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ユートピア  作者: 吉田 要
第二部 帝国会戦:開闢篇
28/70

2-4 謎の女

 馬に乗って、早朝の草原を進む。

 冷たい風が吹き抜けて、溜まった霧を払い流した。

 霧の中で隠れるように、座っていた一人の男。

 骸骨のようにがらんどうになった眼窩で、馬から降りたジェーンを見て、ユラリと立ち上がった。

 真っ赤に染まった骨の手で、赤黒い鎌を手に取る。

 剣を抜いたジェーンに、ギィイイイ!!という不協和音が奏でられる。身の毛が経つその音は、風の音だろうか。それとも男の笑い声だろうか。

 音もなく大地を蹴り上げ、僅か一歩でジェーンに迫る。

 何とかそれを防いだジェーンは、その力を受け流して男を転ばせようとするが、重くのしかかる力のわりに、男は宙をフワフワと浮いている。

 徐々にジェーンは足が大地に沈み込んでいくのを感じた。受け止めたジェーンを、絶対その場から放さないよう、男の力は一層増していく。

 くるぶしが沈み、膝を超えて、やがて腰に居たり、遂には首まで沈んだ。わずかに地表に突き出た両手で剣を支え、男の力を受け止めているが、なおも男はその力を一切緩めず、終いにジェーンを頭まですっぽりと地中に沈めた。

 まるで水のように、体の中へと注ぎ込まれる土に、ジェーンは必至に藻掻いた。

 そのあがきを笑うかの如く、再びあの不協和音が鳴り響く。

 苦しい!

 苦しい

 ・・・苦しい

 ・・・くるしい

 ・・・クル・・・シイ



 ガバッ!と身を越したジェーンは、その息の荒さに自分でも驚いた。髪を伝ってポタポタと滴るほどの汗が、背中と服を張り付かせる。

 肩で息をするジェーンの手に、そっと冷たいものが当てられた。

 ―!?

  ―・・・コップ?

 震える手で受け取ると、口に一気に水を流し込んだ。体の五臓六腑に染み渡るのが感じられるほど、喉が渇いていたようである。

 随分落ち着いてきて、辺りの匂いや音などが分かるようになってきた。どうやら宿屋の中にいるようだ。

「ありがとうございます」

 見えない分、察知に長けているはずのジェーンでも、コップを渡した人間の気配が分からず、どことなく頭を下げる。

「・・・」

 それに言葉は帰ってこなかったが、代わりに柔らかい手が、ジェーンの頭をそっと撫でた。そのままゆっくりとベッドに横にならされる。どうやら「まだゆっくりしろ」ということらしい。

 だが、あんな夢を見たせいか、胸騒ぎがして眠れず、床から聞こえる下の部屋の喧騒に耳を傾けていた。

 すると扉の開く音がして、花の匂いが部屋に広がった。臭いというわけでは無いのだが、ジェーンは花の強い匂いはあまり好きではなかった。

「おお。なんじゃなんじゃ、目を覚ましたか!」

 声は若いのにひどく古風な喋り方をする女性。そこかで聞いたようなと、ぼんやりする頭の中で考えて、一人の人に行き当たった。

 ―まさか!?

 再びガバッと身を起こし、慌ててその人物に頭を下げる。

「ご、ご迷惑をおかけしてすみません!ブーリエンヌ団長」

「おっ!よくわかったのう、サスガサスガ」

 騎士団長ヴァイオレット・ブーリエンヌは愉快そうに笑って答えた。

「まぁ儂はなんもしてないし、看病してたのはそっちのアニータじゃ。礼は彼女に言うと良い」

 そこまで言われてようやく、先程から気配を感じない人の正体が分かった。副団長で唖者のアニータ・クインテットである。

「副団長まですみませんでした」

 ジェーンの言葉に、アニータは「大丈夫」と答えるように、そっと彼女の頭を撫でた。「ヴァイオレットの連れだから」などと揶揄され、実際に戦うことはできないアニータであるが、こうした優しい素顔に、ジェーンは惹かれるところがあった。

