3-7 I think ...
本話と次話に渡って、胸糞・グロ・リョナ描写があります。ご注意ください。
作中に登場するいかなる思想や考え、言動も、あくまでフィクションです。
エストックの尖った先端が刺さる直前、ヴィーランを守る様に氷の殻が彼を覆った。エストックを巻き込んで凍り付いた分厚い殻に、ベーベルシュタイムは少し残念そうな様子だった。
「私は暗殺騎士の責任者でもあってね。苦しませず逝かせたかったんだが・・・」
「どういう・・・?」
―っ!
ベーベルシュタイムの言葉に首をかしげたジェーンだったが、ヴィーランから漂う強い血の匂いに気づいてハッとした。
「ヴィーランっ!どうしたんだ!!」
「・・・アァ・・・クソッ・・・!!」
殻の中で彼は呻くことしかできなかった。
右手で押さえつけた左目からは血が溢れ、左手は肘辺りに大穴が空いてダラリとぶら下がっていた。
「騎士術が正確にどんなものかは分からないが、少なくとも左目と左手がそれに不可欠なのだろう。ならばそれを潰すことは、至極当然ではないか?」
「お前っ!!」
いつの間にか背後に移動していたベーベルシュタイムが突き出したエストックを、何とかかわして対峙する。
ジェーンの後ろでは、歯を食いしばったヴィーランがそれでも声を漏らしていた。
「あぁ、全く嘆かわしいな。そうして痛みに叫び、傷から壊死し始め、体が腐り落ちていく。ならばさっさ楽にしてやるべきだ。それに・・・甘さの欠片もない“嬌声”など、誰も聞きたくないと思うがね」
クククと笑うベーベルシュタイムに、ジェーンは今すぐにでも飛び掛かりたい気持ちを何とか抑え込んだ。
―奴の挑発に乗るな
―冷静に考えないと・・・
―負ける!
一挙手一投足、筋の動き一つも見逃すまいと警戒するジェーンに、ベーベルシュタイムは楽しそうに言った。
「いや、実は私はそれなりに饒舌な方でね。興奮すると話が止まらなくなるクチなんだ。現にこうして・・・」
突然口を閉じたかと思えば、猛然とジェーンに襲い掛かってきた。
「戦っている間も話が止まらない!」
「クッ!・・・暗殺騎士失格だなっ!」
「全くその通りかもしれない!!だがそもそも、暗殺するときはこうして喋っていても“ただの独り言”にしかならないのだがね」
間髪入れず連続で突き出される突きに、ジェーンは防戦一方だった。いや防戦も崩れ始めた。「旗のように風にはためき、鋭い一撃を加える」というジェーンの剣の型は、相手の力を利用するものであったが、小さな力で連続した突きを繰り出すベーベルシュタイムの剣の型にはすこぶる相性が悪かった。
「良く、突きについて来る。メルセンやドミニクス、“ナーシャ”と戦っただけはあるな」
「・・・やはり、お前が妹をっ!?」
「君が戦ったプーマラも突きを使っただろう?剣は斬るよりも刺すもの。帝国騎士はそう教えられるのでね、突きを基軸とした剣の型が多いのだよ」
ジェーンの質問に答えることなく、淡々と、しかし嬉しそうにベーベルシュタイムは話し続けた。
「あの女も・・・なぜそこまでして、私に拘る?なぜ私の家族を?」
「そんな答えを急いでも、ハナから分かってしまったら面白くあるまい。それにプーマラを差し向けたのは私ではないし、こうして君と戦っているのも単なる偶然だ」
「偶然だと・・・?笑わせるなっ!今更私に興味がなくなったとでも言うのか!?」
エストックを蹴り上げ、ベーベルシュタイムの懐に潜りこむ。予力で予想していたのか、ジェーンが剣を振り上げる前に、彼はバックステップで距離を取ると、再びエストックを突き出してきた。
「前は仕事。今は君に私的に興味が湧いている。力も予想以上。素晴らしいね!」
ジェーンはそれを躱すと、彼を中心に周りを走り始め、突きが間に合わなくなるタイミングを見計らった。
―剣の速度
―息遣い
―血を足が踏む音
予力である程度まで絞り込み、ジェーンは自分の動きに一歩遅れて突きが出てきたその瞬間、それを逃すまいと一気にベーベルシュタイムの元へ駆けだした。
―ここで
―決める!!
