1-16 誓ったもの
振るった切っ先が、男の拳を撫でる。
だがそれに微塵も怖気づくことなく、男、ドミニクス・ファン・ボッセは、その岩のような拳をフェリクスに叩きつけた。
―ッ!!
―クソッ!!
頬にめり込んだ拳は、口内と鼻骨を破壊し、脳を揺らす。
よろめくように後退ったフェリクスの鳩尾を、ドミニクスは容赦なく殴り上げた。
「グッ・・・!」
―息がっ!!
胸を抑えてうずくまるフェリクスを、ニタニタと笑ったドミニクスが踏みつけた。
「おめぇ、さっき俺になんて言ったよ?オオ?ぶちのめすって吠えてたよなァ?」
ガッガッとブーツで頭を踏まれながらも、フェリクスは抵抗することが出来なかった。
―チクショウ・・・!
―こんな奴・・・!!
「んじゃあ、死ぬか」
ナーシャと同じようにブンッと腕を振って、短剣を袖から出したドミニクスが、それをフェリクスの首元へと振り下ろす。
―やべぇ・・・!!
「舐めんじゃ・・・ねぇ!!」
何とか息を整え、口にたまった血をドミニクスの足に吐きつける。
「っ!?」
血が赤く発光したその瞬間、激痛がドミニクスの足に走った。
実戦慣れしているのであろう。隙を突かれたものの、ドミニクスは慌てることなくナイフで血のついたズボンを切り破いた。
―報告にあった、コイツの騎士術か
―・・・なるほどなァ
顔を上げたドミニクスの前では、フェリクスが長剣を構えていた。
「いいねェ!騎士同士の戦いなんだ、騎士術をぶちかましていかねぇとな!!」
地面を蹴り上げ、突風のように迫るドミニクス。
その拳がフェリクスを捉えたが、フワリと宙を突き抜けただけだった。
「『貝想夢』!お前にはどうな風に見えたんだ!?」
姿が掻き消えると共に、ドミニクスの背後から、にやりと笑ったフェリクスが剣を振りかざした。
しかしその剣が“振り下ろされることは無かった”。
ドスッ!
胸に衝撃が走った。
目をやって、フェリクスは顔を愕然とさせた。
五寸釘のような針が彼の胸を貫いていた。血が針を伝い、大地に滴る。
針の根元は、ドミニクスの手首へと繋がっていた。
―ウソだろ・・・!
―初見で俺の蜃気楼を読んだのか!?
―どうやって・・・!?
今度はドミニクスがにやりと笑う番だった。
「甘い奴だなァ・・・。お前は一体何人の騎士と戦ってきたんだ?」
「・・・何を・・・」
「俺もお前の噂は聞いてたさ。この三年間、前線で暴れまわってる小生意気なエルトリアの騎士がいるってな。ふざけたことに二人で、こっちの騎士六人を潰しちまったらしい」
「だが、まぁそいつは弱いのがいけねぇ」とドミニクスは付け足した。
「問題は、そんな暴れまわった奴の情報が、知れ渡ってねぇと思ってるお前のお頭さ」
グリグリと針を動かし、傷穴を広げるドミニクス。
「知ってりゃあ簡単だ。予力で対応できるからなぁ」
―そう言うことかよ・・・!
―クソッタレ、舞い上がってたぜ・・・
何とか腕を振るって、ドミニクスを払いのける。
針の抜けた穴からは、とめどなく血が流れ出た。
―肺が・・・!
―・・・息が苦しい!!
―それでも・・・
徐々に赤みを失っていく顔を叩き、再び剣を構えた。
短剣が月明かりにきらめき、長剣が風を切る。
両手の短剣と拳から繰り出される、素早く、しかし重い一撃。
―速い・・・!!
―予力で攻撃の予測はできる
―だが奴の速度は、“俺が剣を構えるよりも速い”!!
