2-1 その足、一歩踏み出して
額を伝った汗が、ポタリと地面に垂れる。
髪が頬に張り付くのも気にせず、木剣を手に地面を蹴り上げる。
反響した音でわかる、相手の防御。
―右への防御・・・
―ならッ!
アンナの間合いから少々離れたところで剣を振る。
距離を見誤ったかと相手が詰めてきたところで、振った勢いの剣を素早く左手で持ち替えた。
―私を斬ろうと詰めてきた相手を・・・
―左から叩き斬る!!
ザッと振られた木剣がアンナをしとめたかに見えたが、その切っ先は空を切った。
―!?
アンナはあえて足をもつれさせて体を倒してそれを交わし、細い左腕一本で地面を叩いて身を起こすと、ジェーンの首元に木剣をピタリと添えた。
「盲目による相手の慢心を利用した、なかなか上手い策だけれど、隙が大きいわね」
「うぅ・・・自信はあったんだが・・・」
「でも相手の力だけでなく、こうした感覚まで利用できるようになったのは、修行の成果ね。順調よ」
どんな男でも一撃で落としそうな、可愛らしい笑顔をジェーンに向けて、アンナは水筒の水に手を伸ばした。
アビゲイルとの別れから丸一年。
任務に就きながらも、待機期間は師であるアンナとひたすら鍛錬に励んできた。
今もこうして、ビュザスから少し離れた小さな村を拠点に、近くの野原で修行を積んでいる。
午前の訓練を終え、木の下の木陰で弁当を開くと、その香ばしい匂いに腹の虫が鳴いた。
「そう言えば、ジェーン、あなたこの前の宮仕えで失敗したって聞いたわよ」
アンナの言葉に、口に頬張ったパンを慌てて飲み込む。
「う・・・誰からそれを?」
「さーてね」
悪戯っぽい笑みを浮かべるアンナに、ジェーンはプイッとそっぽを向いて拗ねてみせた。
「何があったの?」
「・・・目の前の皇女殿下に気づかず、靴ひもを結び直した」
「あらら・・・カーマイン卿に大層怒られたでしょうね」
「生きて帰れると思わなかった」
あの時を思い出すと、今も生きている気がしない
ジェーンはブルリと体を震わせていると、馬の嘶く声が聞こえ、大地が揺れた気がした。
馬の蹄が地面を踏みしめ、馬車の車輪がギコギコと音を立てる。
「教会軍?」
「ええ。教会軍第3軍の部隊ね。これから前線に行くんでしょう」
こちらに気づき、馬車から手を振る兵士たちに手を振り返しながら、アンナが少し悲しげな顔をした。
ジェーンも、前線という言葉を聞いて、ヴィーランやウィチタと掻い潜った死線を思い出した。
「だいぶきな臭くなってきたって」
「そうね、ノヴゴロド帝国軍の本軍が向こうの長城に集結してるらしいわ」
大陸の中腹から、北の荒海へと流れるレイン川と、同じく中ほどから東の内海へと流れるヒステール川。この二つの川を境にして、西と南をエルトリア帝国が、東と北をノヴゴロド帝国が領有している。
そして度重なる戦いから、両帝国は川に沿って、長い城壁を延々と構築した。そのため通常の戦いは、長城と長城のおおむね10キロほどの間で行われるか、朽ちて崩壊した長城の付近で勃発している。
ここ半年の間、そのノヴゴロド側の長城に、大軍が集結しだしているという噂がまことしやかにささやかれている。民衆にとっては噂程度であるが、教会軍やジェーンたち騎士の中では、それはかなり真実味を帯びたものだった。。民衆にとっては噂程度であるが、教会軍やジェーンたち騎士の中では、それはかなり真実味を帯びたものだった。
実際に、ロロに師従し、前線で任務をしていたヴィーランが、斥候部隊が一瞬で壊滅したと青い顔で述べていたし、長城の後方に塹壕の建設なども始まっている。
「先の大戦からまだ20年程度しか経っていないのに・・・」
「今は、戦いに備えることしかできないわね」
アンナの言葉に、ジェーンは力強く頷いた。
◇ ◇ ◇
帝都ビュザス 皇城・ビュザス城
派手やかな勲章の数々を胸に付けた、教会軍の高官と、三つの近衛部隊、騎士団『アルピーニ』、砲兵団『ベルサリエリ』、銃士団『カラビニエリ』の団長級、さらに内閣の閣僚が一堂に会す。
皇帝陛下の御前で開かれた、その物々しい雰囲気の会議に、皇帝エヴァンジェリスタ二世は欠伸をかみ殺した。
小麦色の肌に、珍しい黄金色の瞳。
彼は純血のエルトリア皇族ではなく、子に恵まれなかった先皇によって育てられた、南大陸の孤児である。その為、議会に権力を譲渡し、以降歴代皇帝が徐々にその影を薄くしていたものを、彼はさらにのけ者のように扱われることもあった。
だがその神秘的でエキゾチックな容姿と、時折放つ言葉から、近衛部隊を始め民衆からは意外な支持を集めていた。
