第23話 夜・実績解除と病院屋上のライブステージ
シャワーを浴びても、なぜか病院のひんやりとした空気が体にまとわりついてる感じがする。
「なんか……まだ寒い気がする……気のせい?」
タオルで体を拭きながら、鏡を見る。
「気のせい……だよね?」
でも、腕に鳥肌が立ってる。寒気がする。
「早く温かいもの食べよう。体温上げなきゃ」
タッチパネルで夕食を注文。今日は天ぷら定食にしよう。
「揚げ物!油!カロリー!これで元気出す!」
ウィーンとパネルが開いて、熱々の天ぷらが出てくる。エビ天、かぼちゃ天、なす天、ピーマン天。
油と揚げたての匂い。湯気が、顔に触れる。
「すごい!本格的!揚げたて!」
「サクサク!きつね色!完璧!」
一口かじる。
天ぷらを平らげて、お茶を淹れた。湯呑みを両手で包んで、私は、資料を開いた。今朝、読めなかった続きを。
『塵肺』
石炭の粉塵を長年吸い込むことで、肺の組織が固くなっていく。レントゲンには、白い影として写る。進行すると、もう、元には戻らない。
「……白い、影」
昼間の、床の一枚。あの、もやもやした白さに、名前がついた。
『端島病院には複数のレントゲン室が設けられ、鉱員の定期検診が行われた』
「だから、いくつもあったんだ……」
廊下で数えた、あのレントゲン室の数。設備が豪華だったんじゃない。それだけ、必要だったんだ。働くことが、肺を白くしていく島だったから。
そして、同じ建物の二階には、分娩室。ここで命が消えて、その一つ上の階で、新しい命が生まれてた。生と死が、階段一つ分の距離にあった。
湯呑みの中のお茶が、もうぬるい。
「……全部、撮ったよ。ちゃんと」
それが、今日の私にできる、唯一の供養だった。
かぼちゃ天も食べる。
「ホクホク!甘い!かぼちゃの甘みが濃い!」
揚げたての天ぷらって、なんでこんなに美味しいんだろう。幸せになる味。
口の周りが油でベタベタになる。
「あ、ベタベタ……」
ティッシュで拭く。でも油は落ちない。
「でも美味しいからいいや。今は食べることが大事」
食べながら、少しずつ心が温まってくる。体も温まる。
「さっきの寒気、消えてきた。天ぷらパワーすごい」
サクサクの衣の食感が、沈んだ気分を少しだけ上向きにしてくれる。
「よし、PC作業頑張ろう。今日のデータ処理する」
食事を終えて。
お茶を淹れて、湯呑みを両手で包んで——私は、資料を開いた。今朝、読めなかった続きを。
『塵肺』
石炭の粉塵を長年吸い込むことで、肺の組織が固くなっていく。レントゲンには、白い影として写る。進行すると、もう、元には戻らない。
「……白い、影」
昼間の、床の一枚。あの、もやもやした白さに、名前がついた。
『端島病院には複数のレントゲン室が設けられ、鉱員の定期検診が行われた』
「だから、いくつもあったんだ……」
廊下で数えた、あのレントゲン室の数。設備が豪華だったんじゃない。それだけ、必要だったんだ。働くことが、肺を白くしていく島だったから。
そして、同じ建物の二階には、分娩室。ここで命が消えて、その一つ上の階で、新しい命が生まれてた。生と死が、階段一つ分の距離にあった。
湯呑みの中のお茶が、もうぬるい。
「……全部、撮ったよ。ちゃんと」
それが、今日の私にできる、唯一の供養だった。
それから、机に向き直る。
ボトル子に話しかける。
「ねえボトル子、今日のデータ処理するね。見てて」
ボトル子は黙ってる。でも、そこにいる。
データをPCに取り込んで、RealityScan起動。
「よし、記憶の紡績、スタート!」
金属の反射を抑えて撮った今日のデータは、処理がいつもより重い。待つ間、マウスを落としかけた。疲れてる証拠だ。
ピコン。
画面に現れた病院の3Dモデル。
「うわ……リアルすぎる……」
受付カウンター、廊下、診察室、手術室。
