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ユートピア  作者: 吉田 要
第三部 帝国会戦:防衛篇
47/70

3-13 守りたいもの





たぶん君は気づいていない 


もしかしたら僕自身も気づいていない


君をどれだけ想っているか


それがどれだけ力になるか


―――――――――――――――――――――――――――フェリクス・カウフマン





 倒れたスヴェンに、ゾンネンフェルトは我に返って慌てて剣を納めた。代わりにベルトに挟んだ短剣を引き抜く。

 ―奴は危険や

  ―確実にここでとどめを刺さなあかん

 今もまだ震える手で短剣を握りしめ、スヴェンの下で屈みこむ。喉を掻き切るために、彼の髪の毛を持ち上げようとしたが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ―!?

  ―幻像!?

 バッと手を引いたゾンネンフェルトは、背後で風を切る音と鉄の匂いがするのを捉えた。予力で予想されたのは、後ろから振られた剣が自分のうなじを切りつける様子。

 姿勢を前傾にして素早く地面を蹴って振り返る。ちょうど先ほどまで立っていた場所で切っ先が空を切っていた。

「・・・なんや、逃げたんちゃうんか?」

「アンタこそ、スヴェンのバカに負けてなくてよかったぜ。準備したかいが無くなるからな」

 そう言ってにやりと笑うフェリクスの後ろで、真っ赤な柱が空へと突きあがった。


「・・・なるほど。お前さんが、アルフレッドが言うとった騎士か」

 離れていても熱さを感じるマグマの柱を眺めながら、ゾンネンフェルトはそう零した。

 潜入していたエルトリアから帰還したベーベルシュタイムが、将来危険な存在として挙げていた騎士。調査記録によると、凍てつく氷から灼熱のマグマ、果てには幻像まで作りだすという、非常に不可解な騎士術を持ち合わせているようで、腕利きの暗殺騎士ドミニクス・ファン・ボッセも討ち取られた。

 ―俺もこのまま騎士術を使っとったら、持たへんな

  ―旗騎士といい、さっきの戦闘狂といい時間を取られ過ぎたわ

   ―まだ門も落とせてへんし、いい加減終わらせんと・・・

 焦りながらも、ゾンネンフェルトはフェリクスのことを注意深く観察した。

 両手で握った長剣を、足を肩幅よりも少し開いて構えたその姿勢は、剣の型でも最も基本的なものであり、そしてゾンネンフェルトの経験上手早く仕留めたい相手としては、面倒な型だった。

 攻撃に全力を挙げた型なら、隙をつけば一撃で終るし、防御に全力なら、こちらに攻撃してこないので、いくらでも策を練れる。だが基本型は、一定のレベルの攻撃と防御を行える。その利点は、かつて相手にした男から嫌と言うほど知らされていた。

「レネ・ラフェンテの弟子か」

「!・・・なぜそう思う?」

「ソックリや。腕の角度も、少し引いた右足も。あの男に」

 言うが早いか、フェリクスの左右と後方に一体ずつ分身を作りだすと挟み撃ちにする形で斬りかかってきた。

 逃げ場はないと意気込むゾンネンフェルトだったが、その身を強烈な横揺れが襲った。

「『氷河地震(ひょうがじしん)』!!」

 ドカンという大きな音共に地面にひびが走り、立っていた地面が急激に傾斜する。

 ―アカンっ!!

 瞬時に無事な場所にいた分身と入れ替わったが、背後にはマグマの柱が迫っていた。

「っ!?」

「アンタの技は読んでるぜ。他の分身と本体が地割れに落ちたら、この分身と入れ替わるしかないよな」

 目の前に立っていたフェリクスが、ジャキッと構えた剣をゾンネンフェルトに振る。

 瞬時に、ゾンネンフェルトも新たに分身を作りだしてフェリクスを八つ裂きにしようとしたが、しかし彼はそれすらも予想していたように笑った。

「読んだって、言ったろ?・・・『飛烈陣風(ひれつじんぷう)』」

 フェリクスの振った剣から飛んだ血が、猛烈な風を呼び起こしてゾンネンフェルトをマグマの柱へと吹き飛ばした。

 決死の表情で藻掻きながらも、灼熱の赤い海へと消える彼に、フェリクスは目を瞑って十字を切った。

「・・・一瞬で熔ける。痛みはないさ」


 ―・・・終わった

  ―スヴェン(このバカ)を衛生兵に渡して

   ―早く、ジェーンのところへ行かねぇと・・・!!

 胸に挿した十字架のペンダントを抜いて、包帯を手早く巻くと、目を瞑って気絶しているスヴェンを背負い上げようと彼に手を伸ばした。

 その肩を突然、刃に貫かれた。

 ―!?

 慌てて振り向いたその先には、焦げた匂いを充満させながら、全身に火傷を負ったゾンネンフェルトが息を荒くして立っていた。

「アカンなぁ、ガキンチョ。人殺す言うときは、首をその手で捥ぎ取らな・・・死んだかどうかはわかりゃせんやろが!!」

 一閃された剣をすんでのところで躱し、再び十字架のペンダントを胸に突き刺す。

 ―マジかよ・・・!!

