1-1 物語は動き出す
『騎士』
その存在を知らぬ者はいない。
彼らはその血を代償に、人智を超えた『騎士術』を振るう。
ある者はその血飛沫を燃え盛る業火に変え、またある者はそれを天を衝く雷へと変える。
いつ、どこで誕生したのかは定かではない。彼らのその血の解明すらも、まだ成されていない。
しかし、騎士のその絶大な力は、はるか昔から鎬を削る、二つの大きな帝国によって戦場へと送り込まれてきた。
大陸の東北を支配するノヴゴロド帝国と、西南を治めるエルトリア帝国。
彼らは今日も戦火を交える。
もはや発端すらも忘れ去られた、千年来の血戦で――
◇ ◇ ◇
17XX年
「第一列、射撃用意ィ!・・・撃てェ!!」
けたたましい銃声が一斉に荒野に響き、赤白の軍服に相対する、黒黄色の軍服たちが倒れる。
まるでオモチャの兵隊たちのようだが、横二列に並ぶ彼らは間違いなく生きている人間である。
「第二列、撃てェい!!」
ピストルを握った士官が、その枯れた声を絞りだして叫ぶと、再び耳を突く射撃音がして、赤白の前にもうもうと白い煙が立ち込める。
煙の先では、一人、また一人と黒黄色の兵士たちが倒れた。が、彼らはそれに顔色を変えることなく、空いた穴にはすぐに兵士が収まり、その整列に乱れはない。
今度はこちらの番だと、黒黄色の士官がその指揮棒を振り下ろした。空気を切り裂く音共に、飛来した弾丸が赤白の戦列を抉る。
荒野を舞台に繰り広げられる戦闘を、後方の陣で見守っていた騎士のフェリクス・カウフマンは、撃って撃たれてを繰り返す戦いにため息をついた。
「俺らも出なくていいんですか?先生」
「・・・フェリクス君。その胸に手を当てて、今言ったことをもう一度考えてみてください」
いらだった様子で地面を蹴るフェリクスに、彼の師匠であるレネ・ラフェンテは、その穏やかな笑みを崩さずに言った。
「それでも先生!」
「君の気持ちはよくわかりますよ。力を持った私たちにとって、人が無残にも死んでいくのを見るのは歯がゆいものです。しかし、彼らの代わりに私たちが戦場に飛び出し、敵の戦列を前にしたときを考えるとどうでしょうか?いかに私たちが弾道を“読める”とは言え、眼前に無数に迫るそれを避けられますか?」
感情論で話すフェリクスに、ラフェンテは理路整然とそれに反対した。
「火器の時代を迎えてから、騎士の数は激減し、今やこのエルトリア帝国では500程しか数えられません。皇帝陛下の近衛騎士である私たちの任務は、皇帝陛下をお守りすること。それ以外の理由で、安易にその身を投げることは許されませんよ」
ラフェンテの言うことが分からないようでは騎士になれない。フェリクスは一時の感情に流されそうになった自分を恥じて、そして目の前の戦闘で倒れる兵士たちを見て、下唇を噛んだ。
「マッ、深く考えすぎんなよ、フェリ。ノヴゴロドの騎士が出張ってきたら、俺らが戦えばいい。出てこないなら、こうして構えているしかねぇ」
サイドを刈り上げた金髪の騎士、スヴェン・エルマンデルがフェリクスの背中をバシバシ叩いて笑った。
「痛ェな」とフェリクスがその手を振りほどくと、スヴェンは「わりぃわりぃ」と手を振った。
「スヴェン君は、もう少しフェリクス君のような緊張感を持っているべきですね」
「・・・一番緊張感無いのは、先生じゃないっスか」
相変わらずどこか掴み所の無い調子のラフェンテに、スヴェンは悪びれもなくケロッと言い放った。
◇ ◇ ◇
エルトリア帝国の主権を握る教会と、権力を失った皇帝の住む帝都ビュザスに、フェリクスたちの所属する、皇室近衛騎士団も存在する。
陽が落ちても、なお人通りの多い繫華街の呑み屋で、フェリクスたちは無事に戦場から帰還したことに祝杯を挙げていた。
「けーっきょく、三か月の任地で一回もノヴゴロドの騎士とやりあうことは無かったっスねぇ・・・うああ、気持ち悪ィ・・・」
「それに越したことは無いだろ。お前は戦いに飢え過ぎだし、少し呑み過ぎだ」
顔を赤くしてグデーっと机に突っ伏すスヴェンを軽く叩いて、フェリクスはポテトフライをつまんだ。
フェリクスとしては、何事もなくまずは任務が終えられたことにホッとしている。「それなのにこのアホは・・・」などと思っていると、いくら呑んでも顔色一つ変わらないラフェンテが、面白そうに笑った。
「全く君たちといると、笑いに事欠きませんね。それにこんなおじさんを師と仰いでくれるのですから、ココは私が持ちましょう」
