1-4 牙を剥く暗殺者
―全く気配を感じなかった!!
腰のベルトにレイピアを一本だけ下げた、薄水色の髪の女。身に纏った黒色の服と言い、街の衛兵隊のようにも見えず、また騎士団でも見ない顔である。
―ノヴゴロドの騎士か!?
「誰だ?てめぇは」
「お前には聞いていない。私はそこの娘に聞いているんだ」
フェリクスには目もくれず、女はその切れ長の目でジェーンを睨みつけた。
するとジェーンはワナワナとその身を震わせ、「待て!」というフェリクスの制止にも構わず、女に斬りかかった。
―この声は間違いない
―この匂いは間違いない
―あの時の、両親を殺したあの女だ!!
勢いと重さに任せて振り下ろされた剣を、女は横にステップして軽く躱した。
そして何処に隠し持っていたのか、ダガーをジェーンの喉元に押し付ける。
「今一度問おう。お前はジェーン・ファミリアエか?」
「お前はァ!!お前はァ!!」
「三度目の質問だ。お前はジェーン・ファミリアエか?」
何も感じさせない、無機質な声で女は淡々とジェーンに質問を続けた。徐々にダガーがジェーンの肌に食い込んでいく。
「彼女を離せ!」
女の背後に迫ったフェリクスは、十字架で肌を切ると、滲み出た血を投げつけた。
背に当たった血が赤く光ると同時に、表情を変えた女はサッとその血を拭い取った。そしてジェーンの体当たりを躱すと、二人から距離を取る。
「なるほど。騎士か、お前は」
「ああ。熱かったか?」
「騎士術として、脅威は感じたな」
女は「だが」と言葉を続けて、手に持つダガーをフェリクスに投げつけた。
空を切って迫るそれを、長剣で弾く。そして再び剣を構えようとした隙に、女のレイピアがフェリクスの胸元目掛けて突き出された。
「随分とのんびりした騎士だな」
―やべぇ!!
死を覚悟したフェリクスだが、彼の前に血が飛び、氷の壁となってレイピアを防いだ。
「ジェーン!」
「ほう」
ジェーンの慣れない様子で振られる長剣を躱して、バネのように腕を縮めてから突きを放つ。
すんでのところで何とか身を捩じったジェーンに、女はさらに突きを放とうとしたが、そこにフェリクスが斬りかかる。
フェリクスを片足で突き飛ばし、再びジェーンに向き直る女に、今度はジェーンの氷柱が襲う。
無数に迫るそれを、女はブンッとダガーを投げて破壊した。
「くっ!」
「騎士術を使えるとは、調査不足だったが、あまり問題では無いな」
尋常ではない速さでジェーンの元へ寄った女は、彼女の捨て身ともとれる、至近距離で放った棘上の氷塊を手で薙ぎ払うと、掌底を顎先へと放った。
「グッ!!」
ぐらりと倒れ込んだジェーンを見下ろす女に、フェリクスは後ろから斬りかかった。
「“読めているぞ”」
女は後ろも見ずに、左手の脇の下から突きを放った。
確かにそのレイピアの切っ先は、フェリクスの胸に突き刺さっている。
「本当かよ」
だが、そこで心臓を突かれたはずのフェリクスが、女の右下から剣を振り上げた。同時にレイピアで刺されたフェリクスは、風になびく様に姿をかき消した。
しかし、女はその剣を驚異的な柔らかさで体を反ることで躱し、バク転をして、フェリクスから再び距離を置いた。
「なるほど。君の騎士術は熱さだけでは無く寒さ、つまり放った血の温度を自由に調整できるということか。蜃気楼とは、正直恐れ入ったな」
「そりゃどうも。一発で仕留める気だったんだがな・・・!」
―クソ
―あれだけで、騎士術を見破られちまった・・・
―コイツ、強い・・・!
次なる一手を捻ろうと、剣を握りしめるフェリクスの横で、ジェーンが立ち上がった。ペッと血を吐き捨てた彼女は、またもや剣を握って突っ込んでいこうとする。
「馬鹿野郎、少し冷静になれ!!」
ジェーンの進路を塞いで、フェリクスは怒鳴った。
「あいつが家族を殺したんだ!!」
「ならなおさら冷静になれ!!アイツは強い!敵を取りたいなら、冷静に策を練らないと死にだけだ!」
血気盛んに叫ぶジェーンを思いとどまらせるフェリクスに、女がフッと笑った。
「まるで策を練れば、私に勝てるかのようだな」
―来る!
