3-18 死ぬには早い
打ち砕け なにもかもを
――――――――――――――――――帝国陸軍准尉 ベランコ・シュトロハウゼン
半島東 火山の麓 脱出路
「・・・獣臭い」
脱出路を出てから豹のように爆走したかと思えば、突然急停止してそんなことを呟きだした旗騎士オレスティラ・スピッツィキーノに、ウィチタ・アンダーバインはそのそばかすが特徴的な頬を指で掻いてため息をついた。
「それはそうでしょ、スピッツィキーノ卿。こんな森なんだから動物の一匹や二匹、直ぐそこら辺にいるんじゃないですか」
「・・・フッ」
ウィチタの言葉をオレスティラは鼻で笑うだけで、「そうか」とも「違うな」とも答えなかった。
―なによなによ、このヒト
―洞窟の中からずっと無口だったし
―ほんっとに、旗騎士ってのは何考えてんだが分からないなぁ
まるで同行している騎士や兵士などいないかのように、また猛スピードで走りだすオレスティラにウィチタはげんなりとした顔で再びため息をついた。
それなりに体力には自信があったウィチタだったが、既にオレスティラとは彼女が豆粒のようなサイズに見えるまで距離が離れていた。ひぃひぃと息切れしながらも、再び立ち止まった彼女の下になんとかたどり着いた。
重い装備を抱えた兵士たちはまだだいぶ後ろにおり、騎士たちもウィチタ以外は到着にしばらく時間がかかりそうである。さすがにここで部隊を待つのかと、一息ついたウィチタが水筒に手を伸ばした時、オレスティラが微笑を携えてこちらを見つめているのに気づいた。
女の子には見境なくヘラヘラと寄っていくような、軽薄な性格のウィチタだが、その時はいつもの軽口もナンパ文句も叩けぬほど、彼女のその顔に心を刺された。無口で不愛想なオレスティラであるが、こうしてみると非常に整った美しい顔立ちをしている。
「な、なんです」
「好きだ」
「・・・は?」
ウィチタの疑問を遮って放たれた彼女の言葉に、水筒に口を付けたまま固まった。オレスティラの声音が想像以上に優しかったこともあるが、何を言っているのかもよく分からないし、そしてなぜこの状況でそんなことを言うのか理解できなかった。
だが混乱するウィチタを前に、オレスティラは彼のあごを意外にも細い指でそっと撫でて耳打ちした。
「だから、お前が助かってよかった」
「!?・・・どういう」
そう口にしようとした瞬間、轟音と共に地面が揺れ動き始めた。
―地震!?
立っていられず倒れそうになるウィチタをオレスティラが支えた。汗一つかいておらず、また凄まじい揺れにも微動だにしない彼女に抱き寄せられたウィチタは、柄にもなく必死にしがみついてしまった。
それほどの揺れだった。目の前ではまるで地中から何かがメリメリと顔を出すかのように地面が大きくせり上がり、そこにいた騎士や兵士たちが叫び声と共に宙へと舞い上げられる。
やがて花の花弁のように開いた地面は、重力に従ってズゥンと森に落下してきた。
「な、なんだ、コレ・・・」
隕石のように降り注ぐ、地面だった土の塊。その一つがウィチタたち目掛けて降ってきた。思わず「ヒッ」と声を上げて目を瞑ってしまったウィチタだったが、いくら経ってもそれはぶつかってこなかった。
恐る恐る目を開けると、オレスティラが左手に持った剣が土の塊に突き刺さり、宙で止まっている。とても彼女の細腕で支えられるような大きさには見えなかったが、オレスティラはそんなことを全く感じさせずフッと腕を振って土の塊を放り投げた。
ようやく収まった土の雨に、ウィチタがオレスティラから離れる。
「・・・分かってたんですか?」
「うん」
「だからあんなに走って?」
「半分正解。走ってお前とこれを生き残るのが一つ。もう一つは・・・」
オレスティラはゆっくりと顔を木の影に向けた。ウィチタもそちらに目を向けると、拍手しながらそこから一人の男が出てくるのが見えた。
剃りもせず、無造作に生やされた無精ひげと、長い黒髪。そしてニカッと浮かべた笑みが、戦わずとも男の戦闘狂という性格を表していた。