空を切って迫るエストックの刀身に身を沿わせ、その勢いに合わせて素早く横に回転すると、ベーベルシュタイムに剣を振った。
だが彼はそれに全く動揺することなく、さらにその剣を躱そうともしなかった。
―なんだ!?
―なぜ躱さない・・・?
異変を感じ、ジェーンは剣を振る手を慌てて止めた。
首元に迫っていた剣は完全に取ったわけでは無かったが、それでもその力は弱まり、カンッと甲高い音を立てるにとどまった。
―!?
―楔帷子!?
驚いた様子のジェーンに、ベーベルシュタイムはため息をついた。
「先ほども言ったのだがね。戦闘において、相手を知ることは勝利の必須条件だよ」
―・・・その通りだ
―クソッ・・・
ベーベルシュタイムに蹴り飛ばされて宙を舞いながら、ジェーンは自分に悪態をついた。
「そら、着地までしっかり意識をしなければ・・・なっ!」
着地する瞬間のジェーンに飛び掛かると、彼女の腹部に思いっきり膝蹴りを放つ。
―あッ!
とっさに腹筋に力を込めるジェーンだったが、ベーベルシュタイムの鋼鉄のような硬い膝が筋肉を破って内臓に衝撃を与える。
ズルズルと地面の上を転がり、咳き込みながら何とか手をついて身を起こしたが、直後に激しい吐き気に襲われて、口からあふれた血交じりの吐瀉物が地面を浸す。
「そそるね、その顔」
「・・・下種が!」
地面を蹴って、ベーベルシュタイムに向かって大きく剣を振り下ろす。ただ斬りかかっただけではない。十字架のペンダントを胸に突き刺し、巨大な氷の剣が出現すると、それがジェーンの剣と同じように振り下ろされてベーベルシュタイムを襲った。
「『冰武の大太刀』!!」
流石にベーベルシュタイムも自身の鎧だけでは無理だと判断したのか、ジェーンの剣を躱すと指をガリッと噛んで血を出した。
「『穿尖』!」
振り上げた手から血が飛び散り、それが当たった氷の剣がその形を瓦解させる。
―砕かれた!
―だが大きな力で壊したというよりも、もっと要点だけを狙われたような・・・
―一体、どんな騎士術だ・・・?
相手の騎士術の詳細が分からず、氷が砕かれてしまう以上、むやみにこちらが騎士術を発動しても、血を浪費するだけで十中八九負ける。だが騎士術が分からなければ、確実な攻撃が繰り出せず、逆に相手のペースに乗せられる。
二律背反であるが、ここは無謀でも氷を出して、ベーベルシュタイムの騎士術を明らかにしようとした。
「『千冰ノ壁・四面塞』!」
ベーベルシュタイムの前後左右を四枚の氷の壁が覆う。
―むざむざ血を使って
―上か・・
手の平に血を貯めながら、空へと視線を移すベーベルシュタイム。
彼の思惑通り、直上からちょうどすっぽりはまるような氷塊が降ってきた。
―急いだわけでも
―血迷ったわけでもない
―やられたな・・・
騎士として騎士術を使わなければいけない状況に身を置くのは、避けるべき行為であった。それはピンチという意味はもちろん、またこちらの騎士術を暴こうとしてくる相手の手口だからだ。
―全く・・・
―ナーシャと同じく筋が良い
「困ったものだ・・・」
言葉とは裏腹にベーベルシュタイムは、人に見せると気味悪がられる、口角を吊り上げたいやらしい笑みを浮かべていた。
氷塊が逃げ場のないベーベルシュタイムを押し潰すかと思われたその瞬間、剣の時と同じように、山のような氷塊が突如粉々に砕け散った。
だが今度ばかりは逃さなかった。
氷塊が砕ける前にジェーンの耳に聞こえた、パキパキという僅かに氷が削れる音。
―そういうことか
―やはり直接砕いたわけじゃない
―氷塊が割れるように、複数の要所だけを壊している
―つまり奴の騎士術は、血を炸裂させるようなものか・・・!
