水も滴る……
ここ数日、朱羅は背後に視線をよく感じていた。
周囲の生徒から行動を観察されたり、数学や英語の問題を質問されたりすることが多くなっていた。
原因はオーブの爆弾発言なのだが、そのことを知らない朱羅は特に原因が思い当らないため、いつもと変わらない学校生活を送っていた。
その様子にオーブが軽くため息を吐く。
「あそこまで露骨にされても平然としているのは凄いよな」
オーブの視線の先では、朱羅が体育の授業のためにグラウンドでサッカーをしていた。
朱羅がボールをドリブルしているのだが、それを敵チームが全員(ゴールキーパーを含む)で止めにかかっている。配置などは関係なく、それどころか反則も関係ないかのごとく突進と言う名のタックルをしてくる。
そのまま、ぶつかればイエローカードどころかレッドカードでもおかしくない行動なのだが、それを朱羅は平然と避けていく。
「だから他学年までフォローは出来ないって言ったのによ」
オーブはぼやきながら仕入れた情報を思い出していた。
朱羅は理事長の関係者ということで、イジメなどが発覚したら即停学、もしくは退学となる可能性があるため誰もそのようなことはしなかった。しかし同級生たちは明らかに朱羅と距離を置くようになっていた。
そして、授業で習っていない難題を朱羅に質問して困らせようという、低レベルな嫌がらせが発生していた。難題を解けない朱羅の姿を見て小さな自尊心を満たそうというのだ。
だが大学院まで卒業している朱羅にそれは全く意味がなく、その難問を分かりやすい解説付きで解いてみせた。
その解説の分かりやすさに、一部の女子が授業中に分からなかった問題を訊ねてくるようになり、朱羅は顔が見えないが素っ気ない態度と声が良いと好評判になりつつあった。
「オレ、もう知らねぇぞ」
そう呟くとオーブは黒板に視線を戻した。
この騒ぎの原因が自分であることを棚に上げて、オーブはこの騒ぎを無視することにする……つもりだった。
放課後、オーブと紫依が中庭を歩いていると反対側から朱羅が一人で歩いてきた。
それを見た紫依が少し微笑んで駆け寄る。
「今日も観に来て下さるのですか?」
「部長から代役を頼まれているからな」
「私のために、すみません」
頭を下げる紫依に朱羅が軽く微笑む。
「文化祭までのことだ。気にするな」
その言葉に普段無表情が多い紫依が微笑む。
その様子を遠巻きに見ている生徒たちから(主に男子生徒から朱羅へ)リア充滅べ、という怨念付きの視線が送られてくる。
だが、そのことに気付いていないのか、紫依は平然と話を続けた。
「……ですが、やはり私には無理なような気がします」
「何故?」
「歌が……桜葉さんの指示通りに歌えないのです。もうすぐ吹奏楽部との合同練習もありますのに……」
「歌については俺もよく分からないが……」
そこで二人は顔を見合わせたまま、頭上に意識を向けた。何かが降ってくる気配がしたのだ。
反射的に避けようとしたところで、いつの間にか紫依と朱羅の間にいたオーブが二人の服を掴んで無言で睨んだ。
『普通の人は避けられない。黙って当たれ』
ムーンライトブルーの瞳がそう言っているのを感じた二人は回避行動を止めて、そのまま停止した。そして朱羅は降ってきた物が当たる直前で、紫依を庇うように懐に抱き込んだ。
こうして朱羅は上から降ってきたバケツとその中に入っていた水を盛大に被った。
ちなみにオーブはしれっと一歩下がって事なきを得ている。
「すみません!怪我はありませんか!?」
二階の窓から叫ぶ男子生徒の顔は真っ青になっている。その表情からして故意ではないことが分かる。
周囲では遠巻きに他の生徒たちが見ているが、心配して近づいてくる様子はない。
朱羅は男子生徒に軽く手を振って無事なことを伝えると、抱き寄せた紫依を見た。
「濡れなかったか?」
朱羅の問いに紫依は一歩下がって心配そうに顔を上げた。
「朱羅のおかげで私は大丈夫です。ですが、そのせいで……」
そう言いながら紫依がハンカチを取り出す。朱羅は黒縁メガネを外して顔にへばり付いた前髪をかきあげた。
「これぐらい問題ない」
その瞬間、小声の黄色い歓声が響いた。人前で騒がないように幼い頃より教育されている良家の子女でさえ、朱羅の外見に思わず声が出たのだ。
宝石のように輝く鋭い翡翠の瞳に、彫りが深すぎない顔立ち。真っ直ぐな鼻筋に、きつく結ばれた唇は全てが絶妙に整っており、モデル顔負けの容姿だ。
前髪とメガネで隠されていた顔が超絶美形という、どこその漫画のような展開。しかも学年トップの学力付きの頭脳に、理事長の知り合いという太鼓判が押された家柄。
そんな超有望物件が水も滴るいい男となっている。いや、実際に水を被ったためなのだが。
これまでの時間、わずか0.1秒。
瞬時にここまでの考察を行いハンターと化した女子生徒たちは、猟銃ではなくハンカチを取り出して光速で集まってきた。
「大丈夫ですか?」
「これ、使って下さい!」
「よければ、私のも!」
女性生徒たちがわらわらと無限に集まってくる光景を見て、オーブがわざとらしく大きな声を出した。
「シュラ!血、出てる!保険室行く!」
そう大袈裟に叫ぶと、オーブは紫依と朱羅の手を掴んで走り出し、そのまま避難先となっている保健室へとすべり込んだ。




