1-15 死にたい
―チィ!
―このオッサンの攻撃、いちいち嫌らしいなオイ
剣を素早く振って、間合いを詰めてから下からの斬り上げという剣の型のボードウォークに、スヴェンは舌打ちをした。
よく撓る薄い剣での攻撃一つ一つは、非常に軽く、防ぐことは容易だが、されど攻撃の間隔が非常に狭いので、そうやすやすと反撃に出れるわけでは無い。しかも軽いとはいえ県と県同士のぶつかり合い。ただでさえ通常より重い長剣を使っていて、長時間同じ態勢を取るのは難しいスヴェンにとって、防御がちょうど緩んできたタイミングで来る斬り上げに、なかなか対応のめどが立たない。
一方で剣をまるで鞭のように片手で振るボードウォークは、汗一つかいていない様子だった。
「・・・流石といったところだな。スヴェン・エルマンデル君」
「あぁ?」
「そう怒らないでくれ。これでも褒めているつもりだ。よくぞそこまでレネ・ラフェンテの下で、基本の剣の型を磨き上げたものだ、とね」
言い切らないうちに、ボードウォークは独特の構えを取って、再びスヴェンへと迫った。
―右上!
―左下!
―今度は中央か!
予力を使って、次々と迫る剣を防ぎつつ、スヴェンは「キリがねぇ」と悪態をついた。
「あくまで私、個人の見解だが、基本型は騎士同士の戦いにおいて最も相手にしたくない型といえる」
少しも息を荒げることなく、剣を振りながらボードウォークが口を開いた。
「どんな攻撃に対しても、一定の防御力を有し、どんな防御に対しても一定の攻撃を有する。悪く言えば器用貧乏型、しかしよく言えばオールマイティ型。ああ、とても面倒だよ・・・!」
ジリジリと後退し、ついに壁際まで追い込まれたスヴェンは、なんとかその重い腕を振るって最後の斬り上げを防いだ。
「・・・アンタ、糞野郎だな」
「フム、中々興味深い意見だ。何か失礼な発言をしたなら取り消そう」
どこまでも余裕な様子で両手を広げるボードウォークに、スヴェンは「ちげぇよ」と吐き捨てた。
「アンタの戯言なんざ、右から左だ。確かに、きったはったの死合いの最中に、ペラペラうるせえが問題はそこじゃねぇ」
「ほう、ではどこが問題かね?」
「戦いを舐めてるってとこさ・・・!斬り上げの後、アンタの実力ならすぐに振り下ろすことも可能なはずだ。今だって、俺の疲労を見越してこうしてお喋りと決め込んでやがる」
ペッと唾を吐き、侮蔑の表情を向けるスヴェンに、ボードウォークは「面白い」と笑った。
「否、非常に面白い。つまりこの下らない争いに手を抜いている私に対して、君は腹を立てているということか」
「ハッ、下らねぇか、まだ判断するのは早いぜ!」
大きく振るったスヴェンの刃を躱して、がら空きになった彼の首元へと剣を滑らせるボードウォーク。
―無謀な・・・!
しかし、その剣をスヴェンは躊躇なく手で受け止めた。まるで待っていましたとでもいうように。
「ッ!?」
「“死合い”ってのはこういうもんだぜ、オッサン!!」
手の平がざっくりと斬れるのも気にせず、喜々とした顔でスヴェンはその頭を、目を見開いたボードウォークへと叩きつけた。
ドゴンッ!という音共に、骨と骨がぶつかり合い、どちらも数歩後ろによろめく。
「クッ・・・!」
「オラァ!!こんなもんじゃ終わんねぇぞ!!」
額から血を垂らしたスヴェンが、叫びながらボードウォークに剣を振るう。
ボードウォークは近づかせまいと剣を斬り上げたが、その剣をスヴェンがブーツの底で受け止めると、思いっきり踏み下ろした。
―馬鹿な!
―基本型で姿勢を乱すのは、まず禁じられている行為だ!