もっとも、議会とそれを占有する教会は、彼をほぼ置物とみていた。
「法王猊下参られます」
部屋の隅でハルバードを持った銃士が告げると、ほどなくして法王にして首相であるフィオレンツォ七世が、相も変わらぬ禿げ頭を陽ざしに光らせて部屋に入って来た。
軽く手を振り、近衛兵たちを部屋から出す彼の姿は、まるで皇帝のそれである。
小さくエヴァンジェリスタ二世に頭を下げてから着席すると、「さて」とそのねめつけるような視線を、一人の軍人にやった。
「防衛線の構築は順調かね?エーグマン元帥」
フィオレンツォ七世の言葉に、「ハッ」と返事をしてからやせ型の初老の元帥、軍において二人しかいない最高位の軍人、ロナルド・エーグマンが立ち上がった。
「教会軍は現在、老朽化し、綻びのある長城から5ないし10キロ程度後方に防衛基地を建設。さらにそれらを結ぶ線として塹壕、及び地下要塞の建築に全力を挙げています」
「防衛線が突破される可能性は?」
「地形を利用し、高所を確保するとともに、あえて開けた場所をつくり、そこに砲兵火力を集中させることで、突破を防ぎます」
エーグマン元帥の言葉に、フィオレンツォ七世は「ふむ・・・」とだけ答え、手元の書類に目を落とした。
決して気性の荒い人ではないし、また法王として、首相として、その地位に相応の頭脳をもつフィオレンツォ七世であるが、それでもやはり法王の叱責と、自らの采配で出すことのできる「破門」を会議に出席していた面々は恐れていた。
「フッドウォーカー大将、防衛線の構築にはあとどの程度の時間と資金、人材が必要かね?」
「ンン・・・作戦部としましては、完全構築までにあと二か月、資金は現在の三億アウレリウスに追加で二億アウレウス、加えて軍属を除く約500万の人力を要請します。自然の地形を利用することで、多少なりとも工期は短くなるかと」
ひげを蓄えた体格のいい作戦部長、フッドウォーカー大将に、閣僚たちが一斉にため息をついた。
でっぷりと太った大蔵相が、葉巻を咥えて、
「金が無いよ、金が。兵隊さんにはそこんとこ分かってもらわんと・・・」
と呟くと、痩せた神経質そうな労働相がフィオレンツォ七世に耳打ちした。
「猊下、この夏は例年よりも豊作となることが見込まれており、人員の大幅徴集は国民に負担を強いるかと・・・」
他にも閣僚がやいやいと教会軍に不平不満をぶつける中、騎士団代表として参加していた団長代理のメインデルト、ハァと息を吐いた。
「フン、軍人は国を護るために必死だが、政治家や宗教家は利権を守るために必死だ。なぁ、メインデルト」
「そんなこと言ったら聞こえますよ、ロワさん」
砲兵団団長のバルテルミ・ド・ロワはその巨体を揺らして笑う。それを手で制して、銃士団団長のベルトラン・デュ・ゲクランが、メガネの奥で八の字眉毛をさらに八の字にして、メインデルトに告げた。
「少し静かにしないさい、バルテルミ。それよりも、またブーリエンヌは欠席ですか。あまり放置していると、近衛騎士の品位を落としますよ」
「・・・ご心配をおかけしますね、ゲクランさん。ですが御し難いじゃじゃ馬でしてね・・・」
「まあ、確かに、あのおばはんは手を焼くだろうよ」
バルテルミもうんうんと頷いていると、フィオレンツォ七世がコツコツと机をたたいた。
たった二回、指で叩いただけであるが、部屋は一瞬で静まり返った。
ギョロついた目が、獲物を狙うように面々を舐め、大蔵相の前で止まった。
「バーン、貴様は一年前に長城の修繕を訴えられた時も、そう言ってタバコをふかしていたな。あの時求められた額は、私の記憶が正しければ、三億アウレウスだったが?」
「・・・げ、猊下、しかし、わが国の財政状況は逼迫しており、1億五千万以上の補正予算は組むことが・・・」
「一年前に行っていれば、今こうして予算を組む必要もなく、そして貴様が小言を漏らすことも無かったわけだ」
「げ、猊下・・・!!」
椅子から崩れ落ち、すがるような目つきで見上げる大蔵相を、フィオレンツォ七世は冷たく見下ろした。
「三年前の不況の時はご苦労であった。去れ」
パンパンと手を叩いて呼び出した近衛兵に、呆然とした様子の大蔵相を連れて行かせる。
「ストロウ、貴様の言い分はもっともだ。だが、国が無くては豊作も何もない。分かるな?」
「出過ぎた真似をお許しください・・・」
労働相が頭を下げると、フィオレンツォ七世は頷いて、エーグマン元帥の方を向いた。
「元帥、作戦を続行せよ。一日でも早く防衛線の構築を」
「了解しました」
「・・・それからロット卿」
フィオレンツォ七世に目を向けられたメインデルトは、他の軍人たちと違って、席から立ち上がることは無かった。
