1-10 影を追うために
ぼんやりと天井を眺める。
開いた窓から時折吹き込む風が体を撫でるのが心地いい。
ベッドに横になったまま目を右に向けると、頭まで包帯でグルグル巻きになったスヴェンが同じようにボケェと天井を見ていた。
「・・・暇だな、フェリ」
「偶にはいいだろ。今は生を実感してるんだ」
「じじくせぇな」
「うるせぇよ」
フェリクスもスヴェンも、メルセン・コッカとの戦いから丸二日たってようやく目を覚ました。
いまでこそ、こうしてベッドで他愛のない話をしていられるが、ついこの前までは体に走る激痛で、息をするのもやっとだった。
―あの女、強かった
―スヴェンがいなけりゃ、ジェーンがいなけりゃ、まともに太刀打ちできなかっただろう・・・
「なぁ、ジェーンちゃん、大丈夫だと思うか?」
「・・・大丈夫だ。きっと」
ラフェンテからかなり危ない状態で、縫合手術は終わったが、これから先は本人の生への執着によるとは聞かされていた。
「ジェーンちゃんを守るのも、俺らの任務だってのによ・・・このざまだ」
情けねぇなぁと、いつになく弱々しいスヴェンに、フェリクスも軽口をたたく気はなかった。
―その通りだ
―皇帝陛下とその帝国、臣民を守ることが俺たちの任務だ
―だけど俺らには・・・
肩を落として、目を瞑る。
真っ暗闇を意気消沈と彷徨うフェリクスだったが、ふとなんだか懐かしい故郷のアルリンゲンのことを思いだした。
辺境の街だが、石炭や鉄鋼で栄えていたアルリンゲン。それが一気に戦火に包まれた。
―そうだ
―騎士になるのがゴールじゃねぇ
―もっと強くなんねぇと・・・!
―俺の、故郷のようなことを、繰り返させないように強く!
「だああい!!」
叫びながら飛び上がったフェリクスに、スヴェンはぎょっとした顔をした。
「ど、どうしたフェリ・・・?」
「腕が鈍るのはいやなんでね。お前はいつまで寝転んでんだ?」
包帯を取るフェリクスを見上げて、スヴェンは嬉しそうに笑った。
「ったく、しゃあねぇな!!」
全身はまだ痛みを訴えているが、そんなもの知らんと病室を飛び出る二人。
見舞いにでも行ってやろうかと、花を携え廊下を歩いていたカーラはそれを見て、ハァとため息をついた。
「ほんっと、元気が過ぎる馬鹿たちね」
◇ ◇ ◇
まるで呪いをかけられたかのように、眠り続けるジェーン。
アンナはベッドの横の椅子に腰かけると、その柔らかい頬を撫でた。
―昔と変わらぬ、優しい顔
―でも、傷だらけになってしまった
―私が守れなかったから・・・
ジェーンの生々しい傷だらけの体に、アンナは涙を零した。
―どうして私はこんなにも弱いのだろうか
―先生の元、天才児などともてはやされたが、一人の少女を救うことすらできない
―どんなに自分を追い込んでも、どんなに技を鍛え上げても・・・
暗い考えに捕らわれそうになったが、顔をパンパンと叩いて思い直す。
―ならばもっと強くなろう
―強くなるんだ
ジェーンの額に軽く口付けをして部屋を出て行こうとするアンナに、あの細くどこまでも美しい、懐かしい声が掛けられた。
「アン・・・ナ・・・?」
◇ ◇ ◇
騎士団本部は小さな城のような構造をしており、左右にそびえたつ塔の頂上からは、ビュザスの街が一望できる。
新大陸の高級な葉を使用した葉巻を咥え、うまそうに煙を吐きながら、メインデルトは手すりに寄りかかった。
「・・・メルセン・コッカのこと、上手く対応してくれたようで、苦労かけるね」
すると危険にも屋根の上で佇んでいたバルタサール・ドミンケスが、うへぇという顔をして答えた。
「よせよダンナ。今更ねぎらいの言葉なんざ、気持ち悪くて受け取れやしねぇ」
「そんじゃあ、これを受け取っといてくれ」
ヒョイッとドミンケスに銀貨の入った小袋を投げる。
へへへと笑い声を上げながら、銀貨の枚数を数え始めたドミンケスは、「そういや」とメインデルトに声をかけた。
「コッカは身元不明で医療監獄に入れといたけどよ、尋問もしなくていいのか?」
「・・・したところで、彼女は命令を受けただけだってわかるのが関の山さ。・・・そうでしょ?」
意味ありげに睨み上げるメインデルトに、ドミンケスは薄い笑みを浮かべた。
