2-3 長城
ウィチタやヴィーランと行った、従者の最終訓練の戦場を思い浮かべていたジェーンにとって、真っ先に耳に入った鳥の鳴き声は意外だった。
だが、直ぐ近くにいるのかもしれない。
そう思って身構えるジェーンに、フェリクスが背中を叩いて言った。
「こんな近くに敵はいねぇって」
「何故そう言い切れる?」
「俺は鳥を信じる」
フェリクスの言葉に首を傾げたジェーンに、いかにもベテラン騎士といった風格の中年の男が答えた。
「鳥は警戒心が強いだろ?」
「っ!・・・なるほど。ありがとうございます」
「なーに、そうやって一つずつ覚えるもんさ」
先を行く兵士たちは、一人として列を乱すことなくザッザッと音を立てて進み、軍靴が地面を踏みしめる。
鳥や虫の鳴き声、風が木立を抜ける音、森林の匂いと僅かな獣臭。とても戦場とは思えず、むしろどこかの田舎のような中を進む。
一時間ほど経ったところで、川の匂いがし始めた。フェリクスに尋ねると、少し驚いた様子で頷いた。
「もうあと一キロほどで川に着くけど、よくわかったな」
「だろう?」
「匂いで分かる」と言おうとして、火薬の匂いがすることに気づいた。
―味方の火薬の匂いじゃない!
ジェーンが足を止めたことに、フェリクスたちもマスケット銃を手に辺りを見回す。
道が少し低くなっており、丘と丘に挟まれた地点。待ち伏せには絶好の場所だ。
「どうしたの?」
「火薬の匂いが・・・」
そう言いかけた瞬間、耳とつんざく銃声が響いた。
丘の木々や草に隠れていたノヴゴロドの兵士たちが、一斉に銃を発砲する。
「方陣を組みつつ、後退!!」
中隊長が馬から飛び降りて叫ぶと、発砲後のもうもうとした煙の中で、兵士たちが四角形の陣を作る。
「後方を確保する!スヴェンとカーソンは私と右に、残りは左を!」
「了解!!」
最後方にいたジェーンたちが、中隊の後退を援護すべく、退路の確保に走り出すと、道の後方を塞ぐように、ノヴゴロドの兵士数名が草むらから飛び出してきた。
なんとか躱したジェーンだったが、その横でさきほどのベテラン騎士が胸に銃剣を突き立てられる。
顔に飛んだ、生温い液体が頬を伝い、口に入る。
―・・・血・・・
アビゲイルが死んだときを思いだして、ジェーンは腰の力が抜けてしまった。
銃剣を引き抜き、次はジェーンを襲おうとする兵士を、フェリクスが銃床で殴りつけた。続けざまに、もう一人をそのままマスケット銃で撃つ。
「ぼさっとするなジェーン!!伏兵を片付けろ!!」
フェリクスの言葉にハッと我に返った。剣を引き抜き、立ち上がる。
―大丈夫だ・・・!
―落ち着け!!
走り出したその先に、兵士がいるのを感じた。
―風、湿度、手の震え
―弾丸はここを通る!!
バンッ!という音と共に発射された弾丸を、予力で回避し、足を止めることなく接近する。
―マスケット銃の装填は長い
―装薬を入れ、炸薬と弾丸を込矢で押し込み、狙いを付ける
―熟練者でも20秒は優にかかる!
一度は装填しようとした兵士だったが、迫るジェーンに無理だと思ったのか、銃剣を突き刺そうと、突っ込んできた。
叫び声を上げて突き出された銃剣を、その場でクルリと回転して躱し、間髪入れずに喉仏に刃を滑らせる。
刃が抜けきった次の時には、兵士の喉から鮮血が噴き出していた。
なんとか退路は確保したかと思った時、再び鋭い発砲音が鳴り響いた。
方陣のまま退却していた中隊が、道の正面から迫るノヴゴロドの騎兵に、一声に発砲したのだ。
一辺が30人でできている陣であったが、30発の弾丸では騎兵はその足を全く緩めず、陣を食い破った。
馬に蹴り飛ばされて兵士が悲鳴を上げ、中隊長が騎兵の刃の前に倒れる。
這う這うの体で逃げ出した兵士たちを、容赦なく蹄が踏みつけた。
「ジェーン、逃げろ!!」
「フェリクス!」
音で辺りの状況がわからなくなり、右往左往とするジェーンを、フェリクスが抱きかかえて茂みに飛び込んだ。
すぐ横を騎兵が駆け抜けていき、一歩遅れて生き残った兵士二人が、草むらに隠れに来た。
「お、おい騎士さんよ!アイツら何とかできねぇのか!?」
「騎士は魔法使いじゃないんだよ!そんなこと言われたって出来ねぇもんはできねぇ!」
「それより今は逃げるぞ!」と、フェリクスが言うと、二人は顔を見合わせてから、ブンブンと首肯した。
赤と白の目立つ服を脱いだ二人は、持つもの持たず逃げたのか、手ぶらだったのでマスケット銃とピストルを手渡した。
少し離れた大きな石の影まで逃げた四人は、地図を持つフェリクスを先頭に道沿いに林を進み、頂上まで戻ることにした。
「で、でもよぉ、噂に聞いてたけど、あんな部隊が待ち伏せてるなんてやっぱ大戦がちけぇのかな・・・」
「給与が良いから徴兵には感謝してたけど、そうなるとやってらんねぇよなぁ」
トボトボと歩きながら、ぼやく二人の前を歩くフェリクスとジェーンは、厳しい顔つきだった。
「戦争・・・」
「ああ。そういや前回の大戦で、ジェーンの伯父さんが・・・」
「足を失い、大やけどを負ったそうだ」
リチャードの痛々しい傷跡に触れたことを思いだしながら、ジェーンは頷いた。
