ある夏の昼下がり(前編)
桜葉 穏月は悩んでいた。
演劇部の部長として今回の文化祭の演出を任され、そのまま主役まで兼任しているのだが、どう考えても主役のイメージが自分ではないのだ。演技には、もちろん自信があるし、役柄についても他の誰よりも理解している。ただ、外見のイメージが違うのだ。
今回の主役は誰もが振り返るような外見を持つ美少女が必要なのだが、桜葉の外見はいたって普通であった。
普通の大きさの目にそばかすがある頬。日本人特有の黒髪を飾り気なく後ろに一つにまとめただけで、どこにでもいる少女だった。言葉は悪いがモブとして埋もれる自信がある。だが、今回の劇の主人公はそれではダメなのだ。
「はぁ……」
カフェのオープンテラスに座って通りを歩く人を眺めながら、桜葉はため息を吐いた。
「どこかに絶世の美少女が落ちていないかしら……」
現実にありえない、否、実際にあったら困るであろうことを言いながら、氷が浮かぶアイスカフェオレを口に含む。
その時、桜葉の視線の端に信じられないものが映った。
「待って!」
桜葉は思わず立ち上がって長い黒髪を持つ少女を追いかけた。
「ちょっと、待って!そこの白いワンピースを着た人!」
大声で呼ばれて黒髪の少女が振り返る。その顔は往来の中でいきなり呼ばれたのに驚いた様子もなく淡々とした視線を桜葉に向けた。
深紅の色をした大きな瞳と、日本人にしては目鼻立ちがはっきりしている顔立ち。
身長は桜葉より少し高いぐらいだが、その割には顔が小さくて手足は長い。そして、その全身を覆うように流れる黒髪は朝露に濡れているかのごとく艶やかに、しっとりと輝いている。
桜葉は少女の顔を見ながら感動に震えた。
「本当に……いた。イメージ通りすぎるわ」
瞳を輝かせている桜葉に対して、少女は少し小首を傾げただけで黙っている。そこに少年の声が降ってきた。
「人をこんな所で呼びとめて何の用?通行の邪魔になるから、早く用件を言って」
その声に桜葉が視線を隣に移すと、どこかの宗教画から抜け出したような完璧な外見をした人がいた。
夜空に輝く満月をそのまま滴にして垂らしたような金髪と、長いまつ毛に縁取られた大きな瞳がムーンライトブルーに輝き、月の精霊と言っても過言ではない容姿だ。そこにきめの細かい白い肌まで加わり、絶世の美少女とまで思ったのだが、残念なことに相手は少年だった。
ちなみに少年だと分かったのは薄手の夏服を着ているので体型で判断出来たからだ。
桜葉は顎に手を当てて俯いた。
「女性だったら、この人でも良かったのに……いや、女装させたら問題ないかも……」
ブツブツと考えこんでいる桜葉に少年がもう一度声をかける。
「オレの言ったこと聞いている?」
どこか不機嫌な声音が入った言葉に桜葉が慌てて顔を上げる。
「あ、はい。失礼しました。あ、あの、こちらで私の話を聞いてもらえませんか?」
そう言って桜葉は先ほどまで座っていたテラス席を指さした。そこには桜葉が飲みかけていたアイスカフェオレと通学カバンが置いてある。
少女が無言で少年に顔を向けた。それは無表情だが、どうしたらよいのか分からずに少年に意見を求めているようだった。
その姿に桜葉が内心でガッツポーズをしながら呟く。
「やっぱり、私の目に狂いはなかった」
桜葉の意気込みと瞳の輝きを見逃さなかった少年は軽く肩をすくめて頷いた。
「じゃあ、とりあえず話を聞くだけだからな」
少年が了承した理由は、ここで話を聞かなければ地の果てまで追いかけられそうな執念を感じたからだった。誇張ではなく、それぐらいのことをやってのけるぐらい女の執念が恐ろしいことを少年はよく知っている。
二人がカフェテラスに座わると桜葉は通学カバンの中から一冊の本を取り出した。
「これを読んで下さい」
「はい」
素直に受け取った少女がパラパラとページをめくると、そこには名前と会話文しか書かれていなかった。




