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ユートピア  作者: 吉田 要
第一部 家族の行方
14/70

1-14 戦狼が吠える

 その後駆け付けた衛兵隊に事のあらましを報告し、新たにナーシャという少女の似顔絵も作成してもらった。順次、通りや商店などに掲示するようだが、この人込みでは効果にはあまり期待できない。

 ナーシャは妹そのものだが、ジェーンのことなどはすっかり記憶から消されているようで、ジェーンは頭を抱えて落ち込んでいた。

 それはそうだろう。彼女が最も恐れていた、「敵となった妹」という可能性が現実となったのだから。

 ひとりうずくまるジェーンに、宿屋の主人に淹れてもらったコーヒーを差し出し、フェリクスもコーヒーを片手に隣に腰かけた。

「さっきは俺らも熱くなり過ぎた。すまなかった」

「・・・いいんだ。騎士として正しいのはフェリクスたちだ。私は・・・」

 ハァと深いため息をついて首を振ったジェーンは、コーヒーをチロリと舐めてから「熱い」と顔を顰めた。

「悪い、俺は熱いのが好きだったから」

「いや、私が・・・・・・どうしたらいいんだ。・・・どうするのが正解なんだ。・・・私には分からない・・・全く分からない・・・」

 手の震えで渦を巻くコーヒーに目を落として、ジェーンは苦しそうな声を上げた。表情を隠すように、さらに俯いた彼女の額を汗が湿らせる。

 フェリクスはそんな彼女を見て、髪をクシャクシャと掻いた。

「俺はアルリンゲンって街の出身なんだ。ちょうどエルトリアのガリア総督領と、ノヴゴロドのゲルマニア地方の狭間の街だ。鉄鋼が盛んで、二つの国が取り合いしててな。ここのところはずっとエルトリアの領土になっちゃいるが、時にはノヴゴロドの領土だった時もあった」

 宙を舞う茶色の髪の毛を、ぼんやり見つめながら言葉を紡ぐフェリクスに、ジェーンは少しだけ顔を上げた。

「俺がまだ小さい頃にノヴゴロドの襲撃があったんだ。街は炎に包まれて、銃声や砲撃音が頭に木霊した。『バーンバーン』ってな。幸い家族に被害は無かったし、議会軍と騎士が駆けつけて街も奪われなかったんだが・・・幼馴染は瓦礫の下だった」

 少し潤ませた蒼色の瞳には、フェリクスの当時の思いが宿っているようだった。

 ジェーンはその街やその出来事を見たわけでもないのに、その状況がありありと脳裏に浮かんできた。

「俺とそいつは学校の友達だった。親が炭鉱に勤めてたからか、俺たちはいつも煤で汚れててさ。『この煤が友達の証だ!』って馬鹿なことやってたんだ。今でも信じられねぇよ。・・・そいつの煤で汚れた小さい手が、腕ごと人形のパーツみたいに道に転がってんだ。・・・その横じゃ、そいつの家が跡形もなくなってて・・・レンガの山からもう片方の腕が黒焦げになって飛び出してた・・・」

 声を震わせるフェリクス。その頬では涙がランプの光をキラキラと反射していた。

「その後、俺と家族は帝都に引っ越してさ。騎士術の素質が元々あったし、もうあんなこと、アルリンゲンのようなことは起こさせねぇと心に誓って、騎士になったんだ・・・」

 涙を拭ってから、フェリクスはコーヒーを一気に傾けた。

 そしてジェーンの肩にそっと手を置いた。

「ジェーン、お前は何のために騎士になったんだ?」

 ―・・・そうだ

  ―私はなんの為に騎士になったんだ?

 ―復讐の為?

  ―違う

 ―同僚に牙をむいた妹を庇う為?

  ―違う!

 ―私は・・・

「私は・・・私は、フェリクスや他の騎士のように、崇高で立派な願いがあって騎士になったわけじゃない。・・・矮小なことだが、身内の為だ。妹を助け出したい。その為に・・・!」

