第47話 夜・涙のあとと、注文と違う夕食
どれくらい泣き続けたんだろう。気づけば太陽は西に傾いて、瓦礫の上に、私の影が長く伸びていた。
泣き疲れて、頭の芯がぼうっとしてる。何も考えられないし、考えたくない。
「……帰ろう」
立ち上がると、足に力が入らなかった。階段を一段ずつ、老人みたいに上る。息が切れる。部屋に辿り着いて、ドアを開けて、そのままベッドに倒れ込んだ。
シャワーも無理。着替えも無理。赤いワンピースは埃と涙で汚れてるけど、もう、どうでもいい。フォトグラメトリも、時間の化石も、全部どうでもいい。
枕に顔をうずめると、また涙が滲んできた。声は出ない。静かに、流れるだけ。
「ごめんね、ボトル子……私、もうダメかも」
ボトル子は、いつもの場所で笑ってる。いつもの笑顔なのに、今日はそれが、ガラス一枚向こうみたいに遠い。
ふと、思い出して、枕元のPCを引き寄せた。開くのは、もう何度も読んだ、あのファイル。
『Day 15:もう限界だ。この島は美しすぎる。そして、孤独すぎる』
「……同じだ」
声に出したら、喉の奥が痛くなった。
十五日目。同じ日に、同じところで、転んでる。±3センチの人でも、ここで折れたんだ。じゃあ私なんかが折れるの、当たり前じゃん。当たり前なんだけど——3番さん、あなた、ここからどうやって、22日目まで歩いたの。
教えてよ。日記の続き、もっと書いといてよ。
部屋が暗くなっていく。夕方から、夜へ。
それでも、お腹はすく。体は正直だ。私はゾンビみたいに起き上がって、ふらふらとタッチパネルに向かった。一番安いやつでいい。ラーメン、200円。押す。
ウィーン。トレーが出てくる。湯気。醤油の匂い。
「……え?」
ラーメンの上に、半熟の卵が二つ、のっていた。頼んでない。それから、トレーの端に、小さな塩むすびが一つと、湯呑みのほうじ茶。頼んでない。頼んでない。
慌てて画面を見る。請求:200円。
「……注文と、違うんですけど」
誰にともなく言ってみる。誰も答えない。
エラー?バグ?在庫処分?頭の中で理屈を探して、ぜんぶ違う気がして、やめた。
卵を箸で割ると、黄身がゆっくり流れて、スープに溶けた。一口すする。
「…………あったかい」
味は、正直、よく分からなかった。でも温度だけは、胃の底まで、ちゃんと届いた。塩むすびは、ちょっとだけ塩が強かった。泣いたあとの体に、その塩辛さが染みた。
食べ終わる頃、PCが小さく鳴った。
ピロリン。
『業務連絡:本日の撮影データの処理は、明日で構いません』
「……」
『よく歩きました』
「…………っ」
たった五文字に、涙腺が決壊した。
なにそれ。なにそれ、運営。あんたたち、機械みたいな顔して、そういうこと言うの、ずるい。ずるいよ。
見られてた。泣いてたことも、うずくまってたことも、階段で止まってたことも、全部。天井の隅の黒いレンズを見上げる。恥ずかしい。穴があったら入りたい。でも——
今夜だけは、見られてて、よかったのかもしれない。そう思ってしまった自分が、いちばん恥ずかしい。
「……泣いても、状況は変わらない」
分かってる。そんなこと、百も承知だ。泣いたって帰れないし、お金も増えない。
「分かってる……けど、泣く!」
宣言して、ちゃんと泣いた。卵のお礼に、ちゃんと完食もした。
ベッドに戻る。この部屋は相変わらず、よそよそしい。でも、お腹の中だけは、温かかった。
「おやすみ、ボトル子。……おやすみ、3番さん。今日は頑張れなかった。ごめんね。——でも、明日は処理していいんだって。明日で、いいんだって」
涙で湿った枕に顔をうずめて、私は泥みたいに眠りに落ちた。夢も見ない、深い眠りだった。
【残り日数:15日】
折り返し地点で、私は完全に燃え尽きて——そして、誰かに、卵を二つもらった。




