第五章「津、禁域の福祉施設」
三重県津市。静かな町のはずれに、厚生労働省の外郭団体が運営する「児童自立支援施設・瑞祥学園」が存在している。表向きは生活困窮家庭や問題を抱える児童たちを一時的に保護し、自立を支援する施設だが、関係者の間では別名「第零研究区」と囁かれていた。
ミカはその施設に、特例研修生という名目で派遣される。厚労省職員の推薦が必要なルートであり、民間人がその内部に足を踏み入れるのは稀だった。
敷地内は高いフェンスと警備用ドローンに囲まれ、施設内には通常の福祉施設とはかけ離れた研究室や観察用の個室が点在していた。ミカは案内役の職員・蓮井に連れられ、内部を見学することになる。
「ここでは、全国から選ばれた“特異傾向”の子どもたちを、専門医療と最新の神経発達薬で支援しています」
蓮井の説明はあくまでマニュアル通りだったが、その目はどこか冷めていた。
やがてミカは、ある観察室の前で立ち止まる。室内には一人の少年がいた。無表情のまま机に座り、同じ映像を延々と見せられている。画面には複数の色彩とパターンが流れ、時折ノイズのような高周波が挿入されていた。
「これは何をしているんですか?」
「感情反応の閾値を測っているのよ。新しい投薬と視覚・聴覚刺激を組み合わせて、感情の“オフスイッチ”があるかを見ているの」
それは福祉の名を借りた、神経系への直接的な介入だった。
夜、ミカは一つの違和感に気づく。
子どもたちの表情が“均質化”している。悲しみも怒りも、喜びもない。
まるで、感情そのものを“消されている”ように。
ミカは所長・馬越と面談する。
医師でもある馬越は、表向きには温厚で知的な人物だったが、言葉の端々には哲学めいた危うさが滲んでいた。
「人間の倫理とは、環境と化学の積分に過ぎません。もし感情のパターンを数式化できれば、それを最適化することも可能になる。福祉とは、無秩序な魂を“整える”行為でもあるのです」
その晩、ミカは偶然、施設内の保管庫で見慣れない書類を発見する。中にはこう記されていた。
"研究名:KASTORI投与群における神経可塑性と感情応答の低下傾向"
"試験責任者:厚生労働省薬事調査室 認可番号A-114-ZR"
ミカは確信する。
ここは、合成麻薬カストリの“潜在的用途”を試験する国家レベルの施設なのだ。
ミカは蓮井に問い詰める。
「これが“福祉”ですか?」
蓮井は一瞬目を伏せ、低く答える。
「これが“国の現実”です」
章の終わり、ミカの端末にSignalが届く。
【久世】
“この施設はもうじき消される。記録を持って出ろ。次は君が狙われる”