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第50話 夜・嵐の夜の、小さな相棒

夜になっても、嵐は収まらなかった。


窓の外は真っ暗。


雨と風の音だけが聞こえる。


ゴォォォォ。


でも、怖くない。


グンちゃんがいるから。


不思議。


「グンちゃん、起きた?」


グンちゃんは、伸びをして、「にゃあ」と鳴いた。


「お腹すいたね。今夜はパーティーだよ!お金あるし!」


夕食は、豪華な寿司を頼んだ。


ウィーンとトレーが出てくる。魚の匂い。酢飯の匂い。温かい……いや、寿司は冷たいけど。でも、いい匂い。


タッチパネルから出てきたお寿司は、本格的。


マグロ、サーモン、イカ、エビ、玉子。


どれも美味しそう。


宝石みたい。


「わぁ……本格的なお寿司じゃん……」


グンちゃんには、マグロの赤身を少しだけお皿に取る。


「はい、グンちゃん。マグロだよ。高級品だよ」


地面に置くと、グンちゃんが近づいてくる。


クンクン匂いを嗅いで、食べ始める。


「美味しい?」


グンちゃんは夢中で食べてる。気に入ったみたい。


私もお寿司を食べる。まずはマグロ。箸で持ち上げて、一口。


「美味しい!とろける!口の中でとろける!」


口の中でとろける。


次はサーモン。これも美味しい。


イカは歯ごたえがいい。


エビは甘い。


玉子は優しい味。


「全部美味しい……幸せ……」


ボトル子に話しかける。


「ねえボトル子、お寿司美味しいよ。グンちゃんも美味しそうに食べてる。幸せだね」


グンちゃんは、マグロを食べ終わって、満足そう。


「にゃあ」


「よかった」


お寿司を食べ終わって、満足。


PCに向かって、ネットに繋ぐ。


1時間半だけ、外の世界の情報を得る。


天気予報サイトを見ると、大型の台風が、まさにこの島の上を通過中らしかった。


「すごい時に来ちゃったね、グンちゃん。でも、助けられてよかった」


振り返ると、グンちゃんは私の椅子の下で丸くなっていた。


グンちゃんは、私の言葉が分かるかのように、「にゃあ」と鳴いた。


嬉しい。


部屋の換気扇が、低く回ってる。ヴーーーン。


台風について、もっと調べる。


軍艦島と台風。


たくさん記事が出てくる。


「台風被害……何度も襲われてたんだ」


写真を見る。


建物に波が打ち付けてる。


すごい高さの波。


「こんな波が……怖い」


防潮棟の写真もある。


31号棟、48号棟、51号棟。


壁のように建ってる。


「これが、島を守ってたんだ」


人が住んでる建物が、盾になってた。


身を以て島を守る。


「すごいな……」


PC作業は、これまでのデータのバックアップと、今後の撮影計画の見直しに充てた。


外付けHDDにデータをコピー。


時間がかかる。


でも、大事な作業。


データ消えたら、全部終わりだもんね。


前に、停電でデータが消えた時のこと思い出す。


あの時、本気で焦った。


パニックになった。


だから、バックアップは絶対。


コピーが終わった。


次は、今後の撮影計画。


リストを確認。まだまだある。でも、頑張る。グンちゃんもいるし。


嵐の音を聞いていると、この島の脆さを、改めて思い知らされる。


窓の外の暗闇。


コンクリートの塊に見えても、自然の力の前では、いつか崩れ去ってしまう、儚い存在なんだ。


31号棟も、崩れた。


昭和館も、崩れた。


嵐の後、他の建物はどうなってるんだろう。


無事だといいけど。


「だから、記録しなきゃいけないんだ……」


そうだ。


だから、私はここにいるんだ。


記録するために。


3番さんのメッセージが、頭の中でこだまする。


『この島の記憶を、頼む』


「3番さん……見てる?私、頑張ってるよ。グンちゃんも来てくれた。もう一人じゃない。だから、頑張れる。もっと頑張れる」


グンちゃんを見る。丸くなって眠ってる。すーすー。可愛い。すごく可愛い。深夜。


風の音が少しだけ弱まってきた。


まだ降ってるけど、少しマシになった。


台風、過ぎたのかな。


私は、眠っているグンちゃんの隣に、そっと横になった。


ベッドの端に、グンちゃんを置く。


「一緒に寝よう、グンちゃん」


グンちゃんは、私の腕に寄り添ってきた。


小さな心臓の鼓動が、私の腕に伝わってくる。


ドクドク、ドクドク。温かい。生きてる。グンちゃんも、私も。目の奥が、熱くなる。


昨日まで、一人で泣いてた。


絶望の涙を流してた。でも、今は違う。グンちゃんがいる。


グンちゃんの頭を撫でる。ふわふわ。


「ありがとう、グンちゃん。来てくれて、ありがとう。助けてくれて、ありがとう」


グンちゃんは、ゴロゴロ喉を鳴らす。


幸せそう。私も幸せ。本当に幸せ。


【残り日数:14日】


画面の数字を見る。赤い数字。冷たい数字。


あと14日。でも、今は怖くない。一人じゃない。


その事実が、私に、もう一度立ち上がる力をくれた。


「おやすみ、3番さん。おやすみ、ボトル子。おやすみ、グンちゃん」


三人に、おやすみを言う。


三人とも大切な存在。


今夜は、一人じゃなかった。


温かい。


本当に、温かい。


台風が過ぎたら、また頑張ろう。


その決意を胸に、私は深い眠りに落ちていった。


静寂が、部屋を包む。


72号棟が、軋んでいた。


ぎし、ぎし、と木の骨が鳴る。風が壁のパネルを叩いて、雨が屋根を機関銃みたいに撃ってる。台風は、夜になって本気を出してきた。


「だ、大丈夫だよね、この家……飛ばないよね……?」


「にゃ」


毛布の中で、グンちゃんが丸くなってる。今日来たばかりの小さな同居人は、嵐に動じる様子もない。さすが島育ち。


私は説明書の記憶を引っ張り出す。この建物は、地面に固定できない代わりに、ジャカゴ——島の瓦礫を詰めた籠の重しで、押さえられてる。


「島の瓦礫が、私を守ってる、ってことか……」


五十年前の壁や床のかけらが、籠の中で、この新参者の家を押さえててくれてる。そう思ったら、軋む音が、ちょっとだけ怖くなくなった。


カーテンの隙間から、外を覗く。


横殴りの雨で、視界は白く煙ってる。グラウンドの向こうの巨大な影——65号棟は、闇と雨に溶けて、輪郭しか見えない。


そして、あの窓に、灯りがなかった。


「……え」


あの灯りを見つけた夜から、ずっと点いてた。私の就寝儀式だった。おやすみ、窓の人、って言う相手の灯り。それが、ない。


「停電?雨戸?……まさか、窓、割れてないよね?あんなボロボロの建物で、この風——」


確かめる方法が、ない。この嵐に猫を出すなんて論外だし、レーザーも紙も、この雨の壁は越えられない。


100メートル。たった100メートルが、今夜は海より遠い。


「……無事でいてよ」


知らない人なのに。名前も知らない、カップ麺すすってただけの人なのに。あの灯りが消えただけで、こんなに心臓がざわざわするなんて。


私は少し考えて、部屋の電気を、点けたままにした。カーテンを、彼の方角だけ、開けて。


「こっちは点いてるよ。……だから、そっちも、朝になったら、点けて」


嵐の音の中で、グンちゃんを抱えて、浅い眠りに落ちた。

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