全部、完璧に再現されてる。細部まで。
「不気味なほど、リアル……怖いくらい……」
手術台のステンレスの質感。無影灯の錆。散乱した医療器具。
「今にも、動き出しそう……」
マウスで視点を動かす。廊下を歩いてるみたい。バーチャルツアー。
Create Model、Simplify、Unwrap、Texture。
もう慣れた工程。でも、今日は何度も保存ボタンを押す。
「保存、保存……データ消えたら最悪だし。何度でも保存する」
完成した病院の時間の化石。
「……できた。完璧」
でも、達成感よりも、どっと疲労感が押し寄せる。
「疲れた……精神的にも肉体的にも……」
怖いとか、悲しいとか、いろんな感情がごちゃ混ぜになって、胸が苦しい。
「このままじゃ、ダメだ。おかしくなる」
気分転換しないと、本当におかしくなりそう。
「そうだ、外の空気吸おう!屋上に行こう!」
私は、カメラだけを持って部屋を飛び出した。
「ボトル子、ちょっと出てくる!すぐ戻る!」
向かったのは、さっきまでいた端島病院。4階建ての病院には、屋上があるはず。
「病院の屋上……また戻るの嫌だけど……でも、屋上なら大丈夫」
病院の前に立つ。もう夜。月明かりに照らされた病院が、不気味に佇んでる。
「怖い……でも、行く」
階段を駆け上がる。
1階、2階、3階。
「はぁ、はぁ……」
息切れ。でも止まらない。
4階。そして、屋上へ続く扉。
「よし……開けるぞ……」
扉を開けた瞬間──
「うわ……!」
目の前に、満天の星空が広がっていた。
「うそ……こんなに星があるんだ……」
東京では絶対に見られない、無数の星のまたたき。
「星ってこんなにあったんだ……空ってこんなに広かったんだ……」
手が届きそうなほど近くに、天の川が横たわってる。
「天の川……初めて見た……プラネタリウムじゃなくて本物……」
喉の奥が、きゅっと固くなる。綺麗すぎて。
眼下には、月明かりに照らされた廃墟のシルエットと、黒い海が広がってる。
「きれい……すごくきれい……」
そして、北東の方向を見ると、海上に小さな島影が見える。
「あれは……中ノ島?」
資料で見た。軍艦島の北東約500mにある島。元は炭鉱の島だったけど、後に水上公園になった場所。
「中ノ島……」
そして、そこには火葬場があった。軍艦島で亡くなった人は、あの島で火葬された。
「あそこで……」
生と死。この病院で看取られた命は、あの島で最後の旅に出た。
「一つの島で生まれて、別の島で空に還る……」
風が、びゅう、と強く吹く。
「わっ!」
髪が顔にかかる。手で押さえる。でも、気持ちいい。
私は、その風に向かって、思いっきり叫んだ。
「観客はカモメとドローンだけの、軍艦島ライブ開演ー!!」
声が、夜の闇に響く。海に吸い込まれていく。
「誰も聞いてないから、恥ずかしくない!叫び放題!」
そして、知ってる歌を、片っ端から歌い始めた。
流行りのJ-POPも、アニソンも、めちゃくちゃな歌詞で。
「ラララ~♪ なんとかかんとか~♪」
歌詞忘れても構わない。声が裏返っても、息が続かなくても、構わなかった。
「はぁ、はぁ、息苦しい……でも歌う!もっと歌う!」
ただ、大きな声を出したかった。この島の静寂を、私の声で満たしたかった。
夜の闇に自分の声を響かせながら、私は命について考えていた。
この病院で、たくさんの人が亡くなって、そして生まれてきた。看護師さんたちも、必死で働いて、命と向き合ってた。
中ノ島で、たくさんの人が空に還った。
私も、生きてる。息をして、歌って、ここに立ってる。
「当たり前じゃないんだ……生きてるって、当たり前じゃない……」
それって、当たり前のことじゃないんだ。奇跡なんだ。
「お母さん、ありがとう。産んでくれて」
「ミカ、ありがとう。友達でいてくれて」