「十分じゃねぇか」

 フェリクスの言葉に、いつの間にか隣にいたスヴェンも深く頷いた。

「『想う気持ちが、自分を強くする』。俺たちの師匠はそう言ってたぜ」

「・・・あぁ。首に縄付けてでも引っ張って、ナーシャなどと名乗った妹に、自分が誰か、目を覚まさせてやる!」

 顔を上げたジェーンに、フェリクスとスヴェンは拳を突き合わせた。

「やってやろうぜ!!」




  ◇  ◇  ◇




「馬鹿野郎が、一人で先走りやがって」

「でもそれの方が早く終わるじゃん」

 ノヴゴロドの騎士の愚痴に、ナーシャが頬を膨らませる。

「計画があるって言っただろうが!これで馬鹿みたいに応援が駆けつけたらどうすんだ!?」

「えー」

「くそ、ただでさえ旗騎士がいるって言うイレギュラーなのによ・・・」

「まぁ例の計画を実行するのであれば、どのように誘い出すにせよ、エスクロフトがついて来る可能性はあるだろうな。否、確実か」

 壁を叩いて、いらだった様子の彼に、ラッセル・ボードウォークはどこか状況を楽しんでいそうである。

「教授は何か策は無いんですかい?」

「無きにしも非ず。無用な血が流れるが、仕方があるまい」




  ◇  ◇  ◇




皇室近衛騎士団 団長執務室

 豪華なデスクに腰を下ろし、鼻と上唇の間にペンを挟み、書類とにらめっこする褐色肌の女性、騎士団長ヴァイオレット・ブーリエンヌに、デスクにさらに書類を置いたメインデルトがため息をついた。

「アンタの署名が必要な書類はまだまだあるんだ。こんなんでへばってもらっちゃ困るよ」

「ハッ、若造が偉そうに。そもそも儂の代わりにお前がいるんだから、署名もやっておいてくれれば良いのに」

「ならクインテット副団長に頼んでもらいたいね。団長代理の署名じゃあ、満足してくれる人も少ないんでね」

「アニータはほれ・・・その、儂の()()だから・・・」

 しどろもどろに目を泳がせるヴァイオレットに、メインデルトは「私用で騎士団に手を咥えないで欲しいもんだね」と再びため息をついた。

 実際、副団長アニータ・クインテットは騎士術を使用できない。それどころか剣すら触れないであろうとメインデルトは見ている。彼女はヴァイオレットの同性の恋人であり、放浪癖で留守の多いヴァイオレットがアニータを守るために、団長の権力をもって副団長の地位を彼女に与えたからだ。

 確かに容姿も端麗で、()()であるからこそ、どこか守りたくなるような気持ちもわからなくないが、それでもヴァイオレットの行ったことは権力の私物化である。

 そんな執務室に、ドアを軽く叩いてエイト=ブラハムが顔をのぞかせた。

「ラッセル・ボードウォークの捕縛に動いてるカウフマン騎士たちから、応援要請が来たぜ、と」

「・・・ルテティアにロロの爺さんがいるはずだから、彼を送ろう」

 特に驚いた様子も見せず、メインデルトはすぐに対応策を言った。

「あいよ。それとなんだが・・・ちょっとまずいことが起きた」

 頷きつつ困ったように眉間を掻くエイト=ブラハムに、メインデルトが「どうした?」と首を傾げる。

「・・・()()()()()()()()()()()()()

