衝撃
「あいつ……とは、どなたのことですか?」
穏やかな声につられて全員が道場の入り口に視線を向ける。
そこには四十代ぐらいの男性が女性をエスコートしながら道場に入ってきている光景があった。
男性は茶色の髪に温和な深紅の瞳と穏やかで整った顔立ちをしており、優しい雰囲気をまとっている。そして、動作は自然だが優雅さもあり、育ちが良いことが分かる。
思わず視線を奪われるような綺麗な動きだが、道場内にいた人は男性よりも、エスコートされている女性を見て硬直していた。
黒髪を肩で切りそろえ、大きな黒い瞳に少し小柄な女性は、年齢の特定が難しい外見をしていた。
落ち着いた雰囲気が漂う姿は妙齢の女性なのだが、表情は穢れを知らない無垢な少女のように輝いている。太陽の日差しを知らないかのように白い肌と、ほんのり桃色に染まった可愛らしい唇。
淡い水色の着物を着ているが、着慣れた様子で動きを妨げている様子はない。
全員が固唾を飲んで女性に注目する中、風真がかろうじて声を出した。
「父様……そちらは……どなたですか?」
風真の声に反応して女性が顔を動かす。黒い瞳は焦点が合っていないが、音だけで風真の位置を判断したようで、そちらに顔を向けて微笑んだ。
「お久しぶりですね、風真」
穏やかな声が風真の昔の記憶の中にある声と重なる。
風真は言葉にならない声をどうにか出そうと口をパクパク動かしたが、ほとんど出てこない。
「なっ……ま……ま、さか……本当に……」
黒い瞳を最大まで大きくして驚愕の表情をしている風真の耳に、何かが床に落ちる音が入ってきた。
風真がそちらの方を見ると、紫依が無表情のまま無言でその場に座り込んでいた。腰が抜けたらしく、体がフラフラと安定していない。
「紫依!?」
隣にいた蘭雪が慌てて紫依の体を支える。
だが、紫依はそのことに気が付いていないように茫然としたまま、顔だけをしっかりと女性の方に向けて呟いた。
「か……母……様……?」
紫依の声に気が付いた女性が視線を紫依の方へ向ける。そして、そのまま紫依に近づくと、視線を合わせるように床に膝をついて微笑んだ。
「そうですよ」
当然のように答える女性に対して、紫依は深紅の瞳を丸くしたまま声を出した。
「ど、どうして……生きて……?」
無表情だが声色で困惑していることが分かる紫依に向けて、女性が探るように両手を延ばした。
そして、そっと紫依の両頬に触れると静かに頭を下げた。
「今まで黙っていて、ごめんなさい。時が来るまで私は死んだことになっていないと、もっと未来が変わってしまう可能性があったのです」
「もっと……未来が、変わる?」
「えぇ。私はあの時、死ぬはずでした。それをクリフが変えてしまった」
そう言うと、伊織はクリストファーの立っている方向に視線を向けて立ち上がった。
すると、そんな伊織の行動に応えるように、クリストファーが軽く微笑んだまま歩き出し、伊織の隣で止まるとそのまま肩を抱き寄せた。
「だから何度も言うけど、私は変えていないよ。ただ、君が見た未来に疑問を感じて、その部分を追及したら、こうなっただけだ」
穏やかに話すクリストファーに対して、事の重大さに気が付いた風真が問いただす。
「追及って何をしたのですか!?先見が見た未来は絶対のはずです。それを変えるなんて!」
風真の剣幕をクリストファーが肩をすくめるだけで軽くかわす。
「伊織が自分の死に関することで見ていた未来は、自分が紫依を庇って斬られる直前の映像と、私が長に伊織が死んだと報告する映像、そして母親は死んだと言われて育った未来の紫依の映像だけだ。息を引き取る瞬間や死体の映像はなかった。そして何よりも疑問だったことは、伊織が死んだことを私が安穏と報告していた、という映像だ」
クリストファーの言葉に伊織がクスリと笑う。
「安穏ではなかったですよ」
指摘を受けてクリストファーは微笑みながら視線を伊織に向けた。菩薩のように慈悲と慈愛に満ちた、しかも伊織にしか向けられない微笑みを。
「報告なんてしている時点で安穏だよ。本当に君が死んでいたら私は発狂していて報告なんか出来ない状態になっているからね」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
場違いなほど甘い雰囲気を放出しまくっている二人を見て、オーブが呆れたように呟く。
「バカップルだ。リアルバカップルがいる」
「バカップルとは何ですか?」
時間が経って自分を取り戻してきた紫依が、体を支えている蘭雪に訊ねる。
蘭雪は少し首をひねって答えた。
「仲が良い恋人……この場合は夫婦だけど。そんなところかしら」
「確かに仲が良いですね」
納得しながら立ち上がる紫依を見て風真が我に返る。
「父様!だからと言って、そんなに簡単に未来は変えられないのですよ!」
「もちろん、簡単ではなかったよ」
そう言いながらクリストファーは軽い声で説明を始めた。