本能でそう感じたフェリクスは、環境を“読む”、『予力』を発動させた。
一定の体力と引き換えに環境を読むことで、通常の何倍も素早く、そして正確にこれから起こりうるあらゆる可能性を予測し、またその中で最も確率が高いものを判断する。旗騎士などの実力者になれば、それはある程度先の未来も予期できるようになる、剣の型と同じく騎士の基本能力だ。
―突きの姿勢のように肘を引いてはいるが、肘の位置が高い。それに柄を持つ手が逆手になりつつある
―反対の左腕は突きの時よりも肘が伸び切り、上に上がりかけてる
―風の向きはこちらから見て右から左にやや強い
―距離から考えて・・・ココだ!!
刹那、女がレイピアをまるで投げ槍のように投げつけてきた。
僅かに回転しながら、フェリクスの予想通りの、自分の胸へと、ヒュンッと迫るそれを少し体を傾けて躱す。レイピアはマーシャルの石像に突き刺さった。
「!・・・よく読んだな」
「腕はあんましだが、『予力』は得意でね」
少し自慢げに笑うフェリクスは、ふと、投げられたレイピアの柄から線のようなモノが、月光を反射していることに気づいた。
「!?」
「これも読むべきだったな」
女が勢いよく腕を引くと、石像から引き抜かれたレイピアが、フェリクスの後頭部を襲う。
―躱せねぇ!!
慌てて振り返ろうとするフェリクスに、ジェーンが体当たりする。
倒れ掛かるフェリクスのこめかみを、レイピアの柄が強打した。倒れたフェリクスの目に、派手に噴き出た血が滲む。
「ッ!・・・いってぇ」
「娘に感謝するんだな。エルトリアの騎士よ。そして次からこれも読めるように努力しろ。・・・あぁ、ここで死ぬから無理か」
無表情でそう言い放った女が、引き戻したレイピアを手にした瞬間、いつの間にか、その赤くで染まった刀身から、血が衝撃で女に振りかかった。
「読んだぞ」
フェリクスの上に覆いかぶさるようにして倒れていたジェーンが呟いた瞬間、女が凍り付いた。
目を見開いた表情のまま、固まる女を見て、フェリクスは慌ててジェーンを振り返った。
血がとめどなく流れ出る左手首をギュッと抑えながら、ジェーンは何処か誇らしげに笑っている。
「ああクソ・・・馬鹿野郎、無茶しやがって」
「冷静に、策を練ったまでだ」
ポシェットから出した白布を、きつく巻き付ける。
「これで大丈夫だ」と、立ち上がったフェリクスの後ろに影が立ち上がった。慌てて剣に手を伸ばすジェーンに、フェリクスが振り向くと凍らされたはずの女が、今にもレイピアを突き立てんとしていた。
「なるほど。少々、お前たちを甘く見ていたようだ」
―嘘だろ・・・!
剣を振るうことも、避けることも、はたまた騎士術を使うことも、もう許されない。フェリクスには、もう甘んじてその刃を受け入れるしかなかった。
しかし、その刃が刺さる直前で、何かとぶつかって火花を上げた。
一瞬驚いた女だが、視界の左端で月明かりに光る剣を捉えると、レイピアでそれを受け止めた。
先ほどよりも大きな火花が散り、長剣とレイピアがぶつかりあう。単純に力負けした女は、振り払われて数歩そこから押し下げられた。
「よォ、色男!俺抜きで随分楽しんでんじゃないの!!」
「スヴェン!?」
フェリクスの危機を救ったのは、スヴェンだった。走って駆け付けたのか、息は上がっているものの、実に楽しそうに笑うスヴェン。
「強いのか?」
「・・・お前が来るまでは至極順調だった」
「顔が血だらけの人間が、言うセリフじゃあないぜ」
口元まで垂れてきた血を拭って、フェリクスもニィっと笑った。
「!・・・オイオイ、ジェーンちゃんも血ィ流してんじゃねぇか!!」
「まだ戦える」
「・・・無理するなよ」
長剣を持って強がるジェーンに、フェリクスはそう言うと、スヴェンと頷き合った。
「いつもので行くぜ」
「結局そのパターンだな!」
「「一人が隙を作って、もう一人がぶった斬る!!」」
言うが早いか二人は女に斬りかかった。
女は先ほど同様、まずは一人、フェリクスに対してダガーを投げつけて、もう一人、スヴェンとの一対一の状況を作り出した。
「オラァッ!」
叩きつけるように振られたスヴェンの剣をサイドステップで躱し、そのわき腹に突きを放つ。
それをフェリクスが下から上に斬り上げて、女のバランスを崩した。
「クッ!」