聞くや否や、先ほどまでグロッキーだったスヴェンがバッと身を起こし、店員にあれやこれやと注文している。その様子をやれやれとフェリクスとラフェンテが見ていると、なにやら通りの方から騒ぎ声が聞こえた。
フェリクスが店の窓から顔を覗かせると、ボロ布を纏った影が目の前を勢いよく走り抜けていき、その後を息も絶え絶えな小太りの男が追いかけていた。
「ハァハァ・・・ま、まてぇ!金を、ハァ、払えぇ・・・!」
限界を超えたのか、倒れ込むようにして地べたに座り込んだ男に首を振って、フェリクスは立ち上がった。
長剣を持ち、ホルスターのピストルを確認するフェリクスに、ラフェンテは近衛騎士団の紋章が入ったマントを渡した。
「近衛騎士の名に恥じぬ活躍を」
小太りの男に店で待っているように言うと、フェリクスは人混みの中を逃げる影を追いかける。通りを右へ左へと素早く移動する影に、騎士として日ごろ鍛えているフェリクスも息を荒げた。
何とかもう少しで追いつくというところで、影がフッと視界から消えた。慌てて辺りを見回すと、薄暗い路地がある。
慎重にその路地を進んでいくと、人気の少ない小さな広場に出た。身寄りのない者の溜まり場になっているのか、ボロボロの布に身を包んだ人々が、きっちりと制服を着たフェリクスを遠巻きに睨む。いつ襲われてもおかしくない状況に、フェリクスはピストルに手を置きながら一人一人見て回った。
ふと、こちらに背を向けて何かをむしゃむしゃと食べている影が目に入った。所々穴の開いた布を羽織った、絶対的に怪しいその影にフェリクスは近づくと、その肩に手をポンと置いた。
「近衛騎士です。ちょっと失礼しますよ。その今食べてるパン、ちゃんとお金払いましたか?」
むしゃむしゃとやっていた影は、その顔をフェリクスに向けた。建物の間を抜けた風に、その影、少女の羽織った布のフードが頭から落ちる。
フェリクスはその顔に一瞬、心奪われて、そしてハッと気づいた。
月明かりの下でも、炎のように赤く輝く茜色の長い髪と、それと真逆に灰色に濁った両目。
―目が見えないのか
一瞬、逡巡したものの、フェリクスは彼女に手を上げて立ち上がるよう指示すると、肩から下げたポシェットから、手縄を取り出した。
―こんな娘もいるのに、教会のブタ共は毎日宴会か
心の中でぼやきながら、それを少女の片手に結ぼうとした瞬間―
その手の甲を何かが切り裂いた。
顔を顰めながら、少女から距離を取る。
右手を見ると、中指の根元から手首にかけて、裂傷が出来、派手に血が流れている。
―何をされた?
「チッ」と舌打ちをして、ピストルを抜く。その動作だけでも右手が痛むが、今はそれに構っているわけにはいかない。
「お嬢さん。手の中に隠してるナイフを捨てて、こっちを向きなさい」
恐らく小型のナイフを隠し持ち、彼女の手首に伸ばした右手をそれで斬ったのだろう。
フェリクスは何度かナイフを捨てるように言ったが、少女はそれに応えることなく、ユラリとフェリクスの方に振り向いた。
いつ持ったのだろうか、その少女は楢の木でできた杖を握っていた。
見えない故なのか、フェリクスの構えるピストルに、一向に怯む様子は無く、一歩、また一歩と迫る少女に、フェリクスは覚悟を決めてピストルを撃った。
パァンという乾いた音が広場に広がり、火薬の匂いが鼻を衝く。
銃声に、一目散に広場から逃げる人々の中、フェリクスは目の前で起きたことに目を見開いていた。
―弾を躱した!?
フェリクスは銃の腕には自信があった。そして銃の調子が悪かったわけでもない。
確かにピストルから放たれた弾丸は、確かに少女に命中する弾道を描いていた。
だが、当たる寸前で彼女がその身を目にも止まらぬ速さで捻って、それを回避した。
さらに立て続けに自分の元へ駆けてくる少女を前に、フェリクスはある可能性を確信してピストルを放り投げると、長剣を引き抜いた。
―偶然なんかじゃない・・・
―あれは俺の筋肉の動き、風の向き、弾の状態、ピストルのバレル、全てを観察し、予測した上でしかできないこと
―それが瞬時にできるのは、『騎士』だけだ!
フェリクスに手の届くところまで迫った少女は、楢の棒、その中に仕込んであった剣を逆手で引き抜くと、フェリクスの首元目掛けてそれを振りかざした。
―逆袈裟斬り!
半歩引いてすんでのところで、剣を躱したフェリクスは、振り払った剣の柄を左手の掌で勢いをつけ、もう一度首に迫る少女の剣を、長剣で弾いた。
その衝撃に身を任せ、少女はふわりと宙を舞うと、フェリクスから距離を取った場所に直地した。
―間違いない、コイツは騎士だ!