「『型は極めるもので、囚われるモノじゃねぇ』って教わったぜ!!」
上段から振り下ろされた長剣が、ボードウォークの右肩から左わき腹へとぶった切る・・・はずだった。
なぜか剣は肉を裂いた感覚も、骨を断った抵抗もなく、振られた勢いのまま地面へと叩きつけられた。
―なんだ!?
―何が!?
愕然とした顔を向けるスヴェンに、ボードウォークは笑って見せた。彼の体は、スヴェンの剣が斬ったはずのところだけ、“消えている”。
瞬間、ドンッという重い音がスヴェンの耳に木霊し、強い衝撃が腹部に走る。
―・・・!?
―撃たれた?
腹に手を当てると、真っ赤な血が指の隙間からぽたぽたと地面に落ちる。
「・・・確かに、驚いた。そして今とても気分が高揚している。戦いとはこういうものだったのかもしれないな」
「てめぇの・・・騎士術・・・!」
「ああ」
頷いたボードウォークの片腕は肘から先が無くなっている。切断されたとかそう言うものでは無く、そこから先がまるで透明になってしまったようである。
「一つ忠告しておこうか、エルマンデル君。君たちがここに赴いたのは、この私を捕縛するという任務故であろうが、ではなぜ君“たち”だと思うかね?」
「・・・さあね。俺が留守の間に、フェリとジェーンが間違ったことしねぇようにじゃねぇのかァ?」
肩で息をしながら強がってみせるスヴェンに、ボードウォークはチッチッチと指を振った。彼の体はいつの間にか“元通り”である。
「通常この手の任務は、二人の騎士で行う。何か不備が生じたら問題だからね。そして・・・それ以上の人数の場合、“その数で当たらないと歯が立たない”ということを意味する」
「つまり何か・・・?俺一人じゃ、アンタには太刀打ちできねぇってことか?」
「理解が早くて助かるね。礼として、これから私は全力で戦おう。君の好きな、“死合い”だよ」
さきほどよりもずっと俊敏に距離を詰めたボードウォーク。彼の振った剣をなんとか防ぐ。剣がぶつかり合い、火花を散らす。
さっきよりも腕が重い。
クソッ、馬鹿だな・・・このオッサンの騎士術はわかってたってのによォ
しかも剣を振る速度も、その重さも、見違えてやがる
こんな長剣じゃあ、対応できねぇな・・・!
それに・・・
突然後ろに下がって、剣を放り投げたスヴェンに、ボードウォークは怪訝な顔をした。
「さっきアンタ、俺じゃ勝てねぇって言ってな」
「降参・・・というわけでもなさそうだ」
「一つ聞かせてほしンだけどよ。アンタの力は、俺ら三人でようやくトントンってとこか?」
「そう言ったつもりだったが?」
それを聞くと、突然スヴェンは吹き出すようにして笑い始めた。初めは堪えていたものの、次第に大声で笑いだした。
「何が面白いのかね?」
「フハハ、いやぁ済まねぇな・・・ハッハッハ!なに、俺はここで死なないって事が確定しただけさ・・・」
剣を作る騎士術を、間接発動したスヴェンは、先ほどまでもっていた長剣よりもずっと軽いそれをもって、笑いながらボードウォークへ斬りかかった。
もはや型など微塵の関係もなく、剣はただ自身の力任せに振られる。
突然の猛攻に、防戦一方となるボードウォークだったが、剣と剣のぶつかり合いでは、軽く撓る彼の剣では、圧倒的に不利である。
剣を弾かれ、大きくできたスキにスヴェンが剣を振り下ろしたが、再びボードウォークがその部分だけ体を天使させて躱した。
「つまんねぇことすんじゃねぇよ!!」
「突然力を増したことは称賛に値するが、私の騎士術は君では破れんよ!」
転移させた、剣を持った腕がスヴェンの背中を切り裂く。
だがスヴェンは吹き出る血を、気に求めず、槍のように自身の剣をボードウォークに投げつけた。