短剣がフェリクスの脇腹を抉り、拳が腹に叩きつけられる。
衝撃は腹筋を突き抜け、内臓にも及んだ。
歯が震え、口から血が噴き出す。
それを拭ってフェリクスはがむしゃらに剣を振るう。
素早いステップでそれを交わし、フェリクスの懐へと入り込んだドミニクスの一撃が、またもや体を射止める。
突き上げられたフェリクスは、ふわりと宙を舞い、倉庫の壁に叩きつけられた。
瓦礫を払いのけて、何とか立ち上がったフェリクスにドミニクスが飛び掛かり、その顔に膝蹴りを入れる。
ガッと首の骨が音を上げ、再び壁に打ち付けられる。
圧倒的な実力差。
それがフェリクスとドミニクスの間にあった。
―チクショウ・・・
―コイツは俺が今まで戦った、どんなやつより強い
―この三年間、鍛え上げたつもりだった。
―もうどんなやつを相手にしても、守れるように・・・
「味気ねぇなぁ。多少なりともやってくれんのかと思ったが・・・結局、“あの爺さん”ほど強い奴はいねぇのかもしれねぇな」
「あの爺さん・・・?」
「オウ、なんだまだ喋れるのか。なら教えてやるよ」
ドミニクスは嬉しそうに笑って話し出した。
「あの爺さん」、リチャード・ファミリアエについて。
「負けかけた、というほぼ負けた。死ぬはずだったんだが、あの爺さんの首が“突然飛んでな”。俺は死なずに済んだ」
ガバッと上着を脱いだドミニクスの胸には、たくさんの傷跡が刻まれていた。
「話は終わりだ」と、短剣をフェリクスの首元にそっと添える。
「良かったな。だいぶ離れたから死に目を仲間に晒さずに済むぜ」
―・・・
―そうか、もうだいぶ離れていたのか
―なら・・・“出してもいい”ですよね。先生・・・!
二年前。
フェリクスは師であるレネ・ラフェンテから、もう一度初心に帰って騎士術の手ほどきを受けていた。
メルセン・コッカと戦って以降、自分たちの力不足を痛感したフェリクスとスヴェンは、様々な訓練を行った。
騎士術の間接発動もその一つだった。
血そのものではなく、あくまで間接的に発動させる。
ラフェンテはスヴェンの剣のように、想像できる騎士術なら発動しやすいと言った。
しかし、フェリクスの血の温度を操るという騎士術は、どうにも間接発動には合わなかった。
冷たいと熱い。それには形や目に見えるものが無い。
風のようでもない。炎のようでもない。
だが、その程度のことで落ち込んでいられる場合では無かった。
もっと強くならなければならなかった。
もう二度と、メルセン・コッカとの戦いのようなことは・・・!
ラフェンテは「実は自分も間接発動がほぼできない」と笑って言った。
「騎士術によっては、不可能なものもあります。直接発動しかできない騎士術ならば、するのは一つ。それを徹底的に鍛え上げることです」
その言葉通り、フェリクスは血を吐くほどの練磨を続けた。
その歳月の果てに、“それ”を手に入れた。
師に“禁術”とされたもの。
フェリクスの指がピクッと動いたのを、ドミニクスは見逃さなかった。
―っ!
突然身を襲った激しい揺れに危険を感じ、フェリクスから距離を取った瞬間、さきほどまで立っていたところに地中から真っ赤な柱が天を突かんばかりに噴出した。
―んだァ・・・!?
目の前の光景に、ただただ啞然とするドミニクス。
ふと腕に雫が垂れた。
チラリと視線を向け、わが目を疑った。
ドロリ・・・と服が熔解し、その肉を食い破り、骨まで見えている。
―っ!?
―なッ・・・んだァアアアアこりゃあああ!!!
一歩遅れて迫った、“腕が焼け落ちるような激痛”に汗を流す。
そうこうしている間にも、また一本また一本と、至る所から柱が突き出し始めた。
ドミニクスの目の前に、ポタリと蛍のような光が落ちる。“それ”は、ブクブクと音を立てて、―“石畳を熔かした”。
―まさか・・・!
―いやでも、こんな小僧じゃ・・・
空を見上げたドミニクスの視界には、まるで空に輝く無数の星のような輝きが、降り注いでくるところであった。
真っ赤な柱と、自身の腕、そして熔けた石畳。
自身の経験から弾き出された答えを、ドミニクスは否定できなかった。
―間違いない・・・!!
―コイツは岩漿・・・
―マグマだ!!!
「そいつは神の領域だぜ・・・小僧!!」
噴き上げる赤。
それは橙色でも、黄色でもなく、百人が声をそろえて言う、赤色だった。
触れたもの、全てを熔かし、ドロドロと辺りに広がるそれに、呆然とする弟子を安全な高台へと引きずった師は、汗を額に浮かべて言った。
「・・・この技は危険です。仲間を巻き込む恐れもある。易々と使ってはいけません」
―すみません、先生
―何回でも怒ってください。殴ってください。
―それでも今は、やらなきゃいけないことがあるんです!!
「『赤吼天融』」
マグマの柱を割る様にして、中から現れたフェリクス。
―・・・コイツは確か氷震を起こせたはずだ
―それで亀裂を地中深くに作り、圧が抜けたマグマを吹き出させたってわけか
―イカれてやがる・・・!
