記憶
紫依の目の前にある舞台の上に作られた謁見室は草原へと変わっていた。どこまでも広がる草原に青い空。それは幼い頃に見た風景だった。
剣を持った王は大剣を持った白髪の青年に姿を変えていて、目の前で斬られたのは人形師ではなく、長い黒髪をした……
「母様!」
紫依が手を伸ばして人形師の体を支えながら床に座る。しかし台本とは違うセリフを言った紫依に冷泉院は驚きながら自分で体を起こした。
「龍神さん?どうしたの?」
冷泉院の言葉が聞こえていないようで、紫依は誰もいない自分の膝の上を茫然と見つめたまま瞳に涙をためている。
「母様!起きて……目を開けて下さい!」
紫依の突然の変化に周囲の生徒が声もかけられずに呆然としていると、舞台の端で見学していた朱羅が飛び出してきた。
「紫依!しっかりしろ!」
朱羅が紫依の両肩を掴んで揺さぶるが、拒否するように紫依は激しく頭を横に振った。
「いや……母様!」
紫依が朱羅の手を振り払って何もない床に叫ぶ。
「母様!起きて下さい!」
「紫依!聞け!」
朱羅が再び肩を掴もうとするが、紫依が素早く弾く。朱羅は紫依の顔を両手で挟んで無理やり自分の方へ向かせた。
「俺を見ろ!紫依!」
顔を持ち上げられて紫依の瞳の焦点が朱羅と合う。紫依は朱羅の腕を掴むと今にも泣きだしそうな顔で言った。
「助けて!母様を助けて!」
「紫依、落ち着け。君の母親は……」
朱羅の言葉を遮るように紫依が叫ぶ。
「助けて!今なら、まだ助か……」
朱羅が最後まで言葉を言わさないように紫依を抱きしめる。そして、ゆっくりと言い聞かすように話しかけた。
「落ち着け、紫依。ここはオーストラリアではない。草原もない。ルシファーもいない。思い出すんだ。ここは日本にある学校だ。君は文化祭のための劇の練習をしていたんだ。それに……」
一呼吸おいた朱羅の言葉に応じるように紫依がキツク瞳を閉じる。
「それに君の母親は、もう亡くなっている」
「……」
それまで叫んでいたことが嘘のように紫依が静かになった。俯いたまま動かなくなった紫依を朱羅が抱き上げる。
そこに生徒たちをかき分けて蘭雪が近づいてきた。抱き上げられた紫依の頬に蘭雪がそっと触れる。
「昔の記憶がフラッシュバックしたのね。しばらく混乱するかもしれないから保健室に運んで」
「わかった」
朱羅が紫依を抱えたまま舞台から飛び降りて一直線に保健室へと向かう。
蘭雪は何が起きたのか分かっていない桜葉に声をかけた。
「悪いけど、龍神さんの今日の練習はここまでよ」
「は……え!?どうしてですか?本番は明日なんですよ!?今、練習出来ないと困ります!」
桜葉の主張に蘭雪が肩をすくめる。
「ドクターストップよ。これ以上の練習は出来ないでしょうし、無理したら明日の劇にも出られなくなるわよ」
「ですが、まだ練習しないといけない場面があるんです。主役がいないと……」
そう言って考え込む桜葉に冷泉院が声をかける。
「明日出られないって言われるより、今休んでもらったほうが良いだろ?人形役は誰か代役をたてて、とりあえず練習しよう」
「でも、いまさら代役なんて出来る人がいないわ」
そこに、いつの間にか隣に立っていたオーブが桜葉の肩を叩いた。
「ダイヤク、部長する」
オーブの言葉に部員たちが賛同する。
「そうですよ。元々、人形役は部長だったんですから」
「セリフは忘れていないんでしょう?」
「部長だったらできますよ」
部員たちの後押しに桜葉は困った顔をした。
「でも、客席から確認もしたいし……」
冷泉院が提案をする。
「確か、部室にデジカムがあっただろ?それで客席側から録画して後で確認すればいいだろ。今は時間が勿体ない。さっさとしよう」
「……分かったわ。平松さん、悪いんだけど五分だけ時間を頂戴。すぐに準備してくるわ」
桜葉の言葉に吹奏楽部で指揮をしていた少女が頷く。
「了解。みんな、五分休憩よ」
部長の指示で吹奏楽部の部員たちは楽器を下げて雑談を始めた。
桜葉は礼を言うと演劇部の部員に指示を出した。
「ありがとう。神谷は部室からデジカムを取ってきて、録画できるようにして。他はもう一度立ち位置の確認をしといて。みんな中央に集まる癖があるから」
そう言うと桜葉は頭を切り替えて準備を始めた。