再び体を転移させたボードウォークだが、そこに今度は大鎌を作ったスヴェンが襲い掛かる。
「っ!・・・君の能力もだいぶ面倒じゃないかね!」
「ハッ、そいつはどうも!・・・俺も礼程度に教えてやるが、これはもう死合いじゃねぇ!下らない争いだぜ!」
「これはまた・・・一体どういう風の吹き回しかね?」
防いで斬って、斬って防いでを繰り返す鍔迫り合いの最中でも、二人の会話は止まらなかった。
「アンタは弱いからさ!・・・俺ら三人分と同等だと!?そしたら、俺の相手じゃねぇんだ・・・よっ!!」
ブンッと音を立てて迫った鎌を屈んで躱し、スヴェンの体を斬り上げた。
剣の撫でた、腹・腕・胸から血がブシャッと溢れ出る。
ヨロヨロとよろめいたスヴェンに、首を傾けてコキコキと鳴らしたボードウォークがゆっくり歩み寄っていった。
「君の体はもう血まみれだ。この状況で、いったいどうして私が君の相手ではないなどと言えるのかね?君は、私に死合いの楽しさを教えてくれたというのに」
「・・・つまんねぇ戦いだからさ。いうなればこれは消化試合だ。俺も馬鹿だな。とんだ間抜け相手に、舞い上がっちまったもんだぜ」
傍から見れば、追い詰められ、悔し紛れに悪態をついているようにしか見えないが、ボードウォークはスヴェンの目を見て、背筋をゾッとさせた。
顔を血で真っ赤に染め上げながらも、ギョロついたその目は異様なほど光を放っていた。
勝利や生への執着ではない。
怒りと怒りと怒りと、ほんの僅かな哀れみ。
それが光を放っている。
―なんだ、この男は・・・
―なぜ突然、ここまでの怒りを・・・?
―そしてなぜ、私に哀れみを向ける!?
―私の方がはるかに傷を負わせている
―私の方がはるかに優位に立っている!
―私の方がはるかに・・・!!
何とも言い難い、腹の奥底から溢れ出るようなどす黒い恐怖の念に駆られて、無意識に剣を振るう。
スヴェンは無抵抗だった。
二度、三度・・・。振られた剣の数は知れず、どのくらい経ったのだろうか。気づけばボードウォークは息も絶え絶えだった。
目の前では、体中を切り刻まれ、もはや動くことすら敵わぬようなスヴェンが、膝をついて俯いていた。
遥か下に広がる地上を、手すりも何もない、半壊した石造りの塔から覗き込む。
ここから飛び降りれば、世界をどうなるのだろうか。
あの硬い地面の下には、別の世界が広がっているのだろうか。
魂だけは入れるのだろうか。・・・体は入れずとも―
普段は何も思わない、ただの地面に、何か吸い込まれるような魅力を感じ、ボロボロの服と、手入れの行き届いていない黒髪が特徴的な少年は、そのまだ小さな手を眼下に向かって突き出した。
もう少し・・・
もう少しで何かが手に入るような気がする。
少年はズリズリとその身を乗り出していく。
バランスを崩し、上半身の支えを失った彼の小さな体は、重力に、彼にとっては“魅力的な力に惹かれて”、グラリと塔から落ちだした。
ああ、これだ。これこそ、望んだもの。
「危ないっ!!!」
静かに目を閉じた少年の手を、誰かがガシッと掴んだ。
あまりに強く握るものだから、少年の手首から血が滲みだした。
「放せ」と言わんばかりに暴れる少年を、細く華奢な手で、白い服を纏った金髪の女性が懸命に引っ張り上げた。
ああ・・・
まただ。
またどこか遠くへ・・・
吐き気がするほど嫌いな空を眺めながら、少年はため息をついた。
「あなたは、もうっ!!」
その頬を、涙を流した女性が叩く。
「何度も・・・何度も・・・!!・・・どうしてなの・・・!?」
声を堪えきれず、やがてワンワンと泣き、少年に抱きつく女性。
分からないヒトだ。
怒ったと思えば、次にはなぜ泣くんだ?
なぜオレに付きまとう?
なぜオレの望みを妨げる?
