月下美人は二回咲く
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ああ、つぶらやくん、珍しいところで会ったわね。
――花屋から出てくるなんて、花を探していたのか?
いいえ、この花屋がバイト先なの。ほら、前にも話したでしょ。バイトで水仕事が大変だって。もしかしてレストランとかのお皿洗いとかを想像してた?
結構、花屋の水仕事はヘビーよ。お水をあげるのにもだいぶ気を配らなきゃいけないから。つぶらやくんは花屋になんかご用?
――母の日用のアレンジメント?
ああ、もうそんな時期だったっけ。だったら、こちらのギフトがおすすめですよ、お客様……って、時間が終わったのに営業根性丸出しねえ、私。
つぶらやくん、良かったの? 私がおすすめしたやつで。
――君の選んだものだったら、間違いはないと思った?
もう、すっかり口が上手くなったわね。逆に信用置けないって感じ。現実でこれなんだから、小説の中じゃどれほどのものなのかしらね。
君の作品を最後に読んだのも、だいぶ前の話。今はどんな作風になっていることやら。
う~ん、疲れたなあ。つぶらやくん、これから時間ある? ちょっとそのあたりで夕飯食べない? 大丈夫、自分の分はしっかり出すって。
ついでにお花を巡る話もつけるわよ。
さっきも話したように、たくさんあるお花の手入れって、なかなかきついのよね。花の知識はあるし、虫とかにも抵抗はないんだけど、実際の辛さは水のお世話と、力仕事の多さかしら。
私、女子にしてはちょ~っと腕力があるせいで、鉢とかバケツとかを運ばされることが多いのよ。屈伸運動も伴って、足が痛くなるのもしばしば。私のシフトに男の人が入ってくれないかなあ、なんて淡い期待を抱いたことだって何回か。
でもね。お花たちっていうのは、本当は女の人の手で育てられるべきなんじゃないか、と思わされた話があるの。男女差別、とかそういうのを抜きにして。
それが今回の「月下美人」の話。
つぶらやくんも知っての通り、月下美人はサボテンの一種で、強いにおいがあるわ。名前の由来は、大正時代に当時皇太子だった昭和天皇が、台湾の大使に花の名を尋ねた時、「月下の美人です」と説明を受けたから、と言われている。
夜の間だけ花開く、数時間の命。名前の美しさも手伝って、満月の夜にしか咲くことはないとか、一年に一度しか咲かないとかの伝説があるくらい。花も人も、容易につながることができない時代ならば、その思いもひとしおでしょう。
これから話すのは、ずっと昔のことで、まだ日本に「月下美人」の名前はなかった。それに完全に同じものだともされていない。
ただ便宜上、名前を「月下美人」で語らせてもらうから、そのつもりで。
日本でもずっと南にある、小さな村。
そこでははるか昔から、女たちに月下美人を育てる義務があったと聞くわ。男は一切、携わってはならないという決まりがあって、破ると男は村を追い出されてしまうのだとか。
寒さに弱い月下美人。冬場は個々の家の鉢の中で育てられ、夏場は外で管理される。ひとつの苗が花をつけるのに、数年はざらにかかった。女たちは昼も夜も、花を手入れして、手も顔も荒れ放題だったらしいわ。
ここまで力を入れねばいけない理由。それはこの月下美人を、お盆までに、二度咲かさなければならない。さもなくば、鬼がやってくる、という戒めが、ずっと昔から伝わっていたためだった。
その地域では、お盆は今の8月にあって、一回目の開花は6月いっぱいが期限。それを達成しても、8月までにもう一度咲かすには、尋常ではない負担がかかったんですって。
けれども、女たちは何百年もやり抜いてきた。おのれの美貌を犠牲にしてでも。
その伝統が破られたのは、江戸時代の中ごろ。
街道が整備されて、人の往来が盛んになった、泰平の世。へんぴな場所にあったその村にも、行商人や旅芸人が訪れた。年を経るごとに、滞在日数や頻度そのものが増え、村には娯楽を楽しむ空気が広がり始めた。
これは特に若者にはよく効いた。辛い土いじりよりも、楽しい話を聞いたり、芸を観たりすることの方が、はるかに気分が楽なんですもの。
蔓延した堕落の空気に、年配の女たちは外からの交流を断とうとしたけれど、一度汚れに染まった根っこは二度と完璧には戻らない。若い子たちのお世話は、今までのそれに比べて、明らかに精彩を欠いていたわ。
この村での月下美人の世話は、何日も徹夜することだって珍しくない。
水や肥料のやり方。かすかな気温の変化に応じた、こまめな鉢の移動。言葉にできない、繊細なさじ加減を身体になじませなくては、お盆の時期まで二回の開花など間に合わない。できなければ、伸ばした髪をすっぱりと切られて、丸坊主にされる。あまりに無様だと、私刑として棒叩きもあったとか。
そうなると、甘い蜜を吸った早乙女たちがやることは、逃げ出すことだったわけ。
