ある夏の昼下がり(後編)
名前と会話文しか書かれていない内容に首を傾げている少女に対して、本を覗き見した少年は理解したように頷いた。
「台本か」
「そうです」
桜葉は身を乗り出して台本を読んでいる最中の少女に詰め寄った。
「私が通っている高校の文化祭で行う劇です。その劇の主人公をあなたに演じてもらいたいのです」
息がかかるぐらい桜葉が間近に詰め寄っても、少女は不快な顔どころか眉一つ動かさずに淡々と訊ねた。
「何故、私なのですか?」
「よく聞いてくれました!台本を読んで分かったと思うのですが、この主人公は人形なのです。人形のような美しさを持つ人が必要なのですが、なかなかいなくて……ですが、あなたの外見はそのイメージ通りなのです!是非、あなたにこの主人公を演じてほしいのです!」
立ち上がって熱く語る桜葉に対して、冷めた目をした少年が呆れたように言った。
「高校の文化祭だろ?なんで、そこまで熱心になるんだ?そもそも、その高校の生徒でないのに、その劇に出てもいいのかよ?」
桜葉は握りこぶしを作って力説した。
「そもそも私の高校は名門と呼ばれる家柄の人たちか、将来を有望視された才能がある人しか入学できないのです。そんな我が校の文化祭はただの文化祭ではなく、己の才能を発表する場でもあります。親だけでなく、各方面の文化人の方々も見学に来られます。その方々を前に、見るに堪えない劇を発表するわけにはいきません」
桜葉の説明に少年がますます呆れた顔をする。
「そんな劇に部外者が出演してもいいのか?」
少年の質問に桜葉は強く頷いた。
「過去に芸能関係の方が劇に特別出演したこともあります!私が顧問を説き伏せます!」
「いや……それは芸能関係だったから出演できたんだろ……」
少年の言葉を桜葉は無視して少女に頭を下げた。
「お願いします。どうか主人公を演じて下さい」
桜葉の熱心さに少女は少し困ったように微笑んだ。
「私一人では決めかねますので、お返事は後日でもよろしいですか?」
少女の言葉に桜葉は勢いよく顔を上げた。
「はい!それまでに許可を取っておきます」
「いや、出演するとは言ってないし……」
桜葉は少年の言葉を再び無視すると、満面の笑顔で携帯番号を書いたメモ紙を少女に渡した。
「これ、私の携帯番号です。連絡待っています。では、私は準備がありますので失礼します!あ、飲み物代は置いておきますので、好きなものを注文して下さいね」
桜葉はそう言うとテーブルの上にお金を置いて走り出した。頭の中では少女が主人公を演じるプランが急速に構成されていく。
「忙しくなるわ!」
ガッツポーズを作って叫びながら走り去る桜葉を見て少年は呟いた。
「出演しないって言ったら、どうなるんだろうな?」
「地の果てまで私を探して頼み込みそうですね。あ、アイスティーを一つ下さい」
注文を聞きに来たが二人の顔を見て茫然と立ちすくんでいる店員に少女がマイペースに注文をした。その様子に少年が軽く苦笑いを浮かべながら注文をする。
「まあ、目の付け所は間違っていないな。オレも同じのを一つ」
注文を聞いて我にかえった店員が慌てて頭を下げる。そして、桜葉が飲んでいたアイスカフェオレのグラスを下げて店内へ入っていった。
「さて、家にいる二人がなんて言うか、だな」
少年は桜葉が置いて行った台本で軽く顔を扇ぎながら少女を見た。
「そうですね」
少女が人形のように軽く頷く。
それは残暑が残る八月下旬の出来事だった。




