ポルモーンの遺影
ちょっとエロいかも。
ゴトゴトと車体を揺らしながら、それなりに整地された街道を走るティルファ式機械車。ササの街からアーレクラワの街を結ぶ定期便、車内には八人程の乗客が膝を付き合わせる形で座席に座っている。
地元の部族達がこの一帯を移動する時は馬車か乗用犬を使うので、乗り合い機械車を利用するのはもっぱら観光や商人達だった。
車窓から自然の石柱が並ぶポルモーン渓谷の不思議な景観を眺めつつ、フエルト卿は隣でぼーっとしているリリーに声を掛けた。危険な魔獣も駆逐されて安全が確保されたポルモーン渓谷は、アーサリムの観光地として連日多くの人々が訪れる。
「もう直ぐポルモーンに着く、そこからは手配した馬車に乗り換えるぞ」
「はいー」
山賊襲撃事件で帝国貴族達にも受け入れられ、魔族組織による精霊神殿サクヤ派勢力扇動工作事件では帝国に多大な貢献を果たして信頼も得たフエルト卿だったが、その後もこれと言った要職に就く事もなく、日々静かに暮らす毎日を送っていた。
朔耶を始めアーサリムで活躍する若者達の噂を聞くに付け、自分が出張る時代は終わったと感じたらしく、ある種、野心の気持ちが薄れたような隠居生活に入っており、本人もその穏かな環境を気に入っている。
そんな平穏が続いていたある日、フエルト卿の下に各地から故郷に辿り着けて元気に暮らしてるという元奴隷使用人達からの手紙が届いた。それを読んだフエルト卿はリリーにも里帰りをさせてやろうと思ったのだ。
リリーは『もう帰るところはないからと』乗り気でなかったのだが、フエルト卿は『ポルモーン渓谷はもう安全なのだから、一度故郷に戻ってみてはどうか』と帰郷を進めた。
「一度、お前の故郷を見ておきたいのだ」
「だんなサマ、その口説き文句を使うには、少しお年を召しすぎてるのでは?」
「……私はまだ三十七なのだが」
「二十年くらいおそいですか?」
そんな調子の答えが返って来て、柄にもない事を言うものでは無かったかと溜め息を吐くフエルト卿だったが――
「でも……嬉しいです」
ふんわり微笑むリリーは帰郷する事を承諾した。そんな訳で今、フエルト卿達はアーサリムのポルモーン渓谷を訪れている。
ポルモーンの街から少し離れた平地に、かつてリリーが住んでいたプックという集落があった。人狩りの放った魔物に襲撃されて壊滅した筈の集落は、当時よりも少し立派な比較的新しい建物が並ぶ村となって再建されていた。
「……ひとが、戻ってます」
「復興したのだろう、環境の整った場所には人が集まるものだ」
馬車が村に入ると、村人達が遠目に様子を窺っている姿が見受けられる。宿らしき建物の前で馬車を停め、宿泊が可能か御者の付き人が訊ねに行く。リリーは窓にベタっと手をつけて夕焼け色に染まるプック村の風景を見渡していた。
「あ……っ」
通りを眺めていたリリーは何かに気付いたように声を漏らすと、馬車を飛び出して駆け出した。外出時、リリーの突飛な行動は何時もの事な為、フエルト卿はやれやれといった表情で馬車を降りると、慣れた様子で後を追う。
「リオ! セリム!」
「え……リリー? あなた、リリーよね?」
「うん、あたしだよーっ みんな無事だったんだねー!」
「リリーも無事だったのね! ケールとカリナもこの前帰って来たんだよ」
集落に住んでいた頃の幼馴染達。人狩りに攫われた後、この二人は魔族組織の施設で使用人をやらされていたらしい。一緒にキトで売られたケールとカリナの二人も無事に帰って来たと聞き、本当に良かったと嬉し涙を浮かべるリリー。
再会を喜び合い、昔を懐かしむ彼女達を邪魔するのも無粋かと思ったフエルト卿は、少し離れた場所から様子を見守っていた。
「ねえ、リリー……あんたのその格好って、それに……あそこにいる貴族みたいな人」
「あの人は、わたしの働いてるお屋敷のだんなサマ、本好きで魔術士なひとなの」
ちなみに、フエルト卿が毎日本を読んでいるのは他にする事がないからであって、別に特別本好きという訳ではない。
キトでフエルト卿に買われてから帝国のお屋敷で使用人として働いている事、フエルト卿が今回の帰郷を勧めてくれた事などを嬉しそうに話すリリーに対し、リオは眉を顰めると吐き捨てるような溜め息を吐いた。
「あんた……ちょっとお馬鹿な子だとは思ってたけど、そこまでとは思わなかったよ」
「リオ、よしなよ……」