「あの、私何があって・・・?」

「お主、蚊に噛まれたじゃろう」

「・・・そう言えばそのような・・・」

「蚊を媒介にした、この土地特有の流行り病じゃ。刺されてからすぐに一気に症状が重くなる」

 「体温が一気に高くなって、時には死ぬこともある」とヴァイオレットは深刻そうな口調で言った。

「お前さんと、フェリクスと言ったか?、あの小僧を兵士たちがなんとか長城まで届けてな。遊び・・・じゃなくて視察に訪れた儂らが解放してやったというわけじゃ」

「!フェリクスやスヴェン、アンナたちは!?」

「フェリクスは手術して何とか鏃を取り出したわい。アンナとスヴェンは、生き残った兵士二十名ほどと無事に長城に帰投した」

 ほっと息をつくジェーンに、ヴァイオレットは「お前さんのことをひどく心配しておった」と付け加えた。

 ―みんな無事で・・・

  ―あの戦いを切り抜けた・・・

   ―敵も・・・倒して・・・

 そう思ったところで、敵を斬った時に顔にかかった返り血のあの感触がよみがえってきた。生暖かく、まだどくどくと波打っている血が、顔にかかったあの瞬間。今思い返すと、気持ち悪いような気がしてくるが、しかしあの瞬間は背筋がゾクッとする感じがした。

 頭を抱えたジェーンの背を、アニータがそっと擦った。

「・・・殺したようじゃの。敵を」

「・・・はい」

「妙な気分じゃろ。殺った時は気持ちがいいのに、後になって吐きそうになる」

「・・・」

「酒と同じじゃ。呑むときは良いのに、後で吐く。だが一般人には勧めんが、儂ら騎士は“下戸”であっちゃいかん。楽しめとは言わんが、少なくとも“晩酌”程度はできるようでないとな」

 奇妙な例え方であるが、言わんとしていることはジェーンにも理解できた。

 平然と殺せるようになれ。果たして自分はそうなれるのか。

 アニータに支えてもらいながら、再びベッドに横になって、ジェーンは苦悶苦闘しているうちに目を閉じた。



  ◇  ◇  ◇  



 再び目を覚ました時には、ヴァイオレットたちはいなくなっていた。ヴァイオレットの放浪癖は一般の騎士の間でも有名であり、ジェーンもまたどこかに行ったのだろうと思った。

 身を起こすと思いの外軽くなっていた体に驚き、僅かに悪寒を感じるものの、立ち上がることが出来た。部屋をぐるりと回ってみたが、間接に痛みもない。代わりにお腹の虫が、グゥと鳴いた。

 一人であったが、何となく恥ずかしさを誤魔化すように呟いた。

「・・・お腹空いたな」


 分厚いカーテンの引かれた部屋ではよくわからなかったが、下に降りると、太陽がサンサンと食堂に差し込んでいた。

「ああ、騎士さんでねぇか。もう体は大丈夫か?」

「はい、ご迷惑を・・・」

 訛りは強いが、優しい声で尋ねる主人に、ジェーンが頭を下げる。主人は「いんだ」と頷くと、席に着いたジェーンの前に注文を尋ねた。適当におすすめを頼んで待っていると、目玉焼きやらベーコンやらなにやらとたくさん出てきた。

「左手にジュースだ。搾りたてのオレンジだから、うめぇぞ。右手のバスケットには、パンが入ってる」

「ありがとうございます」

「なんかあったら呼んでくれ」

 流石に全部を食べきることはできなかったが、どれも騎士団本部の食堂並みの絶品だった。申し訳なさげに厨房に運ぶと、主人は「いんだいんだ」と手を振ってこたえてくれた。

「長城からこの辺りは近いんですか?」

「そだなぁ、五キロってとこだべ。最近は、長城を捨てて防衛線をこっちに敷くとかで、この村にも沢山人が集まっとる」

 「わしもギリギリまで稼いで、戦争になったら逃げるわ」と主人は笑って言った。確かに、宿の前の通りでは、多くの人が慌しく移動しているようだ。防衛線構築のための労働者だろう。

 戦争の影はこうした村にも表れ、刻一刻とその濃さを増している。ジェーンも早く長城に戻らねばと思ったところで、一人の女性が入って来た。

「今日は空いてますか?」

 店の主人にか細い声で女性に、ジェーンは何感じるものがった。それは女性の方も同じであったようで、彼女もジェーンに顔を向ける。

 ―この感覚、騎士か

  ―問題は・・・

   ―()()()()()