  ―どうやってあのマグマから生還したんだ!?

「『赤吼天融(せっこうてんゆう)』!」

 血を地面に滴らせ、自分とゾンネンフェルトとの間に再びマグマを噴出させる。

 ―どうやったにしろ、いったんこれで体勢を立て直し・・・

  ―ッ!!

 彼がどうやってマグマから脱出したのか、フェリクスは目にありありと焼きつけさせられた。ゾンネンフェルトは分身が次々と召喚すると、それが完全に熔け切る前に体を踏んでマグマの海をこちらへと渡ってきたのだ。

 さらに途中剣を少しだけマグマに浸して、ドロリとしたその赤熱の液体をフェリクス目掛けて投げつけてきた。

「クッ!」

 無数のそれが掠める場所を、予力で予想したはいいが如何せん数が多すぎる。ピトッと二、三滴が体に付着し、ジュッという音を立てて体に激痛が走る。皮膚が、肉がドロッと熔け落ちた。

 勿論、マグマの上を通るという荒業に出たゾンネンフェルトも無傷ではない。ゴポゴポと爆ぜるマグマの泡に体の至る所を削られている。それでも彼は決死の表情でその海を突破すると、マグマの雫に苦しむフェリクスに剣を振った。

 ―クソッ!

 血をばらまき周囲の温度を一気に下げるが、それでもゾンネンフェルトが足を取られるほどの氷が発生するのには間に合わなかった。受け止めた剣とゾンネンフェルトの剣が火花を散らし、力負けしたフェリクスが大きく姿勢を崩す。

「ッ!」

「こないなことで、一々驚い取ったら・・・埒が明かんで!」

 間髪抜かず、生み出された分身が崩れたフェリクスを斬りつける。

 飛ぶ鮮血に歯を食いしばって耐えたフェリクスは地面を蹴って、ゾンネンフェルトから距離を取った。

 だがそこでも背後に突如として現れた分身に背中を斬られ、そちらに剣を振ると今度はまた別の場所から攻撃された。

 ―いいようにやられてる・・・!

  ―でも、体勢を立て直す暇がねぇ!!

 高熱の血を当てて散らそうにも、ゾンネンフェルト本体にダメージが入らなければ意味がない。分身に当てて倒せたとしても再び出現するだけだし、本体に当たるとしても、ゾンネンフェルトの予力では寸前で察知されて分身と入れ替わられてしまう。10体分身を作りだすと言うと単純な騎士術のように聞こえるが、実際に相手取ると非常に厄介な能力だった。

 ようやく猛攻が終わり、全身血まみれで地面に伏したフェリクスの前では、ゾンネンフェルトが口から出た血を拭いながら、肩で息をしていた。もうだいぶ血を使ったのだろう。彼の顔も青白く、足取りもフラフラとおぼつかない。

 しかしそれ以上にフェリクスも重症だった。全身傷だらけで、倒れたその姿は血の海に沈んでいるかのようである。

「ハァ・・・ハァ・・・俺の勝ちや。・・・もう終いにしようや!」

「・・・そうだよな。アンタは勝ちたいんだ」

 見下ろすゾンネンフェルトにそう言いながら、フェリクスは指をピクリと動かし、力が腕へと足へと伝わって、ついには再び立ち上がった。

「でもな・・・俺だって勝ちたいんだ!」

 そのフェリクスの顔を見て、ゾンネンフェルトはこめかみに血管が浮き出るほどの怒りが沸き上がるのを感じた。それは()()()()を思い出したからかもしれない―

「やめろ言うとるんじゃ!!お前じゃ、俺には勝てん!」



30年前

「あかんわ。お前、甘すぎる。そないな目で、気持ちで、勝てる戦いは無い」

 ブンと振られた木剣をよけきれず、トテテと地面を転がる。

「何かを守りたいとか、何かを超えたいとか、そんな気持ちは肉弾戦にはいらんのじゃ。勝ちたい理由としてそれを思うんは大切やけどな、その心は勝利には一ミリも近づかせてくれへん」

 母を亡くし男手一人でゾンネンフェルトを育てる傍ら、軍で下士官として勤めている父は、騎士では無いものの当時従騎士だったゾンネンフェルトよりもずっと剣の腕が達者だった。

「勝つためには、“鬼”になることじゃ」

 砂ぼこりを払って立ち上がるゾンネンフェルトに、父は分厚い胸板を叩いて「身も心もな」と言った。

「鬼は責任だの、守るべき対象だの、戦略だの、そんなモンを一切合切捨て、ただ目の前の敵を打ち破ることだけに全力を注ぐ。鬼に勝てる奴なんかおらへん」

 父の言葉は誰よりも重かった。それは彼の長い軍人としての経験が、言葉に真実味を加えていたからだ。

 一兵卒からたたき上げとして下士官の長となっていた父は、いつも立派な勲章を胸につけていたが、しかし彼の顔はいつも暗かった。誰よりも戦場に長くいて、誰よりも多くの死線を潜り抜け、そして誰よりも多くの人を看取ってきた。

