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第26話 辛いことを明日に持ち越すと大概もっと辛くなる

 シュッシュ、シュッシュ――

 リズミカルな音を奏で、


「痛っ」


 と、不協和音が聞こえなくなって、はや数週間。


 シータは料理担当になると、三日目にはハイネが完食するほどに上達させ、以降も欠かすことなく、夜な夜な厨房より聞こえる努力の音色は、やがて六班の子守唄になった。


 まあ二階までそんな音色は聞こえないんだが、みんなが周知の事実だ。

 だから、その表現はあながち間違いでもないだろう。


 そして、俺はたびたび厨房へ赴き、シータの実験台となるのだった。


「ど……どう?」


「なんだこの薄味……塩分! 油分! そしてパンチが足りない! ラーメンのスープを罪悪感なく飲み干す育ち盛りの若者をなめんじゃね―っ! 栄養が足りなくてハイネのおっぱいが育たなかったらお前のせいだからな! 責任重大だぞ! いいな!」


 今夜も辛口である。

 俺の舌に六班の命運がかかってるんだ。気合も入るってもんだ。


「ウマくはないけど、マズくもない。つまり五十点」

「せめて平均点って言えない?」

「だけどもまあ、食べられるようになっただけマシか」

「ねえ。あんたって……女の子にモテないでしょ?」

「は? モテませんけど何か? 外見と中身が違う詐欺師のあなたより、外見と中身が一致してる俺の方がモテなくとも誠実だと思うんですけど?」


 と、ここで俺は「ぶふっ」っと思わず吹き出す。


「あんたがモテないのはそういうキモいとこなんだけど、何、どうしたのよ?」


 ったく、笑える話だろ。魔王様が誠実……だってよ。

 あとキモいってハッキリ言うのはどうかと思います。


「いや……どうしたと言われれば、確かに、どうしちゃったんだろうな俺」


 本来の目的を忘れてシータを助け、今もこうして話をして、それがなんだか心地よくて、楽しいとさえ思っている。


 それに俺って港町ポプラでシータになんて言ったよ?

『六班のやつらは無事なんだな?』なんて心配までしちゃってさ。


 ……ほんと、何やってんだ俺。


 ただ、湧き上がったこの思いに比べたら、こんなのまだ序の口だな。

 だって、回復魔法を唱えてシータと痛みを通して繋がって、俺はこんなことを思ったんだから。


――()()()()()()()()()。って。


 あ、いやここで防御線を張って、一つ言い訳をしておくと、齢十六歳の少年がですよ、単身異世界にやってきて、辿り着いたのが魔界。そこで魔王に祭り上げられて、一年を過ごしたわけですよ。右を見ても、左を見ても、魔物魔物。唯一の遊び相手と言ったら、スラランぐらいのものだ。後はまともに遊ぶどころか、コミュニケーションを取ることもできないやつばかり。シュラに遊ぼうと言ったら、殺し合いの決闘が始まるし!


 そんな俺こと魔王さんが、一年ぶりに人として会話ができてるんですよ。

 こんな思いに苛まれるのも致し方ないってなもんだ。


「ははっ、ここに来て、おかしくなったのかもな……俺」

「いや、あんたがおかしいのは最初からず――――うううううっとじゃない!」


 ねっ? ほんと……なんでこんなことを思ったんだろう。ねっ!

 さて、休憩は終わりだ。お仕事お仕事っと……。


「最初からおかしいのはお前もだけどな! 実技試験ではトンデモない魔法をぶっ放すわ、土下座してまでこの学園に入ろうとするわ。お前も大概だ! あの時ディアマンテはお前の異常な言動の理由をわかってたみたいだったが……だったら聞かせてくれるか? 頭がおかしい以外に、どんな”理由”があるんだ?」


「あんたほんと、もう少し言葉を選んだ方がいいわよ? ……はあ、別に深い意味はなくて、勇者アルスの名を汚す真似ができないだけよ」


 グイっと顔を近づけると、シータは左右相反する瞳を見せつける。


「どお? この瞳。初めてだそうよ。アルス家に金眼銀眼の瞳を持つ者が産まれたのは」

「それがどれほどかわからんが、特別の中の特別……ってわけか?」

()()()()()()()()()()……これでわかるでしょ」


 重圧から逃げ出すかのように瞳を閉じてシータは言う。


「勇者アルスの再来。生まれ変わり。なんて言われたりもして、お父様もお母様もまんざらではなかったんでしょうね。だから育てられてきたのよ。『人類の希望であれ』『一番であれ』『アルスであれ』そういった教育の下に育っただけよ。不合格なんてなった日にはどうなると思う? ただそれだけ」


「英才教育ってやつだな。でも、それって愛情の裏返しじゃないのか?」

 そんな俺の質問を後回しに、

「ねえ、この世界のことを知らないあなたに、ひとつ昔話をしてあげようか」

 シータは本を開くように口を開く。


「むかし、むかし、()()()()()()()()()()()()の、むかし、むかし。人と人は血で血を争い、大地を”赤”に染め上げていたそうなの。人と人が手を取り合うことを何より重視する今では考えられないことだけど。それでも、人は人を傷つけ、殺し合い、血を流し続けた。そんな人を憂い、嘆き悲しみ、女神レキア様は”涙”すると、天より飛来したその雫は赤に染まる大地を洗い流し、世界を純白に染め上げた。勇者アルスの物語と共に、幼少期から教え込まれた女神レキアの伝説」