「・・・なんでまた、そんなところに!?」

 予想外だとメインデルトが目を丸くした。

「親の故郷だとかで、と」

「・・・面倒ごとだのう」

 言葉とは裏腹に、ヴァイオレットは嬉しそうに笑みを浮かべた。




  ◇  ◇  ◇




 あの日からは朝早くから夜が更けるまで、ラッセル・ボードウォーク、そしてナーシャと他人に成りすます騎士の捜索を続けた。

 道行く人に、彼らについて聞き込んだが、稀にボードウォークによく似た人物を見かけたという人がいるのみで、情報は全くと言っていいほどなかった。

 あれから三日が経ち、欠伸をかみ殺し、重い頭を抱えて宿に戻ると、主人が「これを渡してくれって」と厳重に封のされた手紙を渡してきた。

 部屋に戻り開いてみると、ジェーン宛となっていた。差出人は、“ナーシャ”と書かれている。

「なんて書いてあるんだ!?フェリクス!」

「落ち着けって。スヴェン、ナイフくれ」

 逸るジェーンを抑えつつ、封を開け、中に入っている手紙を取り出した。

「『今日の深夜二時ごろ、港の第三倉庫にて。お姉ちゃんへ』・・」

「二時!?あと少しだぞ」

「そう焦んなよ、ジェーンちゃん。明らかな罠だぜ」

 フェリクスから受け取った手紙に目を通しながら、スヴェンはジェーンをいさめた。

「とは言っても、現状何の手掛かりもねぇんだから、行かねぇ手はない。だろ?」

「ああ。だが、相手も三人となると厄介だな。付近を監視しつつ応援を待・・・!?」

 フェリクスの言葉も聞かず、ジェーンは仕込み剣片手に部屋を飛び出した。

「お、オイ!少しは冷静に!」

「冷静だ!要は三人で手分けして相手をすれば良いんだろう!」

 廊下を走るジェーンに、「あのバカ」とため息をつくフェリクス。

 そんな彼の背中をバシバシと叩いてスヴェンは笑った。

「ハハハ、ジェーンちゃんらしいじゃねぇか。俺はあの子抑えておくから、エスクロフト卿呼んで来いよ」

「でも・・・」

「俺もお前も、それにジェーンちゃんも、あの時よりずっと強くなってる。自分と仲間の力を信じろよ」

 ニッと笑みを浮かべて、スヴェンもジェーンを追う。

 ―・・・やるしかねぇか

 あきらめのため息をついたフェリクスは、顔をパンパンと叩くと、まずは別室にいるであろうエスクロフトを呼びに行った。


 眠そうな目を擦って不安げな顔をしていたエスクロフトだが、フェリクスから加勢を求められると、さらにその顔を白くした。

「あ、え、いやボクはむ、無理だよ・・・」

「しかし、緊急事態なんです。なんとかお願いできませんか、エスクロフト卿」

「で、でも、ボクは戦えな」

「自分たちの力不足には申し開きもありません。ですが、万が一にでも街に甚大な被害が出た場合を考えると、エスクロフト卿に加勢をしていただければ・・・!」

 その後もなんともフラフラとあの手この手で断ろうとするエスクロフトだったが、フェリクスによって押し切られ、ついにその細い腕でスモールソードとピストルを持ち、部屋から出てきた。

 宿屋の前で警備についていた衛兵二人と共に現場へと駆けつけると、物陰にスヴェンとジェーンがいるのを確認した。どうやら今にも倉庫に入ろうとするジェーンを、スヴェンがなんとか抑えているようだ。

「どうも、エスクロフト卿。申し訳ないんスけど、今回は本物っスよね?」

「や、やあエルマンデル騎士・・・。しょ、証明のしようがないよね」

 兎前回のこともあり疑ってかかるスヴェンだったが、このオロオロとした感じは間違いなくエスクロフトだと確信した。

「それじゃあ、状況を確認しよう。入る前にまずは罠の確認」

 バンッ!

 自身も物陰に隠れて作戦を立てようとするフェリクスの言葉を、乾いた銃声が遮った。

 フェリクスたちの目の前で、ぐらりとエスクロフトが地面に倒れ伏す。

「狙撃だ!」

 叫ぶが早いか、スヴェンがエスクロフトの両脇を持って、物陰に引きずり込む。

 腹部からドクドクと血があふれ出し、地面を濡らす。その傷口に、スヴェンが強く手を押し当てた。

 ―撃たれた!?

  ―どこから!?

 ピストルをホルスターから抜いて、チラリとかを出して様子を伺うが何も見えない。

「衛兵の増援を!」

 そう言いながら振り向いたフェリクスの視線の先で、衛兵の一人がマスケット銃の銃剣をエスクロフトに突き立てようとしている。

「なっ!?」

 すんでのところで、それをジェーンの刃が止めた。

「ッチィ!教授、これは失敗じゃないですかね?」

「否、既に旗騎士は戦闘不能だ。被害もこの服の持ち主二人とその旗騎士のみ。最低限だ」

 ジェーンに銃剣を弾かれた衛兵が言うと、いつの間にか手にピストルを握った衛兵が返した。

 ―まだ硝煙の上がったピストル!

  ―まさか!?

「『体の一部を転移させる』騎士術、ラッセル・ボードウォークか!」

「いかにもその通りだ、フェリクス・カウフマン君」

 三角帽を脱ぎ捨てた衛兵、もといラッセル・ボードウォークはそう言って腰から下げた剣を引き抜いた。

 ―ということは!?

「まぁ、これで蟻どもを踏みつぶすだけだな」

「お前かァアアアア!!」

 中肉中背の衛兵から、巨躯へと体を変化させた大男に、ジェーンが叫ぶ。

 ―他人に成りすます騎士術・・・!

「ドミニクス・ファン・ボッセだ。よろしくなァ・・・ジェーン・ファミリアエ」

 口角を吊り上げて笑うドミニクスに、ジェーンが斬りかかる。

「待て、ジェーン!!」

「おおっと、お前の相手は俺じゃねぇぞ!」

 ジェーンの刃をひらりと躱し、笑うドミニクスの代わりに、いつの間に現れたのか、ナーシャが目の前に立った。

「アビー・・・!」

「お姉さん、綺麗だから、あんまり傷をつけたくないんだけど・・・抵抗するなら仕方ないよね」

 月明かりで目をギラリと光らせたナーシャが、ジェーンに襲い掛かる。

 ―クソッ!