「え……?」
急に機嫌が悪くなった幼馴染のリオに、キョトンとした表情を向けるリリー。セリムがリオを宥めようとしているが、リリーの不思議そうな表情が気に入らなかったのか、リオはさらに悪態を浴びせ掛けた。
「まさか自分の飼い主と帰省するなんて思わなかった、この前帰って来た二人がどんな思いをしながら故郷を目指していたか」
しかも貴族の馬車で乗り付けてくるなんて、あたし達への当て付けかと、リオは感情を昂らせる。
魔族組織の施設で使用人として使われていた二人は、他の使用人達とも同じく洗脳状態にされていたが、その間の記憶は残っている。彼女達の仕事は普通のお屋敷などで働く使用人の業務と内容は似たモノだったが、清掃業務には研究施設で破棄された魔物の実験体や、変異に失敗して肉塊となった死体の片付けなども含まれており、他にも護衛隊員や、人狩りが居た頃には彼等の世話もさせられていたのだ。それらの経験の記憶は、彼女達の心に深い傷と影を残していた。
リリーと一緒にキトで売られた二人は、それぞれキトとエバンスの貴族に買われていたのだが、奴隷制禁止令が出たあと大した路銀も持たされずに放り出された為、春売りをしながら旅を続けて何とか故郷に辿り着いたのだ。
貴族の元で幸せそうにしているリリーを見たリオは『自分達は酷い目にあって来たのに、どうしてこの子だけ……』という嫉妬から、リリーに辛辣な言葉を投げ付ける。
「あんた、早く『お屋敷』とやらに帰れば?」
彼女はそう言って踵を返すと去っていく。セリムが慌てて後を追いかけようとして一度振り返り、呆然としているリリーに何か声を掛けようとしたが、結局何も言わずに行ってしまった。
途中から様子がおかしくなった彼女達の、一連のやり取りを見ていたフエルト卿が、立ち尽くすリリーの傍にやって来る。
「どうしたのだ? 急に険悪な雰囲気になっていたようだが……」
「……だんなサマ」
リリーは『なんでもないです』と答えて微笑んだ。
「そんな無理矢理な笑みを浮かべられてもな」
乙女心など分からずとも、感情を押さえ込んでいる事ぐらいは簡単に見抜けるフエルト卿は、詳しく聞き出すべきか、そっとしておくべきかと迷う。プライベートな問題になるだけに、何処まで踏み込んで良いのか判断しきれなかった。
そうこうしている内に宿の部屋が取れたと付き人が知らせに来たので、フエルト卿はリリーを連れて宿に向かう。
「リリー、私に出来る事ならなんでも言いなさい」
「はい……」
明日はリリーの実家があった場所を尋ねる予定だったが、こんなに哀しげな気配を纏うリリーを見るのは初めてだという事に気付いたフエルト卿は、今回の帰郷は間違いだったのではないかと、少し後悔を感じていた。
その夜――
寝酒を嗜んでいたフエルト卿の部屋を、寝着姿のリリーが訊ねてきた。珍しい事もあるものだと思いつつも、夕方の事があったので何か相談事かと部屋に招き入れると、リリーはフエルト卿に身を預けて小さく懇願する。
「だいてください……」
「リリー、気持ちは嬉しいが落ち着きなさい」
故郷に戻って早々動揺するような出来事に合い、気持ちが昂っているのだろうと諌めるフエルト卿。
「だいてください!」
「リリー」
「だいて……ください……」
「……」
軽く溜め息を吐き、フエルト卿はリリーの身体をそっと抱き締めた。腹部や両腕から伝わる温かさと柔らかさに、あの時の事を思い出す。この温もりが消えていく恐怖、あんなのは二度と御免だ、と。
ベッドに腰掛けた体勢でリリーを抱き締め、暫らくそのままじっとしていると、リリーは腕の中でもぞもぞと動いて、フエルト卿の身体を這い上がるようにしながら首筋に舌を這わせる。フエルト卿はリリーの肩を掴んで引き剥がした。
「やめなさい」
「どうして、何もしてくれませんか?」
「……」
「わたしが、汚れてるから、いやですか?」
しゅんとなって俯くリリーに、フエルト卿は締め付けられるようなもどかしい感情に襲われる。
「そうではない!」
「じゃあ、なぐさめてください」
「こんなやり方では駄目だ、何があったのか理由を話しなさい」
理論的に解決を図ろうと考えるフエルト卿と、刹那的に温もりを求めるリリー。両者の間には男性的な思考、女性的な感情、という気持ちの擦れ違いがあった。フエルト卿にとって、問題を一時の悦楽で忘れる事は逃避でしかない。