やがて泣き止んだ女性は、彼の腫れた頬にそっと手を当て「ごめんね」と呟いた。
「私がいけないの・・・。きっとそうよね・・・」
目の下を真っ赤に腫らして、悲しそうにほほ笑んだ女性は、少年の手を取った。
街の名前すらないスラム街にある、ボロボロの教会。
そこが少年と女性の“家”だ。
戸を開けると、子供たちのはしゃぐ声と、年を取り、禿げあがった頭の神父の掠れた声が外まで響く。
神父は“父”。彼らは“兄弟”。そして父と比べると随分若いが、女性は“母”だ。
「とんだ家族ごっこだ」と、少年は心の中で悪態をついた。
「あー!スヴェンだ!」
「お前また外に行ってたのかよ!」
「いけないんだぞ!!」
ヤイヤイと騒いで取り囲む子供たちを、少年は鬱陶しそうに手で払いのけた。
この場所はオレの望むものじゃない。
息がつまりそうだ。
神父に向き合わされて、ふてくされたように俯く少年。
「スヴェンや。ワシはのう、お前たちみなしごを助けたいんじゃ。主は、意味なきものに生は与えん。生きとし生けるものはすべて、意味を持っておるんじゃ」
スヴェンの頭をそっと撫でて、神父はため息をついた後、仕置き部屋に入れるよう、女性に告げた。
教会の屋根裏。
ランプが一つ、後は毛布が一枚あるだけで、他何もない。
がらんどうとし、どこか不気味なこの部屋は、子供たちから仕置き部屋と恐れられていた。
といっても罰を与えるわけでもなく、ただひたすら、何もないこの部屋で時を過ごす。
少年は、屋根に大きく空いた穴から、すっかり暗くなった空を見上げていた。
この世で最も嫌いなものだ。
広すぎる。
何もない。
全員が全員、この下にいるなど、嘔吐である。
望むものはただ一つ。
死。
人が何人いるとも知れぬこの世界で、身寄りも何もない、たった一人の少年が小さな死を起こす。
この街じゃ、人が野垂れ死のうが、誰も気にしない。だから誰に迷惑がかかるわけでもない。
その引き換えに、オレは別の世界へと行ける。
なぜ“父”も“母”も止めるんだ?
ただでさえ少ない寄付金なんだ。一人いなくなるだけでも十分変わる。
そしてオレは望むものを手に入れる。
なぜ行かせてくれない?
星が埋め尽くす空から、湿った木の床へと視線を移す。
鼻をぐずった少年は、ふといつもの就寝前の歌が聞こえないことに気づいた。
“母”の伴奏と“父”の指揮。“兄弟”と、主への感謝を声を合わせて歌う。
これもまた嫌いなものだったが、必ず毎日やるはずのものだ。
床に耳を密着させると、僅かに下から音が聞こえた。
「クッ・・・!ここは教会じゃぞ!!神聖な場じゃ!!お前たちは・・・!」
「五月蠅い爺さんだ。この世に神がいるなら、俺らは存在しないはずなんだよ」
バンッ!という発砲音がした。
子供たちが悲鳴を上げる。
女性の叫び声。
もう一度銃声がなって、しばらく何やら足音がドタドタと響いていたが、やがて静まり返った。
今度は外から声が聞こえる。
馬がいななく音と、子供たちの声。そして車輪の軋む音。
恐らく奴らは、奴隷商人という奴だろう。
すっかり静かになった教会で、少年はそう思った。
さりとて、何かするでもない。
ドアは閉まっているし、屋根の穴も高すぎて少年の背では届かない。
それに出たところで、いったい誰に助けを求める?
衛兵隊なんて洒落たものは、この街に存在しない。
それよりも、少年はここで死ぬことを選択したかった。
餓死というのは苦しそうだが、まぁ死ねるのならば問題は無いか。
そう思っていると、ふと焦げた匂いが鼻を衝いた。
再び耳を澄ませると、パチパチという音が聞こえた。
やがてその音はゴウゴウと勢いを増し、床の隙間から煙が部屋にも上がってきた。
これはちょうどいい。
徐々に息苦しくなって、死ぬ。
そして体は焼き尽くされる。
少年は、すこぶる上機嫌だった。
その時だった。
ドアの鍵が開く音がして、倒れ込むように女性が入って来た。
彼女の白衣は真紅に染まり、顔には豆粒のような汗がつたっている。
「よ、よかった・・・無事で・・・」
女性は心の底から幸せそうに、そう呟いた。
ダメだ!