「ヨォ、よく避けたなぁ、お嬢さん方」
ガサガサに掠れ、まるで手入れの行き届いていない扉のような、頭に響く不快な声。
彼の放つ威圧感は並みの騎士を遥かに上回っており、ウィチタには旗騎士であるオレスティラすら超えているように思えた。だが、そんな実力者の情報は回ってきていない。ウィチタはあらかじめ知らされた情報を綿密に確認し、伝えられた人相をも把握している。それにこの男はヒットしなかった。
「・・・誰だ?お前は」
「・・・オウオウ、ガキが一丁前な口ききやがる。まぁいいだろう、てめぇを殺す奴の名くらい知っておかねぇとな。・・・ベランコだ。ベランコ・シュトロハウゼン。幽閉されてた悲しい騎士さ」
気取って頭を下げるベランコに、オレスティラが荒廃した地面に目をやった。ベランコの血に濡れた両腕から考えるに、先ほどの地震のような、地面が動いた現象は、彼の騎士術によるものなのだろう。
「・・・強いな」
「アァ?強いに決まってんじゃねぇか」
「騎士将軍、というやつか」
「そうだと言いたいとこだが、生憎ちげぇんだ。言ったろ?幽閉された悲しき騎士だってよ」
「そうか、なら将軍より弱いのか?」
「・・・アホ抜かせ。なんで俺が幽閉されていたと思う?力が奴等より強かったからさ。断言してやる。帝国騎士最強は俺だ」
言い切ったベランコに、オレスティラは歯を剥き出しにした猟奇的な笑みを浮かべた。
「そうか。オレスティラは強い者が大好きだ」
特に前触れもなく手に持っていた剣を投げつける。
「・・・いいねェ・・・いかにも戦い好きって感じだ」
槍のように勢いよく迫った剣を、皮の手袋をつけた手でバシッと受け止め、ベランコは舌舐めずりした。
数秒見合った後、どちらからともなく駆けだした。ベランコは鞘から抜いたククリナイフを、オレスティラは短剣を手にして――。
「ヒハハハハッ!てめぇがオレスティラ・スピッツィキーノだろ?話は聞いてるぜ。生粋の戦闘好きだってなぁ!!」
短剣とククリナイフがぶつかり火花を散らす。カンッ!という軽い音とは裏腹に衝撃波が辺りに広がって、地面に散らばった葉が舞い上がった。初めは加勢をと思ったがウィチタだったが、そこにはまるで入る隙がなかった。
―だめだ・・・
―早すぎてついて行けない・・・
二人の手は目で捉えようにもあまりに早く動き、カッカッカッカ!とまるで楽器の演奏のように、ぶつかり合う音が響いた。途中、オレスティラは短剣でククリナイフを受け流しながら、地面に落ちた剣を蹴り上げて短剣を投げ捨てた。
「オイオイ、そんな重たい剣でついて来れるのかよ?舐められた・・・もんじゃねぇか!!」
ベランコが勢いよくオレスティラを蹴りつける。ダダダと地面を転がってオレスティラは立ち上がろうとしなかった。あまりに拍子抜けだったようで、ベランコも「アァ?」と首を傾げる。
「おいおい、こんなモンなのかよ。正直がっかりだぜ」
「・・・」
「・・・シカトってのは気に食わねぇ・・・なっ!」
無反応のオレスティラをさらに蹴り飛ばす。木に叩きつけられたオレスティラはそのままガクンと首を垂れて動こうとしなかった。
「なんだが知らねぇがマグロかよ、つまんねぇなァ・・・死ねオラ!」
そう言ってククリナイフを振るったベランコだったが、オレスティラを斬りつけたと思った刹那、それが紙のようにスパッと斬られたことに目を剥いた。慌てて別の剣を抜こうとするベランコだったが、その体をオレスティラの剣が叩き斬った。バットに打たれたボールのように道の反対側まで吹き飛ばされる。
「・・・ッチ、不意打ち狙いかよ。臆病者のやり口だぜ、これは。てめぇや俺の戦い方じゃねぇだろう!」
「人はすぐウソをつく。オレスティラは臆病者じゃない。お前が本当に強いのか確認したかっただけだ」
「そしてお前は強い」と傷だらけの顔に、再びあの笑みを張りつける。
「お前を殺せば、私も満たされるかもしれない」