降り注ぐ火山岩と、足元へ迫る溶岩に冷や汗を流しながら、それでもドミニクスは短剣を手放さなかった。
自分の血の温度を急激下げて、空中の水を固めて氷の道を作る。
その上を悠々と歩いてくるフェリクスに、ドミニクスは笑って飛び掛かった。
「大層な切り札だが、ここが地獄と化す前にお前にとどめを刺すとするぜ!」
「笑わせんな・・・!ここがお前の地獄だよ!!」
地面に浸ったマグマから噴き上げる熱に身をさらしながら、剣を交える。
足場はフェリクスの作る氷と、ところどころにある瓦礫の山。
一歩間違えれば、自分の体は跡形もなく溶け去る。
フェリクスの騎士術はあくまで血の温度を操るのみ。
吹き出したマグマを手足のように使うことも、作り出した氷のジェーンのように操ることもできない。
この地獄で大切なのは、例えこの身が無くなろうとも、ドミニクスを倒すこと。
曲芸師のようにピョンと飛び跳ね、地面を這い、フェリクスの剣を躱すドミニクス。
間合いに入られれば、一突きで勝負が決まる。
素早く後方へジャンプし、寸前のところでドミニクスの拳を避ける。
しかし後ろはマグマの海。
―くそっ
―もう騎士術はあんまり使えねぇってのに!!
かと言って、ここで死んでは元も子もない。ドミニクスを確実に仕留めるには、自らの手で剣を突き立てる必要がある。
ボトボトと体から滴り落ちた血が、マグマの大海に沈むその直前に騎士術を発動した。
「『飛烈陣風』!」
追い風を受けて、まるでフェリクス自身が一本の槍のようになってドミニクスに襲い掛かる。
だが、予力で予期していたのか、ドミニクスはそれに恐れることなく、むしろ自分が突っ込んでいった。
その大樹の幹のように太い腕で、フェリクスの顔面に強烈なラリアットを決める。
顔を顰めて後ずさる彼の腕を、そのまま握りしめるとまるで放り投げるかのように、一本背負いでフェリクスを瓦礫の山に叩きつける。
足場が不安定で、下手に重心を傾ければ、あっというまにマグマに沈むような状況でも、ドミニクスの動きは何ら変わらず、むしろより素早く、そして強力になっていた。
身体中で骨が折れ、残っているものも軋みを上げる。内臓も度重なるダメージを受け、口からはゼリー状の塊のような血が吐き出た。
それでも、フェリクスは再び剣を持って立ちあがった。
「心意気だけじゃ、何もできねぇよ」
ドミニクスは無表情でそんなフェリクスを蹴り飛ばした。
「男なら潔く負けを纏めて、死にやがれ。俺は“あの娘”に用があるんだ」
倒れているフェリクスの手のひらに、ザクリと太い針が突き刺さる。
ドミニクスは、抵抗を受けずに“確実にフェリクスを殺す”ために、四肢に同じような針を刺しながら言った。
「お前の能力は確かに凄いぜ。こんな地獄絵図を作れる奴なんざ、指で数えるほどしか見たことねぇ」
「だがな」と言葉を続けた。
「分かってんだろ?お前じゃ、オレには“勝てない”」
「勝てない」というたった四文字に、フェリクスの心は大きく揺さぶられた。
―勝てない・・・?
―俺じゃ勝てない?
―俺じゃ・・・
そう思った瞬間、いままでの記憶が頭の中を駆け巡った。
不思議なことに、時は止まっているようだった。
ああ
これが走馬灯か
勝てない俺の人生は、ここで終りを迎えるのか―
燃える街に潰れた親友
騎士になろうと誓ったあの時
頭の中を空っぽにして
ひたすら走った騎士までの道
“友”との出会いとその腐れ縁
ジェーンと出会ったあの日の夜
赤い炎が街を包み込み
何とか倒したメルセン・コッカ
そして誓った
この・・・
―「俺じゃ勝てない」?
―笑わせんな
―勝てないもクソもねぇ・・・!
「勝つんだ・・・!!」
「勝つ、だァ?」
訝し気にフェリクスの顔を覗き込んだドミニクスは、彼のその顔に戦慄した。
―なんだっ!?
―なんなんだ、この小僧は!!
―ふざけるな・・・!
