3-14 侍
全てを あなたのために
――――――――――――近衛騎士団アルピーニ 旗騎士 アンナ・アーベンロート
彼を目にしたその瞬間、時が止まったようだった。
意識はある。
だが体は動かない。
感覚はある。
だが臓器は動かない。
周りの兵士が動き回り、戦況が目まぐるしく変化する。
それでもそこに根を生やしたかのように、筋一本すら動かせない。
このままこうして身動き取れず、腐り朽ちて蛆が湧き、やがて骨をこの地に埋めるのだろうか。
人はそんな死に様をした私をどう言うのだろうか。
木偶の坊。役立たず。臆病者。果てには裏切り者と罵るかもしれない。
何が分かるというの。
ここで剣を取っているのは私。ここで戦っているのも私。ここで血を流すのも私。
彼の方がずっと上手。なら抵抗せずに死んだっていい。だって相手にしているのは私だもの。決めることが出来るのは私だけ。
いくら神童と言われようが、私だって痛いのはいや。
それでもなんで戦おうとするのか。
私の心に突き刺さった、臆病な棘を抜き去るため。
強くなければ守れない。
―誰を守る?
この細い両腕を広げて抱きかかえられる僅かな数の人々を。
私を育てた優しさ分の人々を。
第一門 脱出路
「屋敷・・・大将・・・」
帝国軍騎士大将屋敷忠継を前にして、アンナ・アーベンロートは金縛りにあったように動けなくなった。彼の細い瞳がアンナのことを射止めているかのようだった。
―唾が飲み込めない・・・
―呼吸が出来ない・・・!
そんな人形のように立ったまま瞬き一つしない彼女に、神童を討ち取るチャンスだと帝国軍の騎士が迫る。ここで敵の旗騎士を倒せば、帝国軍にとって大きな利益である。
―っ!
―呑まれるな!
深呼吸してようやく体の自由を取り戻したアンナは、左右と後方から斬りかかろうと勇む三人の騎士に瞬時に攻撃を開始した。
彼女を捉えたはずの三人の剣は空を切り、どこに行ったと冷や汗を流して顔を左右に向ける彼らに、天から轟音と共に光の柱が降り注いだ。
騎士たちが最後に言えたのは、「ガッ!」という短い悲鳴だった。音が戦場に木霊し、眩い光が消えると、そこには消し炭になって風に舞う彼らの亡骸があった。
「・・・『天罰招来』」
血に濡れた手を握りしめながら、アンナは再び屋敷を睨みつけた。今度はもう、震えなかった。今度はもう、呑まれなかった。
「・・・少し、祈らせてくれ。部下の死を」
ついに大将が動くかと思っていたアンナにとって、彼の放った言葉は予想外だった。
「何かの下準備か」と警戒したものの、本当に屋敷はそうしたいだけのようで、刀を抜こうともしない。逡巡したが、アンナはいつでも動けるよう用心しつつ、コクンと首肯した。
「ありがとう。・・・「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」・・・」
合掌したまま首を垂れ、何やら別の国の言葉で呟いていたが、暫くすると今度はアンナの方を向いて手を合わせた。
「「他力本願。阿弥陀様は今の我々をお救いになるような存在ではなく、人の子を誰も見捨てず、皆を仏に成らしめようとする願いのこと。異教徒とてそなたもまた、見捨てられはせぬ。南無阿弥陀仏」」
自分に向けても何やら祈る屋敷に、言葉が理解できぬ上に、突然祈られて不気味さを感じたアンナはサーベルの柄をギュッと握りしめてその恐怖心を押し殺した。
やがて屋敷は満足したように頷いて、顔を上げた。
「見ての通り、私は異国の出身だ。国に、戦いの前に名乗りを上げるという慣わしがある。そなたの名を聞かせてほしい」
「・・・近衛騎士団アルピーニが旗騎士、アンナ・アーベンロート」
アンナの名を噛み締めるように数回頷くと、屋敷はバッと右足を前に突き出して刀に手をかけた。
「帝国陸軍大将、屋敷忠継。そなたの首、貰い受ける!」
名乗りを上げたその瞬間、ダッと地を駆け、稲妻のような速さでアンナの下へ肉薄する。
―速い!!