「長城の防備強化のため、増援部隊を編成し、派遣していただきたい」
「皇帝陛下の御認可があればすぐにで」
「よろしいですね?」
メインデルトの言葉を遮って、フィオレンツォ七世がエヴァンジェリスタ二世を見ると、彼は軽く手を挙げた。
「皇帝陛下の御意志は見た通り。直ちに行動をお願いしたい」
「承知いたしました」
メインデルトはスッと席から立ち上がると、エヴァンジェリスタ二世に頭を下げて部屋から出て行った。
◇ ◇ ◇
「あァ、あかん。こら、あきまへんわ」
廊下で壁にもたれかかっていた細身の男が、訛りの強い言葉でメインデルトに声をかける。
「カルヴィン君。盗み聞きとは感心しないね」
「盗み“聞き”ちゃいます。盗み“見”や」
メインデルトの苦言を気にも留めず、旗騎士カルヴィン・ギュンターフィックはケラケラと笑った。
「なんぼ騎士団長代理サマや言うても、あないなことやってもうたら、その内破門されますよ」
「その時はその時さ。ラフェンテ卿にでも、団長代理を押し付けるよ」
「あの人はあかんわ。真面目過ぎます。あんさんみたいな、腹黒いことしいひんし」
「心外だねぇ。ボクはこれでも、公正であろうとしてるんだよ?」
「いややなぁ、嘘つきは嫌われますよ?僕みたいな人を、“公正”言うんやから」
「君は少し違うでしょうよ」
連れだって他愛のないことを話しながら、廊下を進む。
「それで、宮仕えが嫌いな君が、あんなとこにいたのはどんな風の吹き回しだい?」
「匂いがしたからや。戦いの」
嬉しそうにした舐めずりするカルヴィンに、メインデルトはやれやれと首を振った。
「・・・なんだか君ばかり前線に出てるねぇ」
「せやかて、オレスティラちゃんはもういてるし、他に行きたい人がいるわけでもなし。僕が行くんに、反対なんてあらへんのとちゃいますか?」
―団長副団長を除いて、旗騎士は10人
―通常前線に張り付いてる三人の旗騎士に、どのくらい増援を送るべきか・・・
しばらく悩んだ後、メインデルトはカルヴィンに頷いた。
「騎士を20人ほど見繕って、ネアンデルタール方面に行ってくれ。あと」
「ほな、また会いましょう」
メインデルトの言葉を最後まで聞かず、カルヴィンはひょいっと窓から身を乗り出すと、飛び降りて行った。
「アンナちゃんにも同行してもらうよ・・・って言いたかったんだけどねぇ」
◇ ◇ ◇
騎士団本部に帰投したジェーンとアンナを迎えていたのは、分厚い指令書と、急な任務であった。
「ふあぁぁ・・・くっそねみいなぁ」
「スヴェン、お前、背嚢に地図入れたか?」
「ッ!入れた記憶がねぇ!」
馬屋で、鞍に装備をかけていたフェリクスの言葉に、秣の上で寝っ転がっていたスヴェンが大慌てで需品室に走り出した。
それと行き違いで、カーラが揃えてくれた装備を片手に、ジェーンが馬へと近づいてきた。
「ジェーン、お前もネアンデルタール行きか?」
「ああ。・・・戦争・・・か」
ジェーンの呟いた言葉に、フェリクスは首を振って「まだ決まっちゃいねぇさ」と答えた。
「俺らがいれば、ビビッて攻めてこねぇかもしれねぇしな。何しろ一か所に旗騎士が二人もいるんだぜ?」
「あの、訛りの強い人は強いのか?」
「カルヴィンさんか。同期に二人、師従してるやつがいるんだが、食えない人だってよ。化け物ぞろいの旗騎士だ、弱いわきゃねぇさ」
「なーんや、隠れて僕の悪口でも言うてん?」
突然頭上から声をかけられ、ジェーンは反射的に飛び下がった。
フェリクスも「ウワッ」と叫び声を上げたが、直ぐに馬屋の梁からカルヴィンがぶら下がっていることに気づいた。
「ギュンターフィック卿!驚かさないでくださいよ!」
「いやあ、なんや僕の話しとるんが聞こえたんもんで」
「すみません・・・」
ジェーンとフェリクスが頭を下げると、カルヴィンは楽しそうにケラケラと笑って手を振った。
「ウソ、ウソ。僕も馬迎えにきただけや」
バッと飛び降りて、灰色の馬に手早く鞍を取り付ける。
「ほな、おやかまっさんどした」
と、軽く手を上げ、馬を引いて行くカルヴィンに、ジェーンとフェリクスは顔を見合わせた。
「旗騎士ってのはすごい分、どこかおかしいんだよ」
「心の底から同意する」
そう答えたジェーンは、ふと笑いだしてしまった。
第二部、帝国会戦:開闢篇になります。
自分の中でも混乱しそうなほど風呂敷を広げていきます・・・
8/20追記
執筆上、話に齟齬が生じたので、修正しました。
防衛線の構築が、会議以降に始まるのではなく、会議以前から始まっているようにしました




