手籠め
権守の視線の先には学校の保健室を根城としている保険医の姿があった。
学校で着用している白衣は着ていないが、淡い水色のシャツにタイトなスカートで爽やかな大人の女性の恰好をしている。しかし、右肩から流れ落ちているゆるいウェーブがかかった黒髪と、長い睫毛に縁取られた艶やかな黒い瞳に、濡れた赤い唇が妖艶な雰囲気を倍増させ、せっかくの爽やかさが遥か彼方に吹き飛ばされている。
明るい昼間のカフェを夜のお店へと変貌させてしまいそうなほどの強烈な色気を放っている保険医を指さして権守は叫んだ。
「保険医!どうして、ここに!?関係者以外は店に入れないようにしてあったのに!」
驚愕の表情をしている権守を無視して、蘭雪はオーブが座っているソファーの肘掛部分に腰を下ろした。
「この貸しは高いわよ」
そう言って蘭雪がオーブにしなだれかかりながら一枚の用紙を渡す。
オーブは可愛らしい笑顔のまま少しだけ意外そうな表情を作って言った。
「おつかいを頼んだだけでしょ?」
「ついでに、ここにいる人たちを眠らせてあげたじゃない。それも入っているわよ」
「でも、それはついで程度でしょ?」
オーブがそう言って、にっこりと可愛らしく微笑む。その姿に蘭雪が妖艶な微笑みを浮かべながらオーブの顎に手を添えて顔を近づけた。
「じゃあ、今日はその話し方と笑顔に免じてタダにしてあげるわ」
美女が美少女を手籠めにしようとしている光景にも見えるが、オーブは別の意味で笑顔が少し引きつった。
「タダより高いものはないって言葉があるんだけど」
「よく知っているわね」
底が見えない黒い瞳に寒気を感じながらオーブは視線を蘭雪から用紙に移した。
「武士の家系ってことになっているけど、実際は忍者のようなものだったのね。マスコミによる情報操作から、噂による民衆の誘導……あ、要人の護衛までしている。確かに普通の家系ではないわね」
納得しているオーブの反対側では権守が顔を青くしていた。
「どうやって、その情報を……」
呆然と呟く権守にオーブが笑顔のまま言った。
「私も調べものは得意なの。これぐらいの情報なら、すぐに手に入るわ」
そう言って用紙をヒラヒラと動かすオーブに権守はテーブルを叩いて立ち上がった。
「嘘をつくな!簡単に調べられるような情報じゃないんだぞ。君は何者なんだ!?」
「オリヴィア・エンフィールドよ」
「それは仮の姿だろ!保険医!君も何者だ!?ここに集めていたのは権守家でも腕利きの連中だったんだぞ。薬物の耐性もあるのに、どうやって眠らせた?」
その問いに蘭雪は手品のように手から縫い針より細い針を一本出して見せた。
「私は、ただの保険医よ。みんなお疲れみたいだから、よく眠れるツボを刺激したの」
「ただの保険医が何故そんなツボを知っている!?いや、それを誰にも気付かれずに、これだけの人数にした時点で、ただの保険医ではないだろ!」
適格な指摘に蘭雪が面白そうに笑った。
「正論だけど、人のことを気にしている場合かしら?そろそろチェックメイトの時間よ」
「なにを……」
権守が言いかけたところでカフェのドアが開いた。そして、そこから入ってきた人物を見て権守は再び驚愕した。
「何故……ここに……」
権守の視線の先には肩に人を担いだ朱羅と紫依の姿があった。
ちなみに紫依の腕には巨大な羊のぬいぐるみがしっかりと収まっている。もちろん朱羅の腰からは手のひらサイズの羊のぬいぐるみがぶら下がっていた。
そんな恰好の二人だが、蘭雪は気にする様子なく軽く手を振って声をかけた。
「遅かったわね。何かあったの?」
その言葉に紫依が少し申し訳なさそうな顔をする。
「いろいろなところを経由して依頼されていたようで、依頼主のところまでたどり着くのに、かなりの遠回りをしました」
「そんなの、すっ飛ばして、ここに来れば良かったのに。どうせ指示を出したのはこいつなんだから」
そう言って蘭雪が権守を指さす。だが紫依は軽く頭を横に振った。
「いえ。もしも、ということもありますし、念のために全て潰してきました」
蘭雪が諦めたように笑う。
「相変わらず自分に危害を加えようとした人に対しては徹底しているわね」
紫依が不思議そうに首を傾げる。
「これぐらい普通ではないのですか?」
「紫依が普通だと思うなら、それでいいわ。で、朱羅。その荷物は何?」
朱羅は蘭雪に言われて肩に担いでいる男を下ろした。
「こいつが依頼主に指示されて動いていたらしい」
男は四十代ぐらいでスーツを着ており、どこにでもいるサラリーマンのようだった。ただ気絶しているため床に転がされても何の反応もない。
権守は床に転がった男を無表情で見た後、いつもの軽い笑顔を浮かべて紫依に声をかけた。
「龍神さん、どうしてこんなところに?何かあったの?」
権守は紫依がどこまで知っているか分からないため、オーブと話していた内容を隠して学校と同じ態度で接することに決めたらしい。
そんな権守に紫依は軽く微笑んで説明を始めた。
「お休みなので朱羅と買い物をしていたのですが、途中で声をかけられまして。目的を聞いたら、私を誘拐しようとしていたそうです。そこで依頼主を辿っていましたら、ここにいると教えて頂きました」
「それは大変だ。すぐに警察に連絡しないと」
そう驚いて携帯電話を取り出した権守の手をオーブが押さえる。
「偽物の警察は必要ないわ。本物でも必要ないけど」
「偽物?」
怪訝そうな顔をする権守にオーブが微笑む。
「あなたの家には、そういう部隊もいるでしょ?本物そっくりに作られた偽物の警察部隊」
疑問ではなく確信を含んだ言葉に権守の顔が一瞬引きつる。
その隙に紫依は自然な動作で権守の左手を握ってオーブに声をかけた。
「ここに竹串はありますか?」
「厨房にあると思うけど、何に使うの?」
オーブの質問に紫依は表情を変えることなく当然のように言った。