キラリと陽に煌めく刃を何とか寸前で回避して、すぐさま体勢を立て直す。サーベルを振り下ろすが、それを屋敷は易々と刀で受け止めて見せた。
カッカッカとサーベルと刀をぶつけあうが、アンナがサーベルを一回振るう間に、屋敷は一度攻撃をしてきて、さらにアンナの剣を受け止めている。
―素早さだけじゃない
―刀の速度が圧倒的に違う!
―重いサーベルじゃついて行けない!!
「こちらが有利になるような体勢を」と屋敷の刀が引いた隙に五、六歩後退る。
―騎士術で惑わし、一撃を入れる!
「『雷瞑砲』!」
掌から一直線に光が走り、屋敷の前で強烈な閃光と共にズドォンと爆音を放つ。
同時に一気に屋敷の前に迫ったアンナは、サーベルを振り下ろすと見せかけて、ちょうどメインデルトがやったようにそのまま地面スレスレまで倒れ込むと、彼の足元から一気にサーベルを振り上げた。
眩い光に思わず手を顔の前で組み、頭を揺らす爆音の中、僅かな視界でアンナの動きを捉えた屋敷は、剣を振り下ろそうとする彼女にすぐさま刀を滑らせたが、そこからかき消すように突然彼女の姿が見えなくなった。
―!
―消えた!?
―いや・・・!
瞬時に予力で考えうる彼女の動きを導き出す。
―下か
僅かに見えたアンナの黒髪に、情報にあった彼女の剣の型、そしてなによりも屋敷を騎士大将たらしめる経験から、彼女の場所を突き止めた。
―となれば無闇に引くよりも、ここは攻撃に出るべきだな
アンナのサーベルが通るであろう場所に右足を踏み込んだ。草履の底が衝撃と共に刃を受け止める。
シュッと音を立てて空を切り裂きながら、刀の切っ先が彼女の肌を撫でた。
―浅いか
振り切った刀に強い手ごたえを感じなかった屋敷は、アンナが手を伸ばして雷を放とうとするのを、左手で脇差を抜いて受け止める。すぐに彼女の腕を斬り落とそうと、右手の刀を斬り返した。
―まずは・・・
「腕一本、取ったつもりですか?」
―!?
ようやく戻ってきた視界の中で、アンナは屋敷の考えを読んでいたかのようにそう言うと、少しだけ笑顔を浮かべた。
「あなたに触れられれば、一撃を入れるのは私の方が早い」
―っ!
―“電気”か!!
―しまった!
ビリリッと青い稲妻を腕に走らせるアンナに、屋敷は慌てて脇差を彼女の手から引き抜こうとした。だがアンナは手が斬れるのも構わず、そのまま騎士術を放ってきた。
「『電の瞬き』」
脇差を伝って屋敷の体を雷が駆け巡る。それでも彼はなんとか体を動かそうとしたが、ビクンビクンと痙攣するばかりで思うように動かない。
「ウッ!」
体からビリビリと放電しながら、白目を剥いた屋敷が倒れ込んだ。
人間の体は電気信号で動いている。それをアンナの騎士術で乱し、身動きの取れなくなっている今こそ、首を取る好機だ。だが気絶して倒れているとはいえ、屋敷は相当な実力者。いつ気を取り戻すか分からない。
「よし・・・」
早く済ませようとサーベルを手に彼の側によったその時、凄まじい爆音と共に後方から熱風が波のように押し寄せてきた。
慌ててバッと振り向くと、遠く第三門の先にある林から巨大な爆炎が空へとつきあがっているのが見えた。
「あれは・・・!」
―こんな遠くからでも感じる猛烈な熱さ
―急速に失われていく大気中の水分
―間違いない・・・!
今から40年ほど前。騎士団では神のごとき圧倒的な力を持つ者が三人、騎士として叙任した。当時の騎士団は歴代最強とも呼ばれるほどの陣営を整えたが、この三人の入団はまさに為虎添翼だった。
話には聞いていた。彼らが前線に出ればまず負けることは無かったと。だが実際にその一人を目の当たりにして、アンナは息をのまれた。圧倒的な力が、“爆炎”としてこの世界に顕現していた。
「“爆神”・・・ジルベール・ロロ・マルブランシュ・・・!」
明けましておめでとうございます。
三が日は連続で上げようと思っていたのですが、元日は何かと忙しく叶いませんでした・・・。申し訳ない限りです。
とりあえずは今日と明日に上げさせていただき、その後はいつも通りの日曜投稿にする方向で検討しています。
今後もゆるゆると進んでいきますので、改めまして本年もどうぞよろしくお願い致します。




