完敗
憲護の無謀な発言によって道場内に緊張が走った。固唾を飲む音が響くほど静になった道場内で、朱羅は表情を変えることなく憲護に言った。
「無理だな」
「怖気づいたか!?」
勢いづく憲護に朱羅が顎で外を指す。
「迎えのヘリコプターが到着した。時間がない」
外からは爆音と人工の風が吹き荒れており、朱羅の言葉が事実であることが分かる。
だが、憲護は勝気に笑って朱羅を指さした。
「時間は問題ない。すぐに決着がつく方法で勝負だ!」
「内容は?」
憲護が両手を腰に当てて自信満々に言った。
「戻ってきた紫依が、ヘリコプターに乗るまでに先に触れた方が勝ちだ。こちらから触った場合は無効。紫依の方から触ってくることが条件だ」
この勝負の内容にこの場にいる全員が、は?という顔になった。
紫依は自衛のため他人に触れる、又は触れられるということを滅多にしない。相当、気を許した相手であり、しかも必要と判断した場合でないと触れないし、触れさせることをしない。
このことを知っている里の人間は、時間制限があることを考慮してこの勝負が引き分けで終わると予想した。
だが憲護には秘策があった。
紫依は礼儀正しいため別れの時に挨拶として、こちらが手を出せば必ず紫依は手を出して握ってくる。あくまで憲護は手を出すだけだ。それで紫依の方から手を握ってくるようにすれば、勝負は憲護の勝ちとなる。
道場内が疑問符で埋め尽くされていく中、朱羅は平然と頷いた。
「わかった」
「よし、二言はないな!この勝負に僕が勝ったら紫依と一緒に住むなよ!」
「あぁ」
勝利を確信した憲護が小さくガッツポーズをする。
そこに小さな荷物を持った紫依が風真とともに道場に戻って来た。
「お待たせして、すみません」
紫依の姿を見た憲護が、先手必勝とばかりに動き出す。
「紫依……」
憲護が声をかけたところで、紫依は道場の入り口にいた朱羅を見上げて手を伸ばした。
「やはり朱羅の髪はこの色が良いですね」
そう言って鋭く光る銀髪に前触れなく触れた。これで憲護が言いだした勝負の決着はついたのだが、朱羅はそのことに触れずに紫依と会話をする方を選んだ。
「そうか?あまり気にしたことはないが」
「そうなのですか?私はとても綺麗で、朱羅に合っていると思います」
そう言いながら紫依がどこか楽しそうに朱羅の髪をいじる。
その光景に憲護をはじめ、里の人間全ての顎が床に落ちた。紫依が無防備に他人に触れるという日が来るとは誰も想像していなかったのだ。
朱羅は紫依が髪に触れやすいように少しだけ前屈みになった。
「君の髪も綺麗だと思うが」
そう言って朱羅が紫依の黒髪に触れる。その光景に今度は里の人間全ての目が飛び出そうになった。
里の人間が知っている紫依であれば、他人に、しかも力が宿る大切な髪を触らせるなど、ありえないことだった。
だが、紫依は自分の髪に触れられていることを気にした様子なく会話を続けていく。
「そうですか?でも、染めた色より自然の色の方が良いですよね。ずっと、そう思っていたのですが、なかなか言えなくて」
紫依の発言と行動に風真が呆れたように肩をすくめた。
「だからと言って、今言う必要もないだろ。憲護、どうした?」
紫依に声をかけようと手を伸ばした姿勢で憲護が風化している。そよ風が吹けば砂となって跡形もなく消えそうだ。
オーブが苦笑いをしながら砂の像となった憲護を見る。
「本当にすぐに決着がついたな」
「秘策を考えていたみたいだけど、無駄だったわね」
蘭雪の容赦ない言葉にも憲護は反応しなかった。そんな憲護の心境を悟った周囲の人たちは励ましの言葉もかけられず、そっと視線を逸らす。
そんな裏事情など知らない風真は外を指さした。
「あまりヘリコプターを待たすのは良くない。行こう」
「はい」
紫依は朱羅の髪から手を放すと、驚いた表情のまま固まっている紬の前に来た。
「ご迷惑をかけると思いますが、これからも、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げた紫依の姿を見て、現状を思い出した紬が慌てて床に膝をついて頭を下げる。
「はい。私たちはいつでも長の帰りをお待ちしております」
「ありがとうございます。みなさん、お元気で」
紫依の言葉に呆然としていた大人たちが慌てて床に膝をつけて頭を下げる。どうにか紫依を隠れ里に引き止めようと考えていた人もいたが、最後の衝撃光景によって全てが頭から吹き飛んでいたのだ。
こうして紫依は長として隠れ里の人たちに見送られながら帰路へとついた。
もう少し続きます。