 主人がドンッと台帳をテーブルに置いた瞬間、ジェーンと女はほぼ同時に剣を抜いた。

「騎士か?お前は」

「・・・答える必要ありますか?」

 ひらりと木の葉が舞うようにして剣が振られる。即座にジェーンは椅子を蹴り上げて、それを防ぐと、素早く女の懐に飛び込んだ。だがジェーンが剣を振るよりも早く、女はタタッと距離を取った

 ―ノヴゴロドの騎士か・・・

  ―それとも堕騎士か・・・

 いつでもかかってこいと言わんばかりに、剣を構えたジェーンに、女は思いがけない行動をとった。宿の扉を一瞥すると、ジェーンに背を向けて逃げ出したのだ。

 遠ざかる足音に、一瞬あっけにとられたジェーンであったが、すぐさま彼女を追って店を飛び出した。

 通りに出ると、あの女の匂いが微かに右の方から流れてくる。それを頼りに走って追いかけると、小さな村なので直ぐに村の外に出てしまった。匂いが途切れ途切れになり、方向がわからなくなってきたが、ジェーンの耳に水が跳ねる音が響いた。

 ―水・・・

  ―水の音がするのはこっちか!

 道から反れ、藪の中を越えて進むと、小川が注ぎ込む、小さな池に出た。その木の影には、先ほどの女が身を隠すようにしており、ジェーンの姿をみてひどく驚いたようすだった。

「ど、どうしてここが・・・!?」

「盲目だからとあまり舐めるなよ」

 再び剣を構えたジェーンに、女もその華奢な手で剣を抜いた。

「私は近衛騎士のジェーン・ファミリアエ。お前は誰だ?」

「私は・・・何者でもない!!」

 そう叫ぶと、一気にジェーンに斬りかかってくる。それを剣で受け払い、さらに上から振り下ろす。

 女は地を蹴って、エビのように後ろに飛び下がってそれを躱すと、剣で自らの体を傷つけた。

 ―血の匂い!

 騎士術の気配を感じ取ったジェーンが、慌てて距離を取ると、立っていた場所を棍が叩きつけていた。

 ―なんだ・・・!?

 そのまま棍はジェーンの方へと弧を描いて迫り、元は届かない長さであったのに、いつしか避けようのない長さまで伸びていた。

 ジェーンは高くジャンプして、その棍を踏み下ろすと、そのまま棍の長さを利用して女に迫った。

 ―長ければ、近くでは振るえない!

  ―近づいて一気に!

 だが、女は棍が使えないと判断すると、直ぐにそれを消し、新たに手を大きく振った。すると、突然ジェーンの目の前に横向きに棍が現れ、足をからめとった。

 転んだジェーンにすかさず、女が剣を突き立てる。それをなんとか横に回転して躱し、ササッと立ち上がった。

 ―棍を作って長くする、そんな騎士術じゃない

  ―好きな場所に好きな長さの棍を作るのか・・・!

 単純に血を使って棒を発生させると考えれば、簡単なように思えるが、長さも自由自在であるならば非常に厄介である。

 ―だが・・・

  ―目には目を、だ

 右手に剣、左手に棍をもった女がジェーン目掛けて突っ込んでくる。構えるジェーンの間合いの直前で、大地に突き立てた棍を一気に伸ばし、ジェーンの上を取る。

 そのまま重力に任せ、体を一本の槍のようにして迫る女に、ジェーンは剣を振り上げた。それだけではどう考えても受け止められない。だが、女の剣とジェーンの剣がぶつかり合うその瞬間に、ジェーンの剣を支えるように地面から氷の柱が突き出した。

 今度は逆に、女の方がジェーンの剣を受け止められなかった。剣がぶつかった瞬間に火花を散らし、女は体制を崩したまま地面に転げ落ちる。

 なおも立ち上がろうとする女を、ジェーンは胸に挿した十字架を引き抜いて一気に血を出すと、彼女の下半身を氷漬けた。そのまま素早く駆け寄って、服を裂いて作った縄で手を縛り、猿轡を噛ませる。

 暴れる女を何とか抱き上げて村へと運ぶと、宿の主人に呼ばれた様子の、町の保安官がその突き出た腹を揺すって駆け付けてきた。

「いんやあ、こりゃすんません。儂の方であとは受け持ちますぅ」

 かなり頼りない保安官ではあるが、少なくとも病み上がりのジェーンが見張るよりはましだろう。保安官にその身を任せ、再び倦怠感を帯び始めた体を引きずって、ジェーンは宿に戻った。


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