「さーな」
ふと階段をドカドカと足音を立てて上がってくる音がした。
随分騒々しい音を立てて上がってくるのは、一体だれだとメインデルトが階段を覗き込むと、エイト=ブラハムが笑顔でこちらに迫ってくる。
「んだよ、バルタサールのクソガキと話してんなら一声かけてけ、と」
「そんなに急いでどうしたのさ、アポロ」
「そうだよ、メイン!ジェーンちゃんが目を覚ましたぜ!」
◇ ◇ ◇
剣技場で木刀片手に、同年代の騎士たちとワイワイ騒いでいたフェリクスとスヴェンであったが、カーラからジェーンが目覚めたと聞くや否や病室へと駆けだした。
病室の前ではラフェンテが待っており、フェリクスたちを見つけると手を上げた。
「先生、ジェーンは!?」
「大丈夫ですよ、今はアーベンロート卿と中で」
穏やかに笑ってラフェンテは逸る二人を制した。
メインデルトとエイト=ブラハムも病室の前まで駆け足で来たが、ラフェンテから状況を聞くと、ふーと息を吐いて安心したようだった。
暫くして扉からアンナが顔を覗かせて、フェリクスたちを手招きした。
恐る恐る病室に入ると、ベッドに横たわったジェーンが、その虚ろな瞳で窓の外を眺めていた。
「・・・フェリクス・カウフマンか」
「ジェーン!なんだよ元気そうじゃねぇか・・・!」
気配を感じたのか、ジェーンはこちらに顔を向けると、少し嬉しそうな笑みをいつもの勝気な顔に浮かべた。
心底安心したという顔をするフェリクスの横で、スヴェンは自分を指さした。
「え、待って、ジェーンちゃん、俺もいるんすけど・・・」
「・・・スヴェン・・・何と言ったか」
「お前、自己紹介してないだろ、スヴェン」
「それだ!・・・んん、スヴェン・エルマンデルだ。名前はきっちり憶えてくれよな」
変に気取った挨拶をして見せるが、ジェーンは「そうか」と小さく返しただけだった。
そして、しばらく悩むような顔をしたのち、少し頬を恥ずかしそうに赤らめた。
「なんだ、その・・・ありがとう。私一人では、アイツに太刀打ちできなかった」
もう一度、「ありがとう」と言ったジェーンに、フェリクスとスヴェンは首を横に振った。
「いや、俺たちだってジェーンがいなくちゃ勝てなかった。それに、ジェーンは守るべき対象だったのに、全然守れなかった。俺らの力不足だ。そんな重傷負わせちまって・・・」
「ありがとうって言わなきゃいけねぇのはこっちの方だ。すまないジェーンちゃん、本当にありがとう」
頭を下げる二人に、ジェーンは小さく頷いた。
何となく他愛のない話をした後に、ジェーンはぽつりぽつりと身の上話を始めた。
襲撃事件のこと、攫われたアビゲイルのこと、叔父の元でのこと、そしてそれからの放浪の話。
黙って聞いていたフェリクスたちだったが、ジェーンの話が終わると、深く頷いた。
「それじゃあ、そのアビゲイルを救い出さないといけないな」
「まずは情報を集めるとこからか」
言うが早いか、二人は椅子から立ち上がった。
「どこに行くの?」と問うジェーンに、
「善は急げだ。図書室に行って、目撃情報が記載されてるものが無いか確認に行く」
「ジェーンちゃんは、ゆっくりしてるんだぞ!」
と返して、フェリクスとスヴェンは病室のドアへと向かう。
アンナは二人の去り際に、少し頭を下げて言った。
「カウフマン騎士、エルマンデル騎士。今回のこと、本当にありがとう。その、怒りを見せてしまってごめんなさい」
「いえ、こちらこそ、ピンチの時に助けていただいてなんといったらいいのやら・・・」
フェリクスたちははにかんだ笑顔でそう言うと、病室から出て行った。
「なんで・・・こんなに私にしてくれるの・・・」
見送った後、ジェーンはぽつりとつぶやいた。心の声が漏れたようだったが、アンナは聞き逃さなかった。
「それが騎士だからよ、ジェーン。『Unus pro omnibus, omnes pro uno』。一人は皆の為に、皆は一人の為に」
どこか誇らしげに、少々胸を張るアンナに、ジェーンは何度も頷くと、意を決したように彼女の方へ顔を向けた。
「アンナ。私、騎士になりたい」
ジェーンのフェリクスたちを見る目から、薄々分かってはいたが、アンナにとってそれは嬉しくもあり、また今度こそ失ってしまうのではないかという怖さも併せ持っていた。