また・・・また、オレの望みが・・・!!
少年は逃げるように、女性から距離を取った。
しかし所詮は小さな部屋である。いくら傷を負っているとはいえ、女性は簡単に少年を隅に追い詰めた。
「なにすんだよ!!」
「逃げるのよ!!」
「やめろ!!」
少年の抵抗も虚しく、女性は彼を担ぎ上げた。自身の体から血が噴き出るのも厭わず。
「何をするんだ!」と叫ぶと、女性は彼を屋根に空いた穴の下へと連れて行った。
「下はもう、火の海よ!逃げるならここしかないわ!!今日、屋根の穴を塞ぐために、はしごをかけたから、それを伝っておりなさい!!」
「・・・アンタはどうすんだよ?オレが屋根の上に上がったって、オレはアンタを引き上げられねぇぞ」
少年の言葉に、女性の手がブルリと震えた。はずみで、少年は床に落ちる。
降り返って見てみると、彼女の瞳には、生への未練や恐怖の色が宿っていた。
この女だって、そうだ。皆、何故生きたがるんだ?
「・・・アンタの気持ちにはありがたいと思ってる・・・。でも、俺は死にたいんだ!このくそったれな世界から逃げたいんだ!!邪魔すんな!!」
少年の叫びは、徐々に煙が立ち込めつつある部屋に響き渡った。
これで、この女ももう諦めるだろう・・・
そう思った少年だったが、突然その顔を女性が殴り飛ばした。
昼間のようなビンタではない。
その慣れない繊細な手で拳骨を作って、思いっきり殴りつけたのだ。
突然の出来事と、その強い力に驚いた少年は、尻餅を突いた。
「そんなに死にたければ“死になさい”!!」
「っ!」
「ただし、こんな“くだらない死に方は許しません”!!!」
彼女の目には、今までの未練の色が消え、代わりに怒りの炎が宿っていた。
なんだよ・・・
「ええそうでしょう!!あなたの言う通りよ!!私はここで死ぬ!もう生きる道は残ってないわ!」
ちくしょう。何だってんだよ・・・!
「だから私の気持ちをあなたに託す!!死んでもいいわよ・・・・!でもね・・・」
身をワナワナと震わせて、彼女は吠えた。
「“最強の人に殺されて死になさい”!!」
「さい・・・きょう・・・?」
「人でもモノでもいい!この世の中で最も強い人に、挑んで死になさい!!でなければ、“私はあなたを許さない”!!!」
煙はもう、モクモクと部屋に充満していた。
床から火がちらつき、髪留めが外れて露わになった、彼女の長く美しい金の髪を照らし上げる。
彼女は少年を再び抱え上げると、最後の力を振り絞る様にして穴へと押し出した。
最強に殺される・・・
なんだよ、そりゃあ・・・
彼女の叫んだ「死になさい」と「最強」の二つの言葉が、頭の中をグルグルと巡り、なぜか体がゾクゾクとした。
穴を覗き込むと、かろうじて彼女の顔だけが煙に包まれていなかった。
「アンタの・・・“母さん”の名前は?」
少し驚いたようであったが、彼女は穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「ミカエラ。ミカエラ・“エルマンデル”よ」
彼女の顔が煙包まれたのを見て、少年は立ちあがった。
ふと屋根の上から地面を覗き込む。
雑草だらけの庭。
いつもなら惹き込まれるはずの高所から見る地面が、なぜかその時は惹かれなかった。
なぜなのだろう。
なぜかこれよりも、もっといい、自分の望む死に方があると思った。
最強に殺される。
そんな死に方が。
少年は、火にあぶられながらも、はしごを降りた。
いくら真っ赤に染まろうと、月明かりの下では、“金色の髪”が光る。
スヴェン・“エルマンデル”はゆっくりと目を開けた。
かすんだ視界の先に、肩で息をするラッセル・ボードウォークが見える。
自分の胸に手を当て、血を拭って剣を作る。
立ちあがったスヴェンに、ボードウォークは驚愕の視線を向けた。
「ば、馬鹿な・・・!」
「言ったろ。『死なないことが確定した』ってよ。“アンタは最強じゃねぇ”からな」
剣を手に一歩、また一歩と向かって来るスヴェンに、汗を垂らしながらボードウォークが叫んだ。
「何を馬鹿なことを!忘れたのか!?君の攻撃は、体を転移させる私の騎士術の前では、意味をなさないことを・・・!」
だがそんな言葉にも、スヴェンはいたって冷静だった。
「ああ。でもな、アンタどこに転移させるつもりなんだ?」
「何を・・・?」
「この、“剣の部屋”の中でよ!・・・『劍獄・刀輪処』」
辺り一面、空を埋め尽くさんばかりに大量の剣が浮かぶ。気づくと、地面に大量に飛んでいたはずのスヴェンの血が無くなっていた。
―この男、このために!?
