さわやかな悪魔
オーブは口元に手を当てると軽い声で呼びかけた。
「シフォンケーキが出来たぞー」
その一言で打撃を繰り出そうとしていた紫依と朱羅の動きがピタリと止まる。そして、その姿勢のまま二人は同時にオーブの方へ顔を向けた。
「レモンのシフォンケーキですか?生クリーム添えですか?」
「紅茶の種類は?ダージリンか?セイロンか?」
激闘が嘘のようにティータイムの話をする二人の瞳はどことなく輝いている。
その様子に周囲の人たちが床に頭を叩きつけた。かなり緊張していた分、反動が激しかったらしい。
本場の芸人顔負けの反応をした人たちを放置してオーブが二人に話す。
「はい、はい。家に帰ったら、いくらでもご要望のものを作ってやるから。とりあえず結界を消すぞ」
指を鳴らしたオーブを見て、現状を思い出した紫依が少し照れたように微笑む。
「そういえば勝負中でしたね。忘れていました」
忘れるな!
床に頭を打ちつけている人たちが心の中で叫ぶ。あまりの衝撃になかなか立ち直れない人たちを眺めながら、クリストファーはカメラを片手に微笑んだ。
「なかなか面白い光景だね」
楽しそうなクリストファーの声に、隣に立っている伊織が軽く首を傾げる。
「鈍い音がしましたが、どうなっているのですか?」
「この場にいる全員が正座したまま床に頭をぶつけているんだよ。写真を撮ったから、帰ったら3Dプリンターで立体化してあげる。触ってみたら、その間抜けぶりがよく分かるよ」
目が見えない伊織は、力があった頃は風がいろいろと詳しく教えてくれていたので、現状が手に取るように分かっていた。だが力を失った今は風の声が聞こえないため、説明を聞くより直接手で触れた方が状態を理解しやすくなっている。
「まあ、それは楽しみです」
伊織が十代の少女のように笑って喜ぶ。その姿を見てクリストファーは爽やかな笑顔のまま、下手な役者がセリフを言っているかのように棒読み発言をした。
「こんな面白い写真を自分たちしか見ないのは勿体ないな。そうだ。ネットで全世界に流そう。ちょうど動画も撮影していたしね。あ、ついでに勝負中の映像も流そう。題名は恐怖の我慢大会。引きつった顔のまま、なんとか正座を続けようとする姿は滑稽だったし編集したら、もっと面白くなるだろうからね」
その言葉に、本家を中心とした年配者の人たちが、慌てて床と仲良くなっていた頭を上げる。そして、立ち上がることも忘れて、そのままクリストファーに縋り付いた。
「それだけは止めてくれ!」
「その写真と映像を消してくれ!」
「二度と紫依には手を出さない!だから、それだけは!」
政治家や有力者から神格扱いをされている誇り高い龍神家が、そのような姿をしたなど恥さらしもいいところである。しかも、それを全世界に流されたとなれば、ご先祖様に顔向け出来ない。むしろ、ご先祖様に呪い殺される。
実力行使をしてカメラを奪いたいが、それをすれば確実に紫依がクリストファーを守ろうとする。
この場にいる全員で紫依と戦ったとしても写真と映像を奪えないほど実力差があるということは、朱羅との手合わせで嫌と言うほど見せつけられた。
取るべき道は一つしかないと悟った人たちは頷きあって一致団結をする。そしてクリストファーの前に並ぶと、全員が一糸乱れぬ動きで土下座をした。
「この度の無礼の数々。まことに申し訳ございませんでした。二度とこのようなことが起きないように致しますゆえ、どうかお許し下さい」
プライドを捨てて土下座集団となった人たちを見てオーブが軽く口笛を吹く。
「これが本場の生土下座かぁ。初めて見た」
「そうかい?私はよく見るよ」
「……どういう生活したら、よく見るんだ?」
オーブの素朴な疑問には答えずに、クリストファーがさり気ない動きで土下座集団の写真を撮影した。そして、正面にいる人たちからは見えない仕草で、データが入っているカードを抜きだして腕時計のベルトの中に隠した。
その一連の動きを見てオーブの顔が引きつる。
「この人、傷に塩を塗り込んでいるよ……」
土下座集団は下を向いているためクリストファーが写真を撮ったことなど気付いていない。他の人もクリストファーの手品師並みの手際の良さに、データを抜き取ったことどころか、土下座集団の写真を撮っていたことにさえ気が付かなかった。
クリストファーは良い笑顔を作ると、どこか諦めたような声で土下座集団に言った。
「仕方ありません。今回はみなさんの誠意に免じてデータを消しましょう…………はい、データを消しました。確認して下さい」
そう言うと、クリストファーはカメラをあっさりと土下座集団の前に差し出した。
そのことに土下座をしていた人たちが慌てて顔を上げてカメラを受け取り、データの確認をする。そして、すべてのデータが消えていることを確認して全員がほっと胸をなでおろした。
その様子をオーブは軽い笑みを浮かべたまま眺めていた。
クリストファーの腕時計のベルトには、土下座集団が消してほしいと懇願したデータがしっかり残っている。しかも、土下座集団という新たなデータまで追加されているのだが、そのことに気づいているのはオーブや蘭雪など数人しかいない。
「手際がいいな」
オーブが感心している隣で蘭雪がうっとりと微笑む。
「あら、素敵じゃない。私はこういうの好きよ」
「オレはここまで鬼畜になれる自信ないぞ」
そこにクリストファーが爽やかな笑顔を向ける。
「この程度で鬼畜と言うなんて可愛らしいね」
その言葉にオーブは愛想笑いを浮かべたまま無言となった。代わりに蘭雪が頷く。
「そうね。これぐらいで鬼畜なんて言っていたら長い人生、生きていけないわ」
「おや、君もそう思うかい?」
「えぇ」
「そうかい。君のような人が紫依の側にいるなら安全だね」
普通、逆だろ!危険の間違いだろ!
土下座集団が心の中で一斉にツッコミを入れる。だが、それを口に出来る人は誰もいない。
歯がゆさで歯ぎしりまでする人が出てくる中、紫依は紬に声をかけた。
「私はこれだけの力を持っています。それでも長に推薦しますか?」
紫依の質問に紬は揺るぎなく頷くと、片膝を床について頭を下げた。
「はい。長も私の意見に賛同しています。次の長は紫依、あなたです。そして私は長代理として、この里を守っていきます」
紬の発言に大人たちが騒ぎ出す。
「何を言っているんだ!?」
「長代理を勝手に決めるな!」
「日を改めて決めようではないか」
「ここで早急に決めるのは得策ではないぞ」
多数の意見が飛び交う中、紬は立ち上がると声を張り上げた。
「これは長と土地神様が決定したことです!あなた方が何を考えているかは知りませんが、決定に不服があるというのであれば里を出なさい!」
絶対の意志を持つ強い瞳に押されて大人たちが黙る。そこに、ふわりと一陣の風吹いた。




