1-2 六年前のあの事件
ピストルを拾ってホルスターに収めていると、酔いつぶれたスヴェンに肩を貸したラフェンテが合流してきた。
事情を話すと、彼は珍しく驚いた顔をして、取り敢えず騎士団本部に連れて行くことになった。
大陸から飛び出した三角形の半島を、丸ごと城とした帝都ビュザス。その半島の先端に騎士団本部は存在する。
古めかしい石造りの騎士団本部では、深夜の当直の騎士が眠そうに受付に座っていた。彼から地下牢のカギを受け取り、廊下を進んでいると、人形のように透き通った白い肌の女性がこちらに歩いてくるのが見えた。
若くして旗騎士となったアンナ・アーベンロートは、その黒いショートの髪揺らして、軽くラフェンテに頭を下げた。ラフェンテもスヴェンがずり落ちない程度に会釈する。
「どうも、アーベンロート卿。こんな時間まで起きていると、お身体に悪いですよ」
「ご心配ありがとうございます、ラフェンテ卿。ですが、今日は当直ですので・・・」
その紫の目でにっこりと笑いかけたアンナは、そう言って手を軽く上げて、後ろに続くフェリクスともすれ違った。
すると、ハタと気づいたように、アンナはフェリクスを、いや彼が背負う少女に振り向いた。
「?どうかしましたか、アーベンロート卿?」
「・・・あ、いえ、ごめんなさい」
不思議な顔をするフェリクスに、アンナは少し慌てた様子で、そそくさとその場から立ち去って行った。
―まさか
―でも、今感じた感覚はあの時の・・・!
アンナはある思いを胸にしながら、廊下を突き進んでいった。
◇ ◇ ◇
少女が自傷しないよう、つまり騎士術が使えないように、手足を縛り、口にも拘束具を付ける。いたいけな少女に酷なことではあるが、暴れられて死傷者が出るリスクに、背に腹は代えられない。
彼女を牢屋のベッドに寝かした後、スヴェンに冷水を浴びせてラフェンテに自室へ送ってもらい、フェリクスは医務室へ向かった。
そこで、何でできているのかよく分からない軟膏を傷口にこれでもかと塗りたくられ、手にはテキトーに布を巻かれたフェリクスは、「六年前のハリカルナッソス」のことを確かめる為、騎士団書庫へと向かった。
騎士団書庫は、一般の図書に加え、帝国領内の騎士が関与したり、騎士術が使用される若しくはそれが疑われる事件に関する報告書も所蔵している。
ドアを開けるともう夜更けであるにもかかわらず、書庫内のろうそくが灯っていた。誰かの消し忘れかと、フェリクスが首を傾げながら、東方の街ハリカルナッソスに関する書物を収めた棚に行くと、先ほどすれ違ったアンナがランタンと共に床に座り込んでいた。フェリクスの目当てであった、ハリカルナッソスの騎士事件を纏めた分厚い本を広げて。
「お疲れ様です、アーベンロート卿が。当直では無かったのですか?」
「カウフマン騎士・・・。少し気になることがありまして、つい。規則違反ですね」
フェリクスの言葉に、アンナは憂いを帯びた瞳で、ランタンの中の炎を見つめて答えた。
フゥと息を吐いたフェリクスは、その場に屈むとアンナと同じように炎を見つめた。
「“六年前のハリカルナッソス”。何かご存じなんですか?」
「・・・」
「俺はまだ従者だったので・・・大事件でもあったのですか?」
「私が騎士として叙任されて初めての仕事でした」
俯き、垂れた前髪で目元を隠したアンナがぽつりぽつりと話し始めた。
「アーベンロート卿を騎士として叙任したのは確か・・・」
「先生、いえロット卿です。あの任務も、先生が与えてくれたものでした。内容は簡単。先生と旧知のユージーンという騎士学者とその家族、妻に幼い娘が二人を警護する、というものでした。」
「・・・」
「初めての任務ということで、緊張もしていた私を、彼らは暖かく迎えてくれました。ジェーンが、長女が盲目の子だったのですが、姉に対するように私になついてくれて・・・。身寄りのなかった私を、先生以外で初めて家族のように扱ってもらい、とても嬉しかった・・・」
一つ、また一つと床に雫を点々と落としながら、アンナは鼻を啜った。
「だから、私は何としても、この任務は絶対に完遂しようと。何があっても彼らを守り抜こうと、そう息巻いていました。自分の実力不足も顧みず」
「・・・」
結果が予想できたフェリクスは、ただ黙っていることしかできなかった。アンナの言葉を待つことしか。
「その日は次女の、アビゲイルの誕生日で、私は家族に秘密で街の店にケーキを頼んでいました・・・。馬鹿ですよね。警護者なのに黙ってその対象の家を抜け出すなんて」