―くそっ・・・やられたな・・・
―この範囲では、いくら転移させても、“そこに剣が降ってくる”・・・!
天を仰いだボードウォークだったが、やがて諦めがついたようにスヴェンを見た。
「・・・私の負けだな。スヴェン・エルマンデル」
「負けを認めたところで情けはかけねぇぞ」
「フッ・・・一つ教えてくれ。君は、騎士の成せることはなんだと思うかね」
ボードウォークの問いに、スヴェンは足を止め、眉を顰めた。
「成せること?」
「ああ。文字通り、血を血で洗う騎士たちが何を成せるのか・・・」
―私が離反した理由はそれだ・・・
―騎士になれば平和を成せると思っていた
―だが実際には、騎士になって15年、あったのは殺し合いに次ぐ殺し合い
―この地獄の連鎖に、君は何を見出しているんだ?スヴェン・エルマンデル・・・!
しかし、彼から帰ってきた言葉は、ボードウォークの予想を大きく裏切るものだった。
「さあな。興味がねぇ」
「・・・は?」
「俺が騎士になったのは“死にたいから”だ。最強に殺される。それが俺の望み。騎士の成せることだの、難しいことなんざ考えちゃいねぇよ。馬鹿な俺には分かりもしねぇ」
―馬鹿な・・・
―成せることを考えていない?
「俺は、『俺が何をしたいか』しか考えてないんでね。逆にアンタは考えてンのか?」
「・・・私が何をしたいか・・・か・・・」
―・・・
ボードウォークは胸を打たれた気持ちだった。
騎士になったのは平和を成せると思ったから。
騎士から堕ちたのは、騎士では何も成せないと思ったから。
そこにラッセル・ボードウォークという主観は存在せず、常に何か広義なものを描いていた。
―・・・“私”の不在・・・
―そんなことに、私は気づかなかったのか
―私が何をしたいか
―私が騎士として何を成せるか
―否、“成せたか”、か・・・
気づけば、ボードウォークは剣を構えていた。
独特の構え。撓りから繰り出される連撃。そして崩した相手への斬り上げ。
―この力を、私が騎士として成したいものの為に使う・・・!
―幼き心に夢見た、争いの無い世界の為に・・・!
「ありがとう、スヴェン・エルマンデル」
「ハッ!その顔だ!!」
スヴェンは打って変わって嬉しそうに剣を舐めた。
「アンタ今いい顔してるぜ!『三人でトントン』なんて間抜けなことを言ったやつとは思えねぇ!!・・・ちったぁ“最強”の片鱗でも掴んだか!?」
「ああ、目が覚めた気分だ」
ボードウォークは戦いの教本を捲った、懐かしい従者時代を思い出した。
肩幅に足を開く。
剣を握って息を整える。
“流れ”に乗る!!
「『刀輪八景』!!」
「『万別乖叛』!!」
空を覆う剣が消え、見渡す限り墓標のように突き刺さっていた剣も、スヴェンが膝をつくと次第に消えて行った。
左わきから右肩にかけて、ひときわ大きい傷が走り、今も血を溢れ出している。
放り投げた長剣を拾い、それを思いっきり目の前の地面に突き刺した。
「“戦場墓標”。あの世でまた会おうぜ、オッサン」
長剣の切っ先は、ボードウォークの剣を貫いていた。




