3-11 Sorry, I am Wolf Boy.
身も心も鬼になれ 戦士も罪人も逝くのは地獄なのだから
―――――――――――――――帝国陸軍大将 バルトロメウス・ゾンネンフェルト
15年前
「バーカ!貴男は稀代の大馬鹿ものね!」
「う・・・そ、そうだよね・・・ボク・・・」
通りをズカズカと歩くティサの言葉に、傍らでひどく縮こまった茶髪の少年がいっそうのその身を小さくする。
それに無性にイラっとした。いつもそうだ。ロンディニウム伯の三男として、立派な血統の持ち主なのに、誰に対しても腰が低く、貶され様が何をされようがヘラヘラと笑ってごまかしている。
「それがダメなのよ!いつもいつも、貴男はこっちにビクビク、あっちにビクビク。男なら、もっとこう・・・“ガツン”と、そう“ガツン”としてなさいよ!」
「そ、それを言うなら、“どっしり構える”なんじゃ・・・」
「うっさいわね!メンチをキレって言ってるのよ!!」
「だいたい、貴男はこの長ったらしい前髪を・・・」と言って、彼の目元まで伸びた前髪を持ち上げようとして、慌ててその手を止めた。
昔同じようにして、彼の瞳を覗いたことがある。
真紅。
ルビーのように濁りが無く透き通り、燃えるようでいてしかし触れても熱くないような、とても神秘的な赤。
それが彼の隠していた瞳の色だった。
「ボクは目の色がおかしいから・・・」と、ティサの手を振り払って前髪を直す彼に、
「そんなことない!」
と言い返したのを覚えている。
そしてそう言いながら、彼に「でも・・・今の前髪のままでいいわ」と言ったことも覚えている。
なぜなら、それを誰にも知られたくなかったから。
私だけ知っている、彼の秘密にしたかったから。
幼かったからこそ、うまく言葉にできなかったあの感情を、昨日のことのように覚えている。
「や、やっぱり・・・切った方がいいのかな・・・」
「はあ!?」
少年の言葉に、ティサは「当たり前でしょ!」と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。言ってしまえば、ティサの気持ちに気づいた少年が離れて行ってしまう気がした。いや、そう自分の中で思い込んで、結局一歩踏み出す勇気がなかっただけだ。
「くっ・・・き、切っても貴男には似合わないわよ!!」
「え、で、でも、切れみたいなことをさっき・・・」
「うっさい!・・・うっさいうっさいうっさい!!!バーカバーカ!!」
叫ぶだけ叫んで、ティサは走り出した。
「ま、待ってよ・・・!」と叫ぶ少年を、グングンと突き放して、ロンディニウムの街中を無茶苦茶に走り回った。
そうして心の中で誓った。
明日こそ・・・と――
だが、そんな毎日に唐突終止符が打たれた。
美しいドレスに身を包んだティサには似合わぬ、かび臭く屋根に大穴の空いた廃工場。
布で猿ぐつわをかまされた彼女の前には、見覚えのない体格のいい男がピストルを弄んでいた。
一見すると、ただの荒くれ者のようであるが、身に纏う着物は不自然に汚れ、また仕草も民衆のようではない。恐らく、どこかの貴族の召使い、それも特殊なことを担当するような者なのだろう。ティサを白昼堂々、通りで攫う手際の良さからも、手練れであることがよくわかる。
当然、そんな者に目を付けられるだけの価値がティサにはあった。
信仰という強大の力を振りかざし、他権力を圧倒する十字教会。その中でも上位に位置する枢機卿の一人が、ティサの父であった。教会を快く思わない伝統的な貴族の一人が、圧力をかけるためにティサを誘拐させたのだろう。
ティサ自身もいつかはそう言うことが起こるかもしれないと思ってはいたが、実際に起きると抵抗も何もできなかった。
あるのはただ、“恐怖”。
時間を潰す必要があるのか、タバコをふかすその男は、人のかたちをしているのに人非ざる者のように見えて震えが止まらなかった。
