私は命を賭ける意味をわかっていない。

 ラフェンテ卿は馬鹿げていると言った。

「今命を捨てて救う人数よりも、明日・明後日を生きて救う人数の方が多いというのは、計算しなくても分かることです。今日の1人よりも、私は未来の10人を助けたい。・・・あくまで皇室を除けば、ですがね」

 ギュンターフィック卿はあっけらかんと言い放った。

「考えるまでもないなァ。いつでも命を盾にする。頭良ないさかい、それ以降のことは考えられへん。それに、戦士がいつまでも長う生きとったら、自分にも、後のモンにもええ訳あらへんしなぁ」

 迷う私に先生は言った。

「ボクが思うに、それに答えも意味もないよ。ただ考えるのはとてもいいことだ。剣を抜いて戦っている最中に、そんなことを気にしている余裕はないし、そしていざとなったら体が勝手に動く。つまり、平和なときじゃないと考えちゃいられないのさ、そういうことは。そして、その平和を作りだすのが、ボクらの役目だろう?」

 考えている余裕はない。

 そうなのかもしれない。

 でもやはりその意味を明らかにしたい。

 そうすれば、棘がようやく抜ける気がする。

 そうすれば、私の弱さがなくなる気がする。


20年前

 孤児院にいたアンナを引き取ったのは、中流階級の老夫妻だった。ブリタニアにある街で洋服店を営んでいた二人の下に、当時4歳ほどだったアンナは転がり込んだ。二人は実の子にように彼女に接し、アンナも二人を実の親のように慕っていた。

 店を兼ねた家はさほど広いとは言えないものの、リビングには暖炉があって、冷たい風が吹きつける冬でも暖かった。その暖炉の上に、木彫りの額縁に入った小さな肖像画が置かれていた。アンナの知らない青年で、老夫妻はいつも何か声をかけながら丁寧に手入れしていた。

 二人に「あれはだあれ?」と尋ねても、決まって毎回「今度ね」と誤魔化されてしまった。

 そんなある日、学校を兼ねた教会からの帰り道、アンナは突然衝撃が体を突き抜けるのを感じた。髪の毛一本から足の指先まで、体中を駆け巡って何かがビリッと通り抜けていった。

 「え?」と声を出そうとしたのもつかの間、すぐに視界が暗くなった。

 目を覚ますと、老夫妻が心配そうな顔でアンナを覗き込んでいた。きょとんとした顔のアンナを、二人はおいおいと泣きながら抱きしめた。

 彼らが言うには、雷に打たれたそうである。幸い体の動きに問題は無く、元の生活に戻るのも早かったが、変わった点が二つ。

 一つ目は騎士術に目覚めたこと。紙で指先を切った時、バチッと血が瞬いて紙が一瞬で燃え尽きた。一体なんだと慌てた夫妻は急いでアンナを医者みせたが、彼は「自然に失うものなので、このまま放置していても特に問題は無い」と答えた。

「尤も、()()()()()というのであれば、別ですが・・・」

 医者の付け加えた言葉が、アンナの頭をぐるぐると廻った。

 変わったことの二つ目は、夢が出来たこと。アンナはここまで無償の優しさで育ってきた。孤児院に拾われたのも、こうして老夫妻に引き取られたのも、学校に行けるのも、お洒落な服を着られるのも、全てアンナへの優しさからである。

 だから今度はアンナが無償の優しさを与える番。賜ったこの騎士術という力を生かして、たくさんの人に優しさを。

 そう懸命に訴えるアンナに、老夫妻は静かに頷いた。そしてあの肖像画の前に彼女を連れて行った。

「彼は私たちの息子のジョン。つまりアンナ、お前の兄だ。今から五年ほど前に・・・天に召されたんだ。私たちを守って、な」

 義父の言葉に義母は声を震わせて泣いた。

「18歳のころだった。店を継ぐと決めてくれて、これからという時に二人組の強盗が押し入ってきた。私は喘息持ちだから、「抵抗しないから好きなように金を持って行け」と言ったんだが、彼らが服を踏みつけた時にジョンが飛び掛かってな。「よせ」と言うのに耳を貸さず、「親父の服を踏むな!」って怒鳴って殴って・・・。でも相手は二人組だ。私と妻が必死に止めに入ったが、警官が駆けつけた時にはもうジョンは血まみれだった」