  ―この状況だけは避けねぇと!!

 最悪の事態を避けるべく駆けだしたフェリクスの道を、ドミニクスが塞ぐ。

「ガキはおねんねの時間だぜ!」

 ゴウッと音を立てて迫る拳が、フェリクスの顔を殴りつける。

 ―このデカブツ!

  ―なんて素早さだ・・・!

 木箱の山へと派手に吹き飛んだフェリクスは、鼻血を拭って立ち上がった。脳が揺れたせいか、視界がやや揺れて見える。

 ドミニクスの奥では、ナーシャの剣を受け止めるので精一杯の様子のジェーンが、倉庫の壁へと蹴り飛ばされていた。

「ハハ、やりすぎんなよナーシャ!肉塊じゃ役に立たねぇからな」

「分かってるって」

 ドミニクスの声に、ナーシャは手をひらひらと振ると、袖から針のようなモノを取り出して。俯くジェーンに近づく。

「背中ががら空きだぜ、カワイ子ちゃんヨォ!!」

 ナーシャの背後に迫ったスヴェンが剣を振り下ろそうとするが、

「私を忘れないでくれ」

と呟いた、ボードウォークがその剣を弾いた。

 滑るようにしてフェリクスのほうまで押しやられたスヴェン。

「エスクロフト卿は?」

「なんとか止血はしたさ。長くは持たねぇだろうけどな」

 「それより」とスヴェンはジェーンの方に目を向けた。

「ナーシャとかいう、あの女の相手は俺らの方がいい。ジェーンちゃんには酷だ」

「ああ。アイツ、さっきからまともに攻撃できちゃいねぇ・・・!」

 ナーシャの攻撃はそれほど複雑なものでもない。しっかりと見極めれば、攻撃のチャンスもありそうだった。

 だが、ジェーンはそれを防ぐばかりで一向に攻撃を仕掛けていなかった。いや、できないのだろう。実の妹に剣を向けるなど・・・。

 ―何とかできねぇのか!

 もう一度ジェーンの方へ駆けだそうとしたフェリクスたちだったが、よろめくようにしてジェーンが立ち上がるのが見えた。

「ジェーン!!いったんその子から離れ」

 ゴンッ!!という鈍く重い音が、フェリクスの言葉をかき消した。

 それはドミニクスでも、ボードウォークでも、ナーシャでも、はたまたフェリクスたちが出した音でもなかった。

 ジェーンが自らの頭を、倉庫の壁に思いっきり叩きつけたのだ。

 あまりの行動に、ドミニクスたちも眉を顰めて、訝し気な視線をジェーンに送る。

「・・・ジェ、ジェーン?」

「・・・大丈夫だ、問題ない」

「も、問題ねぇつってもよジェーンちゃん・・・」

 額から血をダラダラと流すジェーンに、フェリクスとスヴェンは顔を見合わせた。

「冷静に・・・なったからな。・・・この女の相手は私がする」

 仕込み剣をジャキッと構え、ジェーンはいつになく醒めた空気を放った。

「そこの・・・ドミニクスとかいう男は、私の叔父の敵だ・・・。できるならこの手で首を掻き切ってやりたい。だが、今の私はやらねばならないことがある」

「ジェーン・・・」

「頼む、フェリクス。私の代わりに・・・その男を討ってくれ!!」

 言うが早いか、ジェーンはナーシャへと斬りかかった。

 ―・・・そうだ

  ―ジェーンはそんな弱い奴じゃない

   ―・・・心配なんて余計なお世話だったな

「任せろジェーン!!こいつは、俺がぶちのめす!!」

 フェリクスの声にジェーンは小さく頷いた。

「そいつの方が強そうだが、あんなこと言われちゃ、譲らざるを得ねぇな」

「スヴェン」

「ボードウォークは俺に任せろ!」

 ニィっと笑い、スヴェンもボードウォークへと飛び掛かっていく。

 彼の背にうなづくフェリクスの前に、巨大な影を引きずって、ドミニクスが立ちはだかった。

「だぁれが、この俺をぶちのめすってぇ?」

 眉間にしわを寄せ、頬をピクピクとさせたドミニクスが、その鉄塊のような拳をフェリクスに振り下ろした。

 それをなんとか両手で受け止めたフェリクスは、笑って言った。

「フェリクス・カウフマンだよ、この豚野郎!!」

更新忘れてました。

ギリギリですみません。

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