3-5 騎士の戦い
シルキーの丘、元帥陣から赤い花火が打ち上がった時、帝国陸軍騎士大将クラウディア・バッハシュタインは背筋が凍りつくのを感じた。
周りの兵士たちも愕然とした表情でその花火を見ていた。
「救難・・・信号・・・」
C軍集団第3軍の指揮を執るクラウディアだったが、いてもたってもいられず、部下を連れてC軍集団司令官ラインハルト上級大将の陣へ走った。
既に陣には多くの将官が集まっており、事態の深刻さをクラウディアに痛感させた。
「ラインハルト上級大将!!信号が!!」
「見たとも。緊急事態だ。元帥陣はその指揮系統を失ったと判断し、規定に基づき私が全軍の指揮を執る」
モノクルをかけた、精悍な顔つきのラインハルト上級大将がやや焦った口調で汗をぬぐいながらそう言うと、参謀が恐る恐る手を上げた。
「攻勢はどうしますか?一度停止しますか?」
「ならん。ただでさえ元帥陣からの救難信号で士気が下がっているんだ。ここで止めたら最後、前には進めまい。シュクロアフスキー閣下が開いた道を進軍だ」
「はっ!」
陣幕内に慌しく書類などが運び込まれる中、一人の伝令が駆けこんできた。
「も、申し上げます!!救難信号がっ!」
「分かっている!元帥陣の信号に対する情報は、新しいもの以外は伝えるな!」
「そ、それが・・・」
伝令の顔からはさらに悪いことが起きたということが、言われずとも読み取れた。さすがのラインハルト上級大将も、指令書にサインをする手を止めて伝令を見た。
「・・・続けろ」
「救難信号が、元帥陣からだけでは・・・」
ラインハルト上級大将の目配せに慌ててクラウディアが外に出てみると、前線の至るところから赤い花火が打ち上がっているのが見えた。
「・・・どうなってる!?」
一切の光の無い暗闇の中、足音の反響だけを頼りに洞窟を歩くジェーンの手を、カーラ・サンドローヴァーが引いた。
「すまない。ありがとう」
「いいのよ、気にしないで。あともうちょっとよ」
カーラの柔らかい手をしっかりと掴み、一歩一歩その先へと向かう。
暫くするとたくさんの人の気配を感じるようになった。戦いを前に興奮して息の荒い者、ブツブツと祈りを捧げる者、戦いが終わった後のことを明るく語らう者。どんなに気丈に振る舞っても、どんなに憶病になっても、ひとたび始まってしまえば、もうその後は同じである。
「ジェーン、サンドローヴァー騎士!」
松明を手にしたヴィーラン・アウェアーズが、手を振って二人を呼ぶ。
ボゥと明るい光の中で、カーラのオレンジ色の髪が淡く輝くのが、ジェーンの盲いた目にも映った。
―この目では、はっきりとは見えないし
―そんな私が思っていいことか分からないが・・・
―とても・・・
「綺麗・・・ですね」
ジェーンが思ったのと同じことを、ヴィーランがぽつりと漏らすように言った。
すぐに顔を真っ赤にしたヴィーランだったが、カーラはまんざらでもなさそうな顔で笑った。
「ありがと」
「い、いや、なんかすみません・・・」
目は見えないが、その分、人の思うことには敏感。微妙に居づらい雰囲気を感じ取ったジェーンは二人の傍からそっと離れた。
カーラはそれを知ってか知らでか、ヴィーランと無理矢理肩を組んた。
「サ、サンドローヴァー騎士!?」
「その呼び方止めなさいっての。カーラさんでいい」
「・・・“さん”はいるんですね」
「うるさいよ」
鳩尾を小突かれ、思わずウッと声を漏らしたヴィーランに、カーラは低い声でボソッと告げた。
「ヴィーラン、あんたあの子のこと命に代えても守んな」
「・・・ジェーンをですか?」
「フェリクスがいないんだ。あんたと私で守るんだ」
「でも、サン・・・カーラさんは?」
睨みつけるカーラに出かけた言葉を飲み込んで、ヴィーランが心配そうに尋ねた。
「私は自分の身くらい、自分で守れる。それに・・・」
「それに・・・?」
「体を張って人を守れるようなオトコが、私は好きだな」
クククと笑いながら、いたずらっぽい眼差しを向けるカーラに、ヴィーランは再び顔を真っ赤にして、それでも真面目な顔で頷いた。
暫くして連隊長が隅から立ち上がって、天井から下がる縄に手をかけた。出陣の合図に、兵士たちが列を作る。
二人の元に戻ったジェーンは、少し笑ってカーラの脇腹をつついた。
「お熱いことだな」
「あら、ジェラシー?」
「な、そんな意味じゃ!」
