第09話 良薬口に甘し
コンコン……コンコン。
取っ手が見えないほど、黒で統一された扉を叩きますが、お返事はありません。
「レ、レヴィ様? スララン入ります」
意を決して扉を押し開けると、そこには研究という名の狂気が詰まった光景が広がっていました。
窓一つない部屋を照らすのは、怪しげな光を放つ魔灯と、フラスコの中でボコボコと沸き立つ正体不明の薬品。壁一面に並んだ本棚には、ボクのようなひ弱な存在が読めば発狂しかねない禁忌の毒書がぎっしりと詰め込まれています。
(というわけで、魔王様は潜入に成功されたようですニャ)
「それは上々。引き続き監視を抜かるな」
部屋の奥。複雑に絡み合った魔導管の陰でレヴィ様は王都メルクリスに潜む、魔守護狼隊の方々と念話の最中でした。
って、ちょ、ちょっと待ってください!
今なんておっしゃいました? 潜入に……成功?
「レヴィ様! 魔王様は聖アルフォード学園に潜り込めたのですか?」
「今しがたその報告を受けたところだ。クックック。服毒したということだな」
なるほど、聖アルフォード学園に毒が盛られたようです。
「これは吾輩も負けてられないな。よしスララン、早速だが、本日も吾輩の研究に付き合ってもらうぞ。まずはいつものように魔水の採液から始める」
レヴィ様が机の引き出しから取り出したのは、冷たく銀色に光る、長く鋭利な魔導注射針。
それを見ただけで、ボクの体は波打ち、表面に細かな気泡が浮かびます。
「あ、あの……痛いのは、その、できれば控えめで……」
「動くな。成分が濁る」
プニッっとボクの柔らかい体を貫き、魔水が吸い上げられていきます。
毎回のことなのでもう慣れたもの……えっと、ごめんなさい。嘘です。
いまだに針が刺さる瞬間、ボクは怖くて目を逸らすのです。
「よし、終わりだ、スララン」
レヴィ様は試験管に入ったボクの魔水を不気味に揺らしながら問いかけます。
「お前は、見た目こそスライム族だが……その魔水成分はどうにも不可解だ。どこで生まれたか、思い出せたか?」
「い、いいえ……思い出せないのです。ボクを生み出した方なんて本当にいるのでしょうか?」
「命は無から生まれることはない。人族同様、我々魔族もまた然り、それは変わらない。その姿がどうであれ、卵から生まれようが、腹から生まれようが、液体から生まれようが、お前は『何か』から生れ落ちたのだよ」
でしたら是非お会いしたいものです。ボクの生みの親という方に。
「あの……それにしてもレヴィ様。ボクの魔水はそんなに不可解でしょうか? 実際魔王様には美味しく召し上がっていただいてますので、問題はなさそうに思えるのですが……」
「それだよ。お前の魔水を部下に与えてみた結果、どうなったと思う?」
「お口に合わなかった。でしょうか……?」
「いいや」
レヴィ様は不敵に笑い。
「死んだ」
プルっとした目を覆いたくなる言葉を口にされました。
「え、え、え? ぼ、ボクの魔水のせいですか? ほ、本当にボクの魔水で?」
「クックック、嘘を言ってどうする。お前の魔水を飲ませたら、その場で死んだ」
謝罪の言葉を探す前に、ボクにはどうしても、声を大にして言うべきことがあるのです。
「で、でしたら、どうして魔王様にそんな毒を与え続けているのですか――ッ!!」
「結果はどうだ?」
ボクの怒鳴り声を、レヴィ様は無情にも聞き流します。
「魔王様はお前の魔水で作ったおやつを食べ、死ぬどころかより生き生きとしたではないか。……まるで反発するかの如く――」
「……どういう、ことですか?」
「人の身でありながら魔王の力を宿せば、通常は破壊衝動に飲まれ、人としての自我は崩壊する。だが、魔王様がいまだに“ダイチ”として、呑気に人間らしくいられるのは……スララン、お前の魔水が毒を中和する『解毒剤』として機能しているからだと吾輩は考えている」
レヴィ様はしゃがみ込み、ボクの丸い目を見つめて諭すように言います。
「毒にもなれば、薬にもなる。魔王様にとってお前は、なくてはならない良薬……しかも、本人にとっては口に甘しというわけだ」
「……。ボクが、魔王様の役に立っている……?」
「ああ。魔王様にはお前の魔水が必要だ。誇りに思うがいい」
難しいことはわかりませんが、こんなちっぽけで、針を刺されるだけで震えてしまうボクが魔王様にとって必要だと言ってもらえた。それが、何よりも、プルプルしちゃうくらい嬉しいことなのでした。
「わ、わかりましたっ! 魔王様に喜んでもらえるよう、これからも精一杯おやつを作ります!」
「ああ、頼むぞ。……だが、その前に」
あれほど凍えていた声音が一転、
雪解けを迎えたかのような柔らかな声で言います。
「円卓の魔へ、魔っ茶を四つ運べ。……無論、お前の魔水が入っていない、普通のやつだ。吾輩はまだ死にたくないのでな」
そう言って、レヴィ様は冗談めいた笑顔で円卓の魔に向かわれたのでした。