そして最悪なことに、男は少女にも迫る性癖だった。
十字教会の教えにこうある。
「未婚の淑女は須らく皆“純潔”でなくてはならない。」
聖職者である両親に倣って、ティサも篤く信仰していた。
そして当然のことながら、教えを堅く守っていた。
男が一息ついた時、ティサの涙は枯れていた。
頬にそれが伝った後が残り、ガチガチと歯が音を立てていた口は放心したように開いたままだった。
瞬きすらできなかった。
逃げようとする気力すら湧いてこなかった。
ティサは自分に起きたことが信じられなかった。
プハァと水筒から煽るように水を飲んだ男は、再びティサに迫ってきた。欠けた前歯を剥き出しにした、下卑た笑いを携えて。
屈んだ男の頭から、ゴッ!という鈍い音が響いてきた。男は短い悲鳴を上げるとそのまま地面に突っ伏した。
後頭部からどす黒い血が地面へと流れ出る。それを避けようともせず、バシャっと踏みつけてティサに駆け寄ったのはあの少年だった。
ティサのよく読む物語ならば、姫の窮地に王子が駆けつけ、最後は抱き合ってめでたしめでたしというのが大筋のストーリーである。
だが現実は非情だった。
手に持ったレンガを放り投げ、一度はほっとした顔をした少年だったが、ティサのドレスに染み付いた血を見て、表情を一変させた。
彼は膝をワナワナと震わせて、その場に崩れ落ちた。それはティサや男への恐怖というものでは無く、自分への絶望からだった。
そんな少年の様子を見て、ティサは慌てて身を起こすと、彼のことを抱きしめた。ギュッとギュッと抱きしめた。それは不安からというものでは無く、自身の贖罪のためだった。
絶望と贖罪。言葉にすると相いれない単語であるが、しかし二人が思っていたことは同じだった。
愛する者を守れなかったことへの、深い深い後悔。
絶望した彼は、ティサが止めなければ自ら命を絶っていただろう。
ティサもまた、彼が自分を抱きしめていたら、貞操を守れなかったことに絶望し、精神が破壊されていただろう。
そして何よりも――もう二人は愛を誓うことが出来なくなった。
だが死ぬこともまた許されなかった。
どちらもティサにとっては神の怒りに触れる行為であり、もしこれが神からの試練と言うのであれば、それを乗り越えねばならなかったからだ。
「ティ、ティサ・・・ボ・・・ボク・・・」
「ダメよ、生きるの・・・!・・・自死は生を与えし神への冒涜よ」
少年の唇に震える指を押し当てた。
「この気持ちも、心の中にしまい込むの。そして・・・死ぬまで生きる」
「で、でも・・・ボクは・・・」
「また、神の国で会うの。今度こそ、そこで・・・」
少年の頬に手を添えたティサを、彼はその真っ赤な瞳で見つめた。
「約束よ・・・!私も貴男も死ぬまで生きるの、ウィル」
「・・・う、うん。・・・向こうの・・・世界で・・・ティサ」
その後、ティサは両親の下を去った。
そして、皮肉にも流した血によって自らの力を顕現させた彼女は、近衛騎士となった。
騎士として再会を果たした少年は、少し驚いていたものの、あの事件はまるでなかったかのように触れなかった。
ただ、「ボクは約束を果たす」とだけ、力強くティサに言った。
―そうよ
―何が「もう、だめ」よ
「バカじゃないの!?」
叫んで立ち上がったティサに、ゾンネンフェルトは目を剥いた。
それも当然だろう。肺を貫かれ、一度は膝をついた敵が再び立ち上がったのだから。
「こんなところで弱音吐くなんて、バカなのは私ね」
「・・・なんや思いだしたんかいな?」
「“死ぬまで生きる”って約束を、思いだしただけ・・・よっ!!」
言うが早いか分身の刃を掻い潜って、ティサはゾンネンフェルトの本体に迫った。
「っ!?・・・なんぼオジサンのこと好きや言うても、抱きつくんは勘弁しいや」
