3-8 喪失、激情、殺意、伽藍堂
*本話には胸糞、グロ、リョナ描写があります。ご注意ください*
*性差別描写が含まれますが、差別を助長する意図はありません*
*作中に登場するいかなる思想や考え、言動も、あくまでフィクションです*
愛しているよ 心の底から
―――――――――――――帝国陸軍少将 アルフレッド・ベーヴェルシュタイム
「いいねぇ、そそる!!非常に良い!!“屹立”しそうだよ!!」
ひとしきり笑ってから、ベーベルシュタイムはカーラの頭を踏みつけ始めた。ガッガッと音を立てて、彼女の頭に軍靴を押し当てる。
「私はね、騎士というものが大嫌いなんだよ。君は何故、生物が雄と雌に分かれているかわかるかね?」
「・・・」
「神が完璧なものを作りたくなかったからだ。自分を超えるような完璧な存在をね。だから、人間も男と女に分かれている。そしてそれぞれにできることとできないことがある。だが、騎士はどうだ?男のみに許されていた圧倒的な暴力を、騎士術というものが君のような女にももたらし、あまつさえ男を使役する立場すら手に入れようとしている。遺憾の限りだよ」
徐々に狂気を帯び始めたベーベルシュタイムだったが、突然その足を止めるとゆっくりとジェーンの方に歩き始めた。
「あぁ、誤解の無いように言っておくと、私は公私混同はしない主義でね。クラウディア大将の命令は確実に果たすし、弟子のメルセン・コッカはもちろん、君の妹のナーシャ、いやアビゲイルにも手は出していないよ。そこだけは安心して欲しい」
「軍人としての私の評判は、もっぱらな忠実な将官として通っているんだ」と彼は加えた。
「だが私人としては別だ。戦へ向かう、またはそこから帰った我々に、本来なら首を垂れて奉仕すべき存在の君たちが、こうして剣を取って戦うことには虫唾が走る」
苦しそうに首筋を掻いたベーベルシュタイムは、いら立ちを紛らわすかのように、噛みタバコで溜まった唾液を地面に吐き捨てた。
「まぁ、その気高き心をへし折って、己の存在意義を分からせてやるという、新しい楽しみも発見したのだがね」
俯き、悔しさのあまり歯ぎしりしているジェーンの前に立ったベーベルシュタイムは、腰の鞘からエストックを引き抜くと、彼女のうなじにそっと先端を押し当てた。柔らかい肌が押されて窪み、やがて鋭さに皮膚が破れて僅かに血が滲む。
「その傷だ。辛かろう?なに、我慢することは無い。ここを一突きされればすぐに楽になるし、家族の下へも行ける。ユージーンに、リチャードに、アビゲイルに・・・母は何と言ったか・・・。ああ、そうだ、セイラだったな。鼻が高く、髪はサラサラで・・・。気品の漂う美しい女性だった」
「・・・」
「代わりに、無様に土下座してくれればいいんだが・・・」
ベーベルシュタイムの言葉に、ジェーンは押し黙っていた。
暫くの静寂の後、ベーベルシュタイムは面白くなさそうな顔をすると、「まぁいい」と言ってエストックをジェーンの頭上で構えた。
「さて、それでは・・・来世は力の無い女に生まれることを期待するよ」
手が震えた。
こんな男の命令で、両親が殺された。
こんな男に、カーラが殺された。
こんな男に―
アビゲイルが殺された。
ベーベルシュタイムの口から出た家族の名に、全身の毛が逆立つのを感じた。彼のあの口から名前が出るだけでも、思い出が汚されるような嫌悪感に襲われた。
亡くなったカーラの遺体を弄ぶ、あの男の黒板を引っ掻くような声が、掠れた呼吸の音が耳に響いた。
生臭い血の匂いを隠すかのように漂うあの男の香水の匂いが、鼻を衝いた。
もう何も考えられなかった。
誰の仇だとか、真相だとか、どうでもよかった。
もう何も感じられなかった。
右肩と左手の平に空いた穴も、右手の重さも、体に刺さった短剣も、首筋に触れるエストックの切っ先も、何も――
ただ、思っただけだった。
この男を、「ここで殺す」と――
一瞬。
まさに、その一秒にも満たない時間。
ベーベルシュタイムは何が起きたのか感知できなかった。
気づくと、エストックを握っていたはずの右腕が、それごと宙を舞っていた。
目を見開いて左手をベルトの短剣に伸ばす。
だがその手を伸ばした瞬間に、楔帷子を破って胸に剣が突き立てられていた。人間にとって致命的な臓器にダメージが入ったとは思えない、トッという非常に軽い音が彼の体に響く。
―っ!?
―馬鹿な!!
