第32話 夜・前任者の痕跡と、ご褒美アイス
夜。シャワーを浴びて、さっぱり。今日もシャンプーが目に入ったけど、もう慣れた。毎日恒例。
夕食の刺身盛りを味わいながら、今日の成果をPCで処理する。
「新鮮なお刺身……!」
マグロ、サーモン、イカ、エビ。
「こんなご馳走が食べられるなんて……このマグロ、トロっぽい……」
一口。
「美味しい!口でとろける!サーモンも最高!」
ミカはサーモン好きだったな。ミカ、元気かな。
イカは歯ごたえがいい。エビは甘い。
「全部美味しい……今日の私、頑張った!」
部屋の換気扇が、低く回ってる。ヴーーーン。
食べながら、データ処理。神社の石段、鳥居、狛犬、そして、そこから見える島の全景。
ネットで得た知識のおかげで、今日の時間の化石は、これまで以上に物語性を帯びている気がした。ただの廃墟じゃない。ここに、人の営みがあった。
Align Images、Create Model、Simplify、Unwrap、Texture。もう完全に慣れた。サクサク進む。
PCがうなり始める。ブゥゥゥン。
完成した神社の3Dモデル。マウスでぐるぐる回す。狛犬も完璧。鳥居も。眺望も。満足。
ボトル子に見せる。
「ねえボトル子、見て。神社完成したよ。いい出来でしょ?」
ボトル子は笑ってる。いつも黙ってる。でも、そこにいる。
作業を終え、残り少なくなったネット接続時間で、何気なくPCのフォルダを漁っていた時。
「あれ?このフォルダ……なんだろう……」
見慣れないフォルダがある。クリックしてみる。
深い階層に、隠されるように置かれた一つのテキストファイル。ファイル名は、『No.3』。
「……3?」
心臓がドキッとする。私の被験者番号は、確かNo.6だったはず。じゃあ、この3番って……私の前に、ここにいた人?前任者……?
恐る恐るファイルを開く。手が震える。
そこには、短い文章が、日付つきで並んでいた。
『Day 1:測量計画、修正なし。機材総点検済み。誤差許容は±3センチ。30日で、この島の全てを写し取る。仕事だ。仕事として、やる』
「すご……仕事できる人じゃん……」
私の初日なんて、ベッドから転げ落ちて、トイレの説明書にツッコんでただけなのに。この人はきっと大人だ。ちゃんとした、プロの人。
読み進める。
『Day 8:進捗、計画比102%。問題なし。ただ、夜が長い。この島の夜は、音が多すぎる。風の音だと、分かってはいる』
「……分かる」
思わず、声が出た。分かるよ。あの音。風だって分かってても、誰かが廊下を歩いてる音に聞こえる夜が、あるんだよ。
『Day 15:もう限界だ。この島は美しすぎる。そして、孤独すぎる。今日、地獄段の段数を、数える前に足が覚えていた。なぜだろう』
「……」
ページをめくる指が、止まりそうになる。あんなに完璧だった文章が、たった二週間で、こんなふうになるんだ。
『Day 22:なぜ、誰もこの島の声を聞こうとしないんだ。データは声を写せない。私が録りたいのは、声の方なのに』
『Day 27:統合処理、最終段で座標系が崩壊。原因は基準点の誤差。たった数ミリの。全棟のデータが互いにずれて、宙に浮いている。幽霊の街みたいに。修正には、何万もの座標を手作業で直すしかない。一人では』
「ざひょうけい……?なんか、最後に、何かが壊れたんだ……」
そして。
『Day 28:完成させられなかった。ごめん。次の人へ。この島の記憶を、頼む。最後に一枚だけ、いい写真が撮れた。それで、十分だったのかもしれない』
そこで、文章は途切れていた。
「……」
全身の血が、凍りつくような感覚。28日目。あと2日で完成だったのに。なんで。
理由は書かれてない。でも、分かる気がする。孤独。重圧。恐怖。疲労。全部、私も感じてる。私には、まだ10日分しか積もってないだけで。
この人も、私と同じように、ここで一人で戦っていたんだ。
どんな人だったんだろう。±3センチとか言っちゃう、きっちりした人。夜の音に怯えてた人。島の声を、聞こうとした人。
「3番さん……」
その時、PCから効果音が鳴った。
ピロリン♪
『実績解除:No.3の意志』
『あなたは、先人の想いを受け継ぎました』
「……っ、運営!こういう時に実績解除しないで!泣いてるんですけど!?」
でも——画面を、にらむ。モニターの向こうの、顔も知らない誰かに向かって。
「3番さん……あなたが、できなかったこと。私が、やる」
拳を握りしめる。
「……うん、任された」
私は、モニターの向こうにいるであろう、顔も知らない「3番さん」に向かって、力強く頷いた。
「私、頑張る。あなたの分まで」
これはもう、ただの私の脱出ミッションじゃない。あなたから受け取った、大切なバトンなんだ。
涙が出てくる。でも、止まらない。
「3番さん、見てて。私、絶対完成させるから」
ボトル子に報告。
「ねえボトル子、前の人のファイル見つけた……その人、28日目で諦めちゃったんだって……でも、私は諦めない。絶対完成させる」
ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。でも、そこにいてくれる。
「そうだよね、頑張るよね」
感傷に浸っていると、壁のタッチパネルから陽気な音楽が流れ出した。
「え?」
『祝10日目!特別デザートを無料で提供します!』
「10日目記念……?」
壁がスライドして出てきたのは、キンキンに冷えたチョコミントアイスだった。
目を疑う。これ……私がここに来る前に、ミカと食べたやつ……。駅の前のコンビニで。期間限定のチョコミントアイス。「ミント感が強めでマジ神」って、二人で盛り上がった。
「なんで……チョコミント……」
偶然?それとも、これも監視されてる?
全部、見られてる。
全部、知られてる。
複雑。でも、食べたい。
スプーンですくって口に運ぶ。爽やかなミントの香りと、チョコチップの甘さが口いっぱいに広がった。
「……美味しい」
涙が出てくる。美味しい。ミカの顔が浮かぶ。
「ミカ……会いたい……」
でも、泣いてばかりいられない。3番さんも、頑張ってたんだ。私も頑張らなきゃ。
チョコミントアイスを食べながら、決意を新たにする。その冷たくて甘い味は、明日への活力をくれる、最高のプレゼントだった。
「ありがとう、チョコミント。ありがとう、3番さん。ありがとう、ミカ」
【残り日数:20日】
画面の数字を見る。赤い数字。冷たい数字。
あと20日。
背負うものが、一つ増えた。でも、その重さが、私を強くしてくれる気がする。
ボトル子に話しかける。
「ねえボトル子、私、頑張るね。3番さんの分まで」
ベッドに入る前に、もう一度No.3のファイルを開く。
『次の人へ。この島の記憶を、頼む』
「任された。絶対、完成させる」
おやすみ、3番さん。
「おやすみ、ボトル子」
今夜は、一人じゃなかった。3番さんも、一緒にいる気がした。
静寂が、部屋を包む。