「へえ。勇者とは赤の他人のために涙を流す。なんて言ったディアマンテの話は、そこからきてるのか?」

「ええ、勿論その想いを受け継いでの教えね。……でもね、ダイチ。そんな想いとはかけ離れた受け取り方をする人もいるのよ」


 悲しげにも、諦めにも見える表情で、シータの昔話は紡がれていく。


「『だから、人の血は女神の涙と同じなのよ。尊い犠牲こそが世界を浄化するの』そう言ったお母様の言葉に、私は首を傾げ。『どれだけ血が流れても、女神の涙が洗い流してくれる。だからシータ、傷つくことを恐れるな。血を流すことを躊躇うな。お前が流す血は、世界を救う女神の雫なのだから』続けざまに言ったそんなお父様の言葉が怖くて、理解できなくて、子供ながらに私は震えた。ねえ、私は涙を流せばいいの? それとも……血を流すの?」


 これがシータによる答えか。


 なるほど……これは英才教育でも、ましてや愛情表現とも言えないな。

 アルスと言う名に縛られた、それは歪みであって、


 ただの――“呪い”だ。


 ならば答えは簡単だ。


「何も流さなきゃいいだろ。いやなら逃げればいい」


 どうやら俺の解答は赤点だったのだろう。

 シータの手元にあったお玉が、ガシャン! と激しい音を立てて白濁したスープがぶちまけられた。


「……ふ、ふざけないでっ!!」


 シータの両目が――呪われた瞳が、怒りと屈辱で爛々と燃え上がり、俺を真っ向から射抜く。


「無責任に『逃げろ』なんて……あんたに私の何がわかるっていうのよ! 簡単に言わないで! アルスの名を持つ私が、もし明日いなくなってみなさいよ。この世界がどれだけの絶望に包まれるか、あんたに想像できる!?」


「想像? そんなもんできるわけないだろ。お前一人がいなくなったところで、明日の朝飯のメニューが変わるくらいの影響しかねーよ」


「そんなわけないでしょ!!」

 シータは詰め寄り、俺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで叫ぶ。


「いざという時、誰が人界の安寧を守るの? 誰が魔王を倒すのよ! 私が逃げたら、千年に渡って続く平和のバトンを私が叩き落とすことになるのよ! 先祖代々、血を流して繋いできた“希望”を、私の代で『耐えきれないからやーめた』で済ませられるわけないじゃないっ!!」


「平和のバトンだぁ? そんなもん、どっかの誰かが勝手に拾うさ。お前が勝手に背負ってるだけで、世界はお前にそこまで頼んでねーよ。自意識過剰なんだよ、アルスの再来さん(・・・・・・・・)よ」


「ほんっとあんた……何もわかってない! 私は、お父様やお母様の期待に応えるために、友達と遊ぶ時間も、眠る時間も削って……! この瞳に相応しい自分になるために、血の滲むような思いでここまで来たのよ! それを『逃げればいい』なんて一言で……ねぇダイチ、お願いだから、私の十六年を、アルスの千年を否定しないでよ!!」


 シータの声が震えている。それは怒り以上に、自分の拠り所を『軽い』と切り捨てられたことへの恐怖に近いのだろう。


 ったくこいつは……やっぱめんどくせぇ。


「否定はしてねーよ。ただ、『重い重い』って被害者面して泣くくらいなら、その看板降ろして楽になればいいだろって言ってんだ。お前を縛ってるのは、親やアルスの名じゃなくて、『そうしなきゃ価値がない』と思い込んでるお前自身の呪いだろ」


「そんなんじゃない……そんなんじゃないのよ。アルスの名はそんなに軽くない……重い。ねぇダイチ……重いのよ」


「なら、その『重い世界』を一人で抱えて潰れるのがお前の望みか?」

「望んでなんかないわよ。それでも私が背負わなきゃいけないの……」


 その背中に世界の希望という『役目』を背負ってるんだろう。

 そりゃ重いよな、わかるよ。

 俺だって『世界を滅ぼす』、なんて役目を背負いきれずに、こんな有様だ。


 だったら――


 俺は()()()()の成就に向けて口を開く。


「一人じゃないだろお前は! なら少しは渡せよ!」

「……お、重いんだよ?」

「仲間を想い、繋がり、支え合う、ってのがこの学園なんだろ?」

「世界だよ? ……すっごく……重いよ?」


 ふっ、お前はもっと重い“もの”を持つんだよ。


「ははっ、お前の体重よりは軽いだろ!」

「バッ、わ、私そんなに重くないっ!」

「その程度なんだよ、お前が背負ってるもんなんて。軽いもんだ」

「……持って、くれるの?」

「ああ、なんだったらおっぱいでも持ってやろうか?」

「はぁ、もう、あんたと話してると真面目に考えてるのがバカらしくなってきた」

「ほら、よこせ」

「うん」


 金眼銀眼の瞳を潤ませ、シータは手を差し出し気兼ねなくこう言った。


「持って。半分」


「おいおい、半分って重すぎだろ」

「回復魔法のようにふたりで割れば世界だってなんとかなる。でしょ? ダイチ」

「ったく、しゃーねーな、んじゃお前も持て」

「女神レキア様に遣わされたあんたも……境遇は同じってわけね。わかった! 私もなんだって持つ! どんとこい!」


 ちょろいなこいつ。将来変な男に引っ掛からないか魔王さん心配です。

 言質を取ったことにより、俺はシータを指差し、


「んじゃあ、明日の買い出しはお前も参加な! ()()()()()()()()()()


 ニタリと笑い、本来の目的を伝えたのだった。

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