「冗談冗談。・・・ジェーン、あなたこの戦いで真実を探すんでしょ?」
カーラの問いに、ジェーンは黙って頷いた。力強く。
「手伝わせてよ。私にもさ」
「!・・・だけど・・・」
「拒否なんてさせないわよ。私はお節介焼きなの」
「開くぞっ!!」
連隊長が縄を引っ張ると、振動と共に洞窟の天井が下がってくる。
太陽の光が射し込み、ニヤッと笑うカーラの口元を、やや緊張した様子のヴィーランの額を、そしてジェーンの朱い髪を照らし出した。
「出陣!!」
第二防衛線に近づいた帝国軍に襲い掛かったのは、銃弾でも砲弾でもない、珍妙な筒だった。塹壕の中から発射されたその筒、ロケットは、大きな音を立てながら後尾から炎を上げて帝国軍に迫ると、兵士を巻き込んで爆発した。それも一つや二つではなく、天を埋め尽くすほどの量のロケットが降り注ぐのだ。見たことの無い兵器に、帝国軍の足は徐々に止まりつつあった。
それだけではない。シュクロアフスキーによって開かれた、門へとつながる三つの道。
そこへ一挙に押し寄せる帝国軍の中に、突如として教会軍が現れた。
第二防衛線に開けられた穴をふさぐようにして現れた彼らは、まるで籠罠の扉を閉めるように、門へと突入した帝国軍先鋒部隊を本体から分断させたのだ。
それもただ教会軍の部隊が現れたのではなく、“騎士”も混じって帝国軍に反撃を開始した。
実力ある旗騎士が現れると、帝国軍の騎士将軍たちも自ずと拳を合わせるほかなかった。
ビュザス城壁東にある第二門から、まっすぐ一キロ進んだ点。
スロープを駆け上がって地面に躍り出たのは、ジェーンたちだった。
突然の教会軍の出現に、帝国軍の兵士たちはひどく驚いた様子だった。
銃を撃ち、銃剣を突き立て、銃床で殴り倒す。先ほどまで帝国軍の進軍路だったこの場所は、今や血みどろの戦場へと姿を変えた。
ジェーンのすぐ横で、ヴィーランがピストルを撃つ。一切のためらいを見せない彼の精悍な顔つきに、ジェーンやウィチタと行った戦場での弱さは微塵も見られなかった。
ロケットの攻撃や、教会軍の奇襲に取り乱しはしたが、帝国軍も頑強に抵抗して見せた。
ジェーンにもマスケット銃を持った兵士が、叫びながら襲い掛かってきた。
―土を蹴り上げる音
―銃を握る手の汗の匂い
―・・・鼓動の速さ
周りの環境を“読んで”、次に起こることを予想する力、予力によって、ジェーンは兵士の動きに即座に対応した。
“予想通り”の場所で突き出された銃剣を躱し、剣を持たない左腕で、彼の銃を持つ腕を叩く。緊張でかいた手汗で、“予想通り”銃は彼の手から滑り落ちた。
左足を強く踏み込み、右手に逆手で持った剣を彼に向かって振り上げる。よく見ていれば躱せる攻撃だが、鼓動の早い、体力を大きく消耗した兵士の動きは、“予想通り”鈍かった。滑り込むように剣が彼の懐に潜り込み、空へと刃が上がった時には、彼から血潮が噴き出ていた。
ヴィーランと同じように、ジェーンもまた、人を殺すということを厭わなくなっていた。それは人としてあり得ないことかもしれないが、しかし必要な事だった。
―せめて苦しまぬよう
―一撃で討つ
教会軍の連隊と出陣したが、それでも帝国軍の兵力はそれを遥かに上回っていた。ジェーンが剣を一人に振り下ろす間に、こちらの兵士が一人、また一人と倒れていく。
それでも地下の脱出路を通って無謀ともいえる奇襲を行なったのは、ある勝算があったからだ。
「作戦部隊、行動を開始しました。各撹乱部隊も戦闘に移っていきます」
「うむ。あとは時間との勝負か…」
バッペンボルドー元帥は腕を組んでそう呟いた。作戦部部長フッドウォーカー大将も期待半分、不安半分といった様子で足をゆらす。
貧乏ゆすりでカタカタと震える机に、そっと自前の豪華なコップを置いて、フィオレンツォ七世はそれに水を注ぎ込んだ。
その円を描いて渦を巻く水を、上座に座ったエヴァンジェリスタ二世は物憂げに見つめていた。
「ヒャー、こら激しい戦闘やなぁ」
第三門の前一キロほどに通ずる脱出路から出撃した旗騎士、カルヴィン・ギュンターフィックは一面の戦場を前に、薄ら笑いを浮かべた。
彼の周りには弟子やそのほか騎士が控えており、いつでも戦闘を行えるように剣を抜いて立っていた。極力、普通の兵士とは戦わない。彼らの狙いは帝国軍の騎士をここで迎え撃つことだ。
そんなカルヴィンに目掛けて、戦う両軍の兵士の合間を縫って、一人の男が猛然と駆けてきた。
―!