リリーにとっては、問題の解決を図る事よりも先ず今、心を支えてくれる温かい繋がりが必要なので求めているのだが、優先順位の初めに何を持ってくるのか、リリーとフエルト卿の性格の違い、価値観の違いが現われた形だった。
「……してくれないなら、ひとりでします」
「まてぃ」
思いも寄らない行動に出ようとしたリリーに、フエルト卿は思わずチョップして止めた。舌足らずな口調で見た目も人畜無害、のほほんとした印象は外面だけならアホの子にも見えるリリーだが、それ故なのか時々とんでもなく露骨で挑発的な誘惑を仕出かす。
「いたいです」
「あのなリリー、私はお前を大事にしたいのだ、そこは理解してくれ」
両手で頭を抑えて蹲るリリーに、何だか色々な力が抜けていく事を感じながら、フエルト卿は自身の気持ちを懇々と伝える。
「いま、叩きました」
「いや、それは……」
「したいです」
「……」
根負けしたように溜め息を吐いたフエルト卿は、リリーの顎をそっと持ち上げて唇を重ねた。まだ数えるほどしか味わった事のない果実の膨らみは、ふわりとした柔らい感触でフエルト卿を迎える。
「ん…………たりないです」
「やれやれ……」
潤んだ瞳で見つめられ、尚も求めてくるリリーに対し、フエルト卿は『珍しく我侭を言っているのだから偶には応じてやるのも良いか』と自身を正当化しつつ、リリーの身体をひょいと抱え上げるとベッドに横たえた。
やがて、宿部屋の空間は切なげな唄に満たされていく――。
「だんなサマ、すこしは運動したほうがいいですよ?」
「……私は魔術士だ」
言い訳にならない言い訳を返すバテバテでお疲れ気味なフエルト卿の割と貧相な胸板に頬を乗せて甘えるリリーは、規則正しい心臓の音、少し早めの鼓動に耳を澄ましながら、暫しの余韻に浸っていた。
「それで、何があったのだ?」
「……もう、だんなサマはデリカシーがないですね」
少し不満気にぶーたれながら、リリーは幼馴染とのやり取りを掻い摘んで話す。事情を理解したフエルト卿は、自分の配慮不足だったかと反省した。しかし、リリーは首を振る。
「だんなサマは、わるくないですよ」
「しかしだな……」
「これはもう、仕方がないんですよ」
「……誤解を解こうとは思わないのか? ちゃんと話をして説――」
問題の解決に向けて尚も話を続けようとするフエルト卿の唇を自分の唇で塞ぐリリー。
「リリー、私の話を――――だから話を――――」
唇を塞いでは離し、フエルト卿が話題を続けようとするとまた塞ぐ。ある意味、言って聞かない相手に対する実力行使である。
「分かった……もう何も言わん」
「……怒りましたか?」
馬乗り状態で顔を覗き込んでくる確信犯的なリリーの問い掛けに、フエルト卿はとりあえず捕まえて反撃してから横になった。
翌日――
リリーの実家があった場所を訪れた二人は、朽ち果てた廃墟の前で暫し辺りを見渡していた。リリーの家はこじんまりとした一軒家で、魔物に襲撃された時のまま一年近く放置されており、周囲も嵩高い雑草に覆われて荒れ果てた状態だった。
「――風は集い土は舞う砂塵の壁となりて――風は集い彼の者を纏う兜となりて――」
フエルト卿の連続した詠唱で周囲の雑草がザアッとほぼ根こそぎ毟り取られると、近くの巨木に纏わりつく。
「べんりですねー、お掃除につかえそうです」
「そこまで調節は効かんよ、屋内で使えば絨毯が剥がれてしまう」
試した事はあるらしい。
天井と壁の崩れた廃屋の中に入っていくリリーにフエルト卿も続く。床が黒く汚れているのは血の跡だと見抜くフエルト卿。玄関を入って直ぐ、隣の部屋の出入り口付近でリリーがしゃがみ込む。その部分の床も黒い染みが広がっていた。
「……おかあさん、おとうさん」
「……」
リリーの足元には変色した白骨が散らばっている。半分砕けている頭部らしき骨の塊と、比較的原型を留めている頭蓋骨が並んで転がっていた。魔物の気配による影響なのか動物等によって遺体が持ち去られる事もなかったらしく、ほぼ全身の骨が残っていた。
「近くに、墓地はあるのかね?」
「……はい、集落のきょうどう墓地があります」
少し鼻を鳴らしながらリリーは答えた。家の中は遺体こそ触れられる事無く朽ちたようだったが、他の部分、戸棚や引き出しは全て開かれ、家財道具で壊れていない物は殆ど持ち去られているようだ。人狩りの仕業ではなく、恐らく盗賊の仕業だろう。
