3-10 影法師
迎えに来てよ 貴男がいないと歩けもしない
手を貸してよ 貴男がいないと何もできない
一緒に行こうよ 貴男と共に行きたいから
――――――――――――――近衛騎士団アルピーニ 旗騎士 ティサ・カーマイン
「ハッ!笑わせないでよ」
ティサ・カーマインが男の胸ぐらをつかんで笑みを浮かべる。
彼女の顔は、血で真っ赤に染まっていた。
「アンタもここで死ぬのよ・・・!!」
数分前
脱出路を使って、侵攻してきた帝国軍の中腹を奇襲した教会軍と騎士団だったが、その一方で帝国軍の先鋒は既に城門まで到達していた。そこが突破されてしまえば、戦火は街にもおよび、作戦も水泡に帰す。
教会軍が多く配備されているのは勿論、帝国軍の騎士や騎士将軍に備えて、旗騎士を始めとした騎士たちも防御についていた。
その騎士たちの指揮を執っていたのが、旗騎士ティサ・カーマインだった。
「・・・化け物ね。防御線にこんな風穴開けるなんて・・・」
目の前に広がる、シュクロアフスキーの作った道に、ティサは唇を噛んだ。
一路皇城へと迫りくる帝国軍は、既に目と鼻の先まで迫っていた。城壁に備え付けられた大砲が火を噴き、ロケットも発射されるが、その足は止まらない。
城門前の陣では兵士たちが十字を切っていた。ひとたび戦いが起これば、どちらかが勝つまで終わらない。
ティサも首から下げた十字架のペンダントにそっと口づけをした。
―この戦いが終わった後も
―きっと貴男と・・・
指揮官の号令に、兵士たちが構えたマスケット銃の引き金を引く。
耳をつんざく銃声の中、剣を手にティサは戦いに身を投げた。
一人二人と敵の兵士を倒していると、帝国軍の渦の中に、ひときわ目立つ男がいるのに気づいた。馬上で指揮棒を振り、指示を飛ばす指揮官風のその男は、中肉中背で決して何か特別な身体的特徴があるわけでもなかった。
だが騎士には分かった。例え壺に入れて厳重に封をしたとしても染み出してくるような、彼から漂う死臭。
「あかんあかん。あんな城門、さっさと落としい!・・・おっ!」
彼もこちらを見つめるティサの存在に気づいたようだった。
「なんやァ?えらい怖い目つきやなァ。あのオンナ」
どっこいしょと馬から降りた男は、傍にいた副官らしき将校にポンッと指揮棒を投げた。
「指揮取っとけぇ。俺ァ、仕事や」
「ハッ!どのぐらいでお戻りになりますか?閣下」
「そうやなぁ・・・」
頭のてっぺんから足の指先まで、ティサの体を舐めるように見つめた男は、少し笑って副官に答えた。
「5分・・・ってとこやな」
「騎士のねぇちゃん。出張ってもろうて悪いんやけど、オジサンあんま暇やあらへんねん。ちゃっちゃと始めて、パパッと終わらせようや」
ポリポリと頭を掻きながら近づいてきた男に、ティサは剣を向けた。
―騎士大将、バルトロメウス・ゾンネンフェルト
―“不死身”と呼ばれる男か・・・
―騎士術の詳細が不明
―まずは一太刀、確実に決める
グッと足に力を入れるティサに、ゾンネンフェルトはベルトから引き抜いたピストルを向けた。
「気だるいし、剣を抜きたやないんや。すまんなァ、ティサ・カーマインちゃん」
通常騎士の一対一では銃は役に立たない。予力でその弾道が読めてしまうからだ。旗騎士や騎士将軍といった実力者同士ではなおさらである。
だが、騎士将軍のゾンネンフェルトはピストルを抜いた。旗騎士のティサに向けて。
―言葉や態度でこちらを油断させ
―一気にカタを付けるつもりね
―来るッ!!
銃弾ではない。
ティサが予力で捉えたのは、面倒くさそうな言葉や、浮ついた態度とは裏腹に、周到に仕組まれたゾンネンフェルトの “逃げ場のない攻撃”だった。
ピストルから弾丸が発射されたと同時に、そのへらへらとした構えから瞬時にティサへと斬りかかる。
―弾丸を避ければ剣で
―剣を避ければ弾丸で
―左右も上下も逃げ場がない・・・!!
―前に進んでも後ろに下がっても意味を成さない・・・!
