1-11 騎士への道
一年後
―来るっ!
タタタと駆け足で自分に迫る足音の方へ、木剣を構える。
木剣と木剣がぶつかり合い、腕に強い衝撃が走る。
―クッ!
なんとか身を捻ってすり抜けようとするが、力負けする形で、ジェーンは地面まで押し込まれてしまった。
「遅いっ!」
ジェーンを押し倒したアンナは、木剣を軽く振るってベルトに挟むと、険しい顔でそう叫んだ。
「戦いにおいて重要なのは、力と技。男性に比べて力の弱い私たちは、技を伸ばす。力に真っ向から立ち向かわないこと。さっきの鍔迫り合いは、相手の力を利用して瞬時に身を捻らないといけないわ。特にあなたの使う剣の型ならなおさらよ」
何も言い返すことはできなかった。
ただジェーンに今できるのは、もう一度木剣を握ること。
「もう一度、もう一度お願いします!」
『旗のように風にはためき、鋭い一撃を加える』。
リチャードがジェーンに教授し、また実際にリチャード自身も使用したこの剣の型だが、ジェーンにはまだ完全に使いこなすことが出来なかった。
アンナからフェリクスやスヴェンの使う、最も基本的な剣の型をもう一度徹底的に教え込まれ、その上でこの型の修練を積んでいるが、いまいち感覚がつかめない。
特に真っ向からの斬り合いでは、自分の力をほとんど使わず、相手の力を逆に利用して戦うというのが、非常に難しかった。
「・・・って、ちょっとジェーン、聞いてる?」
などと考えていると、机の反対側に座り、手に哲学の本を握ったカーラが、怪訝な顔でジェーンを覗き込んできた。
「!・・・す、すまない」
慌てて頭をブンブンと振ると、カーラの話す言葉に耳を傾けた。
騎士従者となって以降は、ジェーンにとって地獄の日々だった。
それもリチャードの修業とは別な意味での地獄であった。
近衛騎士は何も戦いだけが任務ではない。
皇室に仕えるための礼儀や作法、教養、それに文芸も必須とされるため、リチャードの元を離れてから、勉強というものに一切触れてこなかったジェーンは、四苦八苦どころの騒ぎでは無かった。
ただでさえ剣の型に行き詰っているというのに、こうした勉強はよりジェーンを悩ませた。
反対に、騎士術の鍛錬は非常に順調に行った。アンナの指導の下、間接発動の成功率も上がっていった。これは長期の任務に出ているらしいフェリクスたちからの手紙と共に、ジェーンにとって勉強の息抜きともなった。
早くに起きて、アンナの下で朝稽古をし、その後昼まで勉強。食後もさらに勉強をし、一度休憩を挟んでから、稽古。夕食後には自室に戻ってさらに勉強というルーティンが、永遠かのように続いた。
アンナが寮監に無理を言って、同室としてもらったカーラに手伝ってもらいながら、なんとか及第点までは持って行けたが、それでも他の従者たちと比べるとはるかに及ばなかった。
時にそれに落ち込むこともあったが、
「騎士というのは、本来は7歳から小姓として教育を受け始めるの。そして14歳から従者になって本格的な訓練に移るようになる。なのにジェーンは途中から入ったのに、もう従者として及第点なのよ?十分すごいわ。それに、まだまだ伸びる。大丈夫!」
とカーラに励まされた。
それから一年ほどすると、戦闘面はもとより、次第に文芸や礼儀、作法、教養がこなせるようになっていき、アンナの専属的な訓練を受けながらも、一部の訓練では普通の従者として教育を受けるようになった。
同年代の従者のクラスへ入ることに、ジェーンは不安があった。
学び舎というものから離れて久しく、またその間に友というものの作り方を忘れてしまったような気がしたからだ。
だが、その程度で怯んでいては何も始まらない。
一歩踏み出し、新たな世界へと入ったジェーンは意外にも他の従者たちに受け入れられた。
「ちゃうちゃう、ここはこーすんの」
その中でも特に、ウィチタ・アンダーバインと名乗った、そばかすと糸目が特徴的なその少年は、目の見えないジェーンに少しも気おくれすることなく、彼女の世界にも悪く言えばズカズカと入って来た。
他の従者たちも混ぜながら、厳しいながらもあの事件以来ともいえる学校のような生活が、ジェーンにはとてもうれしかった。
しかし、そんな彼女たちを疎ましく思っていた者もいた。
ヴィーラン・アウェアーズという神経質そうな顔付きの少年は、成績の芳しくない彼女たち、特にジェーンをあからさまに敵視していた。
「なぜ、そんな点数をとっていられるんだ?盲目だからと言って騎士になるという心構えが無いのなら、僕の前からさっさと失せろ」
「ヘイヘイ、あいからずお固いねぇ。女の子にそんなきついこと言ってっと、一生彼女出来ないよ?」
「ウィチタ、お前もだ。気概は無いのか?」
ウィチタが言い返してくれるものの、ヴィーランの言っていることは真っ当である。
ジェーンは言い返すこともできず、ただその恥ずかしさや怒りを勉強に注ぐだけだった。
