無謀
紫依と風真の姿が見えなくなってから、クリストファーは伊織に視線を向けた。
「体は大丈夫かい?思ったより時間がかかってしまったが」
「大丈夫ですよ」
そう微笑む伊織の顔色が少し暗い。
蘭雪が近づいて伊織の手首に触れた。
「長い時間立っていられるほどの体力もないのね。心臓の動きも弱いわ。これも未来を変えた代償かしら?」
「二人には、まだ秘密にしておいて下さい。無理をしなければ問題はありませんから」
「でも、すぐに休んだほうが良いわよ」
蘭雪の言葉にクリストファーが伊織を抱き上げた。
「先にヘリコプターに乗って休むことにするよ」
「そうした方がいいわね」
そのまま道場から出ようとしたクリストファーに紬が声をかけた。
「待って下さい」
そう言うと紬はクリストファーに近づき、横抱きにされている伊織の手を握った。
「姉さま、ご自愛を」
「ありがとう」
「また来てください」
紬の言葉に伊織は少し微笑むだけで何も言わなかった。代わりにクリストファーが爽やかな笑顔で頭だけを下げる。
「失礼します」
速足で道場から立ち去って行くクリストファーに紬は深々と頭を下げた。
その光景を黙って見ていた朱羅に鋭い視線が突き刺さる。朱羅がその視線の元を見ると憲護が飼い主に待てを命じられた番犬のように、かろうじてその場に留まったまま睨んでいた。
「……」
朱羅は何か言いたそうな憲護を無視して視線を外に向ける。その態度に我慢を重ねてきた憲護が朱羅を指さして吠えた。
「お前!紫依とどういう関係かは知らないが、ちょっとカッコイイからっていい気になっているんじゃないぞ!」
突然の憲護の叫びに、朱羅は首を傾げながら振り返った。
「紫依との関係?紫依は友人の妹だが。カッコイイという美的感覚は個人差があるから、なんとも言えないが、それでいい気にはなってはない。むしろ、それでどのように、いい気になるのだ?」
予想外の言葉の羅列と質問に憲護が指をさしたまま固まる。
「は?」
「聞こえなかったのか?紫依は友人の妹という関係だ。カッコイイという美的感覚は……」
再び同じセリフの羅列を始めた朱羅に憲護が叫ぶ。
「二度も言わなくても分かるわ!」
「では、何故、は?と、言ったのだ?」
「お前の答えがずれていたからだ!」
「ずれる?どこかずれていたか?」
朱羅が真面目な顔でオーブに訊ねる。質問されたオーブは気の毒そうに憲護を見た。
「喧嘩を売る相手を間違えたな」
憐みが入った視線を向けられて憲護がオーブに訴える。
「なんなんだよ、こいつは!」
「落ち着け。本人に悪気はないし、いたって本気だ」
「じゃあ、なんだよ。さっきの答えは!」
「あー、分かった。オレが通訳するから。と、いうか、なんで日本語を日本語に通訳しないといけないんだ?」
オーブはぶつぶつ言いながら人差し指を立てて憲護に説明した。
「つまり、こういうことだ。紫依は友人である風真の妹という存在で、それ以上でもそれ以下でもない。あと、こいつは自分がカッコイイとは思っていないし、それを利用しようとも思っていない。わかったか?」
「あ……あぁ」
分かりやすい説明と内容に憲護が納得しかけて我に返った。
「友人の妹ってだけなら、あんなに親しげに話すはずないだろ!」
指摘された朱羅が再びオーブを見る。
「そうなのか?」
「うーん、そこは人それぞれだと思うからオレはなんとも言えないなぁ」
「蘭雪はどう思う?」
朱羅に話を振られて蘭雪が軽く首を傾げる。
「まあ、一緒に住んでいるんだから、あれぐらい普通だと思うけど」
「一緒に住んでいる!?」
掴みかかる勢いの憲護に、蘭雪が妖艶な微笑みを向ける。
「何?私が紫依と一緒に住んでいたらいけないの?」
穏やかな微笑みと声音の中に人を呪わんばかりの怒りを感じて、憲護は硬直した。
そこに蘭雪が追い打ちをかける。
「どうなの?」
龍に睨まれた番犬は、わが身を守るために高速で首を横に振った。
「あ、あなたは女性だから紫依と一緒に暮らしても問題ありません!ただ、異性である、こいつが一緒に住んでいるというのが問題なだけです!」
怯えながらも重要なところを指摘した憲護の度胸にオーブが拍手を送る。
「おぉ、よく言った。ちなみにオレも一緒に住んでいるけどな」
その言葉に憲護はオーブを見た。薄着のため体格で男と分かるが、それ以外では、どこをどう見ても美少女にしか見えない。
外見からオーブを無害と判断した憲護は再び朱羅に喰いかかった。
「とにかく、あんたが一緒に暮らしているということが問題なんだ!」
「オレ、男なのに問題外!?」
軽くショックを受けるオーブを無視して憲護は朱羅を指さした。
「勝負だ!」
憲護の発言に道場内の時間が止まった。




