第41話 夜・灯る窓
シャワーを浴びて、髪を拭きながら、今日のデータをPCに流し込む。
体操服とブルマで一日中島を歩き回った私の、十三日目が終わろうとしてた。
「……今日も、視線、感じたんだよなぁ」
処理の進むプログレスバーを眺めながら、呟く。
八日目の夜に「探す」って決めてから、五日。私はずっと、もう一人の「誰か」を探してる。
でも、見つからない。
すり減った軍手。撮った覚えのない、見上げの一枚。私のじゃないドローンの羽音。動いてた三脚。点はどんどん増えるのに、姿だけが、ない。
撮影しながら、何度も振り返った。崩れた窓の奥を覗いた。呼びかけてもみた。誰も、いない。
「いるのに、いない……何なの、これ」
首筋に、ちりっと視線を感じる。確かに、感じる。なのに、振り返ると、誰もいない。
——いたとしたら、それは。
「生きてる、誰か」じゃ、ないのかもしれない。
『Day 28:完成させられなかった。ごめん。次の人へ』
日記の文字が、頭をよぎる。
「…………3番さん、って」
声に出してから、後悔した。
「ちゃんと、島から出たんだよね……?」
部屋が、急に静かになった気がした。波の音だけが、ざあん、ざあんって、規則正しく鳴ってる。
冷蔵庫の氷を背中に当てられたみたいな感覚。右手の指が、勝手に左耳の後ろをかいてる。お祖母様の怪談を聞いた夜と、同じ手つきで。
「ボトル子、なんか言ってよ」
ボトル子は笑ってる。いつも通り。それが今夜はちょっとだけ、怖い。
電気を消して、ベッドに潜り込む。目を閉じる。眠れない。寝返りを打つ。窓の方を向く。
カーテンの隙間から、夜の島が見えた。
グラウンドの黒。その向こうの、もっと黒い、巨大な影。65号棟。九階建ての、死んだ要塞。月明かりの下で、何百個の窓が、ぜんぶ真っ暗な——
「…………え」
真っ暗、じゃなかった。
一つだけ。
灯ってる。
「————っ!!」
跳ね起きた。心臓が、痛いくらいに跳ねてる。
見間違い。絶対見間違い。目をこする。もう一回見る。
灯ってる。北側の、上の方の階。オレンジ色の、小さな、四角い光。何百という空っぽの黒い窓の中で、たった一つだけ、生きてる窓。
「で、出た————!!」
口を押さえる。声、出ちゃダメ。なんで?分かんないけどダメな気がする!
怖い。怖い怖い怖い。だってあそこ、廃墟だよ?五十年間、誰もいないんだよ?電気だって来てないんだよ!?
「3番さん……まだ、いるの……?」
完成させられなかった人が、島から出られないまま、今も——
って、考えた瞬間、全身に鳥肌が立った。ダメだ。ホラーの脳になってる。確かめないと、今夜一睡もできない。
震える手で、カメラを掴んだ。望遠レンズ。300ミリ。武器みたいに構えて、カーテンの隙間にレンズの先を突っ込む。
「ファインダー越しなら……四角い世界の中なら、怖くない……怖くない……」
ピントリングを、ゆっくり回す。闇の中のオレンジ色が、にじんで、揺れて、それから、きゅっと像を結んだ。
窓。
カーテンのない窓。部屋の中に、白っぽい光。机みたいなもの。何かの機材。三脚。そして——
人影が、横切った。
「ひっ」
レンズから目を離しそうになって、こらえた。見ろ、私。確かめろ。
もう一回、覗く。
人影は、窓辺に立ってた。逆光で、シルエットだけ。背が高い……ような?細い……ような?こっちを見てる?見てない?分かんない。幽霊?人間?どっち!?
その時。
シルエットが、両腕を上げて、ぐーっと伸びをした。
「…………」
それから、机の上の何かを持ち上げて、ずるずるっ、と——
カップ麺を、すすった。
「…………人間だ」
力が抜けて、私はその場にへたり込んだ。
幽霊は、伸びをしない。幽霊は、カップ麺を食べない。あれは人間だ。生きてる、人間だ。
「人間……人間!?え、人間!?」
へたり込んだまま、今度は別の震えが来た。怖さじゃない。なにこれ。なんだろこれ。
この島に、私のほかに、誰かいる。
生きて、ごはん食べて、夜更かししてる誰かが、いる。
「…………っ」
気づいたら、視界がぐにゃぐにゃに歪んでた。涙?なんで?怖かったから?違う。これ、嬉しいんだ。私、今、めちゃくちゃに嬉しいんだ。
十三日ぶりの、人類だ————!!
ベッドに飛び込んで、枕に顔を埋めて、足をばたばたさせた。叫びたいのを枕で殺す。だって聞こえちゃうかもしれないし!聞こえないけど!100メートルあるけど!
「ま、待って、落ち着け私。整理しよう。整理」
がばっと起きて、PCを開く。確かめたいことがあった。
五日前。65号棟の外観を撮った日がある。あの巨大な建物を、ぐるっと一周、何百枚も。
フォルダを開く。北側の壁。サムネイルを送る。あった。問題の階。問題の窓のあたり。拡大。拡大。拡大——
「……ある」
他の窓は、ガラスが割れてたり、白く曇ってたりするのに。
その窓だけ、ガラスが透明だった。拭かれてる。そして窓枠の内側に、ちらっと、青いタオルみたいなものが写ってる。
五日前の私が、何も知らずに、シャッターを切ってた。
「……いたんだ。最初から、ずっと」
私が一人で転んで、一人でシャンプー目に入れて、一人でボトル子と喋ってた間、ずっと。あの窓の中に、誰かがいたんだ。
「だ、誰?なんで?何してる人?私みたいに閉じ込められてる人?それとも運営の人?……ってか」
はた、と気づく。
「視線って、まさか……今日の私、一日中ブルマだったんですけど!?」
か————っと顔が熱くなった。待って待って待って。見られてた?どこから?いつから?メイド服も!?ゴスロリも!?チャイナドレスのスリットも!?
「うわああああ恥ずかしい!!衣装担当さんのバカ————!!」
枕に顔を埋めて、じたばたした。ミカがいたら絶対「落ち着けw」って言われてるやつだ。
ばたばたし疲れて、息を整えて、もう一度、窓の外を見た。
オレンジの光は、まだ灯ってた。
ちっぽけで、頼りなくて、でも、確かに灯ってる。死んだ要塞の壁に空いた、たった一つの、生きてる窓。
明日、どうしよう。合図、送ってみる?手を振る?怖がられない?ってか向こうはもう私のこと知ってるんだよね、ブルマも込みで(忘れろ私)。
「……まあ、いいや。今夜は」
ベッドに入り直して、カーテンを少しだけ開けたままにした。あの光が見える角度に。
「おやすみ、ボトル子。おやすみ、3番さん。……ごめんね、幽霊だと思って」
それから、窓の外の光に向かって、小さく。
「おやすみ、窓の人」
——ううん。違う。
今日から、一人じゃないんだ。




