第26話 夜・写真への愛情と一島一家族
部屋に戻って、まず最初にしたことは、メイド服を脱ぎ捨てることだった。
「やっと脱げる!解放!」
エプロンを外す。ワンピースのボタンを外す。
「ボタン多い!1、2、3、4……数えるのもめんどくさい!」
一個一個外していく。指が疲れる。ボタンって、こんなに大変だったっけ。
「なんでこんなにボタンあるの……設計ミスでしょ……」
やっと脱げた。
「解放感!自由!最高!」
LAUNDRYボックスに放り込む。
「明日は何着せられるんだろう……もうメイド服は勘弁して……お願い……」
シャワーを浴びる。
「あー気持ちいい!さっぱり!生き返る!」
一日の汗と埃を洗い流す。最高の瞬間。
「あっ!また!」
床に落ちるボトル。カラン。
「もう、毎日これ……」
拾って、今度は慎重に握る。
「よし……落とさないぞ……」
「痛っ!もう!毎日恒例!いい加減学習しろって自分!」
もう驚かない。すぐに水で流す。慣れた動作。
「毎日のルーティンになってる……悲しい……」
体を洗って、さっぱり。
シャワーから出て、タオルで髪を拭く。
「生き返った……人間に戻った気分……」
今日の夕食は、しゃぶしゃぶだった。
「やった!しゃぶしゃぶ!豪華!」
タッチパネルをポチッと押すと、ウィーンとパネルが開いて、トレーが出てくる。薄切りのお肉と野菜、それにポン酢とごまだれ。小さな鍋に火がついてる。
湯気が立ち上る。肉の匂い。
「豪華すぎる!すごい、ちゃんとしゃぶしゃぶできる!」
お肉を箸で持って、お湯にくぐらせる。
「しゃぶしゃぶ~」
数秒で色が変わる。ピンク色から茶色に。
「できた!早い!」
ポン酢につけて、一口。
「美味しい!柔らかい!とろける!」
次はごまだれで。
野菜もしゃぶしゃぶ。
「白菜、しんなりして甘い~」
「えのきもいい感じ~シャキシャキ~」
お肉をしゃぶしゃぶするの、楽しい。見てるだけでも楽しい。
「これ、家族でやったら楽しいだろうな……ワイワイ言いながら……」
ミカとも、やったことある。去年の冬、ミカの家で。
「ミカ、いつも『肉ばっかり食べないで野菜も食べなよ』って言ってたな……お母さんみたいなこと言って」
「『ユイは肉食系だね』って……それでいつも笑ってた……」
楽しかった。美味しかった。温かかった。
「また一緒に食べたいな……ミカと……」
一人でしゃぶしゃぶ。美味しいけど、ちょっと寂しい。誰かと食べたい。
「でも、贅沢だよね。こんな美味しいもの食べられて」
今日は、肉体的にも精神的にも頑張った。メイド服で廃墟探索とか、普通じゃない。
食べ終わって、満足。お腹いっぱい。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。
残高33,850円。順調に減ってる。でも、ちゃんと管理できてる。
ボトル子に話しかける。
「ねえボトル子、しゃぶしゃぶ美味しかったよ。肉も野菜も最高だった」
ボトル子は黙ってる。でも、聞いてくれてる。いつも聞いてくれてる。
「今からデータ処理するね。見てて」
PCの前に座る。ゲーミングチェアが体を包み込む。
部屋の換気扇が、低く回ってる。ヴーーーン。
今日の撮影枚数は、4120枚。また記録更新だ。処理をかけて、待つ間、ボトル子と話す。
「ねえボトル子、今日ね、アルバム見つけたんだ。家族の写真がいっぱいあって……見てて、泣きそうになっちゃった」
あのアルバムを見つけてから、私の撮影は少し変わった。ただ形を記録するだけじゃなくて、そのモノの背景や物語を想像しながら、シャッターを切るようになった。
このちゃぶ台で、どんな会話が交わされたんだろう。この柱の傷をつけた子は、今、どこで何をしてるんだろう。
一つ一つに、人生がある。物語がある。
ピコン、と音が鳴る。
画面に現れた日給社宅の時間の化石は、これまで以上に、温かみを持っているように見えた。赤い靴も、柱の傷も、一本一本残ってる。
私の視点が変わったから、かもしれない。
「よかった……止まってなくて……」
最後のTexture処理。120分待つ。長い。
完成。
完璧な日給社宅の3Dモデルが画面に現れた。
「できた……完璧……」
マウスで回す。どの角度から見ても、生活の痕跡が残ってる。
「あ、わかった!」
思わず、声が出た。大きな声。
「写真は被写体への愛情表現なんだ!」
お祖母ちゃんが、古い写真を大切にしていたように。