「ばあや。姉ちゃんはもう、帰って来ないのか?」
村の家の一つ。縁側の障子に沿って並べられた、鉢植えの月下美人に水をやりながら、女の子はつぶやいた。彼女はまだ十歳にも満たなかったけど、すでにこの村独自の花の育て方を心得ていたの。
小さな子供の背丈ほどに成長した、月下美人。株も大きくなり、開花の時も近そう。彼女はひしゃくに汲んだ水を、そうっと土に垂らし、円を描くように湿らせていく。この水の量も、ばあやから叩き込まれたものだった。
「もう忘れなさい。ほれ、その花の世話など、もうよかろう」
「姉ちゃんのだもん。私が一緒に育てる」
少女はすぐ隣の鉢に生った月下美人にも、同じように水を用意してやる。
かつて少女は姉とばあやの三人暮らしだったのだけど、数ヶ月前に、この家に泊めた旅芸人の男に姉が惚れこんでしまって、男が留まる気がないことを知ると、自分から押し掛ける形で村を飛び出してしまったの。
「お花の手入れをしつづけて、肌も顔も傷ませながら、老いて死んでいく。その生き方に疑問を覚えました。どうせならこの月下美人のように、一瞬でも、きれいな姿を謳歌して消えていきたい。わがままをお許しください」
慣れない文字を連ねて残した手紙には、そう書かれていたらしいわ。
その日からばあやは、自分から姉の話題を振ることもなくなり、彼女が育てていた花にも見向きしなくなった。明らかに嫌っていたわね。
娘が出ていった他の家でも、これと同じような扱いがあったと少女は聞いていたけれど、身近かつ進行形で見るのは、これが初めてだった。
六月中旬の夜。月明かりの下で、少女が育てた月下美人は、姉の物ともども花を開かせたわ。ばあやのものも同じく。
「さあ、ここからが大変よ。今まで以上に気をつかって育てなくては」
ばあやは開花を確認すると、すぐに葉っぱに見える茎の一部を切り取り始めたわ。花の数を増やす挿し木にするため、これを数日間、陰干しする必要があったから。
少女もばあやの真似をして、茎を切り取っていきながらも、心の中では不安がどんどん高まって来たわ。
八月のお盆までに、二回目の開花を迎えなければ、例外なく罰を受けることになる。でも、姉のように外へ出ていった人の場合はどうなるのだろう、と。
ばあやに尋ねても「だったら、あいつの分を育てるのをやめよ。さすればじきにわかる。鬼が出るでな」と冷たく返されるばかり。
怖い。でもひと目、鬼を見てみたいかも。
ばあやの厳しい指導を受けて、夢中で日を過ごし、姉の分も育てたけれど、心の隅にはそんな考えがいつもくすぶっていたの。
それが邪念となって、呼びこんだのでしょうね。
お盆に入って、彼女とばあやの花は、見事に二度目の花を咲かせたわ。けれども、姉の分は送り火が焚かれた夜も、とうとう花開くことはなかった。
少女は日が暮れても、もう少し、もう少しとばあやに言いながら、ぐずぐず粘ったけれど、月が中空高く昇る時、「限界じゃ。やらねばならぬことがある」とばあやは自分の鉢を持って立ち上がり、少女にも同じように促す。
「それでも」と言いかけると、今度は強く頬をはたかれた。次はない、と感じるくらいの痛さに、とうとう少女も折れるしかなかったわ。
ばあやに連れられて、少女は村の裏山へ向かったわ。ここには村の人たちのお墓が並ぶ。
小さな墓石たちの間を通り過ぎて、ばあやと少女は無数に並ぶお地蔵さんたちの前で立ち止まった。
無縁仏。供養する家族、縁者がいなくなった者たちが肩を寄せる、魂の寝床。
その足元には、他の人が用意したと思しき月下美人の鉢がずらりと並んでいた。ばあやと少女は、その中に自分たちの花を加えて、手を合わせる。
ごとり、と音がした。
見ると無数にある地蔵のひとつ。その頭がボロリと取れていたの。
同時に、いつの間に現れたのか。首のあったところから、一羽の鳥らしきものが、空に向かってはばたいていったの。「らしき」というのは暗くてよく見えなかったことに加え、その頭には一本の長い角が生えているのが見えたから。
「鬼があいつを迎えに行きよった」とばあやはつぶやき、少女に話し出す。
この無縁仏たちもずっと大元をたどれば、自分たちと同じ、この地に住まった先祖を持つ者たち。現世での婚姻とは別に、霊魂として結ばれているものたちばかり。
お盆になると、そのつながりが強まり、向こう側に引き込もうとする力が生まれる。まるで、駄々っ子のように。
だから、月下美人を供える。あなたとずっとつながっているという想い。その愛情は、乙女が己の容色を削ることによってしか示せない。だから、間に合わなければ髪を切らせて、代わりとする。
身を賭しても、あなたを忘れない。過酷な栽培を通じ、月下美人にそれが伝わることで、村の安寧が保たれている。
そしてそこから逃げた者を、彼らは決して離さない、とも。
ばあやと少女が、姉の急逝を聞くのは、それから数ヶ月後のことだったらしいわ。




