偽物の代償6
美穂はアパートのベッドに座り、録音データを聞き返しながら決意を固めた。
「張はもう完全に俺に落ちてる。李の連絡先、直接の電話番号かメール……あと少しで引き出せる。発送伝票の原本や、中国からの輸入ルートの詳細も。もう少しだけ潜入を続ける。」
翌日から、美穂はさらに積極的に張に近づいた。
休憩時間は必ず責任者室へ行き、甘い声で「張さん、もっと話聞かせて」「李さんってどんな人?」と探りを入れる。
張は日増しに調子に乗って、「李さんとはWeChatで連絡取ってるよ」「今度、美穂ちゃんに紹介してあげようか」と、核心に近い言葉を漏らし始めた。
美穂は上目遣いに微笑みながら、「本当? 嬉しい……張さん、頼りになる」と褒めそやし、録音を続けた。
一方、事務所では高木が黙々と作業を進めていた。
高木は今までの全データを一つのファイルにまとめ、 偽サイトのスクリーンショットと解析結果 、張との会話録音、商品サンプル分析結果、発送伝票写真と倉庫内写真、外国人労働者の証言メモを時系列で整理。
警察提出用に、「傷害罪・詐欺罪・医薬品医療機器等法違反(無承認医薬品販売)の疑い」という犯罪事実を明確に記載した資料を作成した。
最後に、仁と城崎の連絡先を添えて、「被害者代理として相談に来ました」というカバーシートを付けた。
日曜の朝、Guardean事務所に仁と城崎が再び訪れた。
仁は少し顔色が良くなり、城崎は昭和製薬の顧問弁護士を同伴していた。
年配の顧問弁護士は、佐々木蔵之介と名乗り、Gurdeanの二人と名刺交換した。
高木が資料をテーブルに広げ、健一が報告を始めた。
「今週の進捗です。張からさらに情報を引き出しました。李の連絡先はWeChat経由で繋がっている可能性が高く、『今度紹介する』という発言を録音で確保。商品の輸入ルートは中国の特定工場からで、張が『李さんが全部手配』と自白しています。分析結果の詳細はこちらの資料を見てください。」
仁は資料を握りしめ、声を震わせた。
「……こんなものを、うちの名前で売っていたなんて……健一君、高木君、本当に……ありがとう。」
城崎は弁護士に資料を回し、すぐに確認させた。
「これで、警察への被害届は確実に受理される。厚生労働省の薬事監視指導課にも並行して通報する。国際的な犯罪対策として、中国側の李氏に対する通報も可能だ。Guardeanの皆さん、君たちの証拠がなければ、ここまで進まなかった。仁、君の会社はもう守られたも同然だ。」
健一は静かに頷き、続けた。
「まだ終わりません。李の連絡先を直接聞き出すまで、もう少し潜入を続けます。張は美穂に完全に落ちてるので、『李さんと直接話したい』と言えば、WeChatのIDや電話番号を引き出せるはずです。悠斗が警察提出の最終調整を進めています。来週中には、決定的な証拠を揃えて撤退します。」
高木は資料の最終ページを指差した。
「警察提出用ファイルは完成。仁さん、城崎さん、明日にも刑事課に同行して提出可能です。内容は『匿名通報』ではなく、『被害者代理・調査機関として相談』という形で。美穂の潜入身分は伏せますが、必要なら『内部協力者』として証言を追加できます。」
仁は深く頭を下げ、涙を堪えながら言った。
「ありがとう……本当にありがとう。由香にも、いつかこの話を……『パパの会社を、健一君と高木君が守ってくれた』って、伝えたい。しかしだ。健一君、無理は絶対にするな。君たちの安全だって何より大事なんだ。」
城崎も静かに頷き、「そうだ。昭和製薬としても、引き続き支援する。警察との連携で、倉庫の急襲や李氏の身柄確保まで持っていけるはずだ。」
報告会はそこで終了。
仁と城崎は資料のコピーとUSBを持ち帰り、健一は再びアパートへ向かう準備を始めた。
健一は鏡の前で青いリボンを結びながら、静かに呟いた。