一瞬で作り上げられた、絶体絶命の窮地。
ティサは対峙するゾンネンフェルトとの、圧倒的な経験の差を嫌と言うほど思い知らされた。
だがここで諦めるわけにはいかない。ペンダントを胸に突き刺し、息を吸う。
「・・・『白龍の天昇り』」
突然、ゾンネンフェルトの視界が反転した。
いや、周りにいた兵士たちや構造物は元のように、つまり視界の上にある。
首を傾げるゾンネンフェルトだったが、今度は抗いようのない力によって、ティサを中心に宙に浮いたままグルグルと回転し始めた。ハンマー投げの鉄球のように放り投げられた彼は、何とか受け身を取って着地する。
「剣を抜きたくないなんて見え透いたウソ、次ついたら死ぬわよ」
睨みつけるティサに、擦りむいた肘を撫でながらゾンネンフェルトは不敵に笑った。
「・・・おーこわ」
―あーあ
―一発目で決めよう思てんけど、躱されてもうた
―これじゃ、部下に軽々しく「早よせぇボケェ」言えへんやんけ
情報にあった通り、風、いや竜巻のようなものを使ってきたティサだったが、実際に喰らってみて感じるその強力さ。そして言葉や態度で騙しても、瞬時に動きを読んでくる予力。
―流石は旗騎士やね・・・
もっと簡単に片付くと思っていたが、考えを改めねばならないようだと、ゾンネンフェルトは首を振った。
―せやけど、あの様子だと俺の騎士術は知らんみたいやし
―末恐ろしい若い芽は、早いうちに摘んどくモンじゃ
ダッと駆け寄り、剣を交わらせる。
右手に左手にと剣を持ちかえ、猛攻を仕掛けるゾンネンフェルトに、ティサは左足を軸に、右足を前に出したり後ろに引いたりで、一定の間合いを保ったまま確実に対応してきた。
―なるほどなァ
―こら、適当にやっとったら埒が明かんわ
―タイミングをずらせばどや?
剣を振り下ろした隙に、兵士が落としたのであろう、地面に転がったピストルを拾い上げる。服と体の影になってティサには絶対に見えないそれに、弾丸が装填されていることを手早く確認した。
剣を振ると見せかけて、突き出したピストルにティサは大きく目を開いた。火打石が火花を散らし、硝煙と共に弾丸が銃身から吐き出される。
横に動くか、身を屈めるかと踏んでいたゾンネンフェルトにとって、彼女が次にとった行動は想定外だった。
端的に言うと、彼女はその場で跳んだ。
ただジャンプしたのではない。瞬時に天高く空へと飛びあがったのだ。
同時にゾンネンフェルトの体に強烈な風が襲い掛かった。
―竜巻で飛び上がりよったんか!
―なんて大胆なオンナや!!
顔を守ろうと交差させた両腕の隙間から、空のティサを見上げる。
その目に映ったのは、もう眼前まで迫った彼女の姿だった。剣を横に大きく振りかぶり、自分に斬りつける。
なんとか剣で防御しようとするゾンネンフェルトだったが、予力ではもう見える未来は一つだけだった。
―ッ!
―あかんっ!
鮮血が宙に飛ぶ中、小さな竜巻を発生させ、衝撃を和らげて着地する。
すぐさま振り返り、ゾンネンフェルトに剣を向けるが、目の前の彼は思っていたほどダメージを受けていなかった。
腕ごと首を刎ねるつもりが、直前に後ろに足を引いたのか、腹部を斬りつけられるにとどまっている。
―クッ!
―あの一瞬で・・・!
臍を噛むティサだったが、しかしそれでもゾンネンフェルトの傷は深いようで、腹部を押さえる彼の顔は青白く、額に脂汗が流れていた。
―今なら・・・いける
―ここでとどめを刺す!
よろよろと剣を構えるのもおぼつかない彼に一気に駆け寄り、弱々しい力で振られた剣を躱す。
グッと引いた剣を、ゾンネンフェルトの胸に思いっきり突き刺す――はずだった。
「・・・悪いなぁ。 “逆” やで」
目の前でゾンネンフェルトが笑ったその瞬間、突然背中を何かが一筋に撫でた。直後に鋭い激痛がティサの体に襲い掛かる。
―なっ!?
―後ろから!?
歯を食いしばって振り向き様に剣を振るう。
ティサの目には、それを「ヨッ」と言いながら躱す、余裕綽々といった様子のゾンネンフェルトの姿が映った。
―馬鹿な!?
―二人!?