アンナは頭を抱えて、体を震わせた。
「帰る最中に、家の方で火の手が上がっているのが見えました。ケーキを放り出して、走って走って・・・息が切れようが、血を吐こうが、何とか駆けつけようと・・・。あと少しのところで、ノヴゴロドの騎士と時間稼ぎの戦闘に・・・」
「・・・」
「私は甘すぎた!任務に私情は不要だと、嫌と言うほど教えられていた。警護の際は絶対に離れるなと、何回も教えられていた。志だけでは何も成せないと、分かっていたはずだった!・・・それがわかっていれば・・・もっと、何者にも負けぬような力を持っていれば・・・あんなことにはならなかった!!」
声にならないような、うめき声を上げるアンナに、フェリクスもこみ上げてくるものがあった。
「でも、先ほどすれ違った、あなたが背負っていた彼女が、何かあの時の少女と同じ感じがして・・・あのジェーンと・・・」
「生きていた、と・・・?」
「良かった・・・本当に・・・!」
俯いたまま、声を押し殺して頷くアンナにハンカチを渡すと、フェリクスは彼女が抱えていた本をそっと受け取り、ざっと目を通した。
確かに近衛騎士団の警護対象として、ユージーン・ファミリアエという騎士学者とその家族が認定されており、警護担当者はアンナ・アーベンロート、責任者はその師匠であるメインデルト・ロットとなっている。六年前の1月9日に襲撃、家族全員の死亡が確認されている。
―確か “ファミリアエ”ってのは、少し前の旗騎士リチャード・ファミリアエの苗字だ。トリッキーな剣の型の使い手だったはずだ
―親戚って事なら、奇妙な剣の型を、ジェーンって子が使ってたことも頷ける。問題は何処でそれを学んだか、だが・・・
―それよりも、もし仮にあの少女が、ここで死んだことになっている盲目の長女、ジェーン・ファミリアエとするなら、この報告書は嘘をついてるってことになんのか?
死んだはずの少女が生きていて、さらにどこで学んだのか、巧みな剣の型を持っていた。
フェリクスがその事実に頭をひねっていると、突然頭上から声をかけられた。
「やあ」
「!?」
気配も感じさせず近づいてきた男に、思わず剣を抜きそうになったフェリクスだが、こちらを見下ろす顔に、ほっと一息すいてそれを話した。
「ロット卿!驚かさないでくださいよ・・・」
フェリクスの不満に、旗騎士メインデルト・“ランス”・ロットは、その頬のこけた顔に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なに、フェリクス君。ボクの愛する元弟子と、深夜に図書館で密会とは、親心としてあまり感じがよくなくてね」
「ちょっと先生、いやロット卿!私は別にそんなつもりは!」
「お、俺も別に!偶然ですよ、偶然!」
口を尖らせて反論するアンナとフェリクスに、メインデルトはカッカッカと特徴的な笑い声をあげた。
「あれぇ、そうなの?だってアンナちゃんが23歳で、フェリクス君が・・・今何歳だっけ?」
「・・・19ですが」
「でしょ?ボクはてっきり、ようやくアンナちゃんが男の一つでも、作ったのかと思ったんだけどねぇ~」
「ああ、でも騎士団を揺るがす大事件になっちゃうねぇ」と笑うメインデルトに、顔を赤くしたフェリクスは、話題を変えようと六年前の事件について聞くことにした。
「と、ところで、ロット卿はリチャード・ファミリアエという旗騎士をご存じですよね?」
「・・・おお、懐かしい名前だねぇ。長い騎士団の歴史でも指折りの実力者だったけど、10年前の小競り合いの中で砲弾が命中してね。右足を失って全身大やけどを負い、その後は引退して行方知れず。ボクの友人の兄でね。一回りも年が離れていたのに、良くしてくれたんだ」
メインデルトは「なんで今更彼のことを?」と言ったが、ふとフェリクスが手に持つ本を見て、ハッとした様子だった。
「その事件に、ファミリアエ一家が襲撃された事件に何か進展が?」
虚偽の報告書のこともあり、話すべきかどうか逡巡したフェリクスだったが、隠したところで団長代理を務めるメインデルトの耳には、否応なく入るであろう。
「実は、この事件、六年前のハリカルナッソスでノヴゴロドの騎士の襲撃に遭い、死亡したと思われていた、このジェーン・ファミリアエという少女に酷似した子と交戦しました。現在、処置を施した上、地下牢に収監しています」
「まだ可能性の話ですが、私もすれ違った時に、あの時の少女と同じ感覚を受けました」
「あの子が、生きていたのか・・・!」