この建物や、ここに住んでいた人たちのことを、もっと知りたい。もっと好きになりたい。
そう思って撮ったから、今日の写真は、今までと何かが違うんだ。
「『それなり』に、じゃダメなんだ」
「私が、心から納得できるものを撮らなきゃ」
品質への覚醒。それは、技術的なことだけじゃない。被写体と向き合う、心の問題だったんだ。
「そうだったんだ……やっと分かった……」
ボトル子に報告。
「ねえボトル子、私、気づいたよ。写真って、愛情表現なんだって」
ボトル子は黙ってる。でも、分かってくれてる気がする。いつも分かってくれてる。
「そうだよね、分かってくれるよね」
完成したモデルを保存して、解説資料を開く。
「一島一家族……」
資料を読む。島民同士の絆は非常に強く、隣の家の夕飯のおかずを分けてもらうのは日常茶飯事だったらしい。
「いいな……温かいな……」
私は、ふと自分のスマホの連絡先を思い浮かべた。圏外だから見れないけど、覚えてる。
「登録されてる友達……100人以上いる。LINE交換した子、全部入れてるから」
でも、本当に「家族みたい」って言える子はいるだろうか。
「ミカとは親友だけど……」
昨日何を食べたかなんて知らない。今日何があったかも、LINEで聞くまで分からない。
悩みを打ち明けるのだって、LINEでスタンプを一つ送るのが精一杯だったりする。
「スタンプ一個で、『大丈夫?』って……それで、『うん、大丈夫』って返ってきて……」
「本当は大丈夫じゃないかもしれないのに。もっと話したいことがあるかもしれないのに」
この島の人たちの繋がりと、私の繋がり。
どっちが豊かで、どっちが寂しいんだろう。
「分からない……答えなんて出ない……」
でも、考えることは大事だ。疑問を持つことは大事だ。
私は机の上のボトル子に、力強く頷いてみせた。
「ボトル子、私、ちょっとだけ分かった気がするよ。人との繋がりって、数じゃないんだよね」
ボトル子は、いつものように、にっこりと笑っていた。変わらない笑顔。
【残り日数:22日】
画面の数字を見る。赤い数字。冷たい数字。
「あと22日……もうすぐ3分の1が終わる……」
脱出までの道のりは、まだ遠い。でも、確実に前に進んでる。
「私、成長してる。技術も、心も」
小さくガッツポーズ。握りこぶしを作る。
「おやすみ、ボトル子」
ベッドに入る。ボトル子を枕元に置く。いつもの場所。
「明日も頑張ろうね。また新しい発見があるといいな」
目を閉じる。
静寂が、部屋を包む。
寝る前に、機材棚の整理をした。明日からドローンの出番が増えるから、予備バッテリーを取りやすい位置に——
棚の一番奥、予備の三脚ケースの裏に、何かが押し込まれてた。
「ん?なんだろ」
引っ張り出す。軍手だった。
「なんだ、軍手か。予備の備品——」
言いかけて、止まった。
新品じゃない。
指先がすり減って、薄くなってる。手のひら側は黒ずんで、ゴムの滑り止めが半分剥げてる。そして、くたっと置いたのに、軍手はゆるく半分握ったままの形で止まった。誰かの手の形を、覚えてる。
「……」
私の軍手は、LAUNDRYボックスの横に三組、まだ包装されたまま積んである。これは、それじゃない。
この部屋は、新築だ。木の匂いがまだ抜けてない、できたての部屋。私が最初の住人の、はず。
「……だよね?」
『ようこそ、No.6』
初日の文字が、ふいに頭に浮かんだ。No.6。私が、六番目。
——じゃあ、一番から、五番目は?
ゆっくりと、軍手を棚に戻す。元あった場所に、元あった形のまま。捨てる気にも、使う気にもなれなかった。
そして、認めるしかなかった。
この手垢は、私のじゃない。この部屋に、私より先にいた誰かがいた。あるいは——今も、この島の、どこかに。
「……私、一人だと思ってた」
ぞわり、と腕に鳥肌が立つ。でも、不思議と、思ったほど怖くなかった。怖さより、もっと強い感情が、胸の奥で小さく灯った。
確かめたい。
三脚の向き。聞こえないはずの羽音。すり減った軍手。ぜんぶ、気のせいで片付けてきた。でも、点が三つ揃えば、それはもう、線だ。
「ねえボトル子。この島、私たちだけじゃ、ないみたい」
ボトル子は、笑ってる。知ってた、とでも言いたげに。
電気を消す。新品の闇の中で、棚のあそこだけ、誰かの時間が、確かに、経っている。
その夜、私は決めた。明日から、島を撮るついでに——もう一人の「誰か」を、探してみようって。