そうどこかウットリとした顔で言ったオレスティラは、突然ベランコの方に手を伸ばした。瞬間、空裂いて飛んできたブーメランのようなものが彼女の手に収まった。鋭い刃が肌を切り裂く直前で受け止めている。
「ヒハハ!「俺を殺す」だと?笑わせやがる」
特徴的な笑い声を上げながらベランコが立ち上がる。その手には奇妙な剣が握られていた。
先端が九の字のようにカーブを描いており、そして先に行くほど幅が広くなっている。
「なんだ・・・?あの剣・・・」
「これか?コラっていうんだ」
ウィチタの問いにベランコは答えながらコラというらしい剣を空にヒョイッと投げた。重いコラはブンッと空を切ると再びベランコの手に戻ってきた。
「てめぇらには過ぎた長物さ」
再びコラがブンッと音を立てて宙を舞った。
「例えるならそうだな」
ブンッ ブンッ
コラを操るベランコの動きはどんどんと早くなっていった。
「・・・鶏を割くのに」
ブンッ ブンッ ブンッ ブンッ
「牛刀を持ち出すようなモンだな」
ブンブンブンブンブンブンブンブン
「じゃあなんで持ち出すのかって?」
ブブブブブブブブブブブブブブ・・・
「てめぇらが俺の目の前に立つからだ」
大道芸人のお手玉でもこんなに早く投げてキャッチをできないだろう。
ましてや巨大な剣でやれと言われたら、誰もが拒否するはずだ。一歩間違えれば自分の腕がバッサリと切り落とされる。
しかしそれをベランコは事もなげにやってのけた。回転する刃に少しでも触れれば死へ一直線である。
ウィチタはただその光景に唾を呑むことしかできなかった。
「邪魔をするもの全てを打ち砕く!!」
ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ
「てめぇらは邪魔だ」
気が付くとウィチタは木の影に寝かされていた。
―・・・何が起こったんだ?
―やつの姿が消えたかと思ったら、すぐに目の前に現れて・・・
自分の体に目を落としてハッと見開いた。
左胸からまっすぐ自分でも見えるほどの裂け目が出来ていた。
同時に少し風が吹きつけるだけで悶えるほどの激痛が体中を巡り、そのあまりに叫び出す。
息をすることすら憚れるほどであったが、ウィチタは目の前に顔を向けて糸目を見開いた。
全身血まみれのオレスティラがベランコと対峙していた。
彼女の腕は動くのが奇跡的なほど深手を負っており、それはどう見てもウィチタをかばった故に負った傷だった。
「スピッツィキーノ卿・・・!」
「問題ない」
「ヒハハァ問題無ェって、体じゃねえだろう」
「生きてんのが不思議なモンだぜ」と加えながら、再びベランコは回転させたコラを手に斬りかかってきた。ウィチタやオレスティラに重傷を負わせただけはある。彼女の紫色の髪が刃に僅かに触れただけで、まるで生野菜かのようにスパスパと斬られた。
そんな凶器が自身の首元に迫っているというのに、オレスティラはまだ笑っていた。
「最高だな」
目にも止まらぬ速さで回るコラに躊躇なく―かといって予力で剣の動きを読んだようでもなく―手を突き出した。ガシリと彼女が掴んだのは刃のついてない峰。
呆然とした様子のベランコをコラごと引き寄せて彼の体に剣を振り下ろした。
―ウソだろ!
―普通、ミンチになるかもしれねぇところに手を突き出すか!?
―それに刃じゃなく峰を掴みやがった!
―騎士術を使ったわけでも、予力を使ったわけでもねぇ!
―「運」に任せて、戦ってやがる・・・!!
血が滴る傷口を押さえて、オレスティラから距離を取る。
だがそれは彼女に恐怖したからとか、警戒したからというわけでは無い。
ただ純粋に、この場であっさりと死んでは惜しいから。
「・・・ヒハハハハハ、てめぇは強ェな!オレスティラ!!」
戦うことを至上するベランコにとって、同じような性格を持つ者とあったのは初めてだった。
もっと戦える。もっと血を流せる。もっと楽しめる。
コラを持つ手が興奮で震える。
「楽しもうぜ!この戦いをよォ!!!」