―であるとすれば、こちらがいかに騎士術で大技を出そうと、壊されて終わりだ
―剣と小技で確実にダメージを与えるほかない!
氷塊と同じように、氷の壁を砕いてベーベルシュタイムがジェーンにジロリと視線を向ける。
彼が剣を向けるよりも早く、ジェーンは動き出した。
―突きが始まれば近づくのは難しい
―隙を逃さず衝く!
それでもベーベルシュタイムの速さは圧倒的だった。ジェーンが彼の視界の端に移動しようとも、捕捉されたが最後、予力で予測した場所に正確な突きを放ってきた。
しかしジェーンとて、彼とのその実力差というものは承知の上だった。そして何とかその差を埋めようと、限りある手札の一枚を再びきった。
―まだ回ってこちらの反応が間に合わなくなったときに来るつもりか?
―芸が無い
―一度使った手は二度も通じないものだがね・・・
右手で突きを繰り出しながら、首を傾げる。
その一方で、彼女との戦いが楽しくもあった。元来ベーベルシュタイムはその見た目と職務内容から、戦闘狂のようには見られないが、しかし自身のことは戦闘という猛毒に全身を侵されていると思っていた。
―それともまた別のことを狙っているのか?
―ククク、楽しいね
―手段一つ一つが希望の星だ
―それをすべて墜とした時の絶望の顔
―それを見る快感に勝るものはない
―下種で結構、屑で結構
―叫ぶ他人に何が分かるというのだ
ニィっと笑って突き出した剣。予力で捉えていたその場所に、寸分違わず彼女が現れた。
心臓を一突きする、確実な一撃。
だがその剣が射止めたのは、小さな氷の塊だった。
―かかった!!
ジェーンの胸のちょうど前にできた氷の塊に、剣が突き刺さった。
反射的にベーベルシュタイムが剣を引いたが、それを逃がさず、刃の無い剣、エストックをガシッと掴む。思わぬ行動に、驚いた彼は剣を引く手を慌てて緩めたが、もう遅い。
「相手の力を利用する」。それがこれほどまでに決まった瞬間は無かった。
見えない胸は楔帷子以上の何かで覆われているかもしれない。剣の狙いは先ほど楔帷子しかないことを確認した“喉仏”だ。
そしてその楔帷子を貫くために、剣の先端に鋭く光る氷柱。
確実に仕留められるはずだった。
だが―
「届かないね。・・・申し訳ないが」
ベーベルシュタイムの左手に、いつの間にか握られていた短剣がジェーンの脇腹に突き刺さる。
―馬鹿なっ!
―この状況で攻撃を!?
空いた左手で、なんとか剣を防ごうとしてくると思っていたジェーンだったが、彼の取った行動は攻撃の一手だった。
死を目前にさらされた人間が取る行動は、本能的に防御だ。ナイフを突きつけられれば、腕を交差させて体を守ろうとする。
その中で本能に抗って、攻撃を選んで来るとは、ジェーンの予力では全く予想できなかった。
脇から走る激痛に、剣を握る手も緩む。切っ先の下がった剣は、ベーベルシュタイムの体を撫でただけだった。
―クソッ!
―いったん引いて・・・っ!?