愕然とするティサを前に、ゾンネンフェルトも内心彼女の力に驚いていた。
―強いとは思い直したけど、まさかここまでとは思わんかったわ・・・
「カァー、恥ずかしいったらあらへんのう」
「何が・・・?」
「ねぇちゃんのこと、“五分で倒す”って大見得を切ってもうてん」
両手を上げて「あーあ」と呟くゾンネンフェルトに、ティサは虚勢を張って笑った。
「・・・倒せないって事かしら・・・?」
それをゾンネンフェルトは鼻で笑うと、チッチッチと人差し指を横に振った。
「確かに強いけどなァ・・・プラス一分でカタはつくで」
そう言った彼の背後から、さらにゾンネンフェルトが一人二人と現れた。
青い顔をするティサが、さらに嫌な予感を感じ後ろを見ると、傷を負ったゾンネンフェルトの周りにもまた、彼が二人出現している。
「戦いで大切なんは、知恵と数やで」
―どういうこと・・・?
―・・・幻覚?
―いや、なら実体がないはずだわ
―私は確かに後ろから斬りつけられた
―ということは・・・
―自分自身を増やす騎士術
―分身か・・・
―恐らく本体は、傷負ったアイツね・・・
今はまだそれだけしか分からなかった。
ティサを取り囲むように周囲には“六人のゾンネンフェルト”。一体どこまで増やせるのか?本体との差異は?同時に操れる数は?・・・
分からないことだらけであるが、ティサが今できるのは戦って理解することだけだった。
熱さを感じる背中の傷を耐えながら、深呼吸をする。「勝てないかも」だの、「帰れないかも」だの、唐突心に湧いた負の感情を拭いはらった。ただ、「貴男に会えない」ことだけが、チクリと刺さったまま消えなかった。
剣を手に、まずは身近な一人に斬りかかる。この状態でなお向かって来るとは思っていなかったようで、そのゾンネンフェルトは驚いたような顔をしながらも、何故か防御をしなかった。
一閃したティサの剣がゾンネンフェルトの胸を大きく切り裂き、艶やかな朱色の血が弧を描いて舞う。ぐらりと倒れ掛かった彼は、まるで体が砂になっていくかのように、サラサラと空気に溶け込んでいき、やがて完全に消え去った。
―なるほど
―こうして消えるだけなら防御は必要ないって事ね
―そして・・・
―消えた分身は“また出現する”
振り向いたティサの前には、傷を負ったゾンネンフェルトを守るように、四人の分身が円陣を敷いていた。そして彼の後ろから、ティサが斬り捨てた分、再びもう一人の分身が現れた。
「・・・嫌にならないのかしら?」
「何がや?」
「分身とはいえ、自分が死ぬのを見るのが、よ」
「私ならゾッとするわ」と身震いするティサに、ゾンネンフェルトはあっけらかんと「慣れたわ」と言い放った。
「そんなん気にしたかて、なんも変わらんわ。俺が死ぬんちゃうんやしなァ」
六人が一斉に口を開くと、中々の威圧感である。その一方で、一秒たりともズレの無いその言葉に、人間とは異なるものへの恐怖感がティサの中で沸き上がった。
不気味なまでに精巧に作られた人形が、あたかも人間かのように動く。まるで子供のころに見た悪夢のようだった。
「ああ、せや。オジサン、最近物忘れが多くてなァ。ねぇちゃん、俺が今10人おるか、教えてくれへんか?」
ニヤッと笑ったゾンネンフェルトに、何か感じるものがあったティサは、立つ鳥肌を抑えながら慌てて予力を発動させた。そこで見えた、予想された未来は彼女をさらに震えさせた。
ティサの後ろには、新たに“四人のゾンネンフェルト”が出現していた。
胸を貫く、真っ赤に沿った剣を見て、ティサは自分の運命を悟った。
背中から入った剣が、肺を貫通して胸から顔をのぞかせている。
刺される直前で竜巻を発生させ、三人のゾンネンフェルトをかき消したが、それでも一人残った彼の剣は、こうしてティサに致命傷を負わせた。
歯を食いしばって、残った一人に剣を振るう。それを避けようともせず、ゾンネンフェルトは薄ら笑いを浮かべたまま血を吹き出し、やがて霧散した。
崩れ落ちそうになる体を、地面に剣を突き刺してなんとか耐える。
胸の名から、呼吸をするたびにゴポゴポと血が漏れ出る。息もヒューヒューと音を立てるばかりで、この息苦しさは欠片も消えない。
―もう・・・
―だめ・・・