遺品になるような物も無いので、リリーの両親の骨だけ集めて二つの袋に納めると、廃屋は宿で貰ってきた油を撒いて燃やし、浄化する。瞬く間に炎に包まれた廃屋は、細い黒煙となってアーサリムの空へと昇って行った。
共同墓地にやって来ると、リリーの案内で埋葬場所に向かう。この集落では予め埋葬場所が決められていたらしく、リリーの両親を埋葬する場所が、並び立つ墓石の間にきちんと空けられていた。墓石はこの辺りに転がる石を積む。
遺骨を埋葬する為に穴を掘ろうと手を翳したフエルト卿は、何となく魔術を使って掘るべきではないような気がして、自分の手で掘り始めた。埋葬場所に選ばれる場所だけに、土はそれほど硬くない。リリーも石ころや草の根を分けて埋葬を手伝う。
「ふう、こんなものか……。リリー、遺骨を」
「はい」
遺骨の入った袋を穴の底に並べると、土を被せて埋めていく。手頃な石を持って来てどっこいしょと置けば、お墓の完成だ。これからは時折、墓参りにこの地を訪れる事を勧めようとして、フエルト卿は昨晩の話を思い出す。
『どうにかならんモノか……』
その後、手を洗おうと村の井戸までやって来たフエルト卿とリリーは、こんな場所にもサクヤ式ポンプが設置されている事に驚きつつ墓場の土を洗い落とし、とりあえず宿に戻ろうかと考えている所へ、水汲みにやって来た昨日の二人組と鉢合わせした。
「あ……」
「っ……」
フエルト卿と並び歩くリリーを見た二人は、思わず立ち止まって驚いたような表情を向けてくる。また心無い視線でも浴びせられてはイカンと、フエルト卿はリリーを庇うように二人との間に立った。
実戦派魔術士であるフエルト卿は、痩せぎすな見た目の割りに、意識すればそれなりの威圧感を放つ事も出来る。フエルト卿という壁に阻まれてリリーの視界から外されたリオとセリムは、戸惑う様子を見せながらもその場から立ち去ろうとしなかった。
何やらこちらを窺いながらもじもじと相談している二人の様子に『水を汲みに来たのではないのか?』と疑問に思うフエルト卿。
「あ、あの……」
そのうち、リオが意を決してフエルト卿に声を掛けた。
「何かね?」
「ひ……っ」
別に威圧した訳ではなかったのだが、眉間に皺を寄せた不機嫌な普段顔で応対されたリオは首を竦めた。何時ぞやの王都フレグンスで晩餐会などやっていた頃のような作り笑顔でなら、怖がらせる事もなかったかもしれない。
「だんなサマ、だめですよ?」
「……私は普通に返事をしただけだぞ」
「あ、あの! ごめんなさいリリー、あたし……」
「ケールとカリナから聞いたの……」
ケールとカリナはリリーが売られた先とその顛末を知っていた。リリーは決してリオが思っていたような幸運などではなかった事、何度も売られたり死に掛けたり、帝国領では一度本当に死んだらしいという話まで聞かされ、リオは激しく後悔した。
「あ、あたし知らなくて……それで」
「そっかあー、リオ達もたいへんだったんだよね」
「ごめんね、ごめんね」
「もういいよー、リオ達と仲直りできて良かったよ」
縋るようにして涙ながらに謝るリオと、彼女の背中を撫でて宥めているリリー。その光景を見ながら、フエルト卿は自身がリリーに感じている安らぎは『まさか彼女の母性に惹かれているのではあるまいな』と、少し心配になったりする。
自分が悩むまでも無く問題が解決したのは良しとして、リリーの事を一人の女性としてきちんと愛せているのか、小さな悩みが出来てしまうフエルト卿なのであった。
「だんなサマ、きょうの夕食にお友達を呼んでもいいですか?」
「ああ、構わない。宿の食堂はそこそこ広かったからな、一部を貸し切りにして貰うか」
友人達と喜び合うリリーの姿を眺めながら、フエルト卿はこの村に別荘を建てるのもよいかと考える。
『まあ、時間はたっぷりあるのだ』
政争や派閥争いから離れて一年近く、凡そ青春時代を闘争に明け暮れて過ごしてきた。これからの隠居生活で遅い青春を謳歌してみるのも良い。フエルト卿はそんな風に思いながら、のどかなプック村の風景に目を細めた。
「だんなサマー!」
「ああ、いま行く」
『ご主人様』を置いて先に行ってしまう『使用人』に苦笑しつつ、フエルト卿は通りの先から手を振るリリーの元へと踏み出した。
以上、フエルト卿とリリーの後日談でした。