「お前・・・!」
「もう、アイツをこれ以上苦しめることなんてさせねぇ!」
針から右手を持ち上げて引き抜く。後端の返しで肉が千切れ飛ぶのも気にせず。
「もう、アイツをこれ以上傷つけることなんてさせねぇ!!」
穴の開いた手で、長剣を握りしめた。
「もう、アイツには指一本触れさせねぇ!!!」
悲鳴を上げる体を叩き起こす。
ドミニクスは動かなかった。
“動けなかった“。
マグマの赤色に染まった長剣を上段に構える。
「が、ガキが・・・」
「そう、“人生”に誓ったんだ!!!」
風を切る音と共に、剣が振り下ろされた―
「メルセン・コッカの下で動け」
―・・・ふざけるなよ?
ノブゴロド軍の暗殺騎士として相応の名を築いたドミニクス・ファン・ボッセは、上官の命令に一言、そう思った。
本当はもっと思ったことがあったのかもしれない。
だが真っ先に湧いてきた言葉はそれだった。
しかしその気持ちを、上官であり、尊敬している騎士将軍、アルフレッド・ベーヴェルシュタイムにぶつけるほど、ドミニクスは莫迦な男ではなかった。
だが自分の気持ちを押し込めたまま、仕事をこなせるほど器用でもなかった。
そしてドミニクスはそれを自覚していた。
だからメルセン・コッカに勝負を挑んだ。
木剣なんて生温い戦いはしたくない。
騎士術無しなんて生易しい戦いはしたくない。
本気のお前を本気の俺がぶっ潰す。
鋭く放たれた一突き。
剣が遠く空へと弾け飛んだ。
彼女の数倍はあろう、ドミニクスの巨体が吹き飛ばされた。
それでも体を起こそうとするドミニクスの首に、コッカがレイピアを突きつけた。
―女だからなんて、そんな軽い嫌悪じゃねぇ。
この何を考えているのか分からない眼が嫌いだった。
どこか自分に芯を無くしたようなこの顔に虫唾が走った。
それでも強い、彼女のことを心底呪った。
鎧袖一触。
その言葉通り、一瞬でドミニクスは彼女に敗北した。
圧倒的な実力差だった。
圧倒的な知識差だった。
圧倒的な技術差だった。
だから鍛錬を積んだ。
昼も夜も、晴れでも雨でも、春も夏も秋も冬も。
その成果はメキメキと自分の仕事で表れた。
彼女がエルトリアの帝都で11人の騎士を暗殺したように、ドミニクスもエルトリアに潜入し、総督や要人を次々に暗殺した。
いつからだろうか。
次第に彼女の力が落ち始めたように感じた。
常日頃から剣をぶつけあっていたドミニクスだからこそ、それを強く感じ取った。
それでも彼女に勝てなかった。
暫くして、二人に任務が言い渡された。
エルトリアに潜入し、ある騎士学者を暗殺・資料の回収する。
そして、特異的な騎士術の素養がある“次女”を攫う。
それが任務内容だった。
もちろん、目撃者は一人残らず抹殺する。
警備についている騎士も含めて。
標的の家が燃えているのを木に寄りかかって眺めていると、ハァハァと息を荒くしながら、急な坂道をこちらへ懸命に上ってくる少女が見えた。
情報にもあったが、ドミニクス自身もその少女のことを噂で聞いていた。
まだあどけない、まるで人形のように可愛らしい少女が、エルトリアの騎士の中でも神童と呼ばれている、アンナ・アーベンロートであるということを。
しかし、コッカに追いつけるように敏捷性を高め、彼女の騎士術に負けないよう剣の型を極め、彼女の突きに耐えられるよう体を鍛え上げたドミニクスと、アンナの力量差は天と地ほどもあった。
ドミニクスに遊ばれるように、幾度となく道を遮られ、押し返されたアンナだが、彼女は決してあきらめなかった。
涙を啜り上げ、血を拭ってから何度も、何度も家へ駆けつけようと坂を駆け上がる。
そこにどこか自分がコッカに挑んでいる姿を重ねてしまったドミニクスは、この少女に腹の底が煮えくり返るような怒りを感じた。
それは、どこかで分かっていた、コッカに勝てないという事実を受け入れず、ひたすら彼女に向かって行く自分への怒りと、そしてそれでも何か認められない意地からくるストレスが合わさっていた。
―殺してやる・・・!