―ノヴゴロドの騎士か、はたまたエトルリアの落ち騎士かはこの際どっちでもいい
―いずれにしろ、敵だ
120cm程度の長さを持つ長剣を握り、剣と姿勢をまっすぐに、左足を前にして肩幅に広げる、最もシンプルな構えを取る。
―さっきの逆手での一撃といい、今の相手の力を利用した身のこなしといい、面倒な型の使い手か
―でも、単純だが攻撃も防御も無難に行える、この先生の元で鍛えた型なら、問題なく対応できる!
血を代償にして繰り出す騎士術を、全面に押し出した戦い方は、騎士にはあまり好まれない。血を失うということは、行動の鈍化、果てには失血死を招くからだ。
故に、通常は先ほど少女の行ったような、周りのあらゆる状況を瞬時に観察・起こること予想する、『予力』を使いつつ、それぞれの剣の型で戦い、ここぞという時に一瞬だけ騎士術を使用するのがセオリーとなっている。
「・・・本当に騎士のようだな」
こちらから仕掛けようかと、フェリクスが足を一歩踏み出した瞬間、突拍子もなく少女が問いかけてきた。少女らしい声ではあるものの、どこかカサついた、暗い闇を感じる声である。
「・・・言っただろう。俺は近衛騎士のフェリクス・カウフマンだ。お前は一体どこの」
「六年前のハリカルナッソス。覚えは無いか?」
あまりに脈絡のないことであったので、思わず「は?」と言ってしまったフェリクスだが、何かの誘導かもしれないと、警戒しながら答えた。
「悪いが俺が騎士になったのはついこの前でね、ハリカルナッソスって街で何かあったなんて分からないな」
「・・・そう」
少女は微かに聞こえるような、今にも消えてしまいそうな声でそう呟くと、剣を杖にしまい込んで、くるりとフェリクスに背を向けて歩き出した。
―・・・逃げるのか?
戸惑いを隠せないフェリクスであったが、ここで彼女を逃がしても何が起こるか分からない。
追いかけようと駆けだしたフェリクスのその頬に、何かがピトッと当たった。一瞬雨かと思い空を見上げたが、月が一寸も隠れる余地がないほど、雲の無い空である。
―まさか!?
―しまった!!
雨で無いとなると、いやそれよりも騎士との戦いにおいて“液体に触れた”という時点で、結果は大方一つに絞られる。
『騎士術』だ。
慌ててそれを、“血”を拭おうとするフェリクスに、少女が冷たく言った。
「ついてこないで」
刹那、パキンッという音と共に、頬が固まる。触ると、反射で手を離す程の冷たさである。
―凍らされた!?
無理に口を開けようとすると、その部分との境で皮膚が裂けた。痛み悶えつつ、頬を抑える右手を見る。
―さっき右手を切り裂いたのも、氷か!
―それなら!
フェリクスは首からぶら下げた、先端のとがった十字架を胸に軽く突き刺して、スタスタと離れていく少女に、「待てよ!」と叫んだ。
振り返った少女は、見えないその目をわずかに見開いて、剣を抜いた。音の反響で分かったのだろう。眼前に剣を持ったフェリクスが迫っていた。
「『冰蜂』」
少女は自身の脇腹を薄く切って、剣に血を纏わせるとそれでフェリクスに斬りかかった。少女の剣から、血が飛び、それが氷柱へと姿を変えてフェリクスを襲う。
だが、フェリクスが胸に刺さっていた十字架を抜き、飛んで来る氷柱に自分の血を浴びせた瞬間、その氷柱が跡形もなく消えた。
剣と剣がぶつかり合い、火花を散らす。フェリクスが上から抑え込むように剣を振り下ろしたため、少女は先ほどのように衝撃を利用した回避が出来なかった。
長剣そのものの重さに加え、フェリクスの体重もかかっている状態で、少女はじりじりと地面に押されていく。唇を噛む少女の剣から、彼女の血が肘を伝って地面に落ちた。
すかさず、少女はその血から氷柱を立ち上げてフェリクスを押し退ける。
その場で回転するようにして、勢いを付けた片手で握った剣でフェリクスに斬りかかる。
それを何とか剣ではじき返し、バランスを崩した少女に一気に迫ると、その鳩尾を剣の柄で殴りつけた。
少女は剣を落として、少しヨロヨロと後退りした後、その場にうずくまった。
フェリクスは彼女が意識を失ったことを確認してから、長剣を鞘に納めて、手についた血を頬に飛ばした。すると凍っていた頬が一瞬にして溶ける。
―俺のこの温度を操作する騎士術と相性が良かったからいいものの、少し気を抜いていたらやられていたかもしれない
「それにしても」と思いながら少女を抱え上げた。歳は、フェリクスより三歳くらい幼いのだろう。身寄りが無く、不自由な生活を送っていたのか、ずいぶんと体が軽い。
―一体この子はなんなんだ?