「前のNo.3さん、ありがとう。バトン、受け取ったよ」
「病院で亡くなった人たち、ありがとう。あなたたちの記憶、ちゃんと残したよ」
「看護師さんたち、ありがとう。白い服、着させてもらったよ」
涙が出てくる。止まらない。でも、悲しい涙じゃない。
「この経験が終わって東京に帰ったら……」
「もっと一日一日を、ちゃんと大事に生きよう」
「友達も、家族も、もっと大切にしよう」
星空に誓った。中ノ島に誓った。
どれくらい歌い続けたんだろう。喉がカラカラになった頃、私は屋上に大の字になって、星空を見上げていた。
「きれい……」
星が、瞬いてる。生きてる証拠みたいに。
「生きてるって、いいな。こんなに綺麗な星が見れるんだもん」
胸のつかえが、少しだけ、取れた気がした。
静寂が、戻ってくる。長い静寂。でも、怖くない静寂。
部屋に戻ると、PCからまたゲームみたいな効果音が鳴った。
ピロリン♪
場違いに陽気な音が鳴った。
『実績解除:恐怖の克服者』
「……今ので?」
塵肺の白い影を見て、ここで働いて死んでいった人たちのことを思って、ようやく撮った。その重さに、ゲームのファンファーレを鳴らされると、なんだか、ちぐはぐだ。喜んでいいのか、分からない。
『報酬:専門知識がアンロックされました』
「……ありがたいけど。もうちょっと、空気読んでほしいな」
親切なのに、ぜんぜん、こっちの気持ちには触れてこない。優しいロボットに世話されてるみたいだ。
ふと部屋の隅を見ると、昨日までなかった小さな本棚が置かれていた。
「本棚?!いつの間に!誰が置いたの!?」
近づいて見る。
そこには、『医療施設の撮影テクニック』『金属反射の抑制方法』『廃墟撮影における光の使い方』といった専門書が並んでいた。
「すごい……プロ用の本だ……こんな本、書店でも見たことない……」
手に取って、パラパラめくる。図解入りで、分かりやすい。写真もたくさん。
「これ、今日の午前中に欲しかった……午前中にこれがあれば、もっと楽に撮影できたのに」
でも、嬉しい。すごく嬉しい。
「見てるだけじゃなくて、応援してくれてるんだ」
誰か分からないけど、このゲームの運営者に、少しだけ感謝した。
でも同時に、監視されてる感覚も強くなる。
全部、見られてる。全部、知られてる。ボトル子に報告。
「ねえボトル子、本もらったよ!専門書!プロ用の!」
ボトル子は黙ってる。いつも黙ってる。
「明日から、これ読んで勉強する。もっと上手くなる」
【残り日数:23日】
画面の数字を見る。赤い数字。冷たい数字。
「あと23日……もう7日も経ったんだ。一週間」
「でも、私、成長してる。確実に。ナース服も着こなせるようになった」
この島で生きていくには、強さだけじゃなく、弱さを吐き出す方法も、見つけなくちゃいけないんだ。
寝る前に、今日撮った写真をぼんやり見返していて——指が、止まった。
一枚だけ、見覚えのない構図があった。手術室の、無影灯を真下から見上げたカット。
「……こんなアングル、撮ったっけ?」
私の背では、台に登らなきゃ届かない高さ。脚立は持って入ってない。記憶を辿っても、しゃがんで撮った構図ばかりで、見上げた一枚なんて——ない。
「……疲れてるな、私」
きっと、無意識にカメラを持ち上げたんだ。そういうことにする。指で、その一枚をフォルダの隅へ寄せた。
寄せただけで、消しはしなかった。なんとなく、消せなかった。
「おやすみ、ボトル子」
「おやすみ、中ノ島」
「おやすみ、病院で眠る人たち」
「おやすみ、白い服を着て働いてた看護師さんたち」
ベッドに入る。ボトル子を枕元に置く。いつもの場所。
「明日も頑張ろうね」
目を閉じる。
今日も、一人じゃなかった。
星と、海と、ボトル子と。
静寂が、部屋を包む。




