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時間を活かして、己を生かさず。

作者: ムクダム
掲載日:2026/08/08

 これまで多くの腕時計を紛失してきた。誤解なきように言っておくと、全て自分の腕時計である。他人の所有物を紛失するようなことはなかったはずだ。きっと、多分。

 何故紛失するかというと、頻繁に腕時計を外すからである。出勤して最初にやることはデスクトップの起動ではなく、腕時計を外してデスクに置くことである。飲食店や喫茶店に入ってすぐにやることは、腕時計をカバンの中にしまうことである。

 そんなことだから、外出先で腕時計を外し、そのまま置いてきてしまうということがしばしばあった。大学生時代から社会人になって最初の数年が特に酷かった。

 幸い、それほど高価なものは使っていなかったが、物を失くすということには文字通りの喪失感がある。しばらくは凹んだ気持ちになるので、いっそのこと腕時計を使うのをやめることにした。時間の確認はスマホでも出来るし、大体、至る所に時計は設置されている。自前の腕時計にこだわる必要はあるまいと考えたのだ。

 そのため、一時期は腕時計なしの生活をしていたのが、数年前に秘書業務を行う部署の異動となり、分単位で上司のスケジュールを行う必要が出てきた。泣く泣く腕時計を再び購入した。しかし、また紛失が続くようでは芸がないと考え、今度はあえて高めの腕時計を購入した。なくしたらしばらく立ち直れないであろう値段の一品である。喪失への恐怖から注意力が研ぎ澄まされることを期待したのである。

 自分が成長したと一番実感するのは、その腕時計を今でも使い続けていることである。


 そもそも何故腕時計を外したがるのかというと、腕に異物感があってしっくりこないという理由だけでなく、腕時計を身につけることで時間に支配されていると感じるためである。

 時間に追われるという表現があるが、時間に突っつかれながら日々を過ごすことは人間的でないと考えるのだ。時間という概念は人間が作り上げたものであり、それによって発展してきた歴史的経緯もある。ただ、あくまで時間は人間がよりよく生きるために活かされる概念であるべきだろう。いつの間にか、その主従関係が逆転していないだろうか。

 

 何かにつけて効率化、時短化が叫ばれる昨今である。効率化して仕事がすぐに終わるのであれば大歓迎だが、実態としては効率化によって捻出された時間は、別の仕事にあてられる。むしろ処理すべき仕事は増えているのである。兼業・副業の推進など狂気の沙汰としか思えない。大人はそんなに仕事が好きなのかと誤解を生みそうだ。時間が余ったら休むというのが本来ではないだろうか。人間には人間のリズムというものがある。何でもかんでも早くこなせば良いというものではない。

 各種ツールの高速化と人間の生物としての変化は一致しない。人間の変化はもっとゆっくり、慎重に行われるものである。100年前の人間と現代の私たちで生物として処理能力は大差ないはずだ。高速化したの技術の方であり、人間自身ではないということを忘れると、人間は自らを破滅に追いやることになりかねない。

 隙間ができると埋めたくなるという精神は一体どこから来るのか。貧しかった時代、他の進んだ社会や国に追いつこうと躍起になっていた時代の名残ではないだろうか。隙間を埋めればその分成長できると信じられていた時代があったのだろう。ある程度の段階まではそれも有効だったろうが、何事にも限界はある。今はむしろ、積極的に隙間を作り、その時間を遊ばせておくことが必要だと思う。

 時間に限らず、空間的にも遊びの部分、余白の部分があることが余裕を生み、その余裕が社会や国といった組織の強度を高めることになる。中身がぎっしり詰まった状態というのはどこか満足感があるが、意外と外からの衝撃に弱いものである。

 

 空いた時間を有効活用するというと聞こえは良いが、結果的に自分に余計な負荷をかけることになる。

 この場合、活かされているのは自分ではなく時間である。余った時間を活用して何かを生み出す、成果を得る。しかし、それが自分のためになっているのかということはよく吟味しないといけない。

 休日やることがないと、ついついスマホを手に取り、SNSやショート動画を見てしまう。これは休んでいるようで実は休んでいない。無造作にネットを眺めていて流れてくる情報というのは、下手をすると仕事中よりも脳に負荷をかけているように思える。ネットを眺めていると、何が楽しくてこんなことやっているのかと休日にも関わらず落ち込むことがしばしばある。時間を活かさないといけないという思いが、何かに手を付ける原動力となり、その結果、自分を労ることが疎かになる。

 一度きりの人生だ。ジカンではなく、ジブン本位に生きていきたいものである。終わり。

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