そしてさらに一年。
ジェーン、ウィチタ、ヴィーラン。共に騎士になるために励みながらも、相変わらずちぐはぐな三人は、従者訓練を担当している旗騎士、ティサ・カーマインの作為的なものかどうかはさておき、班としてノヴゴロドとの最前線での支援に派遣された。
その任務はあくまで支援であり、実戦に備えた実地の訓練であるはずだった。
土埃が空高く舞い上がり、大地にクレーターを作る。
塹壕からひょっこりと顔を出したウィチタだったが、ヴィーランに掴まれてすぐに引き戻された。
「撃てェい!!」
横一列に並べられたカノン砲が次々と火を噴く。
「こ、こんな激戦なんて聞いてないぞっ!!」
「なっちまったものは仕方ないよ。なんとかなるさ」
「頭が割れそうだ・・・周りが全く分からない」
お気楽にリンゴを齧るウィチタに対し、ジェーンとヴィーランは不安げな様子である。
特に銃声、爆音、怒号に硝煙、土の匂いなどで普段目の代わりに使う五感が封じられたジェーンにとって、もはや暗闇にいるのと同義であった。
「おい、騎士見習い!!次の砲撃のあと、一気に距離を詰めるぞ!戦闘に参加しないなら、負傷兵の看護でも何でもいいから手伝ってくれ!」
赤白の軍服に大尉の階級章をきらめかせた大男が、サーベルを片手にそう叫ぶと笛を咥えた。
周りではマスケット銃を握った兵士たちが、前進の合図は今か今かと待ちわびている。
大尉が胸の前で十字を切ったその時、轟音と共に再び後方のカノン砲が火を噴いた。笛を吹きならすと、それを合図に兵士たちが塹壕から一斉に飛び出して列を作る。
ブリタニア出身部隊なのか、バグパイプの音が野原に響き渡り、横三列に並んだ兵士たちが前進していく。
ようやく音の判別と、その反響から周りの状況がわかるようなったジェーンが塹壕から顔を出すと、鋭い射撃音とともに兵士たちがバタバタと倒れていくのが分かった。
「あ、ああ・・・」
隣ではヴィーランが普段では考えられないような情けない声を上げて、へなへなと座り込んだ。
それもそのはずだ。さっきまで塹壕で十字を切り、家族への手紙や戦いの後のことを愉快に話していた兵士たちが、まるで畜生のように無残に刈られていくのだから。
赤い十字の書かれた旗を持つ救護兵が、倒れた兵士に駆け寄って行く。
「俺らもいこっかね!」
言うが早いかリンゴの芯を吐き出したウィチタが塹壕から出て行く。一瞬迷ったジェーンだったが、三角帽を深くかぶり直すと、彼を追って出て行った。
「ま、待て・・・」
ヴィーランの震えるような弱々しい声を背に、なんとなく見える負傷した兵士に駆け寄る。
一人目の兵士はもうこと切れていた。首に弾が当たったのか、血がとめどなく溢れ、体がぴくぴくと痙攣している。
十字をきるジェーンの横で、ウィチタが助けを呼んだ。
「こっちの男、まだ息がある!!」
大砲の砲弾が炸裂したのか、原形をとどめていない死体が転がる中で、右腕の肘から先の千切れた兵士が息も絶え絶えといった様子だが、左手でウィチタの手を握りしめている。
包帯を取り出したジェーンだが、血で滑って腕に上手く巻き付けられない。ウィチタに助けを求めようにも、彼も彼で他の傷跡を処置している。
―・・・早くしないと!
―止血すればまだこの人は・・・!!!
震える手で何とか巻こうとするが、学んだはずの結び方が出来ない。
徐々に頭が白くなっていくジェーンに、珍しくウィチタが目を開いて怒鳴った。
「落ち着け!ジェーン、君ならできる!!」
―そうだ!
―落ち着くんだ!!
頷き返したジェーンは、血で汚れるのも構わず、汗を拭って今度こそ包帯を傷口に押し当てて、そのままギュッと巻き付ける。
担架を持ってきた救護兵に後を任せると、また次の負傷兵へと移っていった。
戦場では銃撃戦が終わり、銃剣頼りの肉弾戦の様相を呈していた。怒号を上げて突撃し、刺して刺されて、殴ってひっかいて。
そんな状況を気にも留めず、うめき声を上げる負傷兵を何とか抱え上げて、塹壕まで引きずっていく。
刹那、ジェーンの耳元を銃弾が掠めた。馬がいななき、敵の騎兵が兵士たちの戦列を食い破って塹壕へと迫る。
「敵が突破してきやがった!!」
ウィチタはそう叫ぶと、地面に転がるマスケット銃を握った。弾が装填されているのを確認すると、すばやくそれを発砲する。
「そいつ担いで走れジェーン!」
叫びながら死体から弾薬を漁るウィチタに、ジェーンは負傷兵を引きずるようにしては運んだ。
塹壕まであと少しというところで、ぬかるみに足を取られる。
後ろから馬が地面をかける音と、ウィチタがマスケット銃を再び撃つ音が聞こえる。
「ジェーン!!走れ!!」
ウィチタの声になんとか足を前に進めようとするが、泥がブーツに絡みつき、まるで岩のように重い。
音から察するに、今にもサーベルを振りかざした騎兵がジェーンを蹴り飛ばさんと馬を走らせているようだ。
―騎士術を・・・!