―腕は神経を穿ち、足には短剣が刺さっているんだぞ・・・!
―動けるはずがないっ!!
―それに・・・
―速すぎる!!!
ジェーンの上げた顔を見たベーベルシュタイムは、全身から汗が噴き出して、鳥肌が立つのを感じた。
彼女のその濁った瞳から、今までに経験したことの無いような、殺意を感じた。
骸骨が空っぽになった眼孔でこちらを覗き込んでいるような恐怖感。
勝利が確定していたはずなのに、それが僅か二撃で“敗北”に転じた。
ジェーンはただ殺すと考えただけだった。
右腕は肩に、左腕は手の平にそれぞれ穴が開いて、神経が切られて腕が、指が動かないはずだった。
わき腹と足に短剣が深く突き刺さり、立つことすら出来ないはずだった。
しかし、思ったその刹那、いつの間にかベーベルシュタイムに剣を突き刺していた。
―なるほど・・・
―氷で体を覆い、無理矢理動かしているのか・・・
―荒業だが・・・やはり筋が良い・・・
そう思いながら、ベーベルシュタイムの体はゆっくりと後ろに倒れて行った。
ドサッと音を立てて地面に横たわると、土埃が辺りを舞う。
―この状況・・・
―懐かしいことを思いださせるな
―メルセン・コッカ・・・
「あなたはどうしてそこまで性別に拘るのですか?」
弟子から問われた単純な疑問。
皮膚や肉は勿論、骨すら粉々に砕かれ、既に原形をとどめていない夫人の死体を蹴り続けていたベーベルシュタイムは、その足を止めて質問に「フム」と頷き顎を撫でた。
「中々考えさせられる、良い質問だな。愛弟子よ」
「お褒め頂き光栄ですが、愛弟子呼びはやめていただければ幸いです」
標的だったエルトリア公爵の遺体を少しずつ切り分けている、薄水色の髪が特徴的な弟子、メルセン・コッカの姿を眺めながら、ベーベルシュタイムは彼女の要望に「そうか」と興味なさげに答えた。
「例えば・・・そう、例えばだ。君は女性なので分からないかもしれないが、男というものは気に入らない相手とはすぐにケンカをするものだ。ぶつかったから、返事をしなかったから、顔が気に食わないから、何となくむしゃくしゃして・・・。要因は何でもいい。とにかく拳をぶつけて解決する。それが一番楽で確実な方法だ。勝てばすっきりするし、自分の優位を主張できる。負けてもそこからいくらでも学べる。中には拳を合わせて、友情を芽生えさせる者もいる」
「法だが、血統だが、最近は面倒だがね」とベーベルシュタイムは付け足した。
「だが、そこでどちらかに恋した乙女が、「ケンカはやめて!」と黄色い声を上げながら割り込んできたらどうかね。私ならば、ケンカ相手よりもまず真っ先に、その逆上せ上った女の喉を切り裂くね。端的に言って場違いだ。男一匹、今から喧嘩しようとしているのに、それを止めに入るだと?ふざけるのも大概にしろ。邪魔な存在でしかない」
いら立ちをぶつけるように、今度は夫人の腹部をベーベルシュタイムはガシガシと蹴り始めた。
「指をくわえて喧嘩を見守り、勝った負けたに関係なく、帰ってきた愛する者に尽くす。それでいいではないか。わざわざ割って入る理由はなんだ?そしてそれを推し進めようとするこの社会は一体なんだ?・・・それが答えだ、愛弟子よ。私は教えてやっているのだ。身の程というものをね。この女も夫人として世間を知らずに生きていればいいものを・・・」
「・・・では、私が弟子や帝国軍に所属する騎士でなかった場合は、そこの夫人のようになっていたと?」
二つ目の問いに、ベーベルシュタイムは無言で夫人から離れると、コッカにそっと歩み寄ってその細い首筋に、自身の枯れた細枝のような手を添えた。
「勿論だ。君のような“力”のある女性など・・・。この柔らかいシルクのような肌にナイフを差し込み、もがき苦しむさまを見ながら、ゆっくりと手の指先から背骨まですり潰す。その快感が素晴らしいのだよ・・・」
「先生・・・?」
徐々に強くなる手の力に、少し苦しそうな顔をしたコッカが不安げな視線をベーベルシュタイムに向けると、彼はすぐにパッと手を放した。
「もっとも君には一切そんなことしない。何せ愛弟子だ。目に入れても痛くはない。それに味方の女性は丁重に扱っている。・・・そもそも女性が嫌いなわけでは無いし、むしろ大好きなんだよ、私は。弁えない女も含めて、全ての女性を愛しているんだ、死ぬほどね」