自分に飛び掛かろうとするティサに剣を振り下ろしながら、ゾンネンフェルトは「それに」と言葉を続けた。
「なんぼ方法考えても、ここで死ぬんは“ねぇちゃんだけ”や」
ティサはその剣を避けようとしなかった。ざっくりと肩の奥深くまで刃が入り込もうと、もうそれに気を遣う余裕がなかった。
代わりにゾンネンフェルトの胸ぐらを掴むと、自身の最大の技を発動させた。
「『千条渦龍塒』」
晴れ渡っていた空に暗雲が立ち込め、凄まじい突風が大地を舐める。
ティサの後方に突如として出現した巨大な竜巻は、敵味方関係なくあるものすべてを巻き込みながら、二人に速度を上げて近づいてくる。
その荒々しい自然の脅威そのものに、ゾンネンフェルトは背筋がゾッとするのを感じた。
「死ぬのは私だけ?」
「ハッ、笑わせないでよ!」
「アンタもここで死ぬのよ・・・!!」
―先に・・・
―逝くね
―ウィル・・・
目を瞑ったティサの前で、ゾンネンフェルトはただ突っ立っていた。
逃げ場のないこの状況で、死を受け入れたのか、はたまた絶望に打ちひしがれたのか。
最初はそう思っていたティサだったが、しかしそれにしても何の反応も示さないことに違和感を覚えた。目を開いて前を見ると、ゾンネンフェルトは冷や汗を流しているものの、どこか余裕の表情だった。今もう体が浮き上がり始めているというのに。
「・・・すまんなぁ」
「?・・・誰に対してよ?」
「ねぇちゃんにや。オジサン、またウソついてもうた」
―っ!?
ゾンネンフェルトの言葉に、静まり返っていたティサの心は俄かに波立ち始めた。
もうここで相打ちすると思っていたから。もう別れも済ませたから。
そんなティサをあざ笑うかのように、彼女と共に竜巻に呑まれながら、ゾンネンフェルトは言い放った。
「俺のあだ名、知ってるやろ?」
「っ!?」
―“不死身”のゾンネンフェルト・・・
どうしてそんなあだ名がついたのか、戦っている最中ティサはわからなかった。
強いて言うなら分身をいくらでも生み出すことから、不死身というややアバウトなあだ名になったのかと思っていたが、風に舞う中でティサの目が捉えた、地上でこちらに手を振る男を見てその意味がようやく分かった。
「また会お。地獄で」
地上に立つ、“腹部が切られた”ゾンネンフェルトはそう言って笑った。
―分身は傷が無かったはず!
―まさか、分身と本体の入れ替えが可能なの!?
―だから、不死身・・・
―・・・ちくしょう
ティサは天高く舞い上がりながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
第一門で迫りくる帝国軍にピストルを撃ちながら、ウィルバルフ・エスクロフトは第三門から上がった巨大な竜巻に目を向けた。
彼の目元まで覆う茶髪の影から覗く、赤い瞳がそれをじっと見つめる。
「ティサ・・・?」
乾燥でカサついた唇から、掠れたような声が漏れ出た。
―間接発動ならただの分身
―直接発動なら入れ替え可能な分身
―そうやけども、早うやっとかへんかったら、どれも巻き込まれたやろうな
消えていく竜巻を眺めながら、ゾンネンフェルトはティサの能力に舌を巻いた。
「ちょうど六分。・・・ホンマ、強いねぇちゃんだったわ」
懐中時計をちらりと見て、副官の方へ歩き出す彼は、突然背後から鋭い殺気を感じ取った。
―面倒やなぁ、もう
素早く剣を引きぬいて、振り下ろされた二本の刃を受け止める。
「なんやァ、ワレぇ?俺ぁ、忙しいんやけどな」
ただでさえ五分と約束したのをオーバーして苛立っていたゾンネンフェルトは、更なる敵襲に怒りを隠そうとしなかった。
「そうかよ、悪ィな」
「安心しろって。すぐに終わらせてやるよ」
フェリクス・カウフマンとスヴェン・エルマンデルは、そう言ってゾンネンフェルトに笑いかけた。