「あと少し……李の情報を引き出せば、終わりだ。張……お前の欲望が、最後の鍵になる」
張は、昼休みの責任者室でいつものように美穂を呼び寄せた。
今日はいつもよりソファの位置を近くに寄せ、コーヒーを二杯用意しながら、ねっとりとした視線を美穂の顔から体へと這わせている。
「美穂ちゃん……もう我慢できないよ。今夜、俺と一夜を共にしないか?李さんとのビデオチャットも、ちゃんとセッティングしてあげるからさ。美穂ちゃんみたいな可愛い子、俺の特別な相手にしてあげたいんだ。」
美穂は一瞬、目を伏せて頰を赤らめたふりをする。
ゆっくりと上目遣いに張を見つめ、指先でスカートの裾を軽く握りしめながら、恥ずかしそうに体をくねらせる。
「……張さん、そんな……エッチ……」
モジモジと体をよじり、声も小さく震わせてみせた。
張の息が明らかに荒くなり、股間が再び膨らむのが見える。
美穂はさらに甘く、囁くように続ける。
「でも……私、そんな簡単に……張さんが本当に李さんと連絡取ってるって信じたいけど……まず、李さんの連絡先を教えてくれたら……その……一夜を共にしても……いいかも……」
張は目を血走らせ、興奮で声が上ずりながら、スマホを慌てて取り出した。
「わ、わかった! 教えてあげるよ!李さんのWeChat IDはこれ!電話番号はこれ!メールはこれだよ!今夜にはビデオチャットもできるよ!李さん、俺の言うことなら聞いてくれるから……美穂ちゃん、俺の部屋に来てくれれば、すぐ繋ぐから!」
美穂はスマホを覗き込み、張が画面に表示した連絡先を、自分のスマホのカメラで素早く撮影した。
「……本当だ……張さん、ありがとう……やっぱり張さんって頼りになる…じゃあ、今夜……張さんのエッチ!」
張は興奮で息を荒げ、美穂の肩に手を伸ばそうとしたが、美穂は軽く体を引いて、恥ずかしそうに立ち上がった。
「でも……まだ仕事中だから……続きは今夜……ね?」
張は頷きながら、「絶対だよ……美穂ちゃん……」と、恍惚とした表情で呟いた。
美穂は責任者室を出て、倉庫の隅で一息つき、すぐに高木に連絡した。
「李の連絡先、全て入手。WeChat ID、電話番号、メールアドレス。録音も完璧。今夜の『約束』はもちろんフェイク。明日から撤退準備に入る。」
高木は表情を崩さずに答えた。
「お疲れ。これで核心は掴めた。警察提出ファイルに追加して、明日、仁さんと城崎さんに報告しよう。」
美穂はアパートに戻り、李さんの連絡先を悠斗に転送した。
ベッドに倒れ込みながら、青いリボンを外して天井を見上げた。
「張……お前の欲望が、全部を終わらせたよ。仁さん……もうすぐ、すべてが片付く。」
日曜の報告会では、この決定的な証拠が仁と城崎に渡され、警察への提出が即座に決定した。
李の連絡先が国際捜査の糸口となり、偽片桐ファーマシーのネットワークは、崩壊へのカウントダウンが始まった。
翌日の月曜日、Guardean事務所に再び重い空気が満ちていた。
高木は朝イチで昭和製薬の弁護士、佐々木蔵之介と仁を呼び、緊急会議を開いた。
事務所のテーブルには、今までの全証拠が並べられている。
偽サイトの解析データ、張の会話録音、商品サンプルの分析結果、発送伝票写真、そして――美穂が昨日入手した李の連絡先(WeChat ID、電話番号、メールアドレス)のスクリーンショット。
美穂は普段着に戻り、青いリボンを外した状態で椅子に座っていた。
高木が資料を指差しながら、静かに説明を始めた。
「李さんの連絡先を確保しました。これで、中国側のトップを特定できた。今までの証拠と合わせれば、国際的な詐欺・傷害・医薬品法違反の容疑で、李を逮捕できる可能性が高い。」
昭和製薬側の弁護士、佐々木蔵之介は、資料を一枚一枚確認しながら、落ち着いた声で頷いた。