「・・・過酷よ。任務も修行も。生半可な覚悟じゃ折れてしまうわ」
「この前の戦いで分かった。今のままじゃ、アビーを救うことなんてできない。それにアビーを攫ったのがノヴゴロドの国ならば、騎士になるのが最も早い。・・・皆の言う、皇帝陛下に尽くせるかどうかはまだ分からないけれど、それでも私は騎士になりたい」
まっすぐな言葉と、濁りながらもその瞳の中に固い信念を感じたアンナは、自分の感情で人を縛り付けようとしていたことに気づいた。
―馬鹿ね、私も
―この子は思ったら突っ走る子って、知っていたはずなのに・・・
「ごめんね、話は聞かせてもらったよ」
メインデルトがそう言いながら扉を開けて入って来た。エイト=ブラハム、ラフェンテもそれに続く。
「先生」
「うん。ジェーンちゃん、ボクはエルトリア帝国皇室近衛騎士団の団長代理、メインデルト・ロット。今一度で申し訳ないんだけど、君は騎士になりたいんだね?」
アンナに頷くと、メインデルトは少ししゃがんで、ベッドに横になるジェーンと目線を合わせた。
「はい」
ジェーンははっきりとした声で答えて頷いた。メインデルトはしばらく彼女の顔を見つめていたが、やがて満足そうに頷くと、アンナたちの方を向いた。
「本来なら評議室でやらないといけないんだろうけど、幸いここに規定数の四人の旗騎士がいる。彼女を騎士訓練生、従者として迎えることに賛成の者は挙手を」
手を上げたのはメインデルトとアンナだけだった。
アンナの驚きの視線を向けられたラフェンテは、困った顔で「反対なわけじゃないんだ」と手を振った。
「ただ、彼女を一般の従者として迎えることには反対です。年齢もそうだし、現在の能力も他の従者とかみ合わないでしょう。騎士には戦闘能力意外にも儀礼作法が必須ですから」
「俺も同じ考えだ、と。騎士としては逸材だが、現在の騎士叙任までの教育段階じゃあ合わねぇ」
悔しいが、確かに二人の言うことは正論だ。アンナは下唇を噛んだが、メインデルトは「なるほどその通りだ」と言葉を続けた。
「なら、騎士叙任まで誰かが専属で彼女に諸所を教えるのがいいってことだね」
「ええ」
ラフェンテは頷くと、さらに
「その専属の師ですが、私はアーベンロート卿が適任と考えます」
と続けた。
「俺もそうだな。アンナちゃんが適任だ、と。次点で、ロロのオッサンかなぁ」
それにエイト=ブラハムも満足そうに頷き、全員の目がアンナに向かう。
正直、驚きだった。
旗騎士になってから師を求められたことは無かったからだ。
―私がジェーンの師に?
「・・・大丈夫だよアンナちゃん。君なら、いや君だけがジェーンちゃんを立派な騎士にできる」
メインデルトはアンナの肩にそっと手を置いた。
―今度は、私が決心する番ね
アンナは深く頷いた。
「やります。私が、ジェーンの師を」
メインデルトたちは満足げな笑みを浮かべた。
「それじゃあ改めて可否を問うよ。ジェーン・ファミリアエを、特例でアーベンロート卿を師とする従者として、迎えることに賛成の者は挙手を」
今度こそ、四人全員の手が上がった。
それを確認したメインデルトは、再びジェーンと目線を合わせると、自分の左手に握った十字架の上に、彼女の左手を置き、右手を顔の位置まで上げさせた。
「ボクが言うことを復唱するんだ。いいね?」
ジェーンが頷くと、メインデルトは宣誓を始めた。
「私、ジェーン・ファミリアエは、帝国近衛騎士従者たるものとして、帝国法を遵守し、」
「私、ジェーン・ファミリアエは、帝国近衛騎士従者たるものとして、帝国法を遵守し、」
「皇帝陛下の御身とその帝国及び臣民を守るべく、専心騎士叙任の為、鍛錬に励むことを誓います」
「皇帝陛下の御身とその帝国及び臣民を守るべく、専心騎士叙任の為、鍛錬に励むことを誓います」
「皇帝陛下万歳」
「皇帝陛下万歳」
「・・・これで君は否応なく、騎士にならなければならない。その道は険しいだろう。だが、負けてはいけないよ」
最後にそう言ってメインデルトはジェーンの頭を軽くなでると、エイト=ブラハムやラフェンテを連れて病室を後にした。