アンナの細い首を締め上げながら、徐々に湧き上がる快感に身を浸らせていると、そのドミニクスの太い腕を、パシリッとコッカが掴んだ。
「んだァ?目撃者は全員殺すんだろ?」
「・・・ボッセ。やめろ」
「オイオイ、冗談はよせよメルシー。まさかコイツを生かして帰せってんじゃねぇだろうな?」
「お前に敗れるような神童だ。エルトリアの騎士のたかが知れる。敵にはならない」
暫く目線をぶつけあった二人だったが、結局ドミニクスはアンナを放した。
首を絞められ、酸欠になったのだろう。彼女は意識を失っているようだった。
「それでいい」
そう言って林の中へと姿を消していくアンナに、ドミニクスは吐き捨てるようにツバを吐いた。
彼女が警護の騎士を見逃したことは、別段ベーベルシュタイムにも報告しなかった。
報告したところで、もうやってしまったことは仕方がないし、それで自分が責任を問われるのも御免だった。
いつものように、訓練場でコッカと手合わせと言う名の真剣勝負を挑む。
彼女の放つ突きは、異常に弱々しかった。
彼女の動きは、異常に鈍かった。
彼女の炎は、風前の灯火のようだった。
こんなにもドミニクスがコッカを追い込んだことは無かった。
遂にいつぞやに自分がやられたように、彼女のレイピアを天高く弾き飛ばした。
すかさず首元に短剣を押し当てる。
待ち望んだはずなのに、どこか満ち足りたものが無い。
ドミニクスは焦った。
本当に自分は勝ったのだろうか。
失望。
嫌悪。
乾き。
そんな言葉が胸中をグルグルと駆け巡る。
いつの間にか笑っていた。
乾いた笑い声だった。
“手合わせ”のあと、ベーベルシュタイムに呼び出された。
部屋に行くと、攫ってきた次女がいた。
「君、彼女を育てたまえ」
―・・・ふざけるなよ?
ドミニクス・ファン・ボッセは上官の命令に、一言そう思った。
本当はもっと思ったことがあったのかもしれない。
ただ真っ先に湧いてきた言葉はそれだった。
医者に洗脳を受け、終始ボーッとしている少女を連れて廊下に出ると、メルセン・コッカとすれ違った。
彼女の虚ろな瞳には、今目の前にいるドミニクスはおろか、先ほど敗北したことすら写っていないようだった。
ドミニクスは決心した。
「この女の脳裏に、俺の存在を刻み込んでやる」と。
絶対に忘れさせない。
この俺の存在を。
だから、自分ももっと強く、少女も強く育ててやる。
お前なんかよりも、俺たちはもっと高みへ行く。
六年後に、コッカが任務に失敗したと聞いた。
五年前に老人から付けられた傷跡を撫でながら、ドミニクスは瞼を閉じた。
あの何を考えているのか分からない眼が嫌いだった。
どこか自分に芯を無くしたようなあの顔に虫唾が走った。
弱くなった、彼女のことを心底呪った。
分厚い胸板にザックリと剣の跡が刻み込まれる。
傷跡を抑えながら、ドミニクスは二、三歩後退った。
目の前では、少し前まで自分に追い詰められていた少年が剣を構えていた。
その顔には、かつて戦ったアンナの、そしてコッカに挑んでいた自分と同じ色が宿っていた。
「小僧が・・・おめぇがその顔をするんじゃねぇよッ!!」
怒りに任せて拳を振るう。
何故かはわからないが、腹の底が煮えくり返るような怒りが沸き上がった。
―クソが!
―どいつもこいつもふざけやがって!
―俺は強いんだ!!!圧倒的に!!
だが、幾度振るっても拳はおろか、装着した短剣すらフェリクスの体を捉えられない。
逆にフェリクスの剣は徐々にドミニクスの速度に追いつけてきた。
「その顔を・・・その顔を俺に向けるんじゃねぇ!!」
吠えて猛然とフェリクスを殴りつける。
その拳をバシッとフェリクスが受け止めた。
―なッ・・・!!
その事実に目を見開いたドミニクスだったが、直後に視野が反転した。
地面に投げつけられたと気づいた時には、眼前に切っ先が迫っていた。
「終わりにしようぜ、ボッセ」
ああ
なんだこれは
首が熱い
視界が歪む
体が動かねぇ・・・
ふと首に突きつけられた剣の先にフェリクスの顔が見えた。
その血にまみれた顔には、確かに勝利の喜びが写っていた。
それだ
腹が立ったのはそれだ
俺はその顔でアイツに勝ちたかった
万全のアイツと戦って勝ちたかった
俺が弱かったんだ
最初からもっと強ければ
途中アイツを支えてやれば
きっと俺もその顔で・・・
ズッと重い長剣を抜き取り、血を払ってから鞘にしまう。
体は重かった。
血は足りないし、行ったところで何もできないかもしれない。
それでもマグマを避けて、フェリクスはジェーンの方へと足を踏み出した。
20/8/24 カクヨムに合わせ、途切れ途切れになっていた話を繋ぎ、一話にしました