自身から距離を取ろうとするジェーンに、すかさずベーベルシュタイムは手の皮を噛み切り、血を投げかける。
振られた腕が立てたブンッと言う音に、ジェーンは何とか自身の前に薄くではあるが、炸裂から身を守れるような氷の壁を敷いた。
―騎士術がくるっ!
―これで防いで、反撃をっ!
だが推測したベーベルシュタイムの騎士術と、実際に襲い掛かってきた彼の騎士術は全く異なるものだった。
血が氷の壁に当たった瞬間、それを“貫通”し、すぐ後ろにいたジェーンの体に“刺さった”のだ。
ただでさえ、脇腹の奥深く、内臓に到達するまで短剣が突き刺さっているというのにもかかわらず、右肩と左手に鋭く“血が”突き刺さった。
―こんな・・・騎士術だったのか・・・!!
右手の感覚がフッとなくなり、肩から先が異常に重い。
剣を握ることすら出来ないが、それでも立ち上がろうとするジェーンに、ベーベルシュタイムが短剣を放った。
ジェーンの白い肌を食い破って、右足の大腿部に小さな短剣が突き刺さる。
「グウッ!!」
歯を食いしばって痛みに耐えるが、それでも隙間から声が漏れ出た。
「素晴らしいね。実に官能的な声だ。耐えて耐えてそれでも隙間から滲みだすような声。これこそが嬌声というものだよ!」
恍惚とした顔で、ベーベルシュタイムが天を仰ぐ。
「初めにその悔しそうな顔に一つ、答えを出してやろう」
「なん・・・だと?」
「君の剣が私に届かなかった理由だよ」
ベーベルシュタイムは周りを見渡して、敵がいないことを確認するとそこに腰を下ろした。
周囲の教会軍を押されてしまったらしく、帝国軍が勢いを取り戻しつつあった。血や泥にまみれて、叫びながら前進する彼らに比べ、ベーベルシュタイムと睨み合うジェーンは、まるで同じ空間にいないかのような錯覚を覚えた。
「君は考えすぎているんだ。攻撃しないといけない!それは愛すべき妹の仇で、気の置ける仲間の仇のためだからだ!だがもしかしたら、何らかの要因で狙いが外れるかもしれない。その時はあーしてこーして・・・。頭が破裂して粉みじんになりそうなほど、考えている。私に言わせれば、莫迦丸出しだね」
懐をまさぐり、取り出した噛みタバコを唇の下に押し入れる。
「考えることが単純であればあるほど、脳が体に伝達する速度は速く、故に体も早く動く。考えることは一つでいい。人間、同時に二つのことはできないように設計されているんだ。私があの時考えたのは、ただ君への攻撃だ。それに対して君はどうかね?」
―・・・考えること・・・
身を襲う悪寒に体を震わせるジェーンの頭に、ベーベルシュタイムの言葉がぼんやりと響いた。
「だいたい戦いなんて、どちらかの一撃でどちらかが死ぬのだ。「あーすれば力がみなぎる!」だの、「コイツは許せない」だの、そんなことを考えている間にアッサリと首が飛ぶ」
「・・・ざん・・・念だったな・・・私の首は・・・飛んではいないぞ・・・?」
強気になって笑うジェーンに、ベーベルシュタイムはそれを待っていたかのように下卑た笑みを浮かべた。
「そう。私は今、“君を攻撃する以外のこと”を考えているからね」
そう言って立ち上がったベーベルシュタイムは、何を思ったのか傍に横たわるカーラの遺体に歩み寄った。そして不審げにそれを見守るジェーンの前で、噛みタバコで口内にたまった唾液を“遺体に吐きつけた”。
ピシャリッと唾液が彼女の背で跳ねる。
―っ!!
その音に、ジェーンの胸の中で心の底から燃え上がるような感情が噴き出した。
「お前っ!!!何をっ!!!」
怒りに顔を真っ赤にするジェーン。ベーベルシュタイムはそれに口腔を震わせるような、カッカッカという気持ちの悪い笑い声を上げた。