 そこから学んだことは一つ。いくら自分の使命に命を燃やし、目を輝かせていたとしても、それは何の役にも立たないということ。

 作戦を立案する参謀や、部隊を指揮する指揮官ではなく、実際に銃を撃ち、銃剣を突き刺し、銃床で殴りつけ、己の拳を武器に戦った父にとって、まさに“鬼”になることこそ、勝つための要因だったのだろう。

 軍人としての才能を父から受け継いだゾンネンフェルトは、やがて士官学校を卒業し、父とは異なる指揮官への道を歩み始めた。それには部隊を動かし、そして国に勝利を呼び込む為に、責任や守るべき対象、戦略といった父の捨てたものが必要であったが、しかし幸か不幸か騎士としての力にも恵まれたため、父の言う“鬼”になれという言葉も同時に骨身に染み込んでいった。

 そして彼の捨てた部分をかき集めて大将となり、彼の言葉通り鬼となって偉大な騎士の座を手に入れた。



 だからだろう。目の前に立つ、今にも死にそうなのに目をランランと光らせて、様々な気持ちを携えたまま、勝利を求める少年の姿が異常に腹正しかった。


「勝てるわけないやろがい!!」


 あれは勝つ者の目ではない。


「俺が勝って、お前が負ける。それがこの戦いの結末や!!」


 鬼になった自分こそ、絶対的勝者。


「これで終いや!!」


 負けるはずがない!


「『十葎一閃(とりついっせん)終架(ついか)』!!」


 十人分の力が剣に集約され、全てを打倒す一撃を少年に放つ。

 最強の技は今度こそ、何の妨害も未練もなく放たれた。


 迫る剣を、フェリクスは血だらけの手のひらで受け止めようとした。

 それは防御の本能から反射的というわけでもなく、破れかぶれの思いからでもなく、そしてその剣が今まで最も強い威力を持っていることを知った上での行動だった。

 失敗すれば腕が飛ぶどころの話ではない。体が一瞬で塵と化かすような、圧倒的な一撃。

 だがそれに手を伸ばしたのは、ひとえに勝利を手に入れる為だった。

 剣が手のひらに溜まった血に触れたその瞬間、フェリクスは一気に血の温度を上げた。鉄がドロリと熔けるところまで。

「俺はこんなところで負けていられねぇんだ!!」

 素早く手を引くと、体に迫る剣が真っ赤に発光する。地面を蹴って半歩ゾンネンフェルトから距離を取った時、剣だった鉄の塊は刀身が液体となって地面に滴り落ち始めた。

「アンタを倒して!!」

 引いた手を今度は大きくゾンネンフェルトに振って血を飛ばし、地面に垂れた血と温度を操作して炎の蜃気楼を作りだす。目を大きく張り、反射的に幻の炎に対して両手で身を守ろうとしたゾンネンフェルト。フェリクスは彼が分身を作りだせぬその隙に、大きく振りかぶった剣を叩きつけた。

「ジェーンを守りに行くんだ!!!」


 ―ああ

  ―この目に負けたんやね・・・

   ―おとん・・・


 父の戦死を伝えられたのは、ゾンネンフェルトが中尉の時だった。

 とても信じられなかった。

 鬼が死ぬことなんてないと思っていたから。

 「一体だれが!?」と上官の制止も振り切り、父が死んだ前線に行って指揮官を問い詰めた。

 敵の部隊はまだ訓練を終えた補充兵ばかりで、一方的な戦闘になるはずだった。だが彼らは何度砲撃をしようが銃弾を浴びせようが、決して挫けることなく、護国のために目をキラキラと光らせて、部隊を、父を打ち破った。

 それは鬼の敗北だった。鬼が最も嫌い、不要としたものに敗北した。

 それを聞いても、理解しても、ゾンネンフェルトは信じたくなかった。

 鬼は最強。負けは無い。父は鬼。絶対に勝つ。

 だから今度は自分が鬼になって、絶対に負けないということを証明したかった。

 そうしないと、自分を育て上げてくれた、父を否定してしまうから・・・


「ごめんな、おとん・・・」



 地面にゆっくりと崩れ落ち、しばらく痙攣していたものの、やがてその動きも緩慢になり、遂にはピクリとも動かなくなった。

 フェリクスは開いたままのゾンネンフェルトの瞼を閉じてやると、自分の羽織っていた騎士団のマントを彼にそっと被せた。

「・・・アンタも、守りたいものがあったんだよな・・・」

 彼の遺体に十字を切ると、横たわったスヴェンを抱え上げて、静かにその場を去って行った。


 2020年分の更新は本話が最後になります。

 四月下旬から始めた掲載がまさかここまで続くとは思っていませんでした。これもすべてお読みいただいている皆様のお陰です。ありがとうございます。

 来年もできる限り続けていきたいと思っておりますので、どうかお付き合いいただければ幸いです。


 それでは皆様、よいお年をお迎えください。

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