―・・・ダメ、もう遅い!!
唇を噛み切ろうとしたジェーンだが、間接発動にしろ氷を張るまでのタイムラグはいかんともしがたい。
せめて自分が盾になって負傷兵を守れれば、と藻掻くジェーンの耳に銃声が木霊した。
震える左手で硝煙の上がるピストルを握っていたのはヴィーランだった。よく見ると胸から血を垂らしており、左手と左目が黄色く光っている。
弾丸は騎兵を撃ち抜き、騎手を失った馬はジェーンのギリギリを駆け抜けていった。
―あの速さで迫った騎兵を正確に・・・!
ヴィーランはジェーンの手を掴んで、彼女と負傷兵を引っ張り上げると、塹壕まで飛び込んだ。
その上を騎兵たちが飛び越えて行く。
「ヴィーラン、ありがとう。助かった」
「・・・い、いやその・・・すまない、僕は足が震えてしまって・・・」
まるで極寒の山にいるかのように、手をガクガクと震わせながら、ピストルを装填するヴィーラン。
そんな息の荒い彼の頭を、ジェーンはそっと撫でた。驚いた顔をするヴィーランに、
「昔叔父がこうして頭を撫でてくれた。少しは気持ちが楽になるだろう」
と言っていると、ウィチタがマスケット銃片手に塹壕に滑り込んできた。ところどころに擦り傷を負っているものの、何とか騎兵の攻撃をかわしたようである。
「いいなぁ、俺の頭も撫でて~」
「・・・本陣がまずいんじゃないのか?」
「あ、無視なのね・・・」
目に見えて落ち込むウィチタと対照的に、すこし顔を赤くしたヴィーランがジェーンの言葉に頷いた。
「騎兵が突破していった。今頃砲兵たちが襲撃されてるだろう」
「よっし、そしたら行こうよ!なーに行けば何とかなるって」
こんな状況にもかかわらず底抜けの明るさのまま、ウィチタはいそいそと塹壕を走り出した。
ハァとため息をついたヴィーランは、いつもの冷静さを取り戻したようで、負傷兵に救護所の場所を教えると、ジェーンの手を取った。
「塹壕の中は色々転がってて危ないだろうから・・・」
「ありがとう」
またもや顔を赤くしたヴィーランはそれを隠すかのように走り出した。
塹壕を抜け砲兵陣地へ駆けつけると、ウィチタが最後に残った騎兵に今まさにマスケット銃の銃剣を突き刺しているところだった。
一面に突破してきた騎兵とその馬の死体が転がり、奥には砲兵と増援で来たらしい兵士たちが、マスケット銃を片手に生存者の確認をしていた。
意外にも砲兵の死者は少ないようで、胸をなでおろしたジェーンとヴィーランだったが、それにしても被害が少なすぎると首を傾げた。
「お前が騎士術で全部やったのか?」
「いやいや、ほんの数人だけだよ。やったのは増援の兵隊さんと・・・」
ヴィーランの質問にウィチタは首を横に振ると、兵士たちに交じって救護などをしている二人の男に目を向けた。
彼らのマントでは、近衛騎士団の紋章が陽を受けてキラキラと輝いている。
ふとジェーンは彼らの声と匂いに覚えがあるのに気づいた。
―まさか・・・!
騎士たちの方もジェーンを見て、手を振りながら駆け寄ってきた。
「ジェーン!やっぱりお前か!!」
「ジェーンちゃーん!」
「フェリクス!スヴェン!」
三年見ぬ間に、ずいぶんと体格が変わってはいるが、間違いなくフェリクスとスヴェンであった。
「どうしてここに?」
「帝都に変える途中で、訓練中の従者がいるって聞いたから、寄ったんだよ。コイツが新人を虐めてやろうなんて言うからさ」
「フェリクス君?俺が一体いつそんなこと言ったのかね?」
「それより、ジェーンも無事でよかった。体つきもよくなったし、髪も短くなってすっかり騎士だな」
「ああ。いつまでも呆けてはいられないからな」
「・・・なんか俺無視されがちなんだよなぁ・・・」
そんな再会を喜ぶ三人を見るヴィーランの肩に、ウィチタはそっと手を置いてニヤニヤと笑った。
「そんな落ち込むなって。ジェーンちゃんは“誰に対しても”分け隔てなく優しいぜ」
「な・・・お、お前!僕はそんなつもりじゃ」
顔を真っ赤にして起こるヴィーランから、ハハハとウィチタは笑い声をあげて逃げた。