死体の処理も終わり、火を放った豪邸を後にする。
ごうごうと音を立てて燃える豪邸を背に、コッカが三度目の質問をぶつけた。
「あなたは一般的にクズです、先生。大佐の地位にいなかったならば、今頃絞首刑だったでしょう」
「ククク、言ってくれるな。愛弟子よ」
「ですが、そんなあなただからこそ、いつか女性に負ける。剣も奪われ、抵抗もできず、最後に胸にナイフを突き立てられた時、どうするんですか?」
ベーベルシュタイムは高らかに笑って答えた。
「何もこの手でやらなくてもいいのだ。・・・声で、言葉で、心を折ってやるんだよ。最後の最後にね」
ひときわ大きな声で笑うベーベルシュタイムの顔は、まさに狂気そのものだった。
フー、フーと口で荒い呼吸をする。
今にも倒れそうになる体に鞭を討って、ベルトに差し込んでいた短剣を取り出す。ジェーンが伯父から受け継いだ、折れた仕込み剣から作り出した短剣。
それをベーベルシュタイムの首に押し当てた。細い短剣ならば、楔帷子の間を突き刺せる。
「ハァ・・・ハァ・・・全部・・・話せ!」
殺す前にやはり知りたくなった。
全ての、真相を・・・
なぜメルセン・コッカとドミニクス・ファン・ボッセが両親を殺したのか。
なぜ私をつけ狙うのか。
なぜ、アビゲイルを殺したのか――
「暗殺騎士が・・・そうボロボロと話すものかね・・・?代わりにいいことを・・・教えてやろう・・・ククク」
だがそんなジェーンを嘲笑うかのように、ベーベルシュタイムは笑いだした。
ゴポッと口からゼリー状の血を吐き出しながら、彼はあの下卑た笑い声を再び上げた。
「カッカッカ!・・・君の母親・・・。本当にあの家の下に眠っていると思うかね・・・?」
「っ?・・・どういうことだ!?」
何か嫌な予感がした。
彼が前に発した、母、セイラ・ファミリアエに関する言葉は、やたらと詳細だった。
まるで・・・その目でじっくりと見たかのように――
―まさか・・・!?
「ハハァ・・・君の母はとても美しかった。持ち帰らせた彼女は・・・冷たくなってはいたが、それでも十分なほどね・・・」
吐き気が込み上げた。
恍惚とした表情を浮かべるベーベルシュタイムの首に、ジェーンは短剣を刺し始めた。
「・・・余計なことは言うな・・・!!ただ、真相を」
「肌はきめ細かく・・・唇はパン生地のように柔らかい」
「・・・やめろ」
「・・・四肢は長くて細いのに・・・体はとても豊満で・・・」
「やめろ!」
「クハハハ!!・・・あぁ、今思い出すだけでもとても興奮する!!最高だッ・・・・ガッ!!」
気づけば短剣が柄のつけ根まで刺さっていた。
馬乗りになったジェーンの下で、ベーベルシュタイムの体がビクビクと痙攣する。
その揺れがジェーンにも伝わって、転がるようにして地面に倒れた。
気持ちの悪さから吐き出したが、出るのは血と胃液だけだった。
―クソッ・・・!!
地面を何度も殴りつける。
殺しても全く気持ちは安らがなかった。
むしろあの男の誘導されてしまったようで、逆に怒りがこみ上げる。
行き場のない怒りと、結局分からずじまいの真相。
気づくと手を無理矢理動かしていた氷も無くなり、再び体がズッと重くなる。
―ダメだ・・・!
―まだこんなところでは・・・!!
―私は・・・
なんとか力を振り絞ろうとするジェーン。
その頭を誰かの手がそっと撫でた。
「・・・ヴィーラン・・・」
「よく、頑張ったな」
従者時代からずっと大きく分厚く、それでも面影を残したヴィーランの右手が、ジェーンの頭を撫でる。
それがどこか、父や伯父に撫でられた時のように感じられて、ジェーンの心のざわめきをスっと抑えてくれた。
目を閉じ、時折「うぅ」と呻きながら僅かに震える彼女を、砲撃でへこんだクレーターの影に寝かせ、そっと外套をかける。
もう周りには、ジェーンとヴィーラン以外、味方の騎士も兵士も誰一人残っていない。
拾ったマスケット銃と弾丸を手に、動かない左腕をかばいながら、ヴィーランは右目だけで辺りを見渡した。
「少し休んでてくれ、ジェーン」
―無力で何もできなかった
―相手に歯が立たなかった
―今も何もしてやれない
―治療も助けを呼ぶことも
―ただ、君も守る
―この身が尽きるその時まで
―それが約束だから・・・
絶対に書きたいと思っていた、最後までクズなキャラがベーベルシュタイムです。