どこかいつもフラフラと軽薄な表情のメインデルトは、珍しく信じられないとその瞳を見開いた。
何やら、「行方不明になってから、もう死んだと思っていたが・・・」などとブツブツ呟いてたメインデルトは、
「兎に角、彼女と話がしたい」
と言って、居ても立っても居られない様子で足早に地下牢へと向かって行った。
◇ ◇ ◇
何も見えない。
ただ赤い。
まだ幼い少女は、その小さな手足を懸命に振って走った。
燃え盛る家の中を。
薄くなる酸素に、息も切れ、波のように迫りくる炎が、少女の肌を弄る。
「お父さん!お母さん!」
必死に叫ぶが、返事は無い。
何かに躓いて転んだ。
目が見えない少女には、それが何なのかよくわからなかった。
温もりを感じる、柔らかい物体。それに触れた少女の手に、べっとりと液体がついた感覚がした。
煙のせいなのだろうか。溢れ出る涙を拭って、少女は立ち上がると、また家の中を走り出した。
どこかにいるはずの、自分の大切な・・・
息苦しさに、ハッと目を覚ますと、視界は真っ黒に染まっている。少しかび臭い匂いと、手に触れる布の湿り気具合から、地下にいるようだ。
体を起こそうとしてみるが、両手両足が縛られていて、なかなかうまくも行かない。
口につけられた枷のせいで、唇を噛んで血を出すこともできず、騎士術も使えない。
闇雲に動いても無駄だろう。
天井から水滴が落ちてきているのだろうか、時折聞こえる、雫が垂れる音に耳を澄ませる。
目は見えないが、その分耳や鼻で“視る”。
音の反響で何となくではあるが、辺りの様子が分かってきた。どうにも牢のようなものに入れられているようだ。
廊下に面したほうは金棒が上から下まで刺さっている。それと反対側の壁の上の方に、小さな窓、というか穴が開いているが、人が通れるような大きさではないようだ。それ以上は音が広がってしまい、よくわからない。
少女、ジェーン・ファミリアエは、これからの算段に頭を捻った。
ふと、壁からベッドの端まで伸びて、それを固定している鎖に肌が触れる。
体を転がして、手の届く範囲でそれを触っていくと、一か所鉄が欠けているのか、鋭利な部分を見つけた。
なんとか手を伸ばして、そこに手縄を擦り付ける。
ともすれば、肩が外れるかもしれない危険な賭けであったが、それでも何とかしてここから出なければならなかった。
ようやくあの事件のことを、もっと詳しく知る人に会えるかもしれない。
あの女のことが分かるかもしれない―
◇ ◇ ◇
ようやく顔から赤みが消え始めたスヴェンが、自室に向かおうと、大欠伸をしながらトボトボと階段を上がっていると、上からギシギシと階段の軋む音が響いてきた。徐々に迫りくるその音に、眉を顰めたその時、踊り場から出てきたのは、アンナとメインデルトという師弟の旗騎士コンビと、何故か友人のフェリクスだった。
急いで駆け下りていくフェリクスに、何か楽しそうな匂いを嗅ぎつけたスヴェンは、「待てよ!」とその後を追った。
「なんだいなんだい、俺を置いてくなっつーの!」
「あ、いたのかスヴェン」
「ぶっ飛ばすぞ、お前」
とぼけた様子のフェリクスを軽く小突く。
「さっき牢屋にいれた子いただろ?あの子に用があるんだ」
「おー、あのカワイ子ちゃんねぇ!いやぁ、ありゃあんなレベルの子は、帝都でもそうそう見ねぇぜ!・・・ヒッ!」
浮かれるスヴェンは、前を走るアンナが唐突殺気立った目を向けてきたことに、鳥肌を立てる。
「な、なんでアンナさんあんな怒ってるんだよ!?てかなんかいつも俺に冷たいんだよなぁ・・・お前には優しいのによ」
「日頃の行いだろ」
涙目のスヴェンにとなんやかんやと騒いでいるうちに、地下牢前の扉についた。
まずメインデルトが、「鍵」という視線をアンナに向けた。すると今度はアンナがにっこり笑って、フェリクスを見る。フェリクスはハッという嘲りの顔を、スヴェンに向け、クイッと顎で受付の方を指した。
「俺かよォ・・・ってか先に言っといてくれたらよかったじゃん・・・」
グチグチ言いながら、一階の受付へと階段を戻るスヴェンを見送る。
ほどなく息を切らしたスヴェンが分厚い入口の扉を開け、四人は牢屋の前の廊下を進んだ。奥に3つ行ったところに、フェリクスたちは少女を収監していた。
「開けてくれ」
メインデルトにスヴェンが頷くと、牢の扉を開け、少女に近づく。
アンナとメインデルトも続けて牢に入り、固唾を飲んだその瞬間―
縄で手を結ばれていたはずの少女が、両手を突き上げてスヴェンを押し退けた。
ランク的には
旗騎士
↓
騎士
の順です。