練習
蘭雪の紫依に悪い虫がつかないかという心配事は、予想するまでもなく的中していた。
転校生と留学生が演劇部に入部したということで、演劇部への入部希望者が殺到したり、幽霊部員が顔を出してきたりしたのだ。それも九割は男子だ。
入部希望者は文化祭の準備が忙しいということで桜葉が片っ端から断り、問題は顔を出してきた幽霊部員への対応となった。
「権守、いまさら配役の変更は無理よ」
桜葉が仁王立ちで見上げる先には、髪を薄っすらと茶髪に染めた端整な顔立ちをした少年の姿があった。
軽い雰囲気ながらも成績はトップクラスで人をまとめることが上手く、今は生徒会で副会長をしている。そのため演劇部に顔を出す回数が減って幽霊部員となったのだ。
権守は人受けがよい笑顔で桜葉を説得する。
「そんなことを言っても主役を変更しているじゃないか。それなら他の配役の変更も可能だろ?この劇に出られるように生徒会のスケジュールをわざわざ変更してきたんだよ」
「龍神さんは台本も立ち位置も歌もダンスも全て覚えているから問題ないの。それに、あなたが希望する役は人形師でしょ?悪いけどイメージと違うの」
「だから、どこが違うの?」
爽やかな笑顔で穏やかに話す権守に桜葉はズバリと言った。
「その軽い笑顔!」
「ひどいなぁ」
軽く流す権守に桜葉は時間が惜しいとばかりに背を向けた。
「どうせ目的は劇ではなくて龍神さんでしょ?目立ちたがり屋は派手に生徒会の仕事をしていないさい」
そう言い捨てると桜葉は舞台に歩いていった。
「もう一度、さっきのシーンをやるわよ!龍神さん、セリフも立ち位置も完璧なんだけど、もう少し感情をこめて。ここは自分の感情に気が付いて戸惑いが入る場面よ」
桜葉の指示にジャージを着た紫依が考えながら頷く。
「はい。やってみます」
その様子を朱羅は見学ということで椅子に座って眺めていた。不揃いな茶髪に黒縁メガネは地味な印象しかなく誰も気にしない。
そんな朱羅に権守が爽やかな笑顔で近づいてきた。
「やあ、龍神さんの家にホームステイしているんだって?」
「あぁ」
朱羅は返事をしたものの視線は舞台に向けたままで、権守には興味ないと態度で示している。
だが権守はどこからか椅子を持ってきて朱羅の隣に座った。
「家での龍神さんって、どんな感じ?私服はスカートが多いのかな?部屋は可愛らしい?」
馴れ馴れしく声をかけてきた権守に対して、朱羅は視線を一切動かさずに淡々と答える。
「そういうプライベートなことは本人に聞け」
「えー、少しぐらい教えてくれてもいいじゃん。龍神さんが好きな食べ物って何?女の子だから、やっぱり甘いスイーツとかかな?」
しつこく声をかけてくる権守を朱羅は黙って無視をした。静かに桜葉が紫依に指示する光景を見ていたのだが、それでも権守は訊ねてきた。
「それとも意外と辛いものが好きとか?ねえ、聞いてる?」
権守が朱羅の肩を叩こうとしたが、その先に肩はなかった。
朱羅は突然立ち上がると舞台に近づいて桜葉に声をかけた。
「紫依の動きや話し方は最初に君が見せた見本通りだが、それではいけないのか?」
先ほどから同じ場面の練習ばかりで、同じ指示を繰り返し紫依に出している桜葉に、朱羅が疑問に感じたことを素直に訊ねたのだ。
桜葉は紫依を見ながら責めるわけでもなく、軽く肩をすくめながら説明をした。
「確かに龍神さんの動きは私が最初に見せた見本通りよ。でも、それは私の動きであって龍神さんの動きではないの。私は龍神さんの動きで主人公を演じてほしいの。こうなるのだったら、私の見本を見せたのは失敗だったかも……」
そう言って考え込む桜葉に、紫依が申し訳なさそうに話す。
「やはり、私には無理なのでは……」
その様子に桜葉が顔を上げる。
「そんなことないわ!今の表情と声!二十一ページの、お皿を割って人形師に怒られる場面で使えるわ!今のを忘れたらダメよ」
桜葉からの熱血指導に紫依の瞳が少し丸くなり反射的に返事をする。
「は、はい」
その様子に朱羅が軽く笑った。それを見た紫依も思わず軽く笑う。そして、その表情を見逃さなかった桜葉がさらに詰め寄った。
「その顔!二十四ページの場面で使えるわ!」
そう言って桜葉は朱羅に視線を移した。
「カミン君!」
キラキラと輝く桜葉の視線に嫌なものを感じながらも朱羅は返事をした。
「……なんだ?」
「あなた、人形師をやって!」
桜葉の電撃発言に部員から奇声が上がる。
「えー!」
「これ以上の配役変更は、やめて下さい!」
「留学生には無理よ!」
「横暴すぎます!」
部員からの不平不満を桜葉が一喝する。
「黙りなさい!誰も完全に変更するとは言っていないわ!ただ、龍神さんが上手くできない時に人形師役として立っていてほしいの」
人形師役の冷泉院が朱羅と紫依を交互に見る。
「どうして、そんなことをするんだ?」
「龍神さんってカミン君がいると少しだけ感情が出ることがあるのよ。だから、劇の練習中も目の前にいれば感情が出やすくなるかと思って。いいかしら?」
この二週間、桜葉の性格を目の前で嫌と言うほど見てきた朱羅は肩をすくめて言った。
「俺に拒否権はあるのか?」
「ないわね。じゃあ、冷泉院の代わりにカミン君、そこに立って。練習再開よ」
桜葉の独走状態に全員が気の毒そうな視線を朱羅に送る。
その中で紫依は舞台から降りると、朱羅に駆け寄って頭を下げた。
「私のせいで、すみません」
朱羅が紫依の頭を撫でながら微笑む。
「気にするな。見ているだけなのも暇だったからな」
その言葉に紫依が安心したように微笑む。
「ありがとうございます」
「その顔!人形師が道下師となって現れた場面で使えるわよ!」
喜び叫ぶ桜葉に、冷泉院は頭を抱えて叫んだ。
「誰か、この部長を止めろ!」
「無理でーす」
「無理っす」
「諦めるしかないわね」
無情な部員たちの声が返ってきただけだった。
そんな和やかな部活風景を権守は口元に手を当てて静かに観察していた。