―速いっ!
手のスナップを効かせて、喉元に迫った剣を後転してなんとか躱す。
間合いをとって立ち上がったカルヴィンに、身長が2m近い、長躯の男は間延びした口調で不敵に笑った。
「あれれ〜、今の躱されちゃうのか〜」
「・・・なんや騎士将軍かいな。怖いなぁ、もう」
半島最西部、大林の付近から第三門を目指す帝国軍。
その背に突然刃がたてられた。
「さぁて、また戻ってきたな!戦場に!」
刃幅の広い剣を振るいながら、旗騎士ジルベール・ロロ・マルブランシュが高らかに笑う。
無論、帝国軍とて無能ではない。反撃を開始する彼らの中に、ロロはひときわ目を引く存在を見つけた。
肩の階級章が少将という非常に高位にもかかわらず、前線で自ら剣を振るう男。
ロロの長年の勘が叫ぶ。
あれは間違いなく騎士将軍だと。
久しぶりの戦いに、ロロは興奮に体を震わせ、顔に戦士の笑みを浮かべた。
「戦場に一つ、華ァ咲かせようかい!!」
第一門から直線で一キロ。
最も多くの帝国軍が押し寄せたその道に立ち上がったのは、旗騎士アンナ・アーベンロートだった。
神童と呼ばれ、最年少で旗騎士へと叙任されたアンナだったが、その高い下馬評とは裏腹に、自分の力にそれほどの自信があるわけでもなかった。
確かに人より巧みに剣が扱えた。思うように騎士術を操った。誰にも負けぬ学があった。優秀な人に師従できた。
だが、守らなければいけなかった人たちを、守れなかった。
守りたいと思った人を、守れなかった。
いくら鍛錬に励んでも、そのことがいつまでも心の片隅に針が刺さっている。
それでもこうして戦場に立った。その針が抜けるかもしれないと思って―
手が震える。鼓動が早い。足が思うように動かない。
そんな彼女の耳に、チリンと鈴の音が聞こえたような気がした。銃声と怒声が鳴り響く戦場で、美しく懐かしいような鈴の音が。
振り返ったアンナの目先に、一人細目の男が佇んでいた。どこか戦場とは思えない、風情のある侘びと寂びを感じさせる趣き。それでいて手に持った東洋の剣、日本刀が彼の鋭い殺気を漂わせていた。
「屋敷大将・・・」
この作戦の成否を握る、ヴェスヴィオ火山の麓の脱出路からオレスティラ・スピッツィキーノと、ウィチタ・アンダーバインも帝国軍の騎士と対面した。
彼らだけではない。先鋒として防衛線を突破していた帝国軍の中にも、騎士将軍を始め騎士が多く混ざっていた。第一門を護るウィルバルフ・エスクロフトも、第三門を護るティサ・カーマイン、フェリクス・カウフマンとスヴェン・エルマンデルも、同じように敵の騎士将軍に衝突した。
そしてジェーンもまた、強敵と、“仇敵”とぶつかることになった。
ようやく来週から第三部の戦闘シーンに突入します。
全員のシーンを書いているのですが、すでにめちゃくちゃな文字数になっており、戦々恐々です。
何卒お付き合いいただければ幸いです