「確かに、これだけ揃っていれば充分です。 偽サイトのなりすまし詐欺により商標権侵害・詐欺罪。無承認医薬品の販売により医薬品医療機器等法違反。有害物質混入による健康被害の意図的提供により傷害罪、場合によっては殺人未遂。これらは日本国内の犯罪事実として立件可能です。李氏が中国にいる場合でも、日本警察が被害届を受理した上で、インターポール経由で赤手配(国際逮捕状)を出せば、中国当局が身柄を拘束・引き渡す流れが作れます。中国側も、最近は国際的な健康被害事件に対して協力的です。特に発がん性物質の検出は、国際的な公衆衛生問題として扱われやすい。」
仁は資料を握りしめ、声を震わせながら言った。
「これで……李氏を逮捕できるんですね……うちの社名を汚し、未来を脅かした奴を……本当に……ありがとう、皆さん。」
佐々木は穏やかに、しかし力強く続けた。
「問題は逃亡の防止です。李氏が情報を嗅ぎつけて国外逃亡する可能性がある。だからこそ、同日逮捕の準備を急ぎましょう。日本警察の刑事課に全資料を提出し、同時にインターポールへの通報手続きを並行して進める。Guardeanの皆さんは、ここまでの証拠収集で役割を果たしました。あとは、私たち弁護士と刑事課、インターポールの仕事です。」
多賀儀は静かに頷き、資料の最終バージョンをUSBにコピーした。
「提出ファイルは完成しています。今日中に刑事課へ同行して提出します。美穂の潜入身分は完全に秘匿し、『匿名協力者からの内部情報』として扱います。」
健一は立ち上がり、仁の目を見て言った。
「仁さん、これで会社は守られます。李の逮捕が決まれば、偽サイトも即座に閉鎖要請が出せます。」
仁は涙を堪えきれず、健一と高木の手を交互に握った。
「健一君……高木君……本当に……本当にありがとう。由香にもこの話を……『パパの会社を、二人が命懸けで守ってくれた』って、伝えたい。Guardeanの皆さんには、月額以上の報酬を……いや、それ以上のものを……」
健一は優しく首を振った。
「報酬はいつもの月額でいいです。」
佐々木弁護士は立ち上がり、仁に言った。
「では、すぐに刑事課へ向かいましょう。今日中に被害届提出とインターポール通報の手続きを完了させます。李氏の逃亡を防ぐため、同日逮捕の流れを作ります。」
会議はそこで終了。
仁と佐々木弁護士は資料とUSBを持ち、すぐに警察署へ向かった。
高木は事務所のPCで最終バックアップを取り、健一は窓辺に立ち、遠くの空を見上げた。
「終わったな……これで、仁さんの会社は……由香ちゃんの未来は……守られた」事務所に、静かな安堵の空気が広がった。
Guardeanの役割は、ここで一旦完結した。
あとは、法の執行機関が動く番だ。
それは、李の逮捕が報じられる日が遠くない事を意味していた。
張と李の逮捕劇から数日。
メディアは「中国製違法ダイエットサプリ事件」として大きく取り上げ、発がん性物質混入による健康被害の深刻さと、国際的な組織犯罪の側面を強調した。
事件を完全に未然に防ぐことはできなかった。
すでに全国で数千人が「スリムエクスプレス」を購入し、一部の服用者から腎機能障害や心拍異常の報告が上がっていた。
しかし、Guardeanの潜入調査と証拠収集がなければ、被害はさらに拡大し、死亡例も複数出ていた可能性が高い。
美穂の張からの情報引き出し、分析結果の迅速な入手、李の連絡先特定が警察の急襲と国際捜査を可能にし、被害を最小限に抑えた。
厚生労働省の回収命令も素早く発動され、残存在庫は全てが押収された。
張と李の実刑判決が確定したのは、事件発覚から約1年半後のことだった。
東京地裁での第一審、高裁での控訴棄却、最高裁での上告不受理を経て、
張(現場責任者):懲役8年・罰金1,500万円
李海峰(中国側首謀者):懲役12年・罰金5,000万円+犯罪収益約1億5千万円没収
という判決が確定した。
偽物。
その代償は大きく、決して償いきれるものではなかった。