「アンナたちは・・・」
「大丈夫さ。アンナさんは強いし、スヴェンは丈夫だ。野生の勘で乗り切るだろうよ」
スヴェンに対してやや投げやりなフェリクスの冗談に、ジェーンはつい笑ってしまった。その一方で、それだけ彼のことも信頼しているということも感じた。
―いまは自分たちが生き残ることが先決・・・
しばらく歩を進めていると、小さな沢に着いた。
「いったん休憩だ」とフェリクスが呟くと、途端に二人の兵士が水をバシャバシャと浴び始めた。
「うへえ、こりゃあ気持ちいなぁ」
「喉がカラッカラだ」
ジェーンも足を水につけてみたが、なるほどこれは気持ちがいい。ぼんやりしていると、首筋を蚊に噛まれてしまった。
「騎士のお嬢ちゃんは、その・・・目が見えないのかい?」
「馬鹿お前、失礼だろうが!」
ジェーンの曇った目に、一人が尋ねたが、慌ててもう一人が頭を叩いた。
「すいません、コイツ分別が無いもんで・・・」
「いえ。私の目が見えないのは確かです。だから・・・迷惑をかけることもあります」
チラリとフェリクスの方に意識を向けたが、木陰で地図とにらめっこしているようで、全くこちらに気づいていない。
「でも、それでも戦いたいんです。私はやらなきゃいけないことがある。それを果たすまで、戦いたいんです」
ジェーンの言葉に、二人は深く息を吐いた。
「お嬢さん、アンタはすごいよ。俺らなんて、軍にいなきゃ稼ぎが立たねぇってんでやってんだ」
「ああ。アンタみたいのが生き残ってほしいなぁ」
しみじみと頷く二人に、ジェーンが「そんなそんな」とあわあわしていると、フェリクスが近づいてきた。
「日が暮れたら、この辺りは真っ暗になる。敵に見つかる危険も多いが、道に出て、陽が落ちる前に長城に着くべきだと思う」
三人を見渡すフェリクスに、兵士二人はペコペコと頭を下げた。
「騎士さんがそう言うなら、俺たちは着いて行きまっせ」
「ジェーン、お前は?」
「どう思う?」と聞かれたジェーンは、自身をもって首を縦に振った。
「フェリクスが言うなら間違いないな」
◇ ◇ ◇
敵が来てもいつでも草むらに隠れられるよう、道の端を歩いて進む。
もう二十分も歩けば長城というところで、最後尾を歩くジェーンの後ろで、ピューと笛のなる音が聞こえた。
―空を裂く音っ!
―矢だ!
即座に屈んだジェーンの上を矢が通過し、その前を行くフェリクスの肩を射抜いた。
「笛矢だ!!」
「敵が来るぞ!!」
敵を発見したときに使う笛矢だが、重たい分、力強く安定して飛ぶので、空に向かって撃つのではなく、そのまま攻撃に使用することもある。呻くフェリクスの肩にめり込んだ矢を、兵士が何とか引き抜こうとする。
その間にも、三人の騎兵が馬を嘶かせて、ジェーンたちに斬りかかってきた。フェリクスのマスケット銃を持っていた兵士の一人が、それを騎兵に撃つが全く当たらない。
「フェリクスを頼む!ここは私が!!」
サッと剣を引き抜いて、首から下げた十字架のネックレスを胸に突き刺す。
―落ち着け・・・
―馬の駆ける速度
―通る道を探るんだ!
戦闘を行く、二人の騎兵がサーベルを振り上げてジェーンの首を掻き斬らんとしたその時、下から突き上げる氷柱に馬がバランスを崩して倒れた。
鞍から転げ落ちた二人の首に、手に持った剣と氷で作った剣を突き刺す。
最後の一人は馬から飛び降りると、サーベルでジェーンに斬りかかってきた。それをすんでのところで躱し、剣の刀身にすっぽりと開いた穴でサーベルを絡めとる。続けざまにポシェットから左手で取り出した短剣を、騎兵の首筋に突き立てた。
なおも抵抗しようとする騎兵を、体重をかけて押し倒し、短剣を180度動かして喉仏を着裂いた。
騎兵の吐いた血が口に入り、立ち上がってそれを吐き出すジェーンに、フェリクスを抱えた兵士が駆け寄ってきた。
「アンタ、命の恩人だァ!」
「ありがとよォ!」
「いえ・・・。フェリクス、大丈夫か?」
礼を言う兵士に頷きつつ、フェリクスに容体を尋ねる。
「ああ。鏃が引っかかって残っちゃいるが・・・」
「す、すまねぇ、上手く引き抜けなくてな・・・」
肩を抑え、強がって見せるフェリクスにオロオロとする二人の兵士。そんな二人に、ジェーンは騎兵の馬を指さした。
「馬には乗れますか?」
「俺たちは農場の出だ。鞍無しでも乗れるぜ」
頼もしく胸を叩く兵士の一人にフェリクスを任せ、三頭の馬にそれぞれ乗ると、長城目指して走らせた。
だがその途中で、今度はジェーンに異変が起きた。突然視界が霞み始めたのだ。
もともと一番強い色程度しか分からないジェーンの視界だが、今まで木々の緑一色だった視界が、やや霧がかかったようになり始め、胸で動悸が波打った。
―なんだ・・・?
―頭が・・・重い・・・
ぐらりと倒れかけたジェーンを、並走する兵士が支える。背中を擦るが、ジェーンの反応は鈍い。
「ど、どうしたんだい!?」
「うぅ・・・」
「くそ、しっかりしてくれぇ!」
そのまま馬を走らせながら、ジェーンを背中にヒョイッと移動させ、兵士たちは長城に急いだ。




