第八章「西成の黙示録」
大阪・西成、あいりん地区。朝の通天閣が霞むほどの黄砂が空を覆い、ゴミと尿の匂いが交じり合う路地裏を、ミカは迷わず歩いていた。
「この街では、“死”は隣人だ」
久世が言った通りだった。破れたブルーシートの奥に、痩せこけたホームレスが静かに息を引き取っていた。誰も騒がない。誰も見ない。そこでは死すらも、風景の一部にすぎない。
ミカの手のひらには、Signalを通じて送られてきた情報──カストリの流通ルートが記されている。西成では既に複数の路上売人が動き始めており、その中枢には「サカグチ」と呼ばれる半グレ崩れの人物がいるらしい。
彼を突き止めることが最初の任務だった。
ミカは、西成の路上スナック街「飛田裏」に潜入する。派手なスーツに身を包んだ中年の男たちと、下を向いた少女たちの間をすり抜けるように歩き、やがて一軒の薄暗いバーに入る。
「おい、姉ちゃん、見かけん顔やな」
カウンターの奥で酒を煽る刺青男が声をかけてきた。
「サカグチって人を探してる。あんたには関係ない話よ」
ミカの目に迷いはなかった。だがその瞬間、背後から首筋に冷たい金属の感触。ナイフだ。
「サカグチさんは忙しいんや。女の子と遊ぶ暇なんて、ないんよ」
声の主は、明らかに薬物中毒者だった。両目が血走り、身体が異常なほど痙攣している──カストリを摂取した典型的な症状だった。
と、バーの扉が乱暴に開いた。
「おい、もうええ。離せや」
現れたのは30代後半、黒皮のジャケットに無精髭の男。サカグチだった。だが彼の目もまた、どこか“濁っていた”。
「お前、公安か? 財務の犬か? 厚労の回し者か?」
「どれでもない。ただのサバイバーよ」
ミカがそう答えた瞬間、店内が静まり返る。
「カストリは、あんたたちが思ってるよりずっと深いところで動いてる」
サカグチは、虚ろな笑みを浮かべた。
「なら教えてやる。西成で最初にバラ撒いたのは、厚労省直属の臨床モニター部隊や。政府が“実験”しとるんや、俺らの命でな」
その言葉に、ミカの中の何かが確実に壊れた。
そして、壊れた先に浮かぶ“怒り”と“使命”。
夜。久世と再会したミカは、手帳に新たな地図を描いていた。
「次の拠点はどこだ?」
「──津市や。東海地方最大の流通拠点になりつつある」
久世が答える。
「そこには、“製造所”がある。そして、“始まりの女”も」
「始まりの女?」
「お前の母親や、ミカ」