「・・・命を賭けたのよ。あなたの服を(けな)されるのが、辛抱ならなかったのね」

 義父の頬にも一筋の涙が伝った。彼は隠すようにそれを袖でこすり取ると、アンナに向き直った。

「お前はとても優しい子だ。だが、()()()()()()()()()。今のままでは、とても大きなもののために、命を賭けてしまうだろう」

「それはいけないことなの?」

「いけないことじゃない。でも、神の領域だ。人間にはできないものだ」

「じゃあどうしたらいいの?」

「もっと小さなものに命を賭けなさい。他人に馬鹿にされてもいい、もっと小さなものに。()()()()()()()()()()()()()()()()に、命を賭けるんだ」

「でもそれじゃあ、私は・・・!」

「優しさは、時に自分を滅ぼす。お前は()()()()()()()()()()()()()()()よ」

 そう言って、義父はアンナの頭を撫でた。


 正直に言って義父の話はよく分からなかった。

 でもたぶん彼らは、私の気持ちを後押ししながら、それでも危険な道へと進む私に死んでほしくなかったのだろう。

 ジョンのように、自分の優しさで死んでほしくなかったのだろう。

 命を賭けること。

 私の優しさが届く範囲のものだけに。

 その範囲は――

 まだ分からない。



 サーベルをスルリと躱し、太陽の光に煌めく切っ先がアンナの体に吸い込まれる。

 まず初めにドンッ!という衝撃が腹部に走り、続けて鋭い痛みが骨の髄までギリギリと伝わっていった。

 傍から見れば、騎士術を連発して血を失い、その果てに腹部を貫かれたアンナの敗北である。

 実際屋敷も自分の勝利と思っていた。アンナはサーベルを握っていられないほど衰弱していたし、こうして再び触れたからといって、再び彼女が電気で自分を失神させられるかと言えば否である。もうそれほどの血は残っていない。だからむざむざと騎士術を使わずに、こうして刀でとどめを刺したのだ。


 アンナはそれを狙っていた。


 失血してやや白くなりつつある顔を屋敷に向けて、アンナは弱々しい笑みを浮かべた。

「・・・触れましたね、私に」

「やめておけ。もう騎士術を使えるような体ではあるまい」

「そうかも・・・しれませんね・・・。今の私はもう騎士術を使えない」

 ―・・・なんだ?

  ―何を考えている?

 アンナの様子を不審に思った屋敷は彼女の体から刀を抜こうとしたが、それにアンナは「遅い」と呟いた。

「分かりませんか?・・・すでに、騎士術は使いました」

「っ!?」

 刹那、握りしめた刀ごと、()()()()()()()()()()()()。まるで何かの力がアンナに近づいてはいけないとでもいうかのように。

 みるみるうちにアンナの姿は遠くなり、帝国軍の戦列を突き抜けて前線のはるか後方の陣幕まで飛んだ。トランポリンのように機能した陣幕によってなんとか受け止められた屋敷は、彼女に力に舌を巻いた。

「これは・・・反発・・・か」


 「手段を選ぶな、卑怯な手を取れ。戦いにおいて勝利以外に必要なものはない」。

 メインデルトから何度も何度も、耳にタコができるほど言われたことだ。

 アンナもその考えには共感していた。どんなに真っ当な戦いをしても、負けては意味がない。子供を人質にしろとまでは思わないが、それでも勝つためには手段を選んでいる余裕はない。

 いくら屋敷が場慣れした武人であるとはいえ、アンナは()だ。それに彼には場数も到底及ばず、ただの殺気におびえて騎士術を乱発する、まだ若い騎士に見えたはずだ。となれば、幾分かの()()が生まれるのは必須。アンナはそこにつけこんだ。

 ―ただ単純に雷を落としていたわけじゃない

  ―帯電するように、雷を落とした

   ―人間にたまる電気はプラス

  ―つまり、帯電した私とあなたが触れあったその瞬間

   ―同電荷の電気は()()し合う・・・!!

 あらかじめ踏ん張ってはいたものの、それだけでは到底耐えることが出来ない。屋敷と同じように吹き飛ばされたアンナが咳き込みながら身を起こすと、中央の第一門の脱出路にいたはずが、背後に見えたのは東の第二門だった。

 歯を食いしばって痛みに耐えながら、包帯を腹部にこれでもかと固くギュッと巻き付ける。

 屋敷を倒せたわけでは無い。今位で倒れる者なら、騎士将軍などどれだけ容易い相手だろうか。だが、かと言って彼もすぐに戦線に復帰できるわけでもない。

 時間稼ぎの撃退には成功した。今はこの近くにいるはずの弟子の方が優先だった。

「・・・ジェーン・・・!」


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