女は顔を歪めると、レイピアから手を離し、そこから延びる線を手に掴むと、鎖鎌のようにそれを二人目掛けて振り回した。
「ジェーン!!」
それを読んで躱したフェリクスが叫ぶと、手首の布をはぎ取ったジェーンがレイピアに血をかけ、それが地面にも滴ったところで凍らせる。
凍り付いて動かなくなったレイピアに、女は舌打ちをして線を投げ捨てると、一体何本持ち歩いているのだろうか、ダガーを両手に取った。
「これ以上は無理!」
「上出来だ!!」
十字架で腕の肌を裂いて血を出したスヴェンが、それを女目掛けて投げつける。
女はそれをダガーで弾こうとしたが、そのダガーをフェリクスの血が覆う。
「知ってるか!?1,600℃から鉄は溶けるんだとよ!!」
「!?」
血が赤く光った瞬間、ドロッとダガーの歯が文字通り溶け、地面に落ちた。太股からダラダラと血を流しながら、フェリクスはそれを見て笑った。
「そら、これでしまいだぜ!!」
女に吸い込まれていったスヴェンの血は、一滴一滴がいつしか女の持つダガーのようなナイフへと姿を変えていた。
ジェーンを狙ってきた、謎の女も三人がかりで何とか倒した。フェリクスもスヴェンも、そしてジェーンもそのことに笑みを浮かべた。
だが、そのナイフが突き刺さる寸前に、大きな炎が女を覆った。
「なんだァ!?」
「!?」
顔を強張らせる二人の横で、ジェーンがガタガタと震えて、崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。
―赤
―あの時と同じ・・・それしか見えない・・・
「ジェーン!?おい、しっかりしろ!!」
「クソッ、なんだってんだ!?」
心ここにあらずといったジェーンの両肩を掴んで揺さぶるフェリクスに、烈火のごとく燃え盛る炎を見たスヴェンは悪態をついた。
そんな三人、真っ赤な血が、まるで波のように押し寄せてきた。三人を砕くかのように迫った血は、やがて業火へと姿を変えた。
―肺が、焼けそうだ・・・
それが発する熱波に、息が出来なくなる。
―なら!
太股から出る血を地面にかけ、一気に温度を下げる。
それでも炎は三人を飲み込まんと、もう目の前まで打ち寄せる。
「地獄の業火が私の騎士術だ」
炎の奥から女の声が聞こえる。
―クソ、舞い上がってた!!
―奴だって騎士なら、騎士術が使えて当然じゃねぇか!!
肌も、肉も、血も、骨も、燃え尽くされる。
そう思って目をつぶったフェリクスたちの目の前で、突如巨大な雷が落ちた。
ズドンッ!!というあまりの爆音と、光、そして衝撃に、三人とも広場から吹き飛ばされる。
身を起こしたフェリクスが、スヴェンを起こして、倒れているジェーンの息を確かめる。幸い気絶しているだけのようで、息は問題なかった。
ジェーンを背負い、埃を払って立ち上がった二人の前には、半分が真っ赤に燃え盛る炎、半分がバチバチと光を放つ電光に包まれた、もはや戦場となった広場が広がっていた。
「お、おい、ありゃアンナさんか?」
「たぶんそうだろうけどよ・・・こんなの始めてみたぜ」
もはや自分たちの次元を超えた、騎士同士の戦いに、ただ息をのむしかできなかった。
「この炎の騎士術。あなたはメルセン・コッカですね?ノヴゴロドの暗殺騎士」
「・・・名乗る必要が?アンナ・アーベンロート」
女、コッカは炎の中で、アンナは電光の中で、それぞれしばらく睨みあった後、コッカはちらりとフェリクスたちを見てから、血に濡れた手をアンナに突き出した。
「『炎炎嶽嶽』」
瞬間、ひときわ高い炎の壁がアンナとの間に燃え上がった。
「逃がしませんよ。『天罰招来』!」
アンナも血に濡れた腕を振り下ろした。
同時に空に稲妻が走ったかと思うと、先ほどのような巨大な雷が、柱のように振ってきた。
またもや爆音が街に木霊し、衝撃で炎の壁も消し飛んだが、その先には既にコッカの姿は無かった。
「・・・」
苦虫を嚙み潰したような顔をするアンナだったが、直ぐにフェリクスたちに駆け寄って行った。
「ジェーン!」
「息はあります。ですが、出血が多く、直ぐに医務室へ運ばないと・・・!」
フェリクスの話も聞かず、アンナは彼からジェーンを取り上げるようにして抱きかかえると、歯ぎしりをして掠れた声で呟いた。
「また・・・また間に